◆丹後の原像【10. 「真名井原縁起」 (前編)】 



これまでは丹後の外側のやんわりとした部分をのんびりと書いてきました。
ぼちぼちと核心に…とまではまだまだいきませんが、ちょっとは学のある部分にも…くらいの感じで…やっぱり「ふんわりと」(笑)

究極に目指すところは
→「豊受大神」って?

ここまで踏み込むには自身が神様にでもならないと…

とある宮司さんが、籠神社の現宮司である海部光彦氏と親しくされており、宮司のことを神様みたいな方だと形容されておられました。これはまさしく「言い得て妙」!
宮司とはもっとも神の近くで仕える者のことですが、我々凡人からみれば神のような存在なのです。それほどの古代史研究をなされた方。
籠神社境内社を拝しておられるお姿を拝見しておりますが、その様はあまりに神々しいもの。この御方はもう神様でいいのだ!などと勝手に思わされています。

前置きが長くなりましたが、このシリーズ(テーマ)記事はしばらく籠神社の起源にまつわるものとなります。海部光彦氏が著された「元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図」を参考書としてつらつらとやっていきたいと思います。なるべく私論は挟まずに。もちろん私なんぞが挟む余地すらないほどに研究なされているのでしょうから。

光彦氏が神であるとするなら、先代宮司穀定氏は大御神とでも敬称すべきなのでしょうか。「原初の最高神と大和朝廷の原始」は、自身の希望的観測によると、もうすぐ入手予定となってなっています(笑)
ネットで中古本を探してもなかなか4万円を下りません。一般庶民にはなかなか手の出せない代物。ま…いずれ…そのうちに…と。

(天橋立 令和元年7月)



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◎「真名井原縁起」

これは籠神社の創祀創建に関わる直接的なもののうち、最重要資料かと思います。室町時代頃のものと考えておられるようです。
大変ありがたいことに現宮司自ら、原漢文から読み下し文へと変換なさっておられます。元書に触れることは叶いませんが、おそらく現在使用されていない漢語は現在のものに変換なされたのではないかと。したがってこの読み下し文そのままで、ほぼ理解できるものとなっています。



上古ノ世丹後國未ダ分レズ丹波(たにわ)ト稱ス 造化ノ霊勝天梯立眼下ニ連ナリ 内ハ阿蘇海ヲ抱キ外ハ与謝海蒼々トシテ日本海ニ開ク 東ノ海中ニ冠島沓島神容ヲ現シ 天神ノ示現日子日女ヲ祀リテ常世嶋トモ稱ス 此処東北ニ神体山ヲ背負ヘル奇(くす)シキ一劃(いっかく)アリ 即チ原初ノ天神降リ來マセル処真名井原ニシテ今太古ノ磐座存ス 東座ハ地上僅ニ現ハルト雖モ生命根源ノ神又御饌ノ神トモ申ス豊受大神鎮マリ給フ 大神ハ宇宙ノ一氣発スル大元(たいげん)ノケ(※)ノ神ニシテ 時ニ月神ニ化シ或ハ海神トモ現ジテソノ働キ変幻ス 之(こ)ノ神ハ籠宮祝部海部直(このみや はふりべ あまべのあたい)ノ丹波道主ノ娘八乙女ガ斎キ祭リシトゾ伝フ 瑞兆機ニ応ジテ表ハレ背後ノ山峡ニ狭霧立タバ水氣根源ノ玄妙ヲ思フベク 真名井ノ水ヲ手ニ結ビ 又之ノ山ニ藤ノ花咲カバ神霊ノ氣醞醸(うんじょう)化現シテ芳秀現世(うつしよ)ニ寄サシ給フヲ知ル 真名井原ニ神氣発スル時東ヨリ西ニ吹クト云ヘリ

(続きは後編へ)

※「負」は「刀」の下に「貝」
※「ケ」は助詞ではなく意味を成す字。



長いので2回に分けました。
やはりこのままスラスラと読んでしまえることがとても嬉しい。さすが神様…(この辺で止めときます)
留意点が1ヶ所、「丹波道主ノ娘八乙女ガ斎キ祭リシトゾ伝フ」。八乙女(ヤオトメ)という丹波道主王の娘が斎祀っていたとあります。特にどうということもないのですが…念頭に置いておくといずれ何かと関連しそうな気もします。


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■限定公開■ 眞名井神社秘蔵写真 (アメンバー限定記事、磐座等写真掲載)
※スピリチュアル系、霊能者系、仏教関係者等、その他冷やかし以外の方ならどなたでも申請下さって構いません。



次回はこの続きを。



《続く》