(天橋立から与謝海を)






◆ 丹後の原像【15. 「丹後國一宮深秘」 (大意 ~その4)】 


 「丹後國一宮深秘」という室町時代に著されたと考えられる、智海という社僧が興した海部家(籠神社社家)代々の秘蔵書。
今回はその書の大意を掲載する第4回目。

ま…さすがの籠神社でさえも仏教に穢され続けた時代もあったと…。


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思うに、(籠大明神が)垂迹された春の朝は和光利物(※)の花の香しく、内証(※)の秋の夕には末法万年の月はいよいよ丸くなります。この国に生を受け、この地に結縁の人々は所願が成就することを疑っていません。信ずるべし。信ずるべし。


【ちょっと一服して補足を…】

◎籠大明神を稱える言葉をつらつらと述べているのだろうと思います。

◎「和光利物」とは、世の人と同じに姿を変え俗界に現れ衆生に恵みを与えること(コトバンクより)。

◎「内証」とは、内面的な悟りのこと(デジタル大辞泉より)。


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そもそも当社の神主はただの人ではありません。彦火明尊より分かれて既に三十代に及びます。蔑如するべき人などいるでしょうか、こうして代々と続くのはこの国の奇特であります。中でも橋立明神は本地文殊師利菩薩、三世諸仏の智母、十方薩埵(衆生)の本師(根本の導師)です。また御垂迹が橋立明神と言われることが多いものです。この地は橋立明神の体そのものと考えるのなら蒼い海はわずかなものです。雲は露菜に逢い(※)、まるで天地の外側にあるかのように、青山は険しい。金波山樓崐固(※)の中に挿し込むかと思われます。霊石奇岩が高く聳え、霊が少しずつ集まり生じています。


【補足を】
◎橋立明神(天橋立神社)は豊受大神が降臨したという説もあるところ。ここでは天橋立の「松の梢」に降臨したとされており、それを奉斎した場所と捉えることができるかと。
海中にぽっかり浮かぶ松並木が生える長い砂浜ですが、天橋立神社の隣には「磯清水」が涌き出る場所があります。これこそが原初の「真名井」だったのかもしれません。

◎「雲は露菜に逢い」とありますが、どうしても訳することができません。大筋には影響しないので、恐縮ながらお手上げということで…。

◎「金波山樓崐固」については、「金波山」がどの山を指しているのか不明ながら、「樓崐固」から岩盤が露出しているところなのであろうと思われます。ただし周辺にそのような場所は知りませんが…。
江戸時代から伝わる「宮津節」には「金波銀波の海…」とありますが、「金波山」と関係があるのでしょうか。

天橋立神社から阿蘇海を。かつては海から船で付け参拝していたとか。