◆ 丹後の原像【13. 「丹後國一宮深秘」 (大意 ~その2)】


 「丹後國一宮深秘」という室町時代に著されたと考えられる、智海という社僧による海部家(籠神社社家)代々の秘蔵書。
今回はその書の大意を掲載する第2回目。

前回の記事では、伊勢神宮は垂仁天皇の御宇に與佐社から「伊勢國ワタラヒ郡宇治郷御裳濯河の川上」に遷宮され、雄略天皇二十一年に勅により與佐宮を山田原に遷し奉った…と。

その與佐宮というのは豊受大神宮と名付けられていて、「豊者」は國常立尊、「受者」は天照大神であると。つまり丹後国の一社に「雙住」していたとしています。

いささか過ぎた内容ではないかとも思われるのですが…。その続きを。



◎「丹後國一宮深秘」(大意) ~その2


内宮は天照大神であり、地神第一の神です。外宮は國常立尊、天神第一の神です。皇太神の託宣により、雄略天皇二十二年戊午の秋七月七日に大神主として佐々命を定めました。彦和和志理命の第二子です。二十三年己未には大神宮大神主に従って、丹後國與佐郡真井原の豊受大明神を伊勢國山田原に迎え奉りました。その後託宣があり「我が祭奉仕の時、先ず豊受皇大神宮を祭り奉るべきである」と。大佐々命は二所大神宮の大神主を兼行しました。



【ちょっと一服して補足を…】

◎冒頭から暴走!
天照大神を「地神」、國常立尊を「天神」と。一気に信用の置けなくなる書となりそうですが、ま…古書にはよくあること…として先に進めましょうか。

◎佐々命については「神道五部書」の一つ「豊受太神御鎮座本紀」には「擔當者(担当者)」と記されます。
五部書のもう一つの「御鎮座伝記」には「大佐々命 丹波國餘佐郡眞井原より止由氣皇太神をお迎へ申し上げた」と記されます。ここでは彦和志理命の子の阿波良波命の子となっています。「倭姫命世記」にも同様の記述。
◎当書においても「先ず豊受皇大神宮から…」となっています。そもそも佐々命は「神道五部書」にしか見えない神であり、この五部書は外宮神職の度会氏が外宮の地位向上(内宮と同等あるいはそれ以上に)を狙って著されたとするのが有力。外宮贔屓(ひいき)ということを差し引いて考えねば…といったところ。
◎伊賀国の佐々神社(記事未作成)のご祭神であるササノ神ではないかとも秘かに思っていますが、こればかりは妄想の域を出ません。



ここからはしばらく、仏教などという神を冒涜した新興宗教の観点からの記述が続きます。
載せないわけにもいかないので載せておきます。


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「慈覺大師秘記」には、伊勢外宮は一大三千界の本主、八百萬神等の最貴、皇帝の本命、主上の元祖、国家の鎮護、諸神の統領と記されます。「弘法大師中臣祓注」には豊受大神宮は荒魄(荒魂)と名付けられ、古伝には却初神聖の名前があります。常に慈悲神主。[尸棄大梵天王は天御中主尊] 天照・豊受は両部の元祖であり、仏法の本源であります。よく考えてみると尸棄大梵天王は水珠、成るところの水珠を司るのは月珠王々と言えます。
●字は金剛界根本大毘盧遮那如来です。天上大梵天王・虚空無垢大光明遍照如来・過去威音王佛はこのことです。三十三天と申します。これを大梵天と名付けています。これを尸棄大梵と為します。そしてこれを天御中主尊・豊受皇大神と名付けているなどと書かれています。



【ちょっと一服して補足を…】

…といきたいところですが、アホらしくて言葉がありません。仏教の輩どもは平気でこういうことを言うのですね。恥を知れ!と言いたい。

何が「仏法の本源的」なんでしょうか…。


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「神梵語氣記」には、一切衆生は本来は薩埵(さつた)、一般に聖はすべて神明と同體(同体)です。また次のように言われています。一般に「法は神」、「神はすなわち法」、「益は一切萬像」、「萬像はすなわち佛身」であると。「佛身は獨古」、「獨古はすなわち心柱」、「心柱はすなわち一切衆生の身量」と。



【ちょっと一服して補足を…】

もうここまでくると呆れる他無いですが、聖は神明と決して同体ではありません。法は決して神などではありません。

長くなってきたので、以降は次回に回したいところですが、中身のまったく無いものであったため、もう少し。


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「伊勢寳本紀」には、御柱一名は御量柱(みはかりばしら)です。つまり一氣の天地に赴く形であり、陰陽の源であり、万物の體(体)であります。故に皇帝の命、国家の固め。これを佛語にて説くと経教と為り、神道として顕され広く知らしめられているのは、これらはすべて神道の秘事です。秘すべし、秘すべし…。
そもそも日本は神の国であり、善神なのです。義範(僧侶の名)は言いました。八万四千の善神は常にその善神を守護しており、各八万四千の夜叉太将(インドの鬼神)を具足(物事が十分に備わっている)しており、仕者であると。その夜叉、また各八万四千の小鬼神を眷属と為すとしています。



【最後の補足を…】

やはりというべきか、中身まったく無しでした。「佛語で説くと…」などと勝手極まりないことを。
インドからやって来たものか、中国からやって来たものか知りませんが、外来の新興宗教が日本古来からあった崇高な信仰を、勝手に取り込んでしまうのは甚だ遺憾。

明治期に毀釈されたはずなのにゾンビの如くもそもそと復活してきました。徹底的に根こそぎ排除しておくべきであったのだろうと感じます。どれだけの神社を破壊し、どれだけの神々を押し退けた上で出来上がった宗教であるのか、その歴史をしっかりと認識して頂きたいものです。

「NOと言えない神道」。NOと言える人が増えることを願います。


かなり脱線しましたが、どこかで一度は触れないといけないと常々思っていたもの。あまりに無内容なものであったため、この場を使いました。

豊受大神宮(外宮)