布留山神社


丹後国加佐郡
京都府舞鶴市小倉407

■祭神
須佐之男命
経津主命
武御雷命


社伝によると、崇神天皇の御代に日子坐王が青葉山の土蜘蛛を討伐、戦の前に当地で須佐之男命・経津主命・武御雷命を祀って戦勝祈願、討伐後に社を建て兵器庫としたとあります。社名は朝廷の武器庫であった、大和の布留社(石上神宮)にちなんでといったところか。
この内容は隣り合わせに鎮座する阿良須神社とほぼ同じもの。異なる部分は日子坐王か丹波道主王という、親子神のどちらか。同神とする説もありますが。
また一説にはご祭神を丹後国造の大倉岐命とするものもあり(丹後国風土記残欠)、こちらも重複しています。
両社の由緒を比較して、当社の方が先に鎮座していたとも取れそうですが、なぜ後から真横に押し入ったのでしょうか。非常に気になります。
双方の管理の行き届き具合から、現在は仲良くお隣同士でといった印象です。






「おまつ神事」が有名だとか。