新井崎神社
(にいざきじんじゃ)


丹後国與謝郡
京都府与謝郡伊根町新井
(P有)

■旧社格
村社

■祭神
事代主命
宇迦之御魂神
徐福


丹後半島のもっとも東側、断崖絶壁の海の際に鎮座する社。
◎創建は10世紀頃とされていますが詳細は不明。当社の注目すべき点は徐福上陸伝承地の一つであることと、「冠島・沓島」がもっとも近く見えること。
◎境内から岩場を下っていくと経文磐と徐福上陸伝承碑があります。もし本当に上陸したとするなら、船を停めるようなスペースはなく上陸というよりは難破し漂着といったところでしょうか。他の場所でもそうですが、徐福は上陸地で温かく迎えられ、また慕われているように見受けられます。地元の方々の伝承により徐福がご祭神に加えられているとか。
◎「丹哥府志」によると、かつては「童男童女宮」と称されていたとのことで、これは徐福が秦より引き連れて来た童男童女を指すのではないかと思われます。
◎もう一方の「冠島・沓島」に関してはご本殿がその方面を向いており、明らかに意識して建てられていることが窺えます。「冠島」籠神社の奥宮とも捉えることができる神島。春秋分の日には、当社鳥居の中に見える「冠島」から朝日が昇るようです。その霊地として当社地が選ばれたことと思います。
また背後の山は「蝙蝠岳(こうもりたけ)」と称されているようですが、これは「神守」或いは「神籠り」からの転訛であろうと考えられています。
◎崖を構成する磐々は黒く、おそらく火山岩によるものかと思います。これが何らかに使用されたのかどうかは分かりませんが。
また土壌は濃い粘土質の赤褐色。こちらも何かを意味するものか。
さらに「新井(にい)」は「丹生(にう)」の転訛の可能性も。境内の土壌は粘土質の赤土。鉄分を多く含んでいるように見受けられます。丹後半島では水銀が産出される地が所々に見受けられますが、こちらでも産出されていたのかもしれません。

◎関連記事→徐福の余福

*過去数年に渡り撮影した写真が混在しています。








向かって右が「冠島」、左が「沓島」。




徐福上陸の地。

以前はこのような柵は無く、冷や冷やしつつ岩場を覗き込んだものです。

「経文磐」。里人が経文を唱えて徐福を匿ったという伝承によるもの。徐福の時代は紀元前3世紀頃、仏教伝来は6世紀なので時代が離れすぎ。匿ったこと自体は真実なのでしょうか。


背後にそびえる「蝙蝠岳」。宇良神社宮司の話では「神が籠る」からの転訛であるとか。

「新井崎の棚田」