◆ 丹後の原像
【40.「丹後史料叢書」 ~「丹後風土記殘缺」 3】




今回はパズルのような作業に挑戦します。



殘缺に挙げられる加佐郡三十五座。

それを現在の神社に宛てる作業。


与えられている情報を元に割り出し。

ほとんど答えが出ているようなものもあれば、断片的なごくわずかな情報しかないものも。


果たしてパズルは完成するのでしょうか…。



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※ 今回も【読み下し文】は省略します。



【大意】

神社は合わせて三十五座
* 青葉社
* 天蔵社(※)
* 山口坐祖神(※)
* 日尾月尾社
* 志東社
* 大倉木社
* 御田口社
* 河邊坐三宅社
* 鳴生葛島社
* 同将軍社(※)
* 杜坐彌加宜社
*高田社
*倭文社
* 砧倉社
* 手力雄社
* 日原社
* 伊加里姫社
* 笠水社
* 笶原社
* 伊吹戸社
* 十二月栗社
* 石崎坐三輪社
* 凡海坐息津島社
* 凡海息津島瀨坐日子社
* 大川社
* 五蔵社(伍蔵社)(*)
* 布留社
* 船戸社
* 伊知布西社
* 麻良多社
* 水戸社
* 奈具社
* 神前社
* 氣比社
* 劔社
* 阿良須社


(※)について

「天蔵社」は「蔵」の文字が潰れており、異なる文字が使われている可能性有り、或いは「藏」か

「山口坐組神」は「祖」の文字が潰れており、異なる文字が使われている可能性有り

「同将軍社」の「同」とは、上段の「鳴生」ということと思われます。

「五蔵社」も「蔵」の文字が潰れており、異なる文字が使われている可能性有り、こちらも「藏」か


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【青葉社】
不明、後継社も現状確認できず。
若狭国との境に「青葉山」という山があります。殘缺にはこの後「青葉山」の記述あり。「青葉山」は二峯から成り名神が座すとし、東は若狭彦神・若狭姫神の二座、西は笠津彦神・笠津姫神の二座であるとしています。また国境であると。

笠津彦神は丹波国造海部直の祖。つまり天火明命四世孫の笠水彦命のこと。立地、ご祭神から察するに大変に重要な社であったかと思われます。

【天蔵社】
舞鶴市「多聞院」に鎮座する「天蔵神社」のことかと思います(未参拝)。「祖母谷川」上流の南岸、若狭国との国境近く。舞鶴自動車道の「舞鶴インター」すぐ近く。
天香語山命をご祭神としているらしく、命の母(天道姫命)をご祭神とする西方1.5kmほどの山口神社(舞鶴市堂奥)と関連するのかもしれません。この後の「高橋郷」の段に、天香語山命が神庫を建てて神宝を蔵していたとあります。

【山口坐祖神】
「祖神」は「組神」の読み間違いでしょうか。画数が多いと判読困難で…いや多くないな。
山口神社(舞鶴市堂奥)のことであろうと思います。上述のように天道姫命(天道日女命、祖母命)をご祭神とする大変な古社かと思われます。

【日尾月尾社】
紛れもなく日尾池姫神社のことであろうかと。「蛇切岩」伝説(「前編」「後編」)で知られる社。

【志東社】
舞鶴市「田中町」に鎮座する「鈴鹿神社」に宛てられています。6~7年ほど前に参拝したものの、おそらく写真を消失、記事を上げられないでいます。この時期は写真消失が多い…。
「志東」は「志束」の写し間違い、「志束(しづか)」が「鈴鹿」に転訛したとされています。

【大倉木社】
所在不明になっているのではないかと思います。「大倉木」は「大倉岐命」のことであろうとされます。「先代旧事本紀」の「国造本紀」に建稻種命四世孫とあります。成務天皇の御代に丹波国造(後の丹後国造)に定められたと。後に丹波氏と名乗っており、その祖神。
布留山神社に宛てる説もあるようですが、詳細は不明。

【御田口社】
舞鶴市「吉坂」の田口神社でないかと思われます(未参拝)。殘缺が東部の神社から順に上げていること、社名が類似することから。
豊受皇大神、日本得魂命などを祀っているようです。日本得魂命は天香語山命八世孫。建諸隅の子。日子坐王による玖賀耳之御笠討伐の際に従軍したと伝わります。

【河邊坐三宅社】
舞鶴市「河辺中」に鎮座する河辺八幡神社(未参拝)が、かつての河邊坐三宅社と名乗っているようです。「舞鶴赤レンガパーク」近くの三宅神社(未参拝)とともに式内社 三宅神社の論社。

【鳴生葛島社】
舞鶴東部の北に突き出した、半島の集落北東端に鎮座する鳴生神社(未参拝)の境内社 鳴生葛島社であろうと思われます。鳴生神社の方は次の「同(鳴生)将軍社」のようです。

【同(鳴生)将軍社】
上述の鳴生神社に比定されているようです。日子坐王を祀っているとのこと。

【杜坐彌加宜社】
彌加宜神社(大森神社)と考えて間違いないかと。丹後の古代史上、大変に重要な社かと考えています。詳細は本編記事にて。

【高田社】
舞鶴市「上安」の高田神社であろうと思います(未参拝)。掲載の順は概ね東から西へ、北から南へとなっていますが、こちらは北東方面へ大幅に逆戻り。比定を間違っているのか、遷座があったのか…。

【倭文社】
舞鶴市「今田」に鎮座する倭文神社であろうと思います。倭文氏はここ丹後にも進出していますが、良い場所を得たな…と思います。


【砧倉社】
山崎神社(砧倉神社)であろうと思います。地名は「十倉」。

【手力雄社】
舞鶴市「京田」という地に幸谷神社(未参拝)が鎮座、手力雄神を祀るとのことで、こちらの社ではないかと。舞鶴市街地の南部郊外、上段の山崎神社(砧倉神社)の西方に位置します。

【日原社】
舞鶴市「女布(にょう)」に鎮座する日原神社で間違いないかと思います。上段の「京田」からは西方の丘陵地。集落の最奥に鎮座、「女布」は「丹生」からの転訛、つまり水銀が産出する地であったかと思います。

【伊加里姫社】
Googlemapで検索をかけるとヒットしたのが、舞鶴市「京田」に鎮座する「伊加里姫神社」。国道27号線「京田」交差点を東に入ったすぐにマーキングされています。
大きめな建物の上にマーキングされており、また写真も掲載されていないので誤情報の可能性も。
この後に「眞名井の清水」の傍らに二つの祠があり、東は伊加里姫命、西は笠水神(笠水神社)とあります。笠水神社は北に、当社は南にありますが。伊加里姫(井氷鹿)を祀るという今後の要調査対象です。

【笶原社】
笶原神社ということで差し支えないと思います。元伊勢「吉佐宮」の候補地の一つ。現在はさほど大きくはない社ですが…。



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今回はちょうど半分のここまでにしておきましょうか。

かなりの困難を想定していましたが、
意外とサクサクと。

分からない社だけは
とても時間がかかるのですがね…。


まだまだ参拝できていないお社が多いな…
と、あらためて感じました。

もうあと50社ほど未拝のお社の鳥居を潜れば、新しい丹後が見えてくるのかもしれません。