[大和国吉野郡] 井光神社 奥の院 王塔宮



■表記
井氷鹿(ヰヒカ)、井光姫(イヒカヒメ)、水光姫
*伊加里姫と同神説有り


■概要
神武東征の折、大和国吉野郡の奥深い山中で出会った人物(神)。現在の吉野郡川上村「井光(いかり)」がその伝説の該当地であろうとされ、「井氷鹿の里」としてPRされています。

◎「井」から現れ、容姿は紀に「光りて尾あり」記されます。神倭磐余彦(後の神武天皇)が現れた姫に名を問うと、「吾は国津神で、名を井氷鹿という」と述べたとあります。記もほぼ同様の記述。これに「吉野首」の祖であると記しています。

◎神武東征時には、井氷鹿(井光)と同じく吉野でたて続けに三名の人(神)と出会っています。
*紀

苞苴担之子(ニエモツノコ) → 井光 → 磐排別之子(イワオシワクノコ)

*記
贄持之子(阿陀の鵜飼の祖) → 井氷鹿 → 石押分之子(吉野の国栖の祖)

◎尾が生えているのは蛮族的な記述ですが、土蜘蛛のように抗った形跡はみられません。これは3人ともに言えること。
ただし国栖(国巢)について「常陸国風土記」においては、山の佐伯(さえき)・野の佐伯を国巣(クズ)または土蜘蛛や八握脛(やつかはぎ)と呼び、土窟に住み、狼の性、梟の情をもつ人々としています。また「越後国風土記」にも八掬脛(やつかはぎ)という者がいて、土雲の後と言っています。


◎「井」は「川」とする説も。そうすると「光る川」となり、これは川底から砂鉄を採取していたとも取れそうです。或いは水銀採掘の際に光るものを見たものか。
「尾」については、腰下から何かをぶら下げていたという説も。採掘のための用具をぶら下げていたのでしょうか。或いは鉱山労働者が坑内作業の際、尻の下に敷いて使うための獣皮のようなものが尻尾に見えたという説もあるようです。

井光姫(井氷鹿)を奉戴し「丹」(水銀)を採掘していた吉野連(吉野首)と、磐排別神を奉戴し「鉄」を採掘していた国巢(国栖)とは、何らかの関連を持っていた、或いは連携していたと考えるのが自然かと考えます。


◎「吉野町史」は「いひ(族名)(子)」であろうとしています。この「いひ」という族名については詳しく示されておらず不明。

◎「新撰姓氏録」には「大和国 神別 地祇 吉野連 加弥比加尼之後也」とあり、注釈に「謚神武天皇行幸吉野 到神瀬 遣人汲水 使者還曰 有光井女 天皇召問之 汝誰人 答曰 妾是自天降来白雲別神之女也 名曰豊御富 天皇即名水光姫 今吉野連所祭水光神是也」とあります。これは記紀の記述と符号するもの。

◎興味深い説として「丹後國風土記」殘缺に記される伊加里姫と同神ではないかというものも。
━━笠水 訓字宇介美都(「笠水」と書いて「うけみづ」と訓む)一名 真名井 白雲山の近郊に有りて清いこと麗しい鏡の如し けだし是は豊宇氣大神が降臨時に当たり ●●涌き出た霊泉なり …(中略)… 旁に祠二つ有り 東は伊加里姫命或いは豊水富神と称す 西は笠水神即ち笠水彦命笠水姫命二神 是即ち海部直らの斎祭る祖神である━━と記されます。

◎「井」と「霊泉」、「白雲山」と父の「白雲別命」と偶然とは見なし難い関連が見られます。丹後から大和吉野へ、或いはその逆か、遙々と移住があったのかもしれません。個人的には「水(井、泉)」と深く関わりのある息長氏が、「鉄」または「水銀」を求めて移住した可能性もあると考えています。
吉野は「中央構造線」上であり、言うまでもなく「丹」が採鉱されましたが、丹後地方も若狭にかけて「丹」が多く採れたようで、地名などに名残が多く見受けられます。

◎「海部氏系図」によると伊加里姫の夫は天村雲命。子は倭宿禰と角屋姫(葛木出石姫命)となっています。また「新撰姓氏録」とは異なり、倭宿禰が白雲別命の女(娘)である豊水富命(「新撰姓氏録」では豊御富)を娶り笠水彦命(ウケミヅヒコノミコト)を生んだとしています。
西舞鶴の市街地南部の「京田」には伊加里姫神社が鎮座します。西方200mほどには「白雲山」。その先には関連する氏族と思われる国巢や大伴氏、久米氏などの祖とされる天手力男神(磐排別神と同神とされる)を祀る幸谷神社が鎮座。さらにその先の「女布(にょう)」はおそらく「丹生(にふ)」からの転訛。「女布」集落の最奥地には日原神社が鎮座しますが、一説には大伴氏の祖神である道臣命を祀るとも言われます。

◎また舞鶴市「天台」はかつて「五十里村(いかりむら)」と称されていたとのこと。西舞鶴の東方、ちょうど西舞鶴と東舞鶴の中間辺り。往古はこの辺りまで海であったため、「碇(いかり)」を下ろしたことからの地名由来とされます。もちろん後世の附会の可能性が高く、水銀採掘のために移動があったのではないかと考えます。

◎吉野郡(現在の吉野郡「井光」)には「御船山」全体を神域としていた様子が窺えます。井光神社 奥宮 神武天皇舊跡井光井蹟があり、井光姫(井氷鹿)の祭祀場と思われる井光神社 奥の院 王塔宮が鎮座。また里宮として井光神社が鎮座します。神域は1544坪という広大なもの。
これとは別に「古事記伝」において本居宣長は、吉野町「飯貝」を拠点としていたとしています。「イヒガイ」が「イヒカ」に転訛したものと。「丹」採掘集団であり、移住はあったのかもしれません。すぐ隣の吉野町「吉野山」には井光神社・八幡宮が鎮座しています。


■系譜
吉野首(吉野連)の祖とされます。
父 … 白雲別命
夫 … 天村雲命
子 … 倭宿禰・角屋姫(葛木出石姫命)
孫 … 笠水彦命


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[伊勢国度会郡] 葭原神社(月讀宮内)

[丹後国加佐郡] 伊加里姫神社
[大和国吉野郡] 井光神社 奥の院 王塔宮

[大和国吉野郡] 井光神社 里宮
[大和国吉野郡] 井光神社・八幡宮(吉野町吉野山)
[大和国葛下郡] 長尾神社

*関連社
[丹後国加佐郡] 笠水神社

*その他関連史跡


[大和国葛下郡] 長尾神社

[丹後国加佐郡] 伊加里姫神社


 

*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。