井光神社奥の院 王塔宮
(いかりじんじゃ)


大和国吉野郡
奈良県吉野郡川上村井光
(アクセスは下部写真参照)

■祭神
井氷鹿ノ守護神
皇祖神武天皇


神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。その最高所「御船山」の八合目辺り(標高1000mほど)に鎮座する巨大磐座と小祠。
井光が祭祀を行っていたのがこの磐座。高さは10mほどでしょうか、そそり立つ威容な姿に畏怖を感じずにはいられません。一族のシンボルであり、すべての拠り所であったかと思われます。
◎形状から陽石かと思います。周辺に似たような岩質のものが見られるので、この辺りにあったものを加工し立て起こしたものと考えます。
また小祠がある面の向かって右側が平らに加工された形跡があります。本来はこちらが正面であり、祭祀はそちらの方から行われていたと考えます。
◎当社は1544坪もあるという、広大な井光神社の神域の中の奥宮とされています。里宮は南方2kmほどの小さな集落内に。標高は650m程度、井光の邸宅跡であったという伝承も。
◎この井光の拠点に巡幸してきたのが、東征中の神武天皇。菟田にまで進軍しますが、吉野の地を見てみたいとまた引き返します。記の記述は以下の通り。
「尾生ひたる人井より出で来たりき その井に光ありき ここに汝は誰ぞと問ひたまへば 吾は国津神 名は井氷鹿と謂ふと答へ白しき こは吉野首(ヨシノノオビト)の祖なり」と。
◎地元伝承では、「井氷鹿は神武天皇を案内して、土地神谷を過ぎて休石(やすみいし)に腰をかけた後、御船山の尾根にある拝殿で波々迦の木を燃やし鹿の骨をもって卦(け)を立てて占い、御船の滝巖上に宮柱を立て天乃羽羽矢を納め、進軍の勝利を祈願したといわれています」(川上村サイトより)
「土地神谷」と「休石」は不明、「尾根にある拝殿」というのがまさしく当社のことと思われます。この時代に拝殿などというものが存在したとは到底思えず、この磐座前で行われたのであろうかと。
◎祠の方ですが、「皇塔」「大塔」そして「王塔」と表記は一定しません。神武天皇を祀るからとするなら「皇塔」、井光を祀るからとするなら「王塔」だったかと思います。
磐座の方の本来のご祭神は不明。井光が祀っていたということから、水神あるいは太陽神、もしくは祖神といったところでしょうか。



国道169号線から「井光」へ。5分ほどで「井氷鹿の里」という、小さな道の駅のような施設があります。そのすぐ側に掲げられ案内板。

「井光川」をさらに10分ほど遡るとこのような案内板が現れます。車はこの近辺に3~4台程度駐車可能。わずかに道の凸凹はありますが、特に通行困難な場所は無し。


5分余りで「御船の滝」へ。

滝の正面に小祠が鎮座し、その横に登拝道があります。小祠の背後20~30mほどに露出岩盤がありますが、目指すはその磐上。標高差100mほどでしょうか。

登拝時間は15~20分程度、登山装備は特に必要無いと思います。


途中で道が失くなりました。失くなる場所ではGooglemapで表示される方角へ、低木を乗り越えると行けます。ここが乗り越えたすぐのところ。


明らかに平らに加工された形跡が窺えます。もちろん当時は周辺の木すべてが伐られていたはずで、太陽を反射させていたのかもしれません。残念ながら方角の確認を怠りました。




手前にも磐座が座します。

見る角度によっては正三角形にも。