井光神社奥宮 神武天皇御舊跡井光井蹟
(いかりじんじゃ)


大和国吉野郡
奈良県吉野郡川上村井光
(アクセスは下部写真参照)

■祭神
(不明)



神武東征の砌、出会ったとされる井光(イヒカ、井氷鹿)の伝承地「井光(いかり)」。当史跡はまさにその出会った場所という伝承地。
標高は800mほどの高所。544坪もあるという広大な井光神社(里宮)の神域、当地は奥宮とされています。
◎菟田にまで進軍した皇軍ですが、吉野の地を見てみたいとまた引き返します。記の記述は以下の通り。
━━尾生ひたる人井より出で来たりき その井に光ありき ここに汝は誰ぞと問ひたまへば 吾は国津神 名は井氷鹿と謂ふと答へ白しき こは吉野首(ヨシノノオビト)の祖なり━━
記では「井氷鹿(イヒカ)」、紀では「井光(イヒカ)」と表記されます。
◎いろいろな解釈がなされています。尾のある人というのは腰から何かをぶら下げていた…毛皮を腰から巻いて垂れていた…など。井は現在のような造られた井戸ではなく、泉だったとされます。井氷鹿は水神ということなのでしょうが、光るということから太陽神でもあるという見方も。丹後の系譜を考えるとやはり水神なのでしょうが。
◎地元伝承では「井氷鹿は神武天皇を案内して、土地神谷を過ぎて休石(やすみいし)に腰をかけた後、御船山の尾根にある拝殿で波々迦の木を燃やし鹿の骨をもって卦(け)を立てて占い、御船の滝巖上に宮柱を立て天乃羽羽矢を納め、進軍の勝利を祈願したといわれています」(川上村サイトより)
◎弥生時代の伝承がこうもはっきりと残っていることに驚きを隠せません。俗世とは隔離されたが如く山中の集落であるからか、或いは吉野首の直系子孫たちが伝世してきたからか。
すぐ側には「吉野首部連祖 加邇比加尼之墓」があります。また里宮も小さな集落内に鎮座します。

井光神社 奥の院 王統宮 




国道169号線から「井光」へ。5分ほどで「井氷鹿の里」という、小さな道の駅のような施設があります。そのすぐ側に掲げられ案内板。

「井光川」を5分ほど遡るとこのような標識が現れます。

ここから150mほどの登山。

ここからは案内が一切無く、かなりさ迷いました。



磐座群で多く見られる正三角形の岩。こちらも磐座なのでしょうか。

地面はすり鉢状に窪んでいます。ここが「井」であったということなのでしょう。