湊十二社


丹後国加佐郡
京都府舞鶴市西神崎403-2
(社前に寄せて停めました)

■祭神
大禍津日神
大直毘神
伊豆能売神
速佐須良売神
沫那芸神
沫那美神
頬那芸神
頬那美神
天之久比奢母智神
国之久比奢母智神


「由良川」河口の東岸畔に鎮座する社。夏には浜辺は海水浴場となり、また当社秋の例祭「神崎の扇躍」で知られます。
◎「勘注系図」には「火明命其の後由良之水門に遷り坐しし時即ち其の神寳 辺津鏡是也 を香語山命に分け授け給ひ汝宜しく此の神寳を齋ひ奉りて速やかに国土を造りかためよと詔り給ふ」とあります。
◎「水門(みなと)」は当地近辺のこと。「辺津鏡」とは籠神社の神殿奥に「息津鏡」とともに秘されてきた伝世鏡のこと。およそ2100年前の製作とされています。「勘注系図」においては、当地近辺で火明命から香語山命に授けられたと伝えています。「神崎」という地名は、このことが基になっているのかもしれません。
◎江戸時代には船運業、製塩業が栄えた地。「北前船」が「由良川」を遡るために川舟へと積み換えられた場所。当社はこれら船運業者、漁師、製塩業者たちによって篤く崇敬されてきた社のようです。
「神崎の扇躍」は太鼓台とオフネ(船屋台)が村中を練り歩き、優雅に扇をひらめかせて奉納されるとか。京都府無形文化財。
◎当社の創建由緒等は不明。かつては湊十二社権現と称されていたようです。「由良川」を10kmほど遡った「久田美」という地に、「若一王子熊野十二社権現」という社があるとのこと(現在も鎮座するのか不明)。当社もおそらくは同様に熊野権現が祀られていたと推されます。
◎現在のご祭神十二座は「禊祓神 四座」と、「水門神御子神 八座」。水門神とは速秋津比古・速秋津比売神のことで、記にのみ記述されます。十二座はいずれも「水門」に関わる神であると。この十二座が本来のご祭神であったところが、修験者により熊野権現の十二座と変わり、結局は元の十二座へ戻されたということでしょうか。


車はここに停め置きました。境内にも停められそうです。

広大な境内を有します。境内周辺から村自体閑散としており、誰一人とも、車すらも出くわさず。海水浴シーズンと祭の時だけ人出があるようです。


ご本殿はかなり立派なもの。かつて賑わいをみせた面影があります。

ご本殿脇に縮小された「北前船」が。こちら御神体としている資料もあります。


ご本殿から真っ直ぐ南へ延びた先の鳥居。本来の参道だったように思います。このまま進めば「由良川」浜辺へ。神々は川から顕現するということでしょうか。