浜佐呂間の市街地で、コースは50kmの部と合流しています。50kmの部でまだ20kmあまりしか走っていないランナーが、元気な足取りで私を抜いていきます。
そんな中に、思いがけないランナーの姿を見つけました。
それは、5年前の旭川マラソンで大変失礼なことをしてしまった、あの事務局長さんです。今年78歳。今回は50kmの部に出場している最年長ランナーでした。
「僕は関門覚悟でゆっくり歩いたりしながら行きますから、歩いていても遠慮しないで先に行ってください」
そう言いながら安定した走りを見せてくれます。そんな事務局長さんに、ぜひ私が完走するところを見ていただきたいと思いました。
そうです。ここまできたらスピードはいりません。ゆっくりでかまわないから、着実に前に進むことが肝心です。すでにペースはキロ7分半まで落ちていますが、それでもこうして足を前に出してさえいれば間違いなくゴールできるはずです。事務局長さんと会えたことで、再びゴールに向かう強い気持ちが甦ってきました。
私を抜いてしばらくしてから歩いていた事務局長さんに声をかけて抜いて、ゆっくり走り続けます。
やがてたどりついたおしるこエイド。すでにおしるこの中に白玉はなく、汁だけとなっていましたが、疲れた体に甘さはしみました。そしてここにはそうめんもありました。汗とともに塩分がかなり体外に出ています。そのせいもあってか、今まで食べた中でもっとも美味しいそうめんでした。
しっかりと腹ごしらえをした私は、再び走り出しました。でもやはり、足は思うように前に出ません。74km地点を通過するとき、私はついに歩き始めました。
初フルマラソンの旭川マラソンのときは、歩くことはすなわちレースの終焉という気持ちでした。歩いたことでモチベーションも一気に下がり、そこから立て直すことは難しく思えました。
でも今回は歩くことは想定していました。大切なことは関門制限時間以内に各関門を通過してゴールを目指すことです。時間内でさえあれば歩こうが走ろうが関係ありません。むしろ走れなくなってから歩くのではなく、走れるうちに、早歩きをできるうちに歩きを挟むことでペースを維持していこうと思っていました。
ですから歩くと言っても、初フルのときのように下を向いてトボトボ歩いているわけじゃありません。しっかりと前を見ての早歩きです。それからは走りと早歩きを繰り返しながら進みました。
バックナンバー
1.無言の抗議
2.思い上がり
3.初フルでの挫折
4.ホームページ開設
5.北海道マラソン、奇跡の完走
6.そしてサロマへ・・・