うつ病ランナー サロマを走る(第13回) | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 50m・・・いや、100mくらい息子と離れてしまったでしょうか。でもどうにか息子の背中を視界にとらえたまま、ゴールの陸上競技場に入りました。息子は昨年までと同じように最終コーナーのところで立ち止まり、こちらを振り向きます。昨年はそのまま数分間にわたって息子をさらし者にしてしまったダメおやじですが、今年はすぐに手を振って存在をアピールします。


 私が第4コーナーにたどり着くと、息子は私の手を取って、昨年のように全力でゴールを目指します。私だって昨年のように引きずられることはありません。息子と足並みを揃え、最後の力を振り絞って全速力でゴールを目指します。私が落としてしまった順位を回復するために、前を走る2組の親子を必死で追いかけます。少しずつ差は詰まってきます。差は詰まってきましたが、ゴールまでの距離が足りませんでした。残念ながらとらえることはできないままゴールをしました。


 「すまんな、やっぱり今年もついていけなかった」


 「いや、いいよ。お父さんも頑張ったよ」


 昨年の憮然とした表情とは違い、今年は笑顔を返してくれました。どうにか息子に認めてもらえたのかなと、その笑顔に救われる気持ちでした。


 ドリンクとお菓子を受け取り完走証発行のテントに並びました。そして間もなく発行された完走証を受け取って驚きました。タイムは23分34秒。これまでの5kmの自己ベストは25分13秒ですから、それより長い5.27kmを走ったにしては驚異的な記録です。しかもそこに記された順位は10位。106組が走っての10位。この大会は10位までが入賞です。私が遅れたために順位を2つ落としましたが、それでもギリギリ入賞圏内に踏みとどまっていたのです。11位のペアとの差はわずか10数秒でしたから、最後まで全力で気を抜かずに走ったことがこの入賞に結びついてくれました。


 やがて迎えた表彰式では、表彰台の1番端っこに上がり、入賞メダルをかけてもらいました。このような大会で初めてもらったメダルです。1年前のこの大会での屈辱から始まった私のランナー生活。その同じ舞台で今度はこのような栄光を味わえるという、思いもよらぬご褒美となりました。


 それだけではありません。走ることが習慣となるとともに、抗うつ剤が必要ではなくなったというだけではなく、何事にも積極的に関わろうとする姿勢も復活してきました。走ってさえいれば悩みもストレスも解消され、心の平穏が図れるようになりました。自分をコントロールできるようになりました。たかが走ることですが、日常生活にこれほどのプラスをもたらすとは思っても見ませんでした。気がつくと、私はもう走ることから離れることができなくなっていました。