そんなたくさんの刺激を受けた効果もあったのでしょうか。この年は春から記録も順調に伸びてきました。ハーフマラソンではコンスタントに1時間45分を切れるようになり、北海道マラソンの参加資格に近づいてきました。そして6月第3週に行なわれているおたる運河ロードレースを迎えたのです。
小樽市内の公道を走る大会ですが、距離表示がなかなか見つけられない大会でした。5kmの表示は見つけてラップを確認したのですが、通過タイムは自分の感覚よりもかかっていました。そこでペースアップを図ったのですが、その後の距離表示をなかなか見つけることができません。そのため速いのか遅いのか、1時間40分を切れそうなのか届かないのか、ペースがまったくわからないまま走っていました。
ところが残り3kmを示す看板が突然現れました。そこで時計を確認すると、このままペースダウンをしなければ1時間40分を切れそうです。思いもよらないチャンスに、そこから私は必死でスパートをかけて全速力でゴールを目指しました。
タイムは1時間36分25秒。堂々の1時間40分切りです。ついに、北海道マラソンへの道が開けてきました。2度目の1時間40分切り。しかも今度はもこと山ふきおろしマラソンのような下りのコースではありません。それなのに、もこと山でのタイムを2分近く縮めています。これで翌年の北海道マラソン挑戦が夢から現実のものになりました。
しかし好事魔多しとはよく言ったものです。この年は夏まで快調に走っていました。月に2レースくらい走り、その都度自己ベストを更新したり、自己ベストに近いタイムを出したりと、いい走りをしていました。自分でも走力のアップを体感でき、気分よく走っていました。
でも知らず知らずのうちにオーバーワークとなってしまっていたのでしょうか、8月にふくらはぎを軽く肉離れしてしまいました。夏以降もいくつかのレースにエントリーしています。早くレースに出たいから、痛みがひくとすぐに走り出します。ところが走るとすぐにまた痛くなります。その繰り返しで夏以降はほとんど走ることができなくなってしまい、エントリーしたレースにも出られない状態が続いてしまいました。とうとう8月と9月にエントリーしていたレースはひとつも走れないまま、10月の旭川マラソンに臨むこととなってしまいました。
バックナンバー
1.無言の抗議
2.思い上がり
3.初フルでの挫折
4.ホームページ開設