『源氏物語』第2帖【帚木】~第6章~
【空蝉との逢瀬】
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皆静まりたるけはひなれば、掛金を試みに引きあけたまへれば、あなたよりは鎖さざりけり。几帳を障子口には立てて、灯はほの暗きに、見たまへば唐櫃だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を、分け入りたまへれば、ただ一人いとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣押しやるまで、求めつる人と思へり。
「中将召しつればなむ。人知れぬ思ひの、しるしある心地して」
とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物に襲はるる心地して、「や」とおびゆれど、顔に衣のさはりて、音にも立てず。
「うちつけに、深からぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと、思ひなしたまへ」
と、いとやはらかにのたまひて、鬼神も荒だつまじきけはひなれば、はしたなく、「ここに、人」とも、えののしらず。心地はた、わびしく、あるまじきことと思へば、あさましく、
「人違へにこそはべるめれ」と言ふも息の下なり。
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【帚木364-1 】 皆静まりたるけはひなれば
【帚木364-2 】
【帚木364-3 】
【帚木365-1 】 几帳を障子口には立てて
【帚木365-2 】
【帚木365-3 】
【帚木366-1 】 ただ一人いとささやかにて
【帚木366-2 】
【帚木366-3 】
【帚木367-1 】 「中将召しつればなむ
【帚木367-2 】
【帚木367-3 】
【帚木368-1 】 「や」とおびゆれど
【帚木368-2 】
【帚木368-3 】
【帚木369-1 】 年ごろ思ひわたる心のうちも
【帚木369-2 】
【帚木369-3 】
【帚木370-1 】 鬼神も荒だつまじきけはひ
【帚木370-2 】
【帚木370-3 】
【帚木371-1 】 あさましく
【帚木371-2 】
【帚木371-3 】
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消えまどへる気色、いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて、
「違ふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめいたまふかな。好きがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」
とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子のもと出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。
「やや」
とのたまふに、あやしくて探り寄りたるにぞ、いみじく匂ひみちて、顔にもくゆりかかる心地するに、思ひ寄りぬ。あさましう、こはいかなることぞと思ひまどはるれど、聞こえむ方なし。並々の人ならばこそ、荒らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入りたまひぬ。
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【帚木372-1 】 消えまどへる気色
【帚木372-2 】
【帚木372-3 】
【帚木373-1 】 「違ふべくもあらぬ心のしるべを
【帚木373-2 】
【帚木373-3 】
【帚木374-1 】 いと小さやかなれば
【帚木374-2 】
【帚木374-3 】
【帚木375-1 】 「やや」とのたまふに
【帚木375-2 】
【帚木375-3 】
【帚木376-1 】 あさましう
【帚木376-2 】
【帚木376-3 】
【帚木377-1 】 並々の人ならばこそ
【帚木377-2 】
【帚木377-3 】
【帚木378-1 】 心も騷ぎて
【帚木378-2 】
【帚木378-3 】
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障子をひきたてて、「暁に御迎へにものせよ」とのたまへば、女は、この人の思ふらむことさへ、死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いと悩ましげなる、いとほしけれど、例の、いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど、なほいとあさましきに、
「現ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、思しくたしける御心ばへのほども、いかが浅くは思うたまへざらむ。いとかやうなる際は、際とこそはべなれ」
とて、かくおし立ちたまへるを、深く情けなく憂しと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく、心恥づかしきけはひなれば、
「その際々を、まだ知らぬ、初事ぞや。なかなか、おしなべたる列に思ひなしたまへるなむうたてありける。おのづから聞きたまふやうもあらむ。あながちなる好き心は、さらにならはぬを。さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなむ」
など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。人柄のたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。
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【帚木379-1 】 障子をひきたてて
【帚木379-2 】
【帚木379-3 】
【帚木380-1 】 流るるまで汗になりて
【帚木380-2 】
【帚木380-3 】
【帚木381-1 】 例の、いづこより
【帚木381-2 】
【帚木381-3 】
【帚木382-1 】 現ともおぼえずこそ
【帚木382-2 】
【帚木382-3 】
【帚木383-1 】 いとかやうなる際は
【帚木383-2 】
【帚木383-3 】
【帚木384-1 】 げにいとほしく
【帚木384-2 】
【帚木384-3 】
【帚木385-1 】 なかなか
【帚木385-2 】
【帚木385-3 】
【帚木386-1 】 さるべきにや
【帚木386-2 】
【帚木386-3 】
【帚木387-1 】 まめだちてよろづに
【帚木387-2 】
【帚木387-3 】
【帚木388-1 】 すくよかに心づきなし
【帚木388-2 】
【帚木388-3 】
【帚木389-1 】 人柄のたをやぎたるに
【帚木389-2 】
【帚木389-3 】
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まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふ方なしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからまし、と思す。慰めがたく、憂しと思へれば、
「など、かく疎ましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」
と恨みられて、
「いとかく憂き身のほどの定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじき我が頼みにて、見直したまふ後瀬をも思ひたまへ慰めましを、いとかう仮なる浮き寝のほどを思ひはべるに、たぐひなく思うたまへ惑はるるなり。よし、今は見きとなかけそ」
とて、思へるさま、げにいとことわりなり。
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【帚木390-1 】 まことに心やましくて
【帚木390-2 】
【帚木390-3 】
【帚木391-1 】 心苦しくはあれど
【帚木391-2 】
【帚木391-3 】
【帚木392-1 】 など、かく疎ましき
【帚木392-2 】
【帚木392-3 】
【帚木393-1 】 むげに世を思ひ知らぬ
【帚木393-2 】
【帚木393-3 】
【帚木394-1 】 いとかく憂き身の
【帚木394-2 】
【帚木394-3 】
【帚木395-1 】 いとかう仮なる浮き寝
【帚木395-2 】
【帚木395-3 】
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おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし。
鶏も鳴きぬ。人びと起き出でて、
「いといぎたなかりける夜かな」
「御車ひき出でよ」
など言ふなり。守も出で来て、
「女などの御方違へこそ。夜深く急がせたまふべきかは」
など言ふもあり。
君は、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはへてはいかでか、御文なども通はむことのいとわりなきを思すに、いと胸いたし。奥の中将も出でて、いと苦しがれば、許したまひても、また引きとどめたまひつつ、
「いかでか、聞こゆべき。世に知らぬ御心のつらさも、あはれも、浅からぬ世の思ひ出では、さまざまめづらかなるべき例かな」
とて、うち泣きたまふ気色、いとなまめきたり。
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【帚木396-1 】 おろかならず
【帚木396-2 】
【帚木396-3 】
【帚木397-1 】 守も出で来て
【帚木397-2 】
【帚木397-3 】
【帚木398-1 】 君は、またかやうの
【帚木398-2 】
【帚木398-3 】
【帚木399-1 】 奥の中将も
【帚木399-2 】
【帚木399-3 】
【帚木400-1 】 「いかでか
【帚木400-2 】
【帚木400-3 】
【帚木401-1 】 さまざまめづらかなる
【帚木401-2 】
【帚木401-3 】
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鶏もしばしば鳴くに、心あわたたしくて、
「つれなきを恨みも果てぬしののめに
とりあへぬまでおどろかすらむ」
女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも、何ともおぼえず、常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる伊予の方の思ひやられて、「夢にや見ゆらむ」と、そら恐ろしくつつまし。
「身の憂さを嘆くにあかで明くる夜は
とり重ねてぞ音もなかれける」
ことと明くなれば、障子口まで送りたまふ。内も外も人騒がしければ、引き立てて、別れたまふほど、心細く、隔つる関と見えたり。
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【帚木402-1 】 鶏もしばし鳴くに
【帚木402-2 】
【帚木402-3 】
【帚木403-1 】 女、身のありさまを
【帚木403-2 】
【帚木403-3 】
【帚木404-1 】 常はいとすくすくしく
【帚木404-2 】
【帚木405-2 】
【帚木406-2 】
【帚木406-3 】
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御直衣など着たまひて、南の高欄にしばしうち眺めたまふ。西面の格子そそき上げて、人びと覗くべかめる。簀子の中のほどに立てたる小障子の上より仄かに見えたまへる御ありさまを、身にしむばかり思へる好き心どもあめり。
月は有明にて、光をさまれるものから、かげけざやかに見えて、なかなかをかしき曙なり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり。人知れぬ御心には、いと胸いたく、言伝てやらむよすがだになきをと、かへりみがちにて出でたまひぬ。
殿に帰りたまひても、とみにもまどろまれたまはず。またあひ見るべき方なきを、まして、かの人の思ふらむ心の中、いかならむと、心苦しく思ひやりたまふ。「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品かな。隈なく見集めたる人の言ひしことは、げに」と思し合はせられけり。
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【帚木407-1 】 御直衣など着たまひて
【帚木407-2 】
【帚木407-3 】
【帚木408-1 】 簀子の中のほどに
【帚木408-2 】
【帚木409-2 】
【帚木409-3 】
【帚木410-1 】 何心なき空のけしきも
【帚木410-2 】
【帚木410-3 】
【帚木411-1 】 人知れぬ御心には
【帚木411-2 】
【帚木411-3 】
【帚木412-1 】 殿に帰りたまひても
【帚木412-2 】
【帚木412-3 】
【帚木413-1 】 すぐれたることは
【帚木413-2 】
【帚木413-3 】
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このほどは大殿にのみおはします。なほいとかき絶えて、思ふらむことのいとほしく御心にかかりて、苦しく思しわびて、紀伊守を召したり。
「かの、ありし中納言の子は、得させてむや。らうたげに見えしを。身近く使ふ人にせむ。主上にも我奉らむ」
とのたまへば、
「いとかしこき仰せ言にはべるなり。姉なる人にのたまひみむ」
と申すも、胸つぶれて思せど、
「その姉君は、朝臣の弟や持たる」
「さもはべらず。この二年ばかりぞ、かくてものしはべれど、親のおきてに違へりと思ひ嘆きて、心ゆかぬやうになむ、聞きたまふる」
「あはれのことや。よろしく聞こえし人ぞかし。まことによしや」
とのたまへば、
「けしうははべらざるべし。もて離れてうとうとしくはべれば、世のたとひにて、睦びはべらず」
と申す。
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【帚木414-1 】 このほどは大殿に
【帚木414-2 】
【帚木414-3 】
【帚木415-1 】 苦しく思しわびて
【帚木415-2 】
【帚木415-3 】
【帚木416-1 】 らうたげに見えしを
【帚木416-2 】
【帚木416-3 】
【帚木417-1 】 いとかしこき仰せ言
【帚木417-2 】
【帚木417-3 】
【帚木418-1 】 その姉君は
【帚木418-2 】
【帚木419-2 】
【帚木419-3 】
【帚木420-1 】 けしうははべらざる
【帚木420-2 】
【帚木420-3 】
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さて、五六日ありて、この子率て参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人と見えたり。召し入れて、いとなつかしく語らひたまふ。童心地に、いとめでたくうれしと思ふ。いもうとの君のことも詳しく問ひたまふ。さるべきことは答へ聞こえなどして、恥づかしげにしづまりたれば、うち出でにくし。されど、いとよく言ひ知らせたまふ。
かかることこそはと、ほの心得るも、思ひの外なれど、幼な心地に深くしもたどらず。御文を持て来たれば、女、あさましきに涙も出で来ぬ。この子の思ふらむこともはしたなくて、さすがに、御文を面隠しに広げたり。いと多くて、
「見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに
目さへあはでぞころも経にける寝る夜なければ」
など、目も及ばぬ御書きざまも、霧り塞がりて、心得ぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて臥したまへり。
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【帚木421-1 】 さて、五六日ありて
【帚木421-2 】
【帚木422-2 】
【帚木423-2 】
【帚木423-3 】
【帚木424-1 】 されど、いとよく
【帚木424-2 】
【帚木424-3 】
【帚木425-1 】 御文を持て来たれば
【帚木425-2 】
【帚木426-2 】
【帚木426-3 】
【帚木427-1 】 目も及ばぬ御書きざま
【帚木427-2 】
【帚木427-3 】
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またの日、小君召したれば、参るとて御返り乞ふ。
「かかる御文見るべき人もなし、と聞こえよ」
とのたまへば、うち笑みて、
「違ふべくものたまはざりしものを。いかが、さは申さむ」
と言ふに、心やましく、残りなくのたまはせ、知らせてけると思ふに、つらきこと限りなし。
「いで、およすけたることは言はぬぞよき。さは、な参りたまひそ」
とむつかられて、
「召すには、いかでか」
とて、参りぬ。
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【帚木428-1 】またの日、小君を
【帚木428-2 】
【帚木429-2 】
【帚木429-3 】
【帚木430-1 】 残りなくのたまはせ
【帚木430-2 】
【帚木430-3 】
【帚木431-1 】 いで、およすけたる
【帚木431-2 】
【帚木431-3 】
◇帚木第7章に続く ◇
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※原文は、渋谷栄一先生の「源氏物語の世界」 から引用させていただきました。