●60 人間革命の終わり、消えた非科学的奇跡的信仰体験、病気をする人間は信心が足りない… | ラケットちゃんのつぶやき

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●60 人間革命の終わり、消えた非科学的奇跡的信仰体験、病気をする人間は信心が足りない…

 

 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、

P60, 人間革命の終わり、消えた非科学的奇跡的信仰体験、病気をする人間は信心が足りない…
です。
 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。



■ 公から消失後に現執行部が連載を終えた、池田の小説「新・人間革命」――「私こそ本物の弟子である…」

 2018年、小説「新・人間革命」連載が終わった。
 その最終章「新・人間革命30下」P434-436の結論部分では、先述した池田のスピーチをモデルとして、以下のように記載されている。
「二○○一年(平成十三年)十一月十二日、11・18『創価学会創立記念日』を祝賀する本部幹部会が、東京戸田記念講堂で晴れやかに開催された。新世紀第一回の関西総会・北海道栄光総会、男子部・女子部結成五十周年記念幹部会の意義を込めての集いであった。
 山本伸一は、スピーチのなかで、皆の労を心からねぎらい、『『断じて負けまいと一念を定め、雄々しく進め!』『人生、何があろうと〝信心〟で進め!』――これが仏法者の魂です』
と力説した。そして、青年たちに、後継のバトンを託す思いで語った。
『広宣流布の前進にあっても、〝本物の弟子〟がいるかどうかが問題なんです!』
 広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される。
 厳とした彼の声が響いた。
『私は、戸田先生が『水滸会』の会合の折、こう言われたことが忘れられない。
『中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる』
「『その『一人』とは誰であったか。誰が戸田先生の教えのごとく、命がけで世界にこの仏法を弘めてきたか――私は〝その一人こそ、自分であった〟と誇りと自負をもっています。
 どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。また、それこそが、創価学会が二十一世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです。
 頼んだよ! 男子部、女子部、学生部! そして世界中の青年の皆さん!』
『はい!』という、若々しい声が講堂にこだました。…中略…
〝さあ、共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の『七つの鐘』を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ〟
 彼の眼に、『第三の千年』の旭日を浴びて、澎湃と、世界の大空へ飛翔しゆく、創価の凛々しき若鷲たちの勇姿が広がった。
 それは、広宣流布の大誓願に生き抜く、地涌の菩薩の大陣列であった。
    (小説『新・人間革命』全三十巻完結)
  二〇十八年(平成三十年)八月六日
        長野研修道場にて脱稿」
と、あるのである。「長野研修道場にて脱稿」と、体裁を整えている。

「一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる…〝その一人こそ、自分であった〟」と、戸田城聖の、一人しかいない弟子は自分しかいないと、巧みに自分一人を宣揚している。
現執行部をきちんと守れ・盛り上げよと言わんばかりの最終章である。

 なんとこれが、池田大作が公から姿と肉声を消して8年後の完成なのである。


 この2018年前後の時期は、池田大作の「平和主義」、いわゆる創価学会が1970年に言論出版妨害事件で挫かれた後に組織拡大の為に出されたプロパガンダである「反戦平和」に対して、異を唱える学会員が少なからず出て具体的に運動をしていた。現執行部は全国的にこうした会員を査問し除名して、組織維持にこれ努めている。しかし、事実、公明党の獲得票は参議院選でみても2016年は約750万、2019は約650万、そして2022年は618万票であり、全国的に減り続けているのは明らかである。
 公明党は「反戦平和」を掲げながら2003年のイラク派兵を支持し、創価学会もその公明党の票獲得に組織を挙げて運動していた。
 ジャーナリストの乙骨正生は、池田大作の自伝としてならば、亡くなるまで連載するべきだろうと主張している。
 しかし、一点の曇りもない理想像を2002年以降も演出し続けるには、2003年前後の公明党の動きがあまりにも都合が悪すぎたからではないだろうか。
 現執行部の創作グループは、2002年以降の理想的な池田大作像が、2018年9月以降、こうして書けなくなった…このあたりでやめた方がよいという手詰まり感が私にはうかがわれる。


 事実、その連載終了後迎えた2018年9月30日、辺野古基地移設問題で揺れていた沖縄知事選挙において、政権与党として佐喜眞淳を推し、原田稔会長が沖縄入りしてテコ入れし全組織で総力戦を展開して勝利する見込みであったが残念ながら敗退、基地移設反対をとなえた野党候補玉城デニーが勝利した。
 さらに翌年の統一地方選挙において大阪では、池田大作が会長就任前に派遣され勝利してから続いていた〝常勝関西〟という神話が崩れて、維新の会に惨敗した。
 また、後に司法に摘発された河井杏里を、参院選挙の広島選挙区で現地の組織票約2万を上乗せさせて当選させるため、原田会長・山口奈津夫公明党代表などが現地入りして激を飛ばし、大きな役割を演じた創価学会。
厳しい選挙情勢にあった兵庫選挙区の公明党立候補者の当選のため自民党支援を受ける見返り、つまりバーター取引の一環であったとの指摘もある(FORUM21)。

 更に、ここにきて、下記の高橋篤史の指摘にもあるが、小説「人間革命」の都合よい改竄がなされている。
池田大作全集第144巻に記載された、小説「人間革命」第12巻の後に、その改竄の理由がもっともらしく記されているが、すべて、自らが歩み続け主張してきた歴史を、時代に迎合するために都合よく書き換えていると思われる。
 そしてこの性質は、創価学会設立当初から演出として存在していた。

 さらには先述したが、徳川幕府に迎合するために日蓮仏法を都合よく書き換え処世術とした大石寺26世日寛の論理にも似ていて、これを受け継いでいるものと思われる。


 ところで、宗教問題24において東佑介は「『人間革命』はその完結により『現代の御書』たる性格を強くした」と題して、小説「人間革命」についてこう述べている。

「『人間革命』は小説という体裁をとってはいるものの、基本的には創価学会の来し方を描いた物語であり、つまりそのまま〝創価学会史〟である。それゆえか創価学会では『人間革命』は『精神の正史』(『人間革命』聖教ワイド文庫版第一巻)と位置づけられている。そうした性質上、『人間革命』は創価学会員が日蓮遺文と並んで重視する著作である。この点に関して宗教学者の島田浩巳は著書『創価学会』で次のように記している。
〈池田は第九回教学部大会において『仏教史観を語る』と題して講演を行ない(略)『人間革命』こそが、日蓮の遺文を集めた御書に匹敵する現代の御書であると位置づけた〉…
確かに『現代の御書』とも称されたことがある。ただし『人間革命』を『現代の御書』と位置づけたのは池田ではなく創価学会副会長・福島源次郎である。福島は『御書と「人間革命」=「人間革命」私考』という論文において次のように記している。
〈『人間革命』は現代の御書である。『人間革命』を通して御書を拝読すると、大聖人の大精神がより鮮明に、私の心を打つ。更に御書を通して『人間革命』を読むと、学会精神が体内により強烈に脈打ってくる〉」(宗教問題24、2018/11/30 合同会社宗教問題、P85-86)
 実際は池田は福島の見解を否定せず、記録に残らない口コミ操作で、組織ぐるみで広がっていた。こういったことは私も聞いたことである。

 ジャーナリスト高橋篤史は、これに関する詳細な著書もあり有名であるが、宗教問題24では「嘘だらけで終わった『人間革命』は創価学会の暗部の象徴である」と題して、小説「人間革命」の欺瞞を「数多い虚偽描写」として指摘した後、こう述べている。

「次のカリスマは不在

 このほかにも、『人間革命』シリーズは版を重ねるたびに、その後離反した幹部や敵対関係に陥った日蓮正宗に関する記述を微修正していることが知られる。当初は仮名だった人物を実名に置き換え、実話のように見せる演出も施されたりする。
二〇一四年には堂々と池田版『人間革命』の全面改訂を公表した。そもそも池田版は、外郭企業の東西哲学書院で社長を務めた大幹部の篠原善太郎が相当部分を代筆していたとされる。池田氏は一〇年六月以降、公の集まりに姿を見せなくなり、脳梗塞に倒れたとの説が有力だが、それでも連載が続けられたのはあまりにも不自然でもあった。
 もともと日蓮正宗の在家信徒団体だった創価学会は、池田氏の会長任期が長期にわたり始めた一九七〇年代から独自の教義色を強めた。そんな中、『人間革命』は宗祖・日蓮の遺文である『御書』をもしのぐ『現代の御書』と称されるようになる。
牧口から戸田を経て池田氏に続く『三代会長』が体現した『師弟不二の精神』は今や学会の中心思想であり、それを最もよく表すのが『人間革命』というわけだ。
 大卒エリートの宗教官僚が牛耳り、日々、『新聞啓蒙』と『財務』のハッパをかけ続け資金獲得に勤しむ現在の学会執行部は、もはや池田氏に並ぶカリスマ指導者など現れないことを重々承知している。池田氏を偶像化・神格化することでしか求心力を保つことはできないのだ。だからこそ、『人間革命』の重要性はいやがうえにも増し、それは一点の曇りもない無謬の物語でなければならない。今や学会の教義は日蓮仏法と個人崇拝とのご都合主義的パッチワークだが、嘘に嘘を重ねる『人間革命』こそはその象徴と言える。
 が、池田氏不在も長期に及び、末端ではそうした欺瞞に気づき始める学会員が次々出ているのが実情だ。
『人間革命』の連載が終わった今、組織は音を立てて崩れだそうとしているようにも映る」(宗教問題24、2018/11/30、合同会社宗教問題、P91)


 
 ところで、小説「新・人間革命」の終わり部分で「長野研修道場にて脱稿」と体裁を整えているが、その月の聖教新聞では、長野研修道場にて8月9日に撮影され、23日に載った写真について、『フラタニティ』編集長の村岡到がこう述べている。
「この写真の疑問点=謎について…仏教タイムスによれば…『池田氏の異様なポーズ』に着眼して、『野球帽を深めにかぶり、サングラス姿の池田氏は、まるで蝋人形のようで動きがない』と書いている『後部座席に池田氏。隣席の女性は香峯子夫人らしい。運転手は男性(三男の尊弘氏か?)』とも説明している。
 補足すると、写真をよく見ると、女性と運転手は、車の向こう側に整列して立っている人たちに挨拶しているようであるが、池田氏は正面を向いたままである…
 聖教新聞はなぜ、池田氏が車から出て、研修道場で研修している学会員たちと歓談する写真を載せないのか。池田氏の顔も表情も分からない写真を掲載したことにはいかなる動機・狙いがあるのであろうか。『池田先生は存命である』ことを示したかったのか。実は、池田氏はもう十年以上、公的な場には姿を現わしていない。一体、誰がこの写真を掲載することを発案し、実行に移したのか…創価学会の現会長である原田稔氏の意向なのか、逆に彼はそのことを知っていたのか。
 創価学会を除名された、私の知人は、『池田名誉会長の〝容態〟をさらすような、ある意味〝悪意〟のようなものを感じることもできます。池田先生をおとしめる意図があったのかとさえ思えます。とても〝お元気な池田先生〟とは見えないからです』と語った。
…さらに聖教新聞の十月三日付には、世界聖教会館(東京・信濃町)の資料室で壁面の画像を妻と二人で着席して鑑賞する、池田氏の同様の写真(顔は五ミリ)が掲載された。
…今年一月二十六日に、池田氏は創価学会インタナショナル(SGI)の会長として『平和と軍縮の新しき世紀を』というタイトルの恒例の『提言』を発表した。聖教新聞に二日間にわたって八面分も掲載された大論文である。この提言はきわめて質が高く…中でも安倍晋三政権がその批准を拒否している核兵器禁止条約について、早期に批准せよと主張し…安倍政権に追従する公明党指導部に対する批判となっている…
 二つの謎が生ずる。これほどの大論文を池田氏が執筆する能力を保持しているのなら、なぜ池田氏は公的な場に姿を現わさないのか。池田氏に代筆者(そのためのスタッフ)がいることははるかに以前から指摘されていたが、その代筆者にこのような趣旨の大論文を執筆させる『命令』を誰かが発しているはずである。その誰かがなぜ、公明党指導部の意向に真っ向から反対する主張を書かせるのであろうか。私は、そこに池田氏と創価学会・公明党指導部との『微妙なバランス』が隠されていると推察する。一部で言われている『池田が支配する創価学会・公明党』というのはまったくの虚像なのである。…」(村岡到「「池田教」から脱した創価学会は今後戦争と平和どちらをとるか」、宗教問題28、P29-30)

 ここに、池田が支配する創価学会が池田不在の中、次第に変化してきていることがうかがわれる。それ以降、機関誌に載る写真は近影も含めて過去のものばかりである。久しぶりに載ったという村岡到の取り上げた写真の池田大作は、記念として贈呈された本当の蝋人形であり、それがバレるので近影はできないとの指摘も噂として聞こえてきたが、真実かどうかは謎である。
 創価学会系でないジャーナリストやマスコミ等は、もはや池田大作は重体で再起不能と見ているだろう。


■「人間革命」運動の理念

 昭和51年ごろまでの創価学会について、杉森康二が分析していた。
 「まず〝人間革命〟について、それは、一人の人間が日蓮仏法を信仰することによって、自分自身の生命次元から変革し、より具体的にいえばその信仰を通じて人間の生命のなかにおける〝仏性〟を自覚しそれを自分の努力によって高める、という行動。そして、この信仰をもった個人が社会で生活する一員として、社会活動を通じて他の人々に働きかけ、信仰の拡大を通じて〝仏性〟の充実した人々によって構成される理想社会を形成していくという、連続的な過程の総称であると言える。いいかえれば、日蓮仏法を信仰することによる自己変革であると共に、社会改革をめざした運動の基礎理念だということができる」(杉森康二著「研究・創価学会」1976/12/15、自由社、P181)……

 要するに日蓮仏法の実践で自他共の幸福実現に努力することである。しかし、それは何も創価学会にしかできないということではなく、他の日蓮系団体でも可能なことである。
つまり彼の指摘は、科学的客観性のない「創価学会のみの組織拡大」という視点が欠如している。
 創価学会が、純粋に日蓮仏法の実践を主張するだけなら、日蓮の遺文を学び励ますだけでよく、なにも「組織拡大」は必要ないから、所属団体を問う必要はない。他の団体でもそれは実践している事であろう。
「創価学会のみの組織拡大」を目指しているから、反社会的という批判を受ける要因となる。

 続く分析は「創価学会が現在、信仰の拡充と、信者各位の仏法探究による信仰の深化とともに、平和運動や護憲運動、さらに各種の地域ボランティア活動など政治的、社会的活動や、文化運動に力を入れているのは、その基本理念としての〝人間革命〟のなかに個人の内面の充実と社会への働きかけという二つの実践への要請が含まれているからにほかならない」(同書P182)
とある。
 しかし地域ボランティア、社会活動や文化運動は、常に組織の利益・組織拡大と抱き合わせとなって行われてきた。
 何をするにも、選挙の票取り、選挙がない時期は聖教新聞の啓蒙、そして財務の拡大が目的であり根底となってきた。
 公明党がかつての実績として誇る地域振興券もその見返りに過ぎないし、会員には百年安心年金プランも、福祉切り捨てであることを巧みに隠蔽されて伝えられている。


 続いて彼は「この人間の精神と変革と(ママ)、社会の改革を統一的、かつ連続的につかむ創価学会の〝人間革命〟論は現代社会の諸情勢を考えればとりわけ重要な意義をもっている。それは今日の改革論が、社会制度の改革を最重要な課題とし、その社会制度の改革によって、生活や教育を向上させ、また上からの思想改造計画によって人間の意識を変えようという〝社会環境〟論に立っているからである。そのほか、主として思想の浄化を先行させて社会改革をはかろうとする論議はややもすれば単なる道徳論に終り説得力を欠くからである。この点、学会の主張は、人間の意識の改革と、社会の改革を不可欠に結びついた一つの過程として把握し、しかもそれを寛容と慈悲のなかから創造をつかみとろうとする仏教思想によっておし進めようとするものであり、その意味で社会環境論にたつ革命論や、道徳論よりはるかに強い説得力をもっているからである」
と分析している。
 説得力の有無についてはさておき、組織の維持拡大以外の個人の実践においては、この指摘は正解であろう。信仰によって昇華・自己変革し、社会変革や貢献を成し遂げた純粋な会員も少なからずいる。これが個人的な信仰体験である。だがしかし、そのこと自体は個人の努力そのものであり、組織からもらった「棚から牡丹餅」的なものではない。組織は「うちでの小づち」であるはずはない。もし組織にそのような神がかり・超自然的な能力がそなわっていて、功徳が組織活動のおかげとするならば、それ自体が組織利用そのものであり、それ自体は小説「人間革命」では厳しく戒められているのである。
 つまり、小説「人間革命」のなかの〝人間革命〟論では、現実論としてこういった矛盾をはらみ、論理的につまづいているのである。
 事実、先述してきたが、池田の会長就任以来このことは総体革命という池田の指示によってないがしろにされてきている。会員個人が組織利用で社会の諸分野に成長しながら同時に組織維持拡大へ還元させるというのが総体革命であるからだ。これらによって政権や企業・マスコミなどに入り込み、組織維持拡大に莫大な影響力を及ぼしてきている。

 また続く指摘では、「人間革命運動は、権力を指向せず、権力にたよらない意識変革の運動であり」(同書P183)とあるが、自公政権になって20年以上、権力指向となって久しい。また「同時に社会の平和的な改造を指向する運動」(同書P183)とあるが、必ずしもそうとは言えない。なぜなら日蓮仏法を素直に実践して昇華・地域貢献している純真な会員もいることはいるが、個人的であれ組織ぐるみであれ、幹部や末端会員の様々な犯罪行為・違反行為が指摘され続けてきているからだ。
 ただ、それから半世紀を経て令和時代になって、物質的に豊かになった現在、彼のいう「社会環境論の立場にたつ革命論」や道徳論も既に影を落として久しく、中道を行く末端組織での「人間革命運動」も尻すぼみ感はぬぐえない。俗世の「師弟不二」を根底とした依人不依法のアニミズムだったためである。


■人間革命の終わり

 犀角独歩は〝『人間革命』の終了は池田平和路線の終了である〟と題してこう述べている。

「小説『人間革命』とは何であったのか。簡潔に言い表せば、『創価学会が自分たちに都合よくつむいだ歴史物語』である。主人公は創価学会第二代会長・戸田城聖と池田大作だが、この作品の中で、彼らは日本のみならず世界に通用する宗教指導者に仕立て上げられている。
 一九六四年、『人間革命』の執筆が開始されたとき、創価学会は日蓮正宗を母体としていた…
 創価学会は大石寺の本尊と教義を、絶対無謬のものであると会員たちに教えていた。一九六七年には、八百万人から四百七十五億円もの供養(献金)を集め、当時としては世界最大の宗教施設・正本堂を大石寺境内に建立寄進してもいる。こうした背景で書かれた旧『人間革命』は、当然の話ではあるが、日蓮正宗大石寺を全面的に肯定した内容であった。…
 ところが正本堂建立を期に、あろうことか日蓮正宗と創価学会には大きな亀裂が走る…一九九〇年、池田が当時の大石寺法主・阿部日顕を批判したことを発端に、日蓮正宗と創価学会は分裂する。
 そのために、『人間革命』は書き直しを余儀なくされる。一九九三年十一月から『新・人間革命』として、一度終わったはずの小説が再度連載スタートとなるのは、そのためである。〝新〟では一転して日蓮正宗が悪役として扱われ、歴史は書き換えられていく。

 沖縄というカギ

 今回の連載完結の報に触れてわたしが思ったのは、『『人間革命』は沖縄で始まり、沖縄で終わった』ということだった。
 創価学会の公式ホームページにある『人間革命』の紹介コーナーには、こんな文章が掲載されている。
〈池田名誉会長が『人間革命』の執筆を開始した地は、日本で唯一、太平洋戦争の地上戦が行われ、多くの一般市民が犠牲となる悲惨と苦汁をなめた沖縄でした。(略)『戦争ほど、残酷なものはない。/戦争ほど、悲惨なものはない』との言葉で始まる『人間革命』の執筆開始は、人類の平和と幸福の『黎明』を開きゆく闘争を開始する、高らかな宣言でもあったのです〉
 池田大作は憲法擁護を高らかに宣言し、自衛隊を含む武力を否定した非暴力主義を主張していた。戦争反対、武力反対を宣言するため、『人間革命』執筆開始の地に沖縄を選んだのだ。
 そんな作品が完結した本年九月、沖縄県知事選挙で、創価学会が支援した自民党・公明党の候補が大敗を喫する。マスコミの出口調査によれば、創価学会員の三割もが会の打ち出し(指令)に反し、野党候補・玉城デニーに投票したのである。
『人間革命』連載の完結は九月八日。選挙は三十日だった。創価学会は大きな誤算をしたのではないか。沖縄で始まった『人間革命』は、『沖縄県知事選挙大勝利』に合わせて大団円とする構想があったとしか、わたしには思えない。しかし、結果はそうはならなかった。あたかも『人間革命』の終焉を暗示する結果である。

 人間革命の終わり

 私は高校二年生の時、東京・信濃町にある創価学会本部高等部室で当時副会長であった福島源次郎に会い、『『人間革命』は百回読み返しなさい』と言われた。創価学会が『人間革命』をいかに重視していたかが分かる。…
 いったい今、池田大作はどうしているのか。『病気をするのは信心がないからだ』というのは、かつて池田が壮健であったころ常に口にしていた指導だった。しかし『人間革命』が完結したいま、当の池田は脳軟化症とも認知症とも噂される。
 三十年ほど前、創価学会は衛星中継を採用し、全国の主要会館で池田が出席する会合を生中継で会員に見せていた。ところが徐々に池田の奇行が目立つようになり、生中継は中止。編集された放送に変更された。池田の病変は確かなことだった。
 人間は生まれ、やがて老い、病ともなり、死んでいく。自然の摂理である。しかし病気を〝不信の結果〟のように指導した池田は、己の言葉で己を批判する結果となった。もはや世界はおろか、日本の会合にも顔を出せなくなった。池田が『人間革命』の指す〝一人〟であれば、池田自身の人間革命は、とうの昔に潰えている。そして沖縄県知事選の敗北に象徴されるごとく、一国の宿命の転換はおろか、全人類の宿命の転換も不可能となったのである。
 池田創価学会の平和路線と、自民党に与する現・公明党路線の対立は、ここに来てより鮮明となってきた。しかし、だからといって創価学会が、池田平和思想に〝原点回帰〟することは絶対にありえない。
 今後、ますます自民党・公明党の連立路線は強固となる。創価学会は表面的には平和思想を訴えながら、実質的には会憲・軍備増強路線に舵を切っていくだろう。なぜなら現在の創価学会の最も重要な活動は、公明党支援、すなわち自民党支援であるからだ。権力与党の一角に座り続けるために、創価学会・公明党は自民党にへつらい続けるしかない。そのためには池田本人のみならず、池田平和思想も〝絵に描いた餅〟とするほかない。
『人間革命』の終わりは、創価学会の脱・池田平和思想を暗示していると、わたしは思う」(宗教問題24、2018/11/30 合同会社宗教問題、P80-83)

 ここで、犀角独歩の指摘は的を得ているが、加えて「病気を〝不信の結果〟のように指導した池田は、己の言葉で己を批判する結果となった」と指摘する背景を振り返ってみる。


■ 霊的な病気克服の信仰体験

〝病気になるのは信心がないからだ。信心が弱いからだ〟というのは末端組織では日常的に指導され続けてきた。私も耳にタコができるくらい聞いてきた。しかしだからこそ、末端会員も含めて創価学会員は、病気になった時こそ信心を奮い立たせ、宿命転換・人間革命を成し遂げようと励まされたのである。
ある意味、組織的なこうした励ましが、会員を鼓舞し、前向きに病気の克服へと導き、マイナスの出来事にプラスの意味を与え、昇華につながった例が信仰体験として述べられていることは評価に値する。
しかし、反面、自分や身内の病気を口にする事さえ憚るという呪縛が、創価学会組織内に存在していたことも事実である。


 思えば、創価学会が唱える信仰の現世利益の一つに、病気の治癒がある。
 不治の病が治った、難病を克服したという、医学的には説明困難な症例を、創価学会はことのほか強調して、機関誌などで取上げ、会員の鼓舞や組織拡大に利用してきた。
 戸田時代から、〝貧・病・争〟という社会の底辺層を取り込んで発展してきたといわれる創価学会であるが、そのうち、不治の病がなおるという信仰体験は、折伏弘教において重要な事実、教義の正当性を裏付ける事実として重要視されてきた。

 事実、これらを示す数々の体験は昭和時代には聖教新聞等でほぼ毎日の如く掲載された。
 また著書になったのも数冊ある。
「ガンに勝て!ー難病克服の体験談醜」(1986/10/20、聖教新聞社)には悪性腫瘍を克服した12名の信仰体験が、また
「よみがえれ!脳と心臓ー難病克服の体験談醜」(1987/1/26、聖教新聞社)には、難病克服22名の信仰体験が載せられている。
 これらのほとんどは医学の常識を覆して蘇生した、克服した、治ったというものばかりである。

 そればかりか、創価学会の医師の集まりであるドクター部(現在では医師が約100人前後いる)の医師たちが、医学の常識を覆して克服したとして自らの信仰体験を載せた著作もある。
 佐藤玄二編「人間医学者をめざしてー創価学会・ドクター部体験談集」(1979/2/11、聖教新聞社)では17例、
 佐藤玄二編「生命を考える――医師が語る病気と信仰――」(1980/10/12、聖教新聞社)では、13名の医師の信仰体験や臨床例が、
 佐藤玄二編「医師が語る わが信仰と人生」(1980/3/16、聖教新聞社)では17名の医師の信仰体験(佐藤玄二ドクター部長自らの経験も含む)が、
 佐藤玄二編「医学の限界に挑む」(1985/10/1、聖教新聞社)では19例が、
 森田修平編「医学の目・仏法の目」(1987/4/17、聖教新聞社)では56例が、それぞれ登場し、同様な事例について述べている。
 ここで、佐藤玄二・森田修平はともに創価学会ドクター部長であった。

 かく言う私も、かつては医学セミナーなどを通して医師としてこれらの症例や著作を取りあげ、個別には創価学会員の病気についての悩みや励まし・相談を行ない、創価学会の組織発展のために努力してきたから、組織内の事情はよく理解している。
 要するに、信仰さえあれば、たいていの場合、医学の常識を覆して治癒するという講演・指導である。そして、こうした医学セミナーなどに講師として招かれた場合、まず100%、こういう内容の霊的な話自体を無言のうちに求められてきたのである。
 この根拠は、創価学会が当初から行ってきた信仰指導による。
拙論文でも取り上げてきたが、古くは折伏経典から、次にあげる池田大作の「勤行」の指導など、文献となっているのも多くある。
「要は御本尊に対する一念が大事なのです。五座・三座の勤行をしっかりやりなさい。そうすれば、どんな願いも叶うし病気の人も体の調子がよくなる。居眠りをしては駄目だ。おかしくなるのは勤行をきちんとやってないからだ…体が疲れている時、寝てしまった方が回復するのではないかと思うかもしれないが、そうではなく、しっかり勤行をするのだ。寝不足なんかなくなってしまう。仕事もうまくいく。態勢を整える為に勤行をするのだ。宇宙と合致しているのだから生命が大宇宙のリズムに乗らない訳がない…勤行こそ心の、また生命の最高の化粧法であり、且つ又、最高の健康法である」

 最近、今世紀に入ってしばらく経ってから、医学・医療の発展により、創価学会の信仰によらなくても、奇跡的?に軽快する症例も多く経験を重ねたため、私はこうしたセミナーでの霊的な話を自ら積極的には行なわなくなった。

 確かに、昭和時代には、医学的に説明ができないくらい良い経過を示した患者さんもいたであろう。
 しかし、今では、ガンも脳・心臓疾患もある程度コントロールでき、ガン死や脳・心臓疾患による死もかなり減って来ていている時代である。
 最近は、これら三大疾病といわれる死亡は徐々に減り、誤嚥性肺炎や老衰死が増えてきている。
 信仰を持たなくても同様の経過がよく見られ、それらは日々、医学の発展と共に更新されてきている。
 そういった事情のためか、いわば、医学の常識の進歩により、こういった霊的な信仰体験は、最近ではほとんど見られなくなった。

 成功した信仰体験は、その個人にとっては100%貴重な体験であり、人生の一大事の重大な評価に値し、重要視して讃嘆すべきことである。
 しかし、それが創価学会の信仰だったからこそ成就した――創価学会の信仰でなかったら成し遂げられなかった――とは、科学的には到底言えない。
 どんな信仰にも、信じて行なうかぎり、一定のプラセボ効果は存在する。しかし、プラセボ効果を上回るデータをひねり出してこそ、はじめてその信仰なり、薬剤などが、客観的に効果があると断定・信用できるのである。
 創立90年にもわたる歴史の中で、公称827万世帯を誇り、創価学会の信仰に加わった日本国民は脱会者を含めて約2千万人を推定する。
しかもその組織には、日常で常に科学的証拠に基づいて診療が求められる医師たちがドクター部として100人前後も所属している。
 これだけ信者がいる中で、そんな背景があるにもかかわらず、創価学会の信仰による効果が科学的真実・客観的な効能として認められるならば、科学的な前向きの無作為化対照試験等が行われて、創価学会の信仰が、他の信仰、もしくは無信仰の場合に比べて統計学的に有為に高いデータをもって証明されないのはなぜだろうか。
 かつて二代会長の戸田城聖は、指導は科学的客観性がなければならないと訴えていた。
 本当に、広宣流布を目指し、その信仰の効能・効果(功徳)が偉大なことを訴えるならば、なぜ客観的・科学的にこれを証明しようとしないのか。


■「病は気から」を科学する

 実際に、日蓮仏法ではないが、宗教が病気の治癒に及ぼす影響を科学的に研究した発表も、前世紀末から数多く存在するようだ。
 ジョー・マーチャント著、服部由美訳「『病は気から』を科学する」(2016/4/2、講談社、P329-)第12章では、ルルドの奇跡を科学的な目で取り上げて考察している。

 ルルドとは、フランスのピレネー山脈の麓の小さな町で、カトリックの巡礼地の一つであるが、ここで起こる治癒については科学的に確認すると公言されている。つまり、ルルド巡礼で病が劇的に回復したという人がいれば、医師団が該当する医療記録を集めて科学的説明が可能か否か調査する。それができなければ次に司教が、科学的説明不可能な治癒を奇跡かどうか認定する。1858年以来7千名以上の調査の上、69人が奇跡として認定されたというのである。数少ない幸運な例は結核、失明、がんなど病気からの解放である。
 宗教的体験や信仰心が脳を変え、その結果、体にも変化が起こるのだろうか、神を信じればより健康になれるのだろうかこうした疑問をもった著者は実際に現地に足を運び、様々な巡礼しゃについて調査し、関連する科学的研究を紹介している。
 その結果、報告書の一つ「科学では明確に説明できない何かがここに存在しているようには思えない」を取りあげ、更に先述の結果を踏まえながら、「ルルドを最たる例とする宗教には、社会的なつながり、ストレス軽減、プラセボ効果など、心が健康になるメリットを与えるものすべてを合わせた力がある」としながらも、「心には奇跡的な治癒は起こせそうにないこともわかっている」と述べている。
 ルルド医療局の局長アレッサンドロ・デ・フランシスシスの言葉「奇跡とは解釈なんです」「ルルドは病院ではありません。教会なんです」を紹介している。
 また、特に印象に残ったのが「それが治癒であろうとなかろうと、私が話をした人たち全員が、ここで奇跡を体験したと感じていることだ」と述べている。
 この点は、ジャーナリスト高瀬広居がかつて自著「第三文明の宗教」等で、創価学会員について述べていることと類似している。

 さらのここでは研究結果として、以下を挙げている。
「儀式の究極の目的の一部は、自分と他者とをつなげることです」(神経学者アンドリー・ニューバーグ
「大切なのは中身…宗教的なフレーズが瞑想の効果を拡大する」(心理学者ケネス・パーガメント)
(これについては自分自身を何か大きなものの一部とみなしたり、自分を超越した意味や目的を見つけたりすると、体の状態がよくなることを示す他の研究とも矛盾しないと著者は言う)
「自分の価値観に従って生きることが及ぼす大きな影響」を示すが、神のかかわりの有無は関係ない(神経学者クリフォード・サロン)
「高い目標を持っていれば、個人的な幸せが脅かされても、感じるストレスが小さくて済む」(UCLAのスティーブ・コール)
(言い換えれば、自分は何か大きなものの一部だと感じていれば、日々の悩みに対処しやすいだけでなく、いつかは死ぬという、人間が抱える最大の恐怖心を和らげることができると著者は言う)
「社会的なつながりを見つけることが人にとって利益となるように、超越的な何かを見つけることも、人に大きな利益をもたらすようだ。それは紙への信仰であっても、科学への信頼であってもかまわない」(ジョン・カシオポ著「孤独の科学――人はなぜ寂しくなるのか」


 以上の指摘も、是認できる共通点が創価学会の組織内にも見うけられる。
 ただ、現時点で科学的にコンセンサスとしてハッキリしている点は、プラセボ効果といったところだ。

 成功体験を持つ人は満足であろう。そしてそういった体験が評価・讃嘆され、幹部に抜擢され、すでに幹部であれば昇格することもある。
 創価学会の末端組織はまさにこういった励ましの精神が旺盛なところが多い。その教義はともあれ、この点はまさに信仰をする仲間・同志の団結として十分評価に値する。
 しかし、そうでなかった人やその体験は、組織の中で、信心がなかったことにされ、幹部指導やイジメ、また隠蔽・排除の対象となってしまう悪しき風習も、実は私も見てきたのである。末端組織内のことはあまり公に取りだたされることはなかったが、そのたびに、本当の慈悲とは何か、仏法による救済とは何か、広宣流布されきったときの組織の役割とは何かを真剣に考察してきた。

 ちなみに後に検討予定であるが、フロムは、純粋な会含めて現代の民衆に広がっている孤独と無力の解決のために多くの人が陥っている病理としてサド・マゾヒズム(性的倒錯の意味ではない)を挙げ、創価学会勃興以前より、こう述べている。
「ある条件のもとでは、このマゾヒズム的追求は相対的に成功する。もし個人がこのようなマゾヒズム的努力を満足させる文化的な型をみつけることができれば(たとえばファシストのイデオロギーにおける『指導者』への服従のように)、かれはこの感情をともにする数百万のひとびとと結びついているように感じて、安定感をうるのである」(エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」、1951/12/30、東京創元社、P171)
 また、服従の対象についてはこう述べていた。
「自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。」
 同様なことは、ヒトラーが自らメガホンスピーカーを用いて演説したころの当時の民衆の性質である。「我が闘争」でも指摘している。
 これらは、現代社会の人々の諸傾向、さらには純粋な創価学会員の間で見られる性質である。
 「力強い全体」「ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力」つまり服従の対象が御本尊、池田大作、創価学会組織と見ると、よくわかる。
 孤独・無力であり貧・病・争に悩んでいたところで折伏され、人間革命を目指して集まり池田に指導されてきた創価学会員は、非科学的な呪術的信仰によりタイミングよく感じたプラセボにすぎない「初信の功徳」を本物の「御本尊の偉大な力」「池田の正しい指導の結果」と、組織的に賞賛されて思い込み、フロムの指摘のごとく創価のヒエラルキーのなかに巧みに取り込まれていったのであろう。
 かなり前に先述した池田の「奴隷のように学会に仕えよ」(社長会)を振り返ってみたが、この構図を見事にあらわしている。



■病気をする人間は信心が足りない――学会後継者の突然の死

 こうした中、創価学会の次期会長として有望視されていた池田大作の次男:池田城久(29歳)が1984年10月3日に急死した。胃潰瘍穿孔で緊急手術を受けたが帰らぬ人となった。
 以下にも指摘されているが、当時の医療レベルでは確実に救えたものだろうが、その経過は、先に指摘した創価学会の組織の事情によって隠され、癌研附属病院に担ぎ込まれたときも、偽名であったという。

 当時週刊誌FOCUSは、こう伝えている。
 「学会側の説明のよれば、先月中旬から胃の具合いが悪く、かかりつけの医者から胃潰瘍と診断されて治療していたが、3日午後になって容態が急変。癌研附属病院に担ぎ込まれ緊急手術を受けたものの大量出血のため死亡したのだという。『酒もタバコもやらない』29歳の若者が胃潰瘍で急死の発表は周囲にいささか奇異な印象を与えた…大作氏は城久氏を可愛がり、昭和52年ころから自分の後継者にと考え始めていたようだ…城久氏だけは創価大の大学院を修了後…周囲からも〝プリンス〟として…『未来の会長』をバックアップするシステムづくりも着々と進行。54年7月には創価大きっての美人学生といわれたみさ子夫人と結ばれ、ハタ目には城久氏の前途はまさに洋々とみられていたのである。
 しかし、関係者によれば城久氏は近年の一連の〝大作スキャンダル〟報道に心を痛め、最近は父親については公私両面にわたって批判的であったのだという。父親の女性関係のご乱行を聞かされ続けた息子の複雑な心境は想像に難くないが、さらにみさ子夫人が創価大在学中から大作氏の大のお気に入りで、城久氏と結婚するまで学会の第一庶務にいたことから大作氏との仲をウンヌンされるに至っては、城久氏の心痛はますます大きくなっていったに違いない。
 その父親は以前こんなことを得得と聖教新聞で語っていた。
〈若死にするであろうと医師からも言われていた私がこのように健康で広宣流布に御奉公できるのは、信心の力であると信じている。……
医学的にどうしようもない人であっても、再び信心に励んだ人は更賜寿命できることは間違いない〉
 大作氏は自らの最愛の息子の死を、やはり『信心不足』と学会員たちに説明するのだろうか……」(FOCUS、1984/10/19、P16-17)


 原島崇はこの件についてこう述べている。
 「昭和五十九年十月二日に池田の次男の城久氏が、『胃穿孔』(胃に穴があく病気。強度のストレスが原因だが、早くきちっとした病院に入院していれば必ず治る)で急死したときに入院していた病院が、Sクリニックという産婦人科の女医の病院でした。その時、本名を隠して偽名のまま病院に入った時はすでに手遅れで、二十九歳の若さで偽名のまま死亡したのです。もしS女史が早く大病院に入院させていたら、または、池田の家族が病気を隠さずにありのまま大病院に入院させていたら、あたら若い命を奪うことはなかったでしょう。次男の城久氏は池田の後継者と目されていました」(原島崇著「絶望の淵より甦る」2007/4/2、日新報道、P128)


 藤原行正は、当時の池田指導と創価学会組織内の様子や、池田城久への後継、つまり「世襲」も含めてこう指摘している。


 「池田夫妻は息子の危篤状態をまったく知らず、その日、和歌山県白浜で開催された創価学会インターナショナル総会へ出席していた…母親のかねさんがかけつけたが、死に目に会えなかった。
父親の大作は翌日帰京。変わり果てた最愛の息子と対面することになった。
 池田夫妻には博正、城久、尊弘の三人の息子がいた…次男の城久君は父親似。性格的に太っ腹で親分肌の気質があり、池田は早くからこの次男に『自分の後継ぎ』と大きな期待をかけていた…池田は私たち幹部に向かって次男への『世襲』を匂わせはじめていた…
『城久を衆議院へ出して公明党委員長にしたい。どうだ、みんな応援するか』
 それがやがて『城久は学会の後継者だ』という形で風向きが変わり、池田は次男への政権委譲に着々と手を打った。まず創価大学、創価学園出身者から息子と同世代の優秀な人材を選び『二十七人会』を結成。この集団は学会内部で『ご学友グループ』の異名で呼ばれ、城久君本人も次期後継者への意欲を強めていた矢先であった。
 創価学会は『世襲』を禁じた宗教団体である(註、二代会長戸田城聖がそう語っていたのが、改竄前の小説「人間革命」に載っている)。ところが、池田は用意周到な根回しによって、創価学会は池田家のものであり、池田城久はその池田家の二代目、将来の会長だという既定路線をつくりあげ、学会内で暗黙の了解事項となっていたのである…
学会内に池田崇拝の空気を行き渡らせ、創価学園、創価大学という私兵養成学校で池田家の親衛隊を育て、その現体制の延長線上に城久崇拝をおく。これが密かな池田大作の野心であった…
 のちにわかったことでは、城久君は死の数週間前から胃痛を訴え検査したところ胃かいようと診断されたらしい。そこで九月二十五日に東京大塚の『新生クリニック』に入院。同医院は産婦人科と内科専門で、経営者は石川信子医師。池田大作と親しい学会ドクター部幹部の古参会員であった。城久君をここへ入院させたのは、息子の病気を学会員の目から隠すという池田独特の秘密主義にあったと思われる。
 治療開始時点で、城久君の病状はかなり楽観視されていた…ところが、入院九日目に病状が急変した。あわてて近くの癌研究所附属病院へ担ぎこんだが、城久君は数時間後に息を引き取った。死因は胃穿孔。治療の手遅れが命取りになったという。
 だれも予期しない不幸な出来事であった。胃穿孔という病気は現代医学では死病ではない。早目に専門病院で適切な治療を受けさえすれば治るとも聞いた。なら、なぜそうしなかったのか…
 もう一つ、不思議なことがあった。城久君は二つの病院で『石川信一』という偽名を使っていた。創価学会の後継者と目された、池田大作の次男は可哀相に偽名のまま死んでいったのである。

 病気をする人間は信心が足りない

 城久君の死の直後、創価学会全体に重苦しい空気がただよった。池田本人は息子の死にいっさいふれず、ほかの幹部もだれ一人として城久君の死を語らない。いや、語れない異様な雰囲気が生まれていたのである。
 常識的に考えれば、人の生死は一つの天命である。池田は最愛の息子を亡くした父親として悔やみを受け、学会員は指導者の悲しみに同情を寄せる。それが自然の姿だろう。ところが自ら『生き仏』を演じてきた男にはそれが許されなかった。自分で生き仏を気取った人がなぜ息子の命を助けられないのか。池田崇拝の人たちはそういう単純な疑問を内心で感じていた。
『私は○○さんの命をご祈念して延ばしてあげた』
『私が数珠でからだをさすってあげたら△△さんの病気が治った』
 池田はこんな言葉で自分の『神通力』を大宣伝してきた。そのエライお方が跡取りと決めた一番大事な息子が死ぬのに何もできなかった。おかしいじゃないか。池田はこの声が高まるのをいちばん恐れていたのである。神通力の失墜。それを防ぐには息子の死という事実を一日も早く学会員の頭から消すことしかない。だから息子の死にふれなかった。
 その少しあと、何人かの学会員から私が聞かされた打ち明け話しは強烈であった。彼らはかつて子供を亡くした人たちだったが、その時に池田から散々な嫌味をぶつけられていたのだ。その悔しさを私にこっそり打ち明けた。
 池田先生の息子が死んで助かった、やっと気が楽になった。これまでずっと我慢してきたけど本当につらかった。おまえの子が死んだのは信心を怠けた証拠だと顔を見るたびに池田先生から説教されたり、皮肉られたり、怒られたりした。それが息子の死で嫌味をいわれなくなったというのである。私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。
『病気をする人間は信心が足りないからだ』
『子が死んだのは仏罰だ、一から信心をやり直せ』
 池田が遠慮なく学会員へぶつけてきた言葉である。当の学会員は顔を伏せるばかりだった。自分の家族を亡くしても泣けない、身内の病気を口にするのさえ憚る。池田支配の創価学会の、これが現実である。
 その手前もあって、池田は自分の息子が病気になったのを隠さざるを得なかった。偽名を使い、秘密のもれない古参学会員の医院へ入院させるという姑息な真似をしたのもそのためだ。現代医学をもってすれば当然救えたかもしれない命を、親の虚栄のために病気を隠し、偽名で入院させ、ついに手遅れのまま死なせてしまった。愚かとしたいいようがない池田大作の姿であった」(藤原行正著「池田大作の素顔」1989/4/10,講談社、P263-267)
 
 この指摘は、創価学会組織内の正直な実態を明かしている。
 ひとつ加えるならば、消化器外科を専門とする私も経験上緊急手術後に胃潰瘍穿孔による死亡診断書を書いたことは複数回あるが、そのすべては突然発症した救急来院での例である。
 現在では胃潰瘍はほとんどピロリ菌感染によるもので、内視鏡を行なってそのステージを決める。入院したならば、当然に適切な治療を行っている。最初から入院して適切な治療を行った患者のなかで急変して穿孔した例は、医師の免許を取得してから今世紀に入って一例も見たことがない。


 ともあれ、このことは、呪術的信仰が、科学的なものではないこと、そして必ずしも良い結果(功徳)が得られるとは限らないこと、そういった呪術を信仰の世界や組織内に持ち込む危険、加えて、それを指導していたことによる不幸な顛末の一例と組織の背景を示すことになったといえよう。


 犀角独歩の指摘を見てみる。
「病気を〝不信の結果〟のように指導した池田は、己の言葉で己を批判する結果となった」
 この結果、池田大作は自身が指導した通りの報いを創価学会の中で受けることになった。
 一般会員には自身の公に出られなくなった理由・原因を正直に明かすことができず、執行部が〝お元気です〟と触れ回るしかない状況であろう。
 正直に話すと、一般会員の動揺が激しく、脱会者がさらに増えることも予想される。
 さらには、どんな願いも叶うと信じ込まされている熱心な創価学会会員が、組織を挙げて呪術的唱題に走り、池田大作の病気の全快を祈る善意の唱題会などが全国的に長期間展開され、行われたりするだろう。
すると、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えるという真剣な祈りを多くの人が長期にわたっていくら重ねてもそれが叶わないことが判明し、御本尊は絶対である・池田先生の言うことにウソはないという創価学会の唱える信仰の欺瞞が明らかになる恐れがある。
 つまりは、創価学会員全員の祈りをもってしても、「永遠の指導者」として崇拝する池田大作の命を救うことができないことが判明する。
 それだけにはとどまらない。
 自分たちの独自で唱える仏法の欺瞞や限界が白日の下に晒されることになる。
 「新・人間革命」の連載を終えた今でも、いや、創価学会の正史であって現代の御書としての連載を終えたからこそ、こうした事態は絶対に避けなければならないと現執行部が考えているとしたら、至極当然のことであろう。
 池田大作が臨終を迎えるまで組織を挙げてひたすら情報操作を展開して病状を隠し、〝池田先生はお元気です〟と、たえずとなえ続けるしかない執行部や関係者の人達の、それぞれの胸中に確実に拡がっているであろう悶絶と良心の葛藤が、機関誌に池田の記事やメッセージが掲載されるたびに伝わってくるようである。

 池田大作の現在の健康状態がいかばかりであるか、再びお見舞を申し上げておく。

 仏法の因果はまことに厳しい。厳然とあらわれる。
 理性や良心があれば誰でも分かることであるが、真実に忠実にあってこそ、仏法でいう幸福・救済や成仏があるのであり、決してウソや捏造を続ける不誠実な行動の中には存在しない。
 「師弟不二」とは何なのか、その姿勢が常に問われている。

 ちなみに、創価学会が根本と謳う日蓮の遺文には「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(「崇峻天皇御書」、御書P1174)と、信仰者のあり方が説かれている。
 人の振る舞い自体が仏法者の姿勢として最も大切であるとの意味は、初心者でもわかるだろう。
 創価学会自身の公式のSOKAnetにも、この文が人の振る舞いとして取り上げられていることを、あえて指摘しておく。
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/shinjinsokuseikats/

 

 

  P61へ、続きます。
 

☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像1、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点

P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流

P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会

P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二

P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と野心、「創価学会を斬る」の指摘

P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件

P31, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(1)、被害者ぶった描写、田中角栄氏を使った策謀

P32, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(2)、池田大作と竹入義勝が‶盗聴〟 日蓮仏法の悪用

P33, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党・渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作

P34, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(4) 山崎正友の進言で謝罪へ転換

P35, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(5)  戦略的で周到な捏造

P36, 言論出版妨害事件 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(1)、日本共産党への憎悪

P37,  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件

P38,  野望「天下取り」の躓き 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(3)、言論出版妨害事件

P39,  更新すべき「立正安国」原理、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(4)、言論出版妨害事件

P40,  創価学会の体質、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(5)、言論出版妨害事件

P41,  人間たらしめる究極条件、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(6)、言論出版妨害事件

P42, 「師弟不二」という、池田大作への絶対的奉仕感情、王仏冥合から反戦平和へ転換

P43, 御供養精神から乖離した醜い争い、戒壇論が崩壊した正本堂意義、板マンダラ事件

P44, 池田本仏、仇討ちズムの総体革命、教義逸脱

P45, 増上慢な本仏、誤った「仏教史観を語る」、寺院不要論
P46, 昭和51年前後のマッチポンプ山崎正友や、御本仏池田大作の回りの微妙な関係

P47, 浜田論文や富士宮問題での様々な謀略

P48, 池田本仏の背景と構成要素、第66世細井日達の教義歪曲(1)

P49, 第66世細井日達の教義歪曲(2)、暗躍する山崎正友、内通する阿部信雄(後の阿部日顕)

P50, 池田大作創価学会VS細井日達と宗門若手僧侶、山崎正友原作「ある信者からの手紙」

P51, 創価学会の建前と本音の乖離、創価学会は『お客様』(阿部信雄)、揺らぐ細井日達(1)

P52, 時事懇談会資料の検討、謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2)

P53, 池田本仏論のおさらい、醸成されていた〝人〟の無謬化・絶対化

P54, 創価学会52年路線(池田vs日達)その後, 山崎正友と阿部信雄、ジャーナリズムの見解
P55, 昭和54年池田会長勇退の舞台裏(1)、御本尊模刻の全貌、弟子としての山崎正友

P56, 偽装和解だった11・7お詫び登山、教育者としての池田大作、会長辞任も偽装ポーズ、昭和54年池田会長勇退の舞台裏(2)

P57, 創価の「師弟不二」の精神、サドマゾ的人間関係、昭和54年池田会長勇退の舞台裏(3)

P58, 池田大作の独裁化進行、造反者続出、暴力団の利用後切り捨て

P59, 自分一人が「本物の弟子」、暴力団の利用後切り捨て(2)

P60, 人間革命の終わり、消えた非科学的奇跡的信仰体験、病気をする人間は信心が足りない…