●28 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二
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☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P28,師敵対の「財務」、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二
です。
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■師敵対の「財務」
池田大作が、35年5月3日会長就任、訪米し帰国後全国を回った。
昭和35年12月7日、中国本部落成式において講演を行った。
これは「清浄無比の学会財務」と題して、池田大作著「会長講演集第一巻」1961/8/24,創価学会,P334-337「清浄無比の学会財務」P335-337に掲載されている。
すなわち、アメリカの教会は、民衆を救済する精神が失われ、入場にお金が必要な状況になっている。貧しい人々が教会に行けなくなり、一般の貧しい大衆は不満を抱いている。日蓮正宗は、日蓮大聖人を信仰する清浄な団体であり、信者はお寺に対して供養し、僧侶を尊敬することが当然とされている。信者を軽んじる僧侶が出た場合、学会は断固として戦う姿勢を示している。
学会は、会員から寄付を取らず、財務部費を大事に使い、寺院や本部の建設に充てている。
ここには、拙論文P18で言及した、かつて戸田時代の財務について、公明党議員であった藤原行正の指摘を引用したことと重なるが、アメリカの宗教を例に挙げて、宗教における金満・堕落を批判し、日蓮正宗の外護と、その僧侶に仕えていくことを強調し、信者をバカにする悪侶がでた場合には、戦うとしながら、
「過去においても、学会は、会員から、ただの一銭も迷惑をかけておりません。また広宣流布の日まで、学会が続くかぎり全学会員の皆さん方から一銭も寄付を取り、迷惑をかけさせていくようなことは絶対にいたしません。」
と、はっきり公約していたのである。
池田が師と仰ぐ戸田城聖も、
「このためには、けっして、信仰や折伏を、自分の金もうけや都合に利用してはならないのであります。…学会は名誉のためにも、金もうけのためにも、寄附をもらうためにも、動いてはならないのであります。」
(昭和22年10月19日、創価学会第二回総会午後、東京教育会館)」
(戸田会長全集第二巻、講演集、1965/10/30 和光社、P16-18)
と、明言していた。
ところが、池田大作著「新・人間革命」第二巻、1998/8/26,聖教新聞社,P319-321には、池田が会長就任後訪米・帰国して全国を回ったというこの時点の記載について、対立する日蓮正宗の僧侶への攻撃に終始した内容になっており、この財務の話は、その後の創価学会の歴史には極めて都合が悪い為か、完全に隠蔽されている。
同時に強調されていることは、この「新・人間革命」第二巻が連載された時期である1998年での、創価学会が会員に対して最も指導し強調すべき点である、日蓮正宗の僧侶に対する攻撃的批判のみが、綴られている。
これは、拙論文P25,P26で述べた、戸田城聖や池田大作の、日蓮正宗創価学会の原点から存在した宗門への攻撃姿勢である。
藤原行正は、自著「池田大作の素顔」1989/4/10,講談社)P175-176で、この財務について、以下のように続いて述べている。
「三十二歳の池田大作がこの言葉を口にした時は、本気でそう信じていたはずである。
たとえば池田体制二年目の昭和三十七年時点でも、創価学会は『財務を出していい人』と『財務を出してはいけない人』の規定がきちんと定められていたのである。その財務部員の規定は次のような内容だった。
《資格 毎年一月から二月にかけ、口頭で所属支部に申し出、支部長、地区部長の審査をうけ資格ありとしたものがなれる。
審査基準 戸田会長のいう『いつでも千円くらいの金を用だてられる』程度のゆとりのある人で、信心が強く、学会の目的について完全な理解をもつ会員である。
審査方法 家族状況の調査(これはブロックの班長などがよく知っているから実際には簡単に行う)本人の面接(支部長・地区部長が行う)
こうした審査の結果、家計上無理がある場合には申し出を拒否する。
任命 本部から任命を受け、財務部員の証明として、鉛色の鶴丸に金で縁どったバッジが貸与される。
負担 年間四千円以上、一括でも分割でもよい》
これが本来の財務部員というもので、大切なのは、会員の人たちはカネを出したから功徳があるのではない。むしろ逆にご本尊の功徳を得、そのおかげで財務部員になれたのだという考え方だった。
ところが、池田時代がつづくうちにその空気が一変した。池田は戸田二代会長の考え方を百八十度逆転させ、カネを集めるためにその結論だけを学会全体へ押しつけたのである。つまりカネを出せば功徳になり、その功徳を積めば幸せになれるという一点を徹底させたのだ。とくにカネ集めに熱中しはじめた昭和五十二年以降は『財務に応じない学会員は罰が当たる』とするデタラメな論理が強まった。
その結果、最近の池田は年間二千億円という庶民の常識では考えられないような大金と学会員から搾り取り、学会を日本で一番カネのかかる宗教にかえてしまった。」
これは、池田の戸田に対する師敵対のひとつである。
それだけでなく、「カネを出せば功徳になり、その功徳を積めば幸せになれる」というのは、完全な外道である。
更には、「カネを出せば功徳になり、その功徳を積めば幸せになれる」
というのは、大いなる仏法の曲解である。
『財務に応じない学会員は罰が当たる』とは、仏法でも何でもない、完全な脅しである。
これは、純真な信者・会員を容易に誑かすことになった。
徳勝童子の砂の餅の譬えにもあるように、供養は真心によってのみおこなうものであって、真心の分でしか功徳はない。見返りを求めること自体が、真心ではなく、名聞名利であり、餓鬼界の境涯である。
さらに藤原行正は、自著「池田大作の素顔」1989/4/10,講談社)P177-179で、池田大作のカネ集めについて、以下のように述べている。
「カネを出さないのは信心がない証拠!?
いま考えれば、池田大作のカネ集めは実に計画的に仕組まれたものである。そのやり方はまず何年もかけて『生き仏』の自己演出をつづけ、学会内に池田教を広めた上で、創価学会という巨大集団を閉鎖性の強い組織へ変えた。そうしておいてから、
『学会員は無理してカネを出すのが功徳だ。カネを出さなければ成仏できない』
と、池田はカネ集めに都合のいい情報を学会全体へ流しはじめたのである。この情報操作のやり方がまた狡い。自分はいっさい悪者にならないように側近幹部から地方幹部、末端幹部へと口コミ戦術を展開させるのである。
その口コミで巧妙に学会員の競争力を煽るから、カネを出ししぶる学会員は仲間との寄り合いなどで肩身が狭いという状況が生まれている。信仰のあり方からいうと完全な逆転現象である。
良識派の会員たちは池田大作に見切りをつけ、寄付金などの返還を要求した上で脱会していった。騒ぎが大きくなるのをおそれた池田大作は彼らに隠密裡にカネを返し、その後もおとなしい学会員を相手にあくどいカネ集めをつづけているのが現状である。
池田大作のカネ集め術を具体的に紹介してみよう。たとえばいまの財務は表向き年に一回、一口一万円というのが原則だ。本当に年間一万円だけなら学会員に悲劇は起こらない。その悲劇を招くのが池田の口コミによる扇動なのである。
『地区幹部は最低十万円は出すこと。現在持っている貯金をすべて出すのは当然であり、さらにいくら上乗せするかが信心だ。
各支部では十万円以上を出す人を三十人つくること。一口、一口しか出さない人は信心がない証拠だ。支部内で百万円以上の大口を何人出すかが、支部長・婦人部長
の戦いだ。個人指導・家庭指導で三口以下の財務部員がなくなるよう指導すること』
昭和六十三年度の財務では、池田はまず内密に腹心の幹部へこう指示した。これを受けて、組織全体では納金の半年も前から財務の功徳の体験談を会合で聞かせ、その席で幹部が、
『たくさん財務をすれば、大きな福運が積めます』
と一般会員をそそのかす。
『これが最後だ。信心が深ければたくさん出せるはずだ』
全国のあらゆる会合で、この言葉が繰り返し池田教信者の五百万学会員たちへ押しつけられるのである。その一方で学会本部の予定表には『十六日は土曜日で銀行は休み、おカネはその前の日におろしましょう』といった細かい指示が書かれている。池田の君臨する創価学会は信仰団体というより集金団体という名前がふさわしいとさえいえる。
そのうち学会員の心理が逆転する。カネを惜しむ気持ちより同じ仲間の学会員に負けて、肩身の狭い思いをしたくないという競争心裡が強く働くようになる。閉鎖社会の弊害、というほかないが、池田大作の口コミ戦略はそこを狙っている。
たとえば未婚の女子部員へカネを出させる時にもちかける典型的な話には、
『若い時に無理をしてもたくさん財務を出せば、必ずよい男性が見つかるから』
というものがあり、その口車に乗せられ、苦労して貯めた結婚資金を二百万、三百万と出してしまった人も過去に数多くいるのである。
この財務は五十七年頃から猛烈な勢いでエスカレートしている。五十七年三百億円、五十八年四百五十億円、五十九年から六十二年の四年間は年一千五百万円ずつ、六十三年にはなんと二千億円といわれている。
その結果、田畑を売り払って一家が反目し合ったり、金策のためにサラ金にまで手を出して、あげくに失業、離婚、夜逃げをする人、あるいは老後資金までなくしたお年寄り。まるで悪徳商法の被害者を思わせる悲劇が毎年のように続出しているのである。しかし、一般の人と違い、池田が何をやっても『被害者』は怒らない。池田が恥じることなくつづける宗教の悪用は法律で罰せられることもない。
要するに、池田大作は功徳という目に見えない無形のエサで会員からカネを巻き上げ、その見返りに会員たちへ功徳を返すのはご本尊という都合のいい図式をつくり上げたのである。ありガネをはたいた全学会員から功徳をくれと一生懸命拝まれて、ご本尊さまはたまったものではない。一方、数千億円のカネは池田大作の好き勝手に使い放題なのである。
では、池田はそのカネを何に使っているか。その一つが池田の愚にもつかない売名行為である。名誉欲の強い池田大作の勲章集め費用、世界の有名人たとえばトインビーやキッシンジャーとの会見費用に学会員の真心から出たカネが湯水のごとく浪費されている。
学会のカネを使うのも、名誉を受けるのも自分一人。それが学会員みんなの幸せ。これが池田大作の勝手な理屈である。この男が勲章を一つもらう裏側で何組かの学会員夫婦が離婚し、何十軒かで家庭不和が生じていることなど素知らぬ顔だ。」
これらは、暴走する財務と、その実態を、指摘している。
あまり公にはならないことだが、それは書面に残さず、すべて口コミの指導であったり伝達であったりして、巧妙に、会員の純真な真心、仏法への信仰を悪用したと考えられるのである。
そして、このコントロールは暗黙の了解として、末端組織内の隅々まで浸透していったのである。
さらに、藤原行政は、側近や幹部職員については、
「学会の幹部や本部職員は池田のウソを知り尽くしていながら、
『反抗してもどうしようもない』
と無力感のなかで口を閉ざしている。時間が過ぎて池田が死ぬか、倒れるのを待っている。あといくら生きても十年か二十年、その先の将来に何か変化があるだろう。シラケた雰囲気だけが学会本部に充満している。それが創価学会の哀れな現状なのである。
幹部たちは池田べったりの意思表示を繰り返し、幹部会の席で十回も二十回も『池田先生!』と叫ぶ人間まで現れ、池田はそんな男たちを重用した。名誉欲、出世欲といった人間の煩悩を巧みくすぐることにかけては、池田は天才的な能力を持っている。幹部達の権力欲、物欲、出世欲を巧みに操って、池田は自分の腹黒い野心を十二分に実現させたともいえるだろう。
自分の立場を守るために池田は学会幹部、本部職員をどんどん増やして自分の直接管理下においた。職員や幹部は学会から給料をもらう形となり、その資金源が必要となった。その時、学会員の『真心』が池田の権力欲、名誉欲を満たすためのターゲットにされた。大蔵商事時代に培われた池田独特の発想がここで顔を出したわけである。
幹部や職員は学会を職場としたことで、池田に生活権をがっちり握られてしまう。つまり、学会中枢にいる人間に池田がそむけば、その日から路頭に迷う構図ができ上がってしまった。これも学会私物化の作戦の一つであった。
宗教団体にあっては、副会長や県長といった学会幹部は宗教的な指導が役目であり、本部職員は学会組織の運営を担う立場にある。」
「池田は生活権を握ることで労せずにこの両者を一体化させ、一点集中の権力構造をつくり上げていったが、その組織構造は警察社会の組織に似ている。」
「たとえば六十三年末の創価学会は全国に、本部二千六百九十、支部一万二千三百十、地区五万七千、ブロック十八万。一地区は大体五十世帯前後の学会員で構成されていて、末端幹部はすべて地元在住、つまり現地徴用の形だ。そして学会の組織中枢で権限をもつ幹部たちだけは、役所のキャリア組よろしく池田の息がかかった本部直轄の人間で固め、地方で実権をもつ幹部職も本部から派遣される。このキャリア組は警視以上の国家公務員、各地方の末端幹部は地方公務員の形である。
要するに自分の地位を脅かしそうな人間は、学会のカネで経済的に身動きがとれないようにして確実に力を抑えてしまう。池田の自己保身のからくりを明かせばこれだけの話である。
この男は徹頭徹尾、日蓮正宗という七百年の歴史をもつ宗教を自分の欲望実現の道具としか考えてこなかった。しかし、創価学会という巨大組織を悪用して池田がやってきたこと、またいま学会内部でやりつづけていることを一般人を相手にやったらどうなるか。背任罪、横領罪……司直の手が本格的に入れば、創価学会名誉会長・池田大作は史上最大の大口脱税者の汚名を着る可能性さえある。
池田大作はそれだけの悪業を重ねている。こんな俗物がざっと五百万人の信者を擁する巨大宗教組織に君臨したという異常事態は、おそらく世界の宗教史上でも前代未聞のことではあるまいか。」(同書P181)
そして、そのような創価学会の現状を、
「そんな男が戦後の混乱期に便乗して創価学会という宗教法人にまぎれこみ、常軌を逸した行動哲学と狡さを武器にして戦後四十三年を生きてきたのである。
善意に解釈すれば、池田大作が学会員からの尊敬を高めるためにあらゆる手を使ったのは戸田城聖という先代の偉大さに負けた結果かもしれない。池田は三代会長の椅子に座った時、戸田二代会長を超えたいと考えていた。先代を凌ぐ指導性を発揮して、師匠の教えを世界に広めるという情熱はあったと信じたい。
私は彼の側近第一号と呼ばれた男だからその当時の池田の気持ちは知っている。おそらく昭和四十年前後までは池田もそんな大きな夢を見ていたと思う。その夢が萎むにつれて、池田大作のデタラメと学会私物化がはじまったのだ。
宗教家としての新しい使命感から戸田先生と較べて、池田には最初から『志』がなかった。戸田会長の遺した『戦略』を借用するだけで、自分のアイデアはいっさいなし。その組織管理術は池田の身に染みついた高利貸し的性悪説から一歩も出られなかった。
『創価学会会長の椅子』の重さを知らず、そのうま味だけに目を奪われていったのが創価学会三代会長・池田大作の三十年の軌跡ともいえるし、創価学会を私物化してしまった池田大作の『転落の構図』はそこにすべての出発点があった。」(同書P181-182)
と、指摘しているのである。
これと同じような事実は、他の側近からも指摘されているが、割愛する。
池田大作は、会長就任4年後の昭和39年5月3日、日大行動での第27回本部総会において、参加者20000名に対し、「第六の鐘をならそう」と題して、講演を行ったが、そのなかに、正本堂建立へのカネ集めについて、以下のように述べている。
「その第一番目は、この七年間において、総本山、日達上人猊下に正本堂を建立、ご寄進申し上げたい。…中略…
正本堂を建立して日達上人にご寄進申し上げたい。
私ひとりではできえぬことでございます。…中略…
その正本堂の費用について、恩師が申されたことは『三十億円の資金をもってしなさい』このようにも、回りの人にたびたび申されました。したがって、三十億円の御供養をば、もう一回、皆さん方のご協力を得て行ないたいのです。すなわち、来年の十月十二日、本門戒壇の大御本尊様ご建立の日を中心として、前後四日ないし五日を御供養の期間としたいと思うのです。
また、たいへんであると思いますが、一世帯七百円の御供養を基準といたしたい。困っている同志に対しては、そのかぎりではございません。五十円でも百円でもけっこうでございます。また反対に信心のない人、無認識の人からは、絶対に供養は受けない。この決意でまいりたいと思います。
したがって、来年十月までは約十五か月間でございます。一か月、一世帯五十円ずつ、何らかの方法で節約し、貯金していただければ、七百円になるわけでございますが、この第一項目については、皆さま方どうでありましょうか。(大拍手)それでは満場一致で決定といたします。
正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがって、あとは本門戒壇堂の建立を待つばかりになります。したがって、全体的な御供養といたしましては、今度の正本堂の御供養だけで、一切将来はいたしません。…以下略」(池田大作著「会長講演集」第十一巻、P170-172)
この文言の中で、戸田の遺言が実際にあるかどうかも検証の必要があるが、とくに最後の部分は、のちにあっけなく覆されることになる。
そして、仏法上、「御供養」という文言は極めて問題であって、さらに「私ひとりではできえぬことでございます」ということも、後に、たいへんな自語相違をひきおこすことになるが、それは後述する。
小多仁伯は、自著「池田大作の品格」2007/12/25、日新報道、において、元創価学会芸術部書記長の現場から見た「池田大作体験」の真実を様々に指摘している。
その中で、1969年(昭和44年)9月24日の創価学会職員の全体会議の中で、正本堂の御供養を総括し、それについての池田の指導をあげ、
「コラム『理事会』メモー学会は100年大丈夫!
ここに、昭和四十年十月十六日に開催された、理事会の記録メモがあります。
この理事会の式次第は『正本堂御供養について(池田先生)、教学(小平)、折伏(柏原・和泉)、理事長指導、先生指導』となっています。…中略…
冒頭、『正本堂御供養は、創価学会が天下を盗る瑞相である』と記されています。
いったい、神聖であるべき仏への御供養を、『学会が天下を盗る瑞相』とは、何事でしょうか。〝思い上がり〟と呼ぶには、あまりに異常な感覚といえます。
次に、正本堂御供養の、地域別の御供養金額と参加者数が記されています。
『・創価学会員の参加総数
七百七十七万七千六百四十二名
・御供養金額
三百五十億六千四百三十万円(端数は除く)
・東京方面
東京第一総合
十八億法千九百二十二万
二十二万人
・東京第二総合
十六億四千百八十九万
二十二万人
・東京第三総合
二十三億四千二百四万
三十万人
・東京第四総合
二十六億千百十一万
三十一万人』
他の地域は省略しますが、池田大作にとって、この金額は予想以上の御供養金だったのです。
さらに池田発言は続きます。
『学会はここまで来たら百年は絶対大丈夫である』
『もう学会を馬鹿にする事はできない』
『寺院は二百ヶ寺、五年間で五百ヶ寺にする』
『会館もどんどん作る』
『学会は家来ではない。旧信徒(法華講)が家来になってきた』
『学会は御僧侶の家来ではない』
なんともおぞましい、池田の本音が出ているのではないでしょうか。
すなわち、これらの発言中には、宗門を目の上のコブのように
思い、今後は学会が宗門の上位に立とうという、池田のさもしい心理が透けて見えます。」(前掲書 P75-76)
と、指摘しているのである。
この正本堂の供養を集めた実態については、後に「板まんだら事件」として、訴訟に発展したことで有名である。
その原審から上告審までの判決が、ネットで公開されている。
ここでは、創価学会員で、そのカネ集めに自ら関与し、自らも大金を出した原告の松本勝彌が、原審の訴状にて、正本堂の供養を集めた実態についてこう指摘している。
「被告(註、創価学会)は昭和三九年五月頃、会員に対し、右『大本尊』を安置する『事実上の事の戒壇』である正本堂建立のための募金を呼びかけ、被告の機関誌『聖教新聞』、『大白蓮華』や会員の幹部会座談会等で『供養に参加することが大功徳をえることになる』などと宣伝し、供養金の貯蓄を勧奨した。
会員は被告から『正本堂完成のあかつきまでに各々の運命が決ってしまうので、未来永劫の幸福の因となるこの供養に参加するように』と教えられ、被告の各組織は全力を挙げて、供養金を貯めることに没頭した。そして昭和四〇年一〇月九日より一二日迄の間にそれまで一年間の会員の血と涙の結晶は、被告に対し寄付された。このため、会員のなかには家財道具や家屋敷はおろか金目の物はすべて売り払い、借金までし、生命保険を解約して供養金を寄付したものが多い。
(二) 原告両名も、被告の右のような勧奨宣伝に応じて、右大本尊を安置する『事実上の事の戒壇』たる正本堂の建立をなし、功徳をうけ、幸福な生活を得るため、血のにじむような金銭を供養金として寄付することとし、原告松本とみ子は昭和四〇年一〇月一一日金弐百万円、原告松本勝彌は同年一〇月一〇日壱百八拾万円、同年同月一二日弐拾万円、計金弐百万円をそれぞれ被告に交付した。」
これは、池田大作は、正本堂の建立のために、集める金を「御供養」と宣伝した証拠の一つである。
それは、上記の会長講演でも明らかである。
その建立資金を、仮に創価学会「会費」として寄付を集めるのなら、仏法の御供養精神の利用ではないので、ある程度妥当でああろう。
しかし、「御供養」と宣伝して集めたことは、完全に仏法の御供養の精神、純真な真心の布施である行為を、悪用した洗脳・詐欺と言えるのではないだろうか。
そして、その金集めの実態が、上記にあるように、
「正本堂完成のあかつきまでに各々の運命が決ってしまう」
「来永劫の幸福の因となるこの供養に参加するように」
と、普段から現世利益を説き、その功徳を得るために入会していた会員の射幸心を大いに煽ったことが明確に記されている。
しかもその煽った期間が1年に及び、「各組織は全力を挙げて、供養金を貯めることに没頭し」結果として、
「会員のなかには家財道具や家屋敷はおろか金目の物はすべて売り払い、借金までし、生命保険を解約して供養金を寄付したものが多い」というのは、なんとも言葉のない酷い実態である。
そして昭和40年10月9日より4日間に集中して、「それまで一年間の会員の血と涙の結晶」を、御供養として集めたのである。
かつて、池田が常に師として仰ぐ戸田城聖が本部幹部会で、後述もするが、
「インチキ宗教のやり方は、功徳をもらうには元手がいる。だから金を出して神を拝めば、倍にも三倍にもなって出てくるから出せ、出せと言うのです。そう言われると、もっともだと思うだろう。泣く泣く、皆は、ない金をはたいて出すでしょう。そういうことをして、信者をだまして金をとる。これくらい、世の中にかんたんなことはない。」
と、邪宗のカネ集めの実態を指摘していた全く同様の行為を、自ら彼の弟子と自称・宣揚する池田大作は先頭に立って行ったのである。
むろん「それがいかんというのが、私の精神なのだ。」と、戸田は否定しているにもかかわらずである。
こうして、その後の特別財務などへ発展していった。
そして、創価学会は、かつて戸田城聖がインチキ宗教として破折していたどの宗教団体をもはるかに凌ぐ金集めに、奔走することになっている。
■仏法における本来の御供養の精神
本来、仏法において「御供養」というのは、純粋に「真心」で行う布施であり、「見返り」や「功徳」などの利益を微塵にも求めてはならない無償行為である。
正本堂のカネ集めや、その後の特別財務などにおいて、現世利益や功徳に射幸心を煽られ、さらに誤った罰論で脅かされた会員にも、きちんと仏法を理解していなかった原因の一端はあるといえる。
徳勝王子や、貧女の一灯の比喩をあげるまでもなく、御供養とは、捧げる金額や物品の多い少ないではなく、その献身の「真心」のみが問われた、神聖なる仏道修行なのである。
「功徳」を求めて行なうものではなく、ほんのわずか、かけらでも、「功徳」などの「見返り」を求めた時点で、御供養とはいえないのである。
この認識が、多くの創価学会員の中では、誤って理解されている。
それは、池田大作を先頭とした、創価学会の教学による洗脳によるところが多い。
財務を、創価学会会費として集めるのなら、世法にはかなっているが、御供養として集めるのなら、これは、仏法を悪用した詐欺である。
日蓮は、白米一俵御書 御書P1597 にて、白米一俵を供養し届けた弟子に対しわざわざ一筆礼を書き、その中で、世間の法がそのまま仏法であるとして、御供養について、
「まことの・みちは世間の事法にて候、金光明経には『若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり』ととかれ涅槃経には『一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず』と仰せられて候を・妙楽大師は法華経の第六の巻の『一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず』との経文に引き合せて心をあらわされて候には・彼れ彼れの二経は深心の経経なれども彼の経経は・いまだ心あさくして法華経に及ばざれば・世間の法を仏法に依せてしらせて候、法華経はしからず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。
爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり。
此れをもつてしろしめせ、白米は白米にはあらずすなはち命なり。」
《真実は、世間法がそのまま仏道である。金光明経には「若し深く世法をわきまえればこれがそのまま仏法である」と説かれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書も皆是れ仏説であって外道の説ではない」と明かされている。これを妙楽大師は法華経の堕六の巻の「一切世間の治生産業は皆、実相と異なっていない」との経文に引き合わせ、その意を説き顕して「金光明経・涅槃経の二経は表面上は深い教えの経々だが、かの経々はいまだ浅い教えで法華経に及ばないので、世間の法を仏法に依るものとして教えている。
しかし、法華経はそうではない。「世間法がそのまま仏法の全体である」と解釈されている。
爾前の経の意味は「心から万法が生ずる。譬えば心は大地のようであり、草木は万法のようである」ということである。
法華経はそうではない。心がすなわち大地であり、大地がすなわち草木である。 爾前の経々の意味は「心が澄むのは月のごとく心が清いのは花のごとし」ということである。
法華経はそうではない。「月こそ心、花こそ心」という法門なのである。
このことから分かるがよい。
あなたが御供養された白米は白米ではない。あなたの命そのものである。》
と、述べているのである。
日蓮は、池田大作のように弟子たちに供養を煽ったのではないことはもちろん、真心の御供養に対して、こんなにもありがたいお礼の手紙を書き残しているのである。
師の徳を備えた日蓮の、真心の御供養について、惜しみない感謝の心があふれている。
池田が師と仰ぐ戸田城聖も、先述したが、
「このためには、けっして、信仰や折伏を、自分の金もうけや都合に利用してはならないのであります。…学会は名誉のためにも、金もうけのためにも、寄附をもらうためにも、動いてはならないのであります。(昭和22年10月19日、創価学会第二回総会午後、東京教育会館)」
(戸田会長全集第二巻、講演集、1965/10/30 和光社、P16-18)
と、明言していた。
戸田城聖は、これ以外にも、学会員から金を集めるのは厳禁であるとしていた指導がある。
昭和30年10月31日の本部幹部会で戸田は、「学会員に負担をかけるな」といって指導した。すなわち信心の根底は他人を幸福にすることであり、信仰のためには何も必要ないという心構えが重要だと述べた。また、地区費や班費が足りないと訴える幹部は信用しないようにとし、会員から経費を集めることなく、自分の金を使う覚悟が必要だと強調した。信心は金に通じるものではなく、真心を込めて仏道修行に立ち、人を救う精神で働くことが幸福への道であると説いた。
(戸田城聖著「戸田会長全集」第二巻、1965/10/30、和光社、P5417「学会員に負担をかけるな」)
また、昭和32年2月28日の本部幹部会で戸田は、「学会は信心一途に」として、
「宗教で金もうけするなんて、これはもっとも罪悪であり、インチキだと私は信ずるのです。
こういうインチキ宗教どもを、ひとつ退治してやろうというのが私の根本精神なのです。
宗教で金もうけするぐらいかんたんなことはない。おさい銭をあげろと言うのです。インチキ宗教のやり方は、功徳をもらうには元手がいる。だから金を出して神を拝めば、倍にも三倍にもなって出てくるから出せ、出せと言うのです。そう言われると、もっともだと思うだろう。泣く泣く、皆は、ない金をはたいて出すでしょう。そういうことをして、信者をだまして金をとる。これくらい、世の中にかんたんなことはない。やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くから、やってみたまえ。それがいかんというのが、私の精神なのだ。」(戸田城聖著「戸田会長全集」第二巻、1965/10/30、和光社、P523)
以上のように、戸田城聖は、宗教で金集めをすることはインチキで罪悪であり、信者を騙して金集めする宗教を敵視し、学会は金集めしてはならないと一貫して述べていた。
弟子を自称した池田大作は、自ら師匠と仰ぐ戸田城聖から、一体何を聞いていたのだろうか。
カネについてのみは、真の仏法の精神に殉じていたと評価できる戸田城聖の純粋な仏法精神を、こんなにもはやく裏切ってしまっていたのだ。
まったくもって、裏切り弟子の姿ではないか。
ちなみに、白米一俵御書について、池田大作は、2014年12月号の大白蓮華において、以下にあげる如く、さまざまに仏法を巧みに曲解利用して翻弄している。
一見、洗脳されている池田大作ファンたちにとっては、実に気持ちのいい指導となっているが、その一部をとりあげてみよう。
ちなみに、12月号の大白蓮華の配達される時期は、創価学会の公布部員による財務の納期の一か月前後であり、そのもくろみが見え見えである。すなわち、
「この実践の要点は、ひとえに「志ざし」です」としながら、「妙法を教え広める師匠のために、祈り動くこと、それ自体が成仏の直動なのです。」などと、さりげなく、かつ、断定的に述べているが、この御書のどこに、「師匠」がでてくるというのか。
これこそ、日蓮仏法の悪用ではないか。
これは、なにも、創価学会員だけに与えられた遺文ではない。
他宗も含む、すべての、純真な信心を貫く日蓮門下に、与えられたものである。
大切な日蓮の遺文を、このように悪用しながら、会員からなけなしのカネを搾り取った行為は、詭弁バラモンをはるかに凌ぐ、現代の外道であり、日蓮門下にとっては、潜聖増上慢に値するだろう。
それは、前述した、社長会においての本音発言をもってしても、明白である。
「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、体もいらない。
奴隷のように、学会に仕えよ、それが大御本尊様に仕える事だ」(第50回社長会記録、「継命」編集部編「社長会全記録」1983/6/10,継命新聞社、P222)
ちなみに、同書には、この文言について、以下の注釈がある。
「8)学会では池田に奴隷のように仕えることが『学会精神』とされた。その学会流理論が『無疑日信』(学会を絶対疑わないことーむろん、これは本来の意味とは異なる)」(同書、P226)
P29へ、続きます。
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」
目次(一部リンク付き)
P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点
P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流
P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27,創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会