白い狐 

白い狐 

車好き・音楽好き・
車歴は47年、音楽はバンド含めて50年。
気がつけば・・・おやじ? 
不良少年、健在です。 
自分の分析・文献によると、
地に足がついているが想像力豊か・
感情的だが現実的・愛情豊か・
伝統を重んじる・現実的な理想主義者・

 

カーペンターズの「マスカレード」は、
レオン・ラッセルの名曲を
“静かな痛み”として再解釈した、
1970年代カーペンターズ
の成熟を象徴する一曲です。


曲はレオン・ラッセル(1972)。
アルバム Carney に収録された
バラードで・

恋人同士が互いに本心を隠し、
仮面をつけたまま
関係を続けてしまう“孤独なゲーム”を描きます。

その後、
カーペンターズが
1973年『Now & Then』でカバー。

翌年「プリーズ・ミスター・ポストマン」
のB面としてシングル化されました。

1976年には
ジョージ・ベンソンが大ヒットさせ、
グラミー賞最優秀レコード賞を
受賞したことで世界的スタンダードに。



カーペンターズの
「This Masquerade」は、
原曲のジャジーで陰影のある世界
を保ちながら、

カレンの中音域の深い響きと
リチャードの洗練されたアレンジによって、
より“静かで内省的な痛み”
が前面に出た解釈になっています。

カレンの声の特徴
けだるさと透明感が同居し、
恋の終わりを悟りながらも
離れられない心の揺れを丁寧に描く。

高音で叫ばず、あくまで“抑えた情感”

で語りかけるように歌うのがこの曲の核心。


アレンジの特徴

リチャードのピアノ、フルート、
柔らかなストリングスが“都会的な陰影”
を作り、

原曲のジャズ的コードワークをより滑らかに。
アルバムでは
1曲目「Sing」との雰囲気の落差が大きく、
明るさから一気に大人の孤独へ沈む構成が印象的。

 

名曲ですね。

さて、過日の昭和の日・

2026年4月29日、

日本武道館で
「昭和100年記念式典」が開催されました。

高市早苗 首相が式辞を述べ、
天皇皇后両陛下も出席された。

しかし、この式典にはひとつ、
決定的な特徴があった。

「天皇陛下のお言葉がなかった。」

これは単なる
「プログラム上の省略」ではない。

むしろ、極めて高度に設計された
“制度的判断”である。
ということです。

我々が
認識しなければならないのは・
日本国憲法 における天皇の位置づけです。

「天皇は国政に関する権能を有しない」

つまり天皇は
政治的意味を持つ発言を
してはならない存在である。

ということで、
この一文・その含意は極めて重い。

今回の式典が特殊なのは、
対象が「昭和」である点にある。

昭和は

戦前・軍国主義

戦争と敗戦

戦後復興

という断絶を含む時代であり、
天皇が語るだけで
“歴史認識”や“戦争責任”に直結する。

現天皇は昭和天皇の直系であるため、
発言は「先代の評価」や
「国家の歴史観」と結びつき、

象徴天皇の
政治的中立性を揺るがすリスクがある。

そのため、

“語らないこと”が制度的に最も安全な選択  
と分析されています。


つまり、
発言するだけで政治になる。
ということです・


ここで考えなければならないのは・

「象徴天皇制の“限界点”が露出した」

ということなんです。


象徴天皇は
国民統合の象徴
政治的権能を持たない
という二重構造を持つ。

しかし「昭和」という重いテーマでは、
歴史を語る=政治になるため、
象徴天皇制の制約が露わになったと
分析されています。


多くの人は「何も言わなかった」
と捉えるが、それは誤りです。


「語らなかった」という行為が
メッセージになるんです。

天皇は
語ることで意味を持つ存在であると同時に
語らないことで意味を生み出す存在でもある・


天皇が語れば政治になる
政府はそれを避けた

だから式次第から“お言葉”を外した
しかし陛下は沈黙のまま
「反省と平和」の姿勢を示された
 

つまり、
「語らなかった」という行為そのものが、
象徴としてのメッセージだった  
ということです。


より本質的な問題点は、
国家の歴史を語る場において、
天皇が語れないという構造
です。

今回の式典における「お言葉なし」は、
偶然でも、省略でも、配慮でもない。
制度が要請した必然です。

そしてその沈黙は、むしろ雄弁に語っている。

天皇とは何か

国家とは何か

歴史とは誰が語るべきものか


これは私たちに向けられた問いなんです。


政府は不敬であるとか
様々な政治批判の材料とされてますが
そういうことは発信している側も
よく知っているはず・

国民は惑わされないように
していただきたいと思います。


まさに「仮面舞踏会」(笑)


式典後に宮内庁は異例の形で

「過去の歴史から謙虚に学び、

深い反省とともに平和を守る努力が大切」

という陛下のお気持ちを発表した。

いつもお話されているお言葉ですよね。

沈黙の中で私たちは

この言葉を賜りましょう・・





 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

Aiso Logic は、
Raujika が描く 

“幻想的でノスタルジックな世界観” 
を象徴する代表曲で、

オルゴールのような旋律と
エレクトロニカが融合した作品です。  

 

Raujika(ラウジーカ)とは
日本の音楽クリエイター

「和」を基調とした美しいメロディに、
ヒップホップ、ジャズ、
エレクトロ、アンビエントを融合する

独自のスタイル が特徴 

デビュー直後に 
iTunes Hip Hop チャート1位 
を獲得し注目される

世界観
幻想的・童話的・オリエンタル
どこか退廃的で、
夢と影が同居するような音像
音楽的特徴

オルゴール的な音色
ノスタルジックで繊細な旋律
エレクトロニカ/
イージーリスニング寄りの柔らかい質感

リスナーの印象として
「心にすっと入ってくる」
「不思議な旋律が浮かぶ」などの声が多い 

 

この曲は 
“人間の弱さや影を、静かで成熟した形で扱う” 
という点で際立っています。

音は優しいが、どこか “儚さ” が漂う
童話的な世界観の裏に、静かな孤独がある
旋律が “記憶の底に沈んだ感情”
 をそっと掬い上げる

Aiso Logic に感じるものは、
“懐かしさ・孤独・
夢と現実の境界・弱さの肯定・内面の影”
が重なり合った、非常に繊細な情動です。

それは言葉にしようとすると
逃げていくような、
“余韻そのもの”のような感覚。

この曲を聴いた時・
私はここに浮谷東次郎さんを
思い浮かべたんです。

 

個人的な思い込み・

なんですが、

不思議に共通する

ものが感じられて・・

 

Aiso Logic を聴いたとき、
胸の奥がきゅっとした

どこか懐かしい
少し寂しい
夢の中にいるような
言葉にできないけれど

心が静かになる・
そんな感覚を憶えました。

自分の人生の中で
そんな感じの思いをしたのは

若い頃に
浮谷東次郎さんという人物に
触れた時の感覚を
思い出したんです。

浮谷東次郎(1942–1965)は、
日本モータースポーツ黎明期に
彗星のように現れ、
わずか23歳で亡くなった
“伝説のレーサー”です。  

50ccバイクでの
1500km単独走破、
アメリカ大陸放浪、
トヨタ契約ドライバー
としての活躍など、
短い生涯に驚くほど
濃密な軌跡を刻みました。


千葉県市川市生まれ(1942年) 
名家の出で、
父は自動車教習所を経営
するほどの車好き

幼少期から車・バイクに親しむ環境で育つ
中学3年で50ccバイクに乗り、
市川〜大阪の1500kmを単独走破

この旅をまとめた手記が
『がむしゃら1500キロ』 

高校中退後、
単身アメリカへ渡り、
働きながら夜間高校に通う
北米大陸をバイクで放浪し、
草レースで「カミカゼ・ボーイ」と呼ばれる

この時期の日記が
『俺様の宝石さ』として出版される 

帰国後、トヨタに自ら売り込み、
トヨタ契約ドライバーに

1964年:
第2回日本グランプリ 
T-Vクラスにコロナで参戦

1965年:
ホンダS600改造車「カラス」
で鈴鹿クラブマンレース優勝 

船橋サーキットの
GT-1クラスで“鬼神の追い上げ”
と称される大逆転優勝

その走りは
「日本人初のF1ドライバーに
なっていたかもしれない」
と評されるほどでした。

1965年8月20日、
鈴鹿サーキット練習走行中に
コース上の歩行者を避けてクラッシュ

水銀灯に激突し、
翌21日に脳内出血で死去(23歳) 
死後、「速すぎた男」として語り継がれ、
数々の書籍・展示が続く
 

「ヨタ8」と呼ばれた

空冷800㏄のエンジンを

乗せた「トヨタ800」

2気筒の水平対向エンジン

 

親が乗っていた

パブリカのエンジン

ですね。

バタバタ・って

音がするんですよ(笑)

 

小学生の頃・

近所にこのクルマが

置いてありました。

 

実は一度だけ

運転席に乗せて

貰ったことが

ありました。

 

その時の感覚が

今のコペンに

繋がっていると

思います。

 

私が5歳の頃の人ですから
そんな人がいたんや・
ぐらいなんですが、
何か親近感があるんですよね・


彼の人生の中で一番興味が
あるのは、彼はお寺か神社で
何かの啓示を受けているんですよ・

彼はそのとき、
「世界はただの偶然ではない」
「すべてはつながっている」
という感覚を、
言葉ではなく“体感”として受け取った。

彼は後の書籍で語っています。

 

私は死にませんでしたが・
同じ歳くらいに
カートで似たような事故に
遭いました・

平日のサーキットで練習中・
前日に行われたレースの
ポール・ポジションタイムを
目標に全開走行です。

一番速度が出ている
ストレート・エンドの1コーナー
入口で進入してきたカートと
接触・

高さ2メートルくらいを
8メートルほど飛んでいきました・

たぶんカート初心者さんやから
進入の仕方をよく知らなかった
と思います。

幸い私は軽い怪我で済みました。
かなりショックでしたけどね(笑)

だから東次郎さんの話を読んで
驚いたものです。

あそこまで動体視力が稼働して
いる時に事故などに遭うと
見えてる全てがスローモーション
になるんですよ・

実体験してよく判りました。
人間の身体って凄い機能です。

 


話は戻って・
23歳で散った“未完の青春”

——浮谷東次郎の核心は、
まさにここにあります。 
 
彼の人生は短かった。
しかし短いからこそ、
未完のまま永遠性を帯びた。


仏教で最も根本的な思想で、
「この世界に“単独で存在するもの”
は一つもない」  
という真理を指す。

一時的かもしれませんが
彼はそれを啓示として体現した
すべてはつながっていると理解した

これらはすべて、
無数の因(原因)と縁(条件)が
重なり合って生まれた“必然の現れ”だと見る。

つまり仏教では、
「意味があるから起こる」のではなく、
“起こったことそのものが意味を帯びている”  
と考える。

私が Aiso Logic に感じた
「すべてがつながっているような感覚」
は、まさに縁起の体感に近い。


縁起をより
“人生の物語”として捉えた言葉が 因縁。
出会うべき人に出会う
聴くべき音楽に出会う
必要なタイミングで心が揺れる
こうした“流れ”を、仏教では因縁として理解する。

私が音楽や神話に感じる
「導かれているような感覚」は、
因縁の理解に非常に近い。

いつも思うことですが

老年は山登りに似ている・
登れば登るほど息切れするが・
視野はますます広くなる。

この名言どおりです(笑)


東次郎さんはどこか
セナに共通するものが
ありますね。・

ご冥福をお祈りします。

合掌・

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

作詞・作曲:伊勢正三
発表時期:伊勢正三の成熟期
(70年代後半〜80年代初頭)
に属する作品

舞台(最有力説)
福岡市東区・和白交差点付近の
旧国道3号線・
(現・国道495号線)

 

~海の中道へ向かう道

この曲は、
伊勢正三の“風景叙情”が
最も透明に結晶した作品のひとつ。

この曲は自分ベストの中でも
爽やかな和音進行がお気に入りです。

 

その交差点を左折すると、
かつては 海の中道(志賀島へ続く一本道) 
に出る唯一のルートだった。

伊勢正三さんはその道を走りながらの
情景を歌にしたと考えられます。


伊勢正三さんは大分県出身で、
九州の地理には馴染みが深い人物です。

 

福岡東区の海の中道は、
1970年代〜90年代にかけて
地元の人々にとって“海へ行く道”
の象徴的な場所でした。

両側が海に挟まれた一本道
志賀島へ続くドライブコース
休日は大渋滞するほど人気のスポット
 

1990年代以降は
海の中道大橋の開通で交通が変化

こうした背景は、
曲の持つ「懐かしさ」「季節の移ろい」
「思い出の海」
というテーマと深く響き合います。

 

曲の情景との一致

“海へ向かう道に吹く風”

“忘れさられた海”

“あの街並が見える 遠く霞んで”


といった描写は、
和白から海の中道へ向かう際に
実際に見える風景と驚くほど一致します。

 

補足:公式情報には地名の明示はない

伊勢正三さん本人が
「3号線=福岡の和白」と明言した資料
は見つかりません。


しかし、地元の地理・時代背景・
歌詞の情景の一致から、
最も有力な解釈として受け入れられています。

 

なぜ「左に折れる」という動作が象徴的なのか

左折は“寄り道”であり、
“本来の道から外れる”動作です。
右折は「大きく方向を変える」象徴ですが、
左折はもっと静かで、ためらいを含んだ動き。

伊勢正三さんの歌世界では、
“人生の本道”から少しだけ外れてしまう瞬間が、
しばしば「別れ」や「後悔」と結びつきます。

左折が象徴するもの

迷い

未練

本来の未来からの逸脱

一度だけの寄り道が、
取り返しのつかない分岐になること

「3号線を左に折れ」は、

“海へ向かう道”という

開放的なイメージを持ちながら、
実は 人生の分岐点を静かに踏み外す動作
として描かれています。

 

曲全体の物語構造
この曲は、典型的な“起承転結”ではなく、
“回想の円環構造”でできています。

 現在の自分(語り手)
すでに別れは起きている

しかし、心はまだ“あの日の左折”
に囚われている

風景がふと蘇ることで物語が始まる
 過去の情景(回想)

3号線

左に折れる

海へ向かう

風、光、季節

そのときの会話や沈黙
ここで描かれるのは“事件”ではなく、
取り返しのつかない選択の瞬間。

 現在へ戻る(円環)
風景は消える
しかし心の中ではまだ続いている

“あの左折がなければ”

という静かな後悔が残る

この構造は、
人が人生の分岐点を思い返すときの
心の動きそのものです。

 伊勢正三が描く「別れ」と「選択」の美学


伊勢正三の“別れ”は、
ドラマチックではなく、
静かで、淡く、しかし深く刺さる。

 選択はいつも“ささやか”である

大きな決断ではなく
ほんの小さな動作
たとえば「左に折れる」だけ

しかし、その小さな選択が
人生を決定的に変えてしまう。

これは伊勢正三の美学の核心です。

 

別れは“気づいたときには終わっている”
伊勢の歌には、
「別れよう」という言葉はほとんど出てきません。

代わりにあるのは

風景

季節







つまり、
風景の変化が心の変化を語る。

過去は“風景として”残る
伊勢正三の歌の登場人物は、
過去を“感情”ではなく“風景”として思い出します。







霞む街並み

これは、
人は本当に大切な記憶ほど、風景として保存する  
という彼の感性の表れです。

総合すると
「3号線を左に折れ」は、
単なる地理的描写ではなく、

人生の本道から、
ほんの少し外れてしまった“あの日”の象徴  


その小さな逸れが、
取り返しのつかない別れ
につながったという痛み  

そして、今もなお風景として残り続ける記憶
これらが重なり合ってできた作品です。

ここで、50年にわたる私の誤解を
お話します。(笑)

この曲を聴いていた頃
私は中学生~高校生の頃・


従って感覚的に「海」の
持つイメージを持って
爽やかな感覚になって
いたのですが、

突然・「ストーブ」が
出てきます。

一瞬「なんで?」って
思っていたんですが・

伊勢さんは「かぐや姫」だし
ここは生活感あるワードが
お約束なのかなぁ・・

何て思ってました。

しかし・よくよく調べて
みると、
フォークだから、
生活感を出したかった? 
 
~そういう単純な話では
実はないんです。

むしろ逆で、
あれは伊勢正三の「時間のズレ」
を象徴する装置なんです。

ストーブって、本来は
季節が終わったら片づけるもの。
つまり「もう使わないはずのもの」  
なんです。

それを、あえて歌の中で
“しまっておいたストーブを出す”  
という動作にする。

ここに伊勢正三らしい“ねじれ”がある。
外の季節は春や初夏に向かっているのに、
心の中はまだ冬のまま。
だから、
しまったはずのストーブをまた出す  
という“逆行”が起きる。

これは
別れを受け入れられない心の状態  
を象徴している。


「終わったはずのもの」を再び抱きしめる」

ストーブは
暖かさ
安心
寄り添い
家の匂い
そういう“ぬくもり”の象徴。
つまり
終わった恋のぬくもりを、
まだ手放せない  
という心の動きが、
“しまっておいたストーブ”
に託されている。

生活の中の“ひとつの動作”に
心理の深層を折りたたむ  
のが彼の作風。

だから、
「ストーブ」=生活感
ではなく、

「しまっておいたストーブ」=心の季節のズレ  
なんです。

伊勢の歌にはよく出てくるんです。

春なのに冬の匂い

夏なのに風が冷たい

季節が変わっても心だけ取り残される

これは彼の“別れ”の描き方の特徴で、
時間は進むのに、心は進めない  
という痛みを、季節のズレで表現する。

“しまっておいたストーブ”は、
その象徴として完璧なんです。


伊勢正三の歌は、
生活の中に“心の裂け目”
が隠れているから面白い。

 

若い頃には気がつかなかった・・

 

 

「爽やかな和音進行がお気に入りです。」
と書きましたが・

なぜこの曲の和音進行は“爽やか”なのか?
伊勢正三の黄金期の特徴は、
メジャーコードを基調にしながら、
切なさを残す微妙な転調と経過音にあります。

特にこの曲は、
メジャーの開放感
ほんの少しのマイナーの影
経過音による“風が抜けるような”響き
これらが絶妙に混ざっている。

爽やかさ=明るさではない。

「明るい和音の中に、取り返しのつかない影が差す」
この“影の薄さ”が爽やかさに転じている。
だから聴くと、
風が吹き抜けるような感覚があるのに、
胸の奥が少しだけ痛む。

ちょいとワサビが効いてるような(笑)

作曲家としての伊勢正三が

最も冴えていた時期の代表作のひとつです。

メロディの伸びやかさ  

 70年代フォークの枠を超えて、
 ポップスとしての完成度が極めて高い。

和音の選び方が成熟している  

 若い頃の“湿った叙情”ではなく、
 “乾いた透明感”が出ている。

歌詞と和音の一致度が異常に高い  

 “左に折れる”という静かな動作に、
 あの和音の流れが完璧に寄り添っている。

声の質が最も美しい時期  

 伊勢正三の声が最も“風景を描けた”時代。

つまり、

作詞・作曲・歌唱・感性のすべてが揃った時期の作品。


伊勢正三の美学は、
別れを“湿らせない”ことにある。
泣かない
叫ばない
引き止めない
感情を露骨に語らない

その代わりに、
風景と和音で痛みを描く。
凄いですね・・
だから聴くと、
“気持ちいいのに胸が締めつけられる”

という独特の感覚が生まれる。

 

伊勢正三の黄金期のコード進行には、
3つの特徴があります。

・メジャーを基調にしながら、

マイナーの影を一瞬だけ差し込む

伊勢の“爽やかさ”は、

メジャーコードの開放感がベース。

しかし、完全に明るくはしない。

メジャー → 経過音 → 一瞬のマイナー

あるいは、メジャーの代理コードで“影”を作る

この“一瞬の影”が、

爽やかさの中の痛み の正体。


・経過音(passing tone)で“風が抜ける”

伊勢正三の曲は、

コードとコードの間に“風”が吹く。

ただの I → IV → V ではなく

I → I△7 → I6 → IV のように

 メロディが滑らかに移動する

この“滑らかさ”が、

海沿いの道を走るような爽快感を生む。

しかし同時に、

どこか遠くへ行ってしまう感覚も生む。

・終止形を曖昧にする

普通なら「ここで終わる」という場所で、
伊勢はあえて“終わらない”。

完全終止を避ける

余韻を残す

次の景色へ続くようにする

これが、

爽やかさ=風景の広がり  

痛み=終わらない記憶  

という二重構造を作る。


これは、伊勢正三という作家の

“人生観”に直結している。

伊勢の歌はいつも、

現在:爽やか

過去:痛み

という二重構造になっている。

つまり、

今は晴れているのに、

心の奥には曇りが残っている  

という状態。

この“ズレ”が、

伊勢正三の美学の中心。

だから、

爽やかさの中に痛みがあるのではなく、

痛みを爽やかさで包んでいる 
 
と言った方が正確。

 

伊勢正三さんは、
コードネームだけでは
絶対に説明できない“癖”を持っています。

むしろ、
指の置き方そのものが作風と言っていい。

伊勢正三のギターの核心

結論から言うと、伊勢正三のギターは

「押さえないことで生まれる透明感」  
「開放弦を残すことで生まれる痛み」

この2つが柱になっています。

普通のフォークギタリストは
“押さえて響きを作る”
のに対し、

伊勢正三さんは
“押さえないで響きを作る”。
これが唯一無二の爽やかさの源。

・伊勢正三の代表的な“運指の癖”

  運指(フィンガリング)

G → G△7 → G6 の「薬指を離す」運指

伊勢正三の“風が抜けるG”は、

薬指を離すだけで色が変わるという

魔法のような運指。

G(薬指:6弦3F)

G△7(薬指を離す → F#が浮き上がる)

G6(さらに中指を浮かせる → Eが鳴る)

つまり、

押さえる → 浮かせる → 浮かせる  

という“脱力の連続”で色彩が変わる。

この“浮かせる”動作が、

 爽やかさの正体。

C → Cadd9 → Cmaj7 

の「小指を足す・離す」

伊勢正三はCコードを“固定”しない。

C

Cadd9(小指を3弦に足す)

Cmaj7(人差し指を浮かせる)

この 足す/離す の連続で、

“風景が揺れるようなC”が生まれる。

特にCmaj7は、

痛みのある透明感を作る伊勢の必殺技。

Dsus4 → D の「薬指のスライド」

伊勢正三はDコードを“止めない”。

Dsus4(3弦3F)

D(3弦2F)

この 1フレットのスライドが、

“ため息のような解決”を生む。

伊勢の曲の“切なさ”は、

実はこの 1フレットの動きに宿っている。

Em7(開放弦を最大限に使う)

伊勢正三のEmは、

“暗さ”ではなく 遠さ を表す。

Em

Em7(3弦開放を残す)

Em(add9)(2弦開放を残す)

つまり、

押さえない弦を増やすほど、

風景が遠くなる。

“霞む街並み”は、

この開放弦の多さから生まれている。


特にCmaj7・
このコードを弾くと
伊勢さんの世界に
なってしまって
一時期困りましたよ(笑)


特にギブソン・ハミングバード
あれもええ音します。
艶のある感じ・
やはり高いギターはちゃうね・
と納得したものですが
J‐45でも申し分ない・
 

私のような素人には

伊勢さんのコード技法には
音の良いギターでないと
叶いません(笑)・・


そんなギター少年時代の
曲ですね。


年寄りのリハビリに
ギター弾きます(笑)

 


伊勢正三さんはサビ前に

一瞬だけ影を入れる・

という癖があります。

 

C → Cm → G

これはフォーク黄金期の

“泣きの進行”ですが、

 伊勢さんはこれを

湿らせずに透明に使う。

 

C(明るい)

Cm(影が差す) 

G(元の光に戻る)

この一瞬のCmが

胸の奥の痛みの

正体・

 

これこそが

70年代フォークを

J₋POPへ繋げて

いったひとつですね。

・・・

 

 






 


 






 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

歌謡曲からの最強・

1977年にCharが発表した代表曲で、
阿久悠の詞と梅垣達志の作曲による
“艶と危うさ”をまとった恋の歌です。  

アーティスト:Char
発売:1977年6月25日
作詞:阿久悠
作曲:梅垣達志
編曲:佐藤準
ジャンル:歌謡曲/J-POP

30万枚を売り上げたヒット曲 で、
Charにとって初の“自作ではない
”シングル曲でもあります。

 

“嘘と誘惑と依存”が渦巻く、
危険な恋の心理劇


歌詞の中心にいるのは、
男を翻弄する女性 と、
それと分かっていながら
堕ちていく男。

「どんな嘘をついてやろうかと考える」

「ああまただまされると思いながら

  ぼくはどんどん堕ちて行く」

「うまく行く恋なんて恋じゃない」

このフレーズ群が示すのは、
“破滅的であるほど恋は本物になる” 
 という阿久悠らしい、
鋭くも退廃的な恋愛観です。

 

昭和ですね~♪

みんな・このフレーズに
惑わされたのかも
しれませんね(笑)

 

今でも

水商売はこれが

売りです・(笑)

 

音楽コラムでは、
この曲の魅力が次のように語られています。

アコースティックギターとエレキの“絶妙な塩梅”
ストリングスや金管が加わる華やかな編曲
ブルース/R&B/歌謡曲/ロックが
混ざり合う独自の色気
間奏のエレキソロは「太く存在感のあるトーン」と評される
曲中で マイナー→メジャー→マイナー と転調し、
恋の“のぼせ”と“冷静な真理”を音で描き分けている

特に
「ああまただまされると思いながら〜」でメジャーに転じる瞬間 
 は、恋の快楽と破滅の境界が一気に開く名場面とされています。

 

“昭和の色気と危うさ”
を象徴する名曲として、
後世にも強い影響を残しています。

「気絶するほど悩ましい」の世界は、
仏教的に読むと

“煩悩の構造がそのまま
恋の形をとって現れたもの”
 として非常に鮮明です。  

この曲が描くのは、

単なる恋愛ではなく、
欲望・執着・無明(気づかないこと) 
が絡み合う“心のドラマ”です。

 

心を乱す三毒のひとつが 
貪(とん)=欲望・求める心。

この曲の主人公は、
「だまされると分かっているのに、
 なお惹かれてしまう」
という状態にあります。

仏教的に解説すると・

これは、

“快楽への渇望”が

理性を超えてしまった状態
自分の心が自分を裏切る瞬間
と解釈されます。

 

恋という形をしていても、
実態は 欲望が主体を乗っ取る
プロセス です。

 

無明とは、
物事の本質が
見えなくなる心の暗さ。

この曲の世界では、
相手の嘘や危うさを
知りながら、

それでも“見ないようにしている”

主人公がいます。
仏教では、
分かっているのに
分からないふりをする

真実よりも快楽を選ぶ
という状態は、典型的な無明の働きです。

 

恋の陶酔は、
しばしば“甘い霧”となって
真実を覆い隠します。

 

すべての関係は“縁”
によって生まれ、
維持され、変化し、消えていく  
と説かれます。


この曲の男女の関係は、
男の“弱さ・渇望”
女の“嘘・誘惑”
互いの“孤独”
そして“破滅への憧れ”

これらが絡み合って
成立している 縁起の関係 です。


つまり、
“どちらか一方が悪い”のではなく、
互いの心の影が呼応して、
この関係を生み出している。

この関係は
「因と縁が揃ったからこそ起きた現象」であり、
善悪ではなく
 “心の働きの結果” として理解されます。

 

この曲の核心は、
“うまくいかない恋ほど燃える”  
という逆説的な心理。

これは典型的な 執着 の構造です。
手に入らないからこそ求める
苦しいのに離れられない
破滅の予感が快楽を強める


執着は、
苦しみを生むのに、
それを快楽と錯覚させる  
という性質を持っています。


この曲の世界は、
まさにその“執着の美学”
が前面に出ています。

仏教では、
欲望に基づく快楽は必ず苦を伴う
  と説かれます。

この曲の“色気”や“危うさ”は、
そのまま 苦の予兆 でもあります。



だまし

堕ちていく感覚

破滅への予感

これらはすべて、

快楽の影としての苦 を象徴しています。


恋の甘さと苦しさが

同時に存在する世界──

それは仏教的には

「煩悩の働きが最も美しく見える瞬間」です。

 

この曲は、
恋を描いているようでいて、
実は“煩悩の構造そのもの”を描いている。  


だからこそ、聴く者の心に深く刺さる。

欲望

無明

執着



そして縁起

これらが絡み合い、
“破滅的であるほど美しい”という、

非常に象徴的な世界が
立ち上がっています。

 

でも・・!

「恋は過程の一部に過ぎない・・」

恋は目的ではなく、
心が成熟していくための“通過儀礼”である  
という視点です。

仏教では、
恋は 渇愛(かつあい)
=満たされない渇き 
から生まれるとされます。

だからこそ、
うまく行かない
手に入らない
不安がある
こうした“欠け”が恋を燃え上がらせる。

逆に言えば、

欠けが満ちた瞬間、恋はその役割を終える。

幸せ(安楽)は 心が静まった状態 を指します。

しかし恋は、

心を乱し
欲望を刺激し
不安を生み
執着を強める

つまり、

恋そのものは
 心を揺らす現象 であって、
安らぎそのものではない。

だからこそ、
恋は幸せの条件ではなく、
幸せへ向かう途中の現象  


恋が順調に進むと、
渇きが満たされ、執着が弱まり、
心は安定へ向かいます。
そのとき恋は、

慈しみ(メッタ)や

信頼(サッダ)へと変質する。

つまり、

恋 → 愛

欠如 → 安心

執着 → 信頼

苦 → 静けさ

へと移り変わる。

この変化は“成就”ではなく、
関係の質が変わるだけ。

だからこそ、

「うまく行く恋なんて恋じゃない」

という言葉は、恋の“終わり”ではなく、
恋が次の段階へ移行した合図 と読める。


人間関係はすべて
 縁起 によって生まれ、変化し、消えていく。
恋もその一つであり、
人生の中心ではなく、
縁の流れの中の一つの現象。

だからこそ、

恋がうまく行こうが行くまいが、
それは人生の“全て”ではなく、
心が成熟していく
過程の一部 にすぎない。

恋を“絶対視”せず、
人生の流れの中での
位置づけとして捉える。


恋は燃え上がり、
やがて静まり、
別の形へと変わっていく。
その移ろいこそが、
人を深くし、成熟させる。

 


最近の恋愛ベタな
若者たちよ・

恋は盲目・
となりませんように・・

 

て・なるか(笑)

 

お覚悟を・・

 

この頃からジャズ・フージョン系

サウンドやバンドが出てきた頃・

 

Cherも「闘牛士」なんかで

使ってたローランド・のアンプ

当時は欲しかったな~って

思い出します。(笑)

 

コーラス・サウンド

好きでした。

 

今ではスタジオなんかに

自然と置かれてますね♪

 

長きにわたり名機です。

 

 

 










 

 







 

 

5月1日はセナの命日です。

いらない情報ですが

私は同じ歳(笑)

過日・モナコGPで松任谷由実さんが

セナとお会いしている

TVを観た事がありました。

 

松任谷由実「Hello, my friend」は
“追悼曲として

作られたわけではない”ものの、
  
その原型となった曲

「Good-bye friend」
は、アイルトン・セナの死を

悼んで書かれた作品です。

ユーミンがセナの死を悼んで書いたのは

「Good-bye friend」
しかしドラマの主題歌としては

重すぎるため、
サビ以外を作り直して生まれたのが

「Hello, my friend」

つまり「Hello, my friend」は

“追悼の影を宿した派生曲”

ユーミンとセナの関係

1991年モナコGPで初対面

同年の鈴鹿で再会し対談

その後もユーミン夫妻とセナは親交を持ったとされる

ユーミンはセナから

「To Yuming with Love」  

と書かれたブラジル国旗のウイニングフラッグを贈られ、

今も大切に保管しているという証言もあります。


ユーミン自身、
セナの死を“受け止めきれない喪失”として抱え、
その痛みが「Good-bye friend」に結晶化し、
その影が「Hello, my friend」に残った。

だからこの曲は、
夏の終わりの歌でありながら、
“時代の終わり”の歌にも聴こえます。

 

この写真は5月1日・

レース前に撮られたもの

 

現地に観戦に行っていた人から

頂いたものです。

今でも大事にしています。

 

アイルトン・セナは、

1980〜90年代のF1を象徴する
“史上最高のドライバーの一人”であり、

3度の世界王者・通算41勝・
65回のポールポジションを記録した
伝説的存在です。  

 

そんな・アイルトン・セナの命日は 
1994年5月1日 です。  

イタリア・イモラで行われた
F1サンマリノGP決勝中、
タンブレロ・コーナーでの事故
により亡くなりました。

 

公式の死亡時刻:
現地法により 14時17分 と記録。
私はこの時間に深い黙祷を
捧げます。 合掌・

 

事故はF1史に深い影響を残し、
安全基準の大幅な見直しにつながりました。

 

セナは、他の誰よりも速さを求め、
他の誰よりも限界に近づき、
他の誰よりも“生きること”
を強く燃やした人でした。

その生き方は、仏教的に言えば
「業(ごう)の純度が極端に高い人」  
です。

業とは、
その人の選択・行動・価値観が
積み重なって形成する“流れ”。

セナはその流れを、
普通の人が避けるような領域まで
研ぎ澄ませてしまった。

だからこそ、
彼の死は“必要”ではないが、
彼の生き方の延長線上に
あったことは否定できない。

宿命というより、
生き方の純度が極限まで
高まった結果としての帰結  
と見る方が近い。


セナは生前、何度もこう語っている。
「限界を超えたとき、私は神を感じる」  
「恐怖はある。しかし恐怖があるからこそ進める」
これは、死を望んでいたという意味ではない。

ただ、
“死を避けるために生きる”
という生き方をしていなかった  
ということ。

仏教的に言えば、
死を恐れない者は、死に近づくのではなく、
生を極限まで濃くする。

セナはまさにそのタイプだった。

 

宿命という言葉を使うなら、
セナの宿命は“死ぬこと”ではなく、
「限界を超え続けること」  
だった。

そして限界を超え続ける者は、
常に死の近くに立つ。
これは運命論ではなく、
生き方の構造として避けられない。

だからこそ、
彼の死は“予見可能だった”
と言う人もいるし、
“避けられたはずだ”と言う人もいる。
どちらも正しい。

 

セナの死は、
F1の安全基準を根本から変えた。
コクピットの強化
サーキットの改修
衝撃吸収技術の進化
医療体制の刷新
彼の死が、未来の多くの命を救った。

仏教的に言えば、
彼の死は“無意味な終わり”ではなく、
因果の流れを変える力を持った。

これは、宿命というより、
彼の存在の影響力が死後も働き続けた結果・

 

F1は本質的に
速さを競う
限界を超える
事故と隣り合わせ
成功すれば莫大な名声と

金が得られる

という、
極めて“人間の欲望”を

刺激する構造を持っていました。

これは古代ローマの剣闘士と同じで、
観客は“死の可能性”を
含んだスリルを求めていた。

だからこそ、
F1は長く“危険であること”

が魅力の一部だった。

 

セナは、危険を恐れず、
むしろ危険の中でこそ
輝くタイプのドライバーでした。

雨の中での異次元の速さ
限界を超える集中
死を恐れない精神性

彼は、F1という“残酷な舞台”において、
最も美しく、

最も純粋に燃えた存在だった。

 

だからこそ、
彼の死は“競技の本質”を突きつけた。

そして・・
「あまりに失ったものが大きかった」  
これは、F1界全体が感じたことです。

セナの死は、単なる事故ではなく、
F1という競技の“魂”
が失われた瞬間だった。

彼の才能
彼の精神性
彼の哲学
彼が象徴していた“限界の美学”

これらが一度に消えた。

その喪失は、
競技の魅力そのものを奪った  
と言っても過言ではない。

 

セナの死を境に、

F1は大きく変わった。

サーキットの改修
マシンの安全性向上
速度の抑制
危険な走りの禁止

これらは必要な改革だった。

しかし同時に、
F1は“危険と美の境界”を失った。

仏教的に言えば、
一つの縁が尽き、別の縁が生まれた瞬間。
危険と美が共存する“旧F1”は終わった

安全と技術が中心の“新F1”が始まった

しかし、
旧F1の象徴だったセナが死んだことで、

その世界は完全に閉じた。


F1が失った最大のものは、
技術でも、スピードでも、危険でもなく、
“精神”──つまり、あの世界を支えていた
価値観そのものだった。

 

これは、
セナという一人の人間の死以上に
大きな意味を持っています。


限界を超えることに意味を見出す精神
危険を恐れず、
むしろ危険の中で美を見つける精神
技術よりも“
人間そのもの”の強さを信じる精神
勝つためではなく、走るために走る精神

セナはその象徴だった。

彼の走りは、
「速い」ではなく
“祈りのように純粋”  
とさえ言われた。

 

セナが亡くなった瞬間、
F1は自分たちが立っていた地面が
崩れたことに気づいた。

なぜなら、
危険と美の境界線を歩く精神の
象徴が消えたから。

その結果、F1はこう変わった。
危険を避ける方向へ
技術とデータが中心へ
人間の“魂”よりもマシンの“性能”が主役へ

これは進化であり、同時に喪失だった。

 

F1はもともと残酷な側面を持つ競技だった。
しかしその残酷さを、
美しさに変えていたのが“精神”だった。

命を賭ける覚悟
限界を超える意志
恐怖を抱えたまま前に進む勇気
これらが“競技を超えた何か”を生んでいた。

セナの死後、
その精神を体現する存在は現れなかった。
 

だからこそ、
F1は続いているのに、

あの時代は二度と戻らない。

ロウソクは、
ゆっくりと蝋が減り、
炎が小さくなり、
やがて静かに消えていく。

これは、
生命が老い、弱り、
終わりへ向かう自然な流れ  
そのもの。

セナは、
衰えも、老いも、陰りも見せなかった。

むしろ、
まだ燃え盛っていた炎が、
一瞬で吹き消された。

その“あっけなさ”は、
自然の死ではなく、
時代そのものが
断ち切られたような衝撃を与えた。

 

仏教でも、

死そのものより、
死の“あり方”が人の心に影響を残す  
と説かれます。

徐々に消える灯 → 受け入れられる

突然消える灯 → 心に“空白”を残す

セナの死は、
その“空白”があまりに大きかった。

それは、
彼が象徴していた精神そのものが
突然失われたから。


人間は、
強く見えても、才能があっても、
どれほど精神が純粋でも、
一瞬で消えてしまう存在です。

その儚さは、
弱さではなく、
生の本質そのもの。

セナの死が突きつけたのは、
「人間は永遠ではない」という
当たり前の事実を、
あまりにも鮮烈な形で
見せられたということ。

だからこそ、心が揺れた。


仏教では、
無常(変わり続けること)こそが、
生を深くする  
と説かれます。

永遠ではないからこそ、
行動に重みが生まれ
選択に意味が宿り
精神が磨かれ
人は真剣に生きる

セナの生き方は、
まさにその象徴だった。

儚いからこそ、
彼の精神は強く輝いた。


セナの死は納得できない。

しかし、彼の“生”は明確だった。
限界を恐れない
精神の純度を保つ
自分の信じるものに忠実である
危険の中で美を見出す
生きることを濃くする

学ぶべきは、
死の理由ではなく、生の姿勢です。
32年目の命日・・

ロータス新人時代・

リタイヤでマシンの回収を

待っているセナ・

 

 









 

 



 

 








 

 

 

 

 


 

 

 

Ryuichi Sakamoto 

Live at Tokyo Japan 2005

今だからこの伝わる

彼のメッセージ・

 

「アバランシェ」

ゲンバラ・ポルシェの
有名なクルマでした。

縁あってお会いして
握手までしてもらった
ウーベ・ゲンバラさん

 

身長はそんなには
変わらなかったけど
手の大きい方でした。

最近はどうしているのかな
と、検索していたら、
何とイタリアのマフィア?に
殺害されて南アフリカで
発見されたとのこと・
ホンマかいな?って感じ・汗

 

現在・会社は息子さんが
経営されているとのこと
ですが・

なかなかのショッキング・
というかドラマチックな方
ですね。驚きました。

当時・マスコミ報道されて

現地の新聞にも掲載された
そうですが、
本人の確認は奥歯のみ・
という微妙なもの
ひょっとしたら生きている


影に隠れてデザイナーは
続けているとか・
噂は尽きません。

リーマン・ショック以降・
当時は会社も倒産したり

資金繰りで危険な
南アフリカまで赴いていた
という話もあるので

保険金や微妙な裏話まで
3面記事のネタになってます・

なんであれ、生きていて
くれるなら良いですけどね(笑)

 


旧知の人の死が「因果応報」という形で
私たちに投げかけてくるメッセージは、

外側の“罰”ではなく、
内側の“気づき”として現れることが
多いと思います。

それは

「その人が悪かったから死んだ」
というような浅い話では決してなく、
もっと静かで、もっと深い“鏡”のようなものです。


誰かの死に触れたとき、
私たちは必ず自分の生き方を見つめ直します。

「自分はどう生きているのか」

「何を大切にしてきたのか」

「何を後回しにしてきたのか」

死は、強制的に“現在地”を見せる力を
持っています。

これは因果応報というより、

因果の“照射”です。


人はそれぞれ、
自分の行動・選択・心の癖によって
人生の流れを作ります。

旧知の人の死に触れたとき、


「この人は何を抱えて生きていたのか」

「どんな因果がこの人をここまで連れてきたのか」

と、外側からその“流れ”を理解することができます。

それは裁きではなく、人生の構造を学ぶ機会です。


不思議なことに、私たちが強く心を動かされる死は、

多くの場合 自分の中にも同じ因果の種があるとき です。

・同じ弱さ

・同じ逃げ方

・同じ怒り

・同じ孤独

・同じ無理の仕方


その人の死は、

「あなたの中にも同じ流れがあるよ」
と静かに知らせてくる。

これは“罰”ではなく、
未然に気づかせるためのメッセージです。


仏教的に言えば、因果応報とは
“善悪の罰”ではなく、
“原因が結果として現れる”というだけのこと  
です。

だから、

旧知の人の死を見たときに本当に大切なのは、
「この出来事は、私に何を見せようとしているのか」
という問いです。


旧知の人の死に対して、
あなたが何かを感じたということは、

その死があなたの中の
どこかに触れたということです。

・恐れ

・後悔

・怒り

・哀しみ

・不思議な納得

・説明できないざわつき

その感情そのものが、
あなたへのメッセージの本体です。

あなたがその時・
感じた・
“違和感”や“ざわつき”こそが
あなたへのメッセージなんです。

人生も残りが僅かになってくると
様々なメッセージや悟り・学びが
あります。

決して見逃しませんように・・

全てに意味があります。

 

 

言わずと知れた名曲・

 

作詞・作曲:大貫妙子

初出:1980年アルバム『ROMANTIQUE』

後年、アコースティック版も発表されている(2009年)

 

坂本龍一さん自身が、 後に

「これは自分が大貫のもとを

 去った時の歌だ」

と語っている。

 

つまりこちらは“現実に起きた別れ”。

 

1970年代、

シュガー・ベイブ時代の大貫妙子と、

プロ活動を始めたばかりの坂本龍一は、

ライブハウスやレコーディング現場で

交流を深めるようになる。

 

大貫の証言によれば、坂本が彼女の家に来て

“そのままずっといた”

という自然な流れで同棲が始まった。

 

LP棚のレコードを

片っ端から聴き、

音楽談義に没頭する

日々だったという。

 

別れた後も関係は続き、

2010年には二人だけのアルバム

『UTAU』を制作。

 

 坂本は

「親戚のような関係になった」

と語っている。

 

歌詞では、

 

新しいシャツに袖を通す“あなた”

それを見つめながら、別れを悟る“私”

「崩れてしまうのが恐いだけ だから何も言えない」

 という声に出せない別れの痛みが淡々と

しかし深く描かれています。

 

大貫妙子らしい、

静けさの中にある激しい

感情が際立つ作品です。

 

坂本龍一さんは後に

この曲の歌詞を聴くとつい

泣いてしまう・

と書いています。

 

彼が涙した理由は、この曲が

自分が大貫妙子もとを去った時の出来事・

を歌った作品であり

 

演奏するたびに当時の記憶と罪悪感が

よみがえるためだと本人が自叙伝で

語っているからです。

 

その後も長きにわたり

二人の音楽的関係は続いて

行きますが・

 

伴侶としての縁は無かったという

ことです。

 

仏教的に言えば、

伴侶として結ばれなかった縁・

は、縁が尽きたのではなく

その関係が果たすべき役割を

果たし終えた・

という理解になります。

 

つまり、 夫婦にならなかった

~失敗ではなく・

その形で結ばれる必要が

なかった縁・

という非常に静かで成熟した

見方が可能です。

 

仏教の基本:

縁は「結ぶ」ものではなく「結ばれる」もの

 

仏教では、

 

因(原因)

縁(条件)

果(結果) 

という三つの働きで物事が生じると考えます。

 

恋愛や結婚も同じで、 

縁が熟した時に結ばれ・

 

熟さなければ別の形になる

というだけのこと。

 

そこに善悪や勝敗はありません。

 

「伴侶にならなかった縁」

 はどう扱われるのか

 

仏教的には、次のように整理できます。

「その関係は“別の役割”を果たした」

 

恋人

創作のパートナー

精神的な支え

人生の一時期を照らす存在

 

こうした役割を果たした時点で、 

その縁はすでに完成している・

と考えます。

 

夫婦になることだけが“縁の完成”ではない

 

仏教では、

縁の完成~結婚ではない

というのが重要です。

 

むしろ、

 

出会った

支え合った

影響を与えた

その後の人生を変えた

 

これらが起きた時点で、

縁は充分に働いている。

 

伴侶にならなかったのは

“縁の方向性が違った”だけ

 

仏教では、縁は方向性を持つ と考えます。

 

恋愛の縁

創作の縁

家族の縁

師弟の縁

一時的な縁

 

それぞれ別の方向に伸びる。

 

だから、恋愛の縁は深くても

夫婦の縁は別に存在しない

ということが普通に起こる。

 

夫婦の縁は愛情の深さ

ではなく、

生活を共にする因縁で決まる

という点

 

つまり、

 

深く愛していても夫婦にならない

そこまで愛情が強くなくても夫婦になる 

ということが普通に起こる。

 

仏教はこの現象を“自然な因縁の働き”

として説明します。

 

これは恋愛や結婚よりも深い場合があり、

仏教では「法縁(ほうえん)」

と呼ばれることもある。

 

坂本龍一さんと大貫妙子さんの関係は、

 まさにこの「創作の縁」に該当する。

 

夫婦ではないが、互いの人生と作品を

決定的に変えた縁という意味で

非常に強い。

 

過去世からの縁(宿縁)

過去の生での関係が影響する縁

 

出会った瞬間に懐かしさを感じる

理屈では説明できない強い引力

しかし必ずしも結ばれない

 

仏教では、 

出会った瞬間に深く惹かれるのに

伴侶にはならない・

 

という関係は宿縁の典型と

されます。

 

これは、前世で深い関係だったが

今世では別の役割を果たす為に

出会った・

という理解になります。

 

世の中・様々な男と女の

関係が渦巻いていますが・

 

縁という繋がりで見れば

なるほど・

 

ということでしょうか・・

 

そして後年・

大貫さんは元奥様の矢野顕子さんの

ピアノ演奏でこの曲を歌っています。

 

大貫さんも矢野さんも

お若い頃ですね。

 

元妻と元恋人・という

坂本さんを

繋ぐ関係ですが・

 

矢野顕子さんと大貫妙子さんの間に

“個人的な確執”があったという記録は一切ありません。

 

アーティストとして

クリエイターとして・

 

矢野顕子さん(音楽評論家・ライター)と大貫妙子さんは

1970年代からの同世代女性アーティスト・クリエイター

として深い信頼関係を築き、長年にわたり大貫妙子さんの

音楽性・生き方を言語化してきた理解者の関係にあります。

 

この世代の方々は本当に大人やなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1975年・アルバム Physical Graffiti

 

R・プラントは

サハラ砂漠をドライブした体験から

歌詞を着想しており、

実際のカシミール地方とは直接関係がない。

 

 “時間と空間の旅人”“砂漠の聖地”“シャングリラ”など、

神秘的でスピリチュアルなイメージが連続する。

 

ギターのリフは 3拍子 ドラムは 4拍子 これが同時に進む。

つまり、

  宇宙のリズムと人間のリズムがズレながら共存している 

という構造。

これが“異世界感”の正体。

 

反復するリフ

砂漠のような広がり

太陽の熱のような重さ

祈りのようなボーカル

オーケストラの荘厳さ

これらが重なり

 

  “人間の小ささ”と“宇宙の大きさ”

を同時に感じさせる音楽 になっています。

 

まさに今のイランのようなサウンド(笑)

 

面白いイラスト

見せてもらいました。

 

やはりあの人は
ジャイアン視されて
いるのでしょうか・

さしずめスネ夫は
あの国か・
と思ってしまいます。

 

日本のドラミちゃんも

困った状態ですね。

 

先行きが見えない
ようで、
何となく見えてきて
いるような

そんな感じですね。

いずれにせよ
私たちの生活に
大きな影響が出る
前になんとかして
もらいたいものです。
 

昭和の頃は

「無茶はしても無理はするな・」

とよく言われたものですが・

 

一言でまとめると

  • 無理=「条件が整っていないから、どうやってもできない」

  • 無茶=「できる可能性はあるが、常識や安全を無視してやろうとする」

この違いが本質です。

 

あの人がやっていることは無茶・

 

そもそも

ロシアのウクライナ

中国の台湾

アメリカの中東は

同じ構図に見えてくる。

 

大国の覇権が効かなく

なってきた時代という

ことでしょう。

 

どうしようもなく

行きずまってきた時

 

新しいものが生まれてくる。

 

昔から繰り返されてきた

歴史の法則です。

 

 

高校生時代に聴いたKISS

特にこの曲は他の曲には

無いものを感じていた・

 

調べてみると、

「She」は、KISS以前の

  Wicked Lester 時代から

存在した楽曲で、 

元々のタイトルは 

“She Walks by Moonlight”

 

収録Dressed to Kill(1975)

作曲:Gene Simmons

    & Stephen Coronel

   (元バンド Bullfrog Bheer 時代の曲)

録音:Electric Lady Studios(NY)

特徴:ハードロック、4:08、

   ライブでは1970年代前半から演奏されていた

 

どちらかと言えば

サイケデリック寄り。

 

 KISS版ではそれらを排し、

より重厚でダーティな

ハードロックに仕上げられています。

 

Ace Frehley のソロは、

The Doors「Five to One」の 

Robby Krieger のソロをベースにしており、

 

 さらに Pearl Jam「Alive」

 Mike McCready も

このソロを“コピーした”と認めています。

KISSの音楽史の中でも、

  「ロックの系譜がはっきり見える曲」として重要。

 

歌詞は非常に象徴的で、

  “性的魅力を持ちながら、

自分の価値を理解しないまま

破滅へ向かう女性”

を描いていると解釈されています。

特にポイントとなるのは:

 

“She walks by moonlight”

→ 夜に生きる、現実から切り離された存在感。

“Doing well for others / She doesn’t really know” 

→ 他人のために尽くすが、自分の価値を理解していない。

“I know she’s going down” 

→ 破滅の予兆を語るナレーターの冷静さ。

 

この曲は、KISSの中でも珍しく、

  退廃・官能・悲劇性が混ざった

“ダークな物語性”を持つ楽曲です。

 

若い頃には何も気にせず・

他の曲とは違うアレンジを

気に入っていたんですが

 

よくよく調べてみれば

前時代からの継承がある

曲だったんですね。

 

昭和の時代ならともかく

令和の時代ではこのような

曲はほとんどありません。

 

それだけに希少な曲と

なるのかもしれませんね。

 

KISSといえば

派手なロックンロールの

イメージが強いけれど、 

 

「She」はまったく違う。

  • 明るくない

  • 勝利の歌でもない

  • 逃避でもない

ただ、夜の底に沈んでいく人間の姿を描いた曲。

 

この“退廃の美学”が、

昭和の感性に響いたのだと思う。

 

しかし今は令和・

 

70年代のロックは、

  • 退廃

  • 破滅

  • 孤独

  • 影の美学

を“隠された本音”として描いた。

 

しかし現代は、

SNSやコミュニティ文化の影響で、

  弱さを隠すよりも、

共有することが価値になる時代になっている。

  • 「弱い自分を見せてもいい」

  • 「影を抱えているのは普通」

  • 「完璧じゃないほうがリアル」

こういう価値観が強くなっている。

だから、

昔のような“退廃の美学”は少し形を変えている。

 

現代の退廃は、もっと静かで、もっと日常的。

  • 情報過多の疲れ

  • SNSの比較での消耗

  • 孤独の増幅

  • 自己肯定感の揺らぎ

つまり、

退廃が“生活の中の影”として現れる時代になっている。

 

「She」のような 

“破滅へ向かう人間の美しさ” を描く作品は、

今は少し減っている。

 

理由はシンプルで、

 現代は“救い”や“回復”を求める傾向が強いから。

  • メンタルヘルス

  • 自己受容

  • 回復の物語

  • セルフケア

こうしたテーマが主流になっている。

 

だから、

昔のような“退廃の美学”は、

 今ではむしろ 「逆に新鮮」 に感じられる。

 

さて・朝のひとコマ・

 

杖をついて歩くご老人

その前には手押し車の

おばあさん・

その先にも杖のご老人

 

私の住む住宅地も

お年寄りの毎朝の散歩が

多く見られるように

なりました。

 

私もいつかはそのお仲間に

なるんでしょうね。(笑)

 

KISSのGene Simmonsも

20代の息子さんがいるという

ことで、YOYOKAさんなどと

セッションしているということ

なので、そりゃ歳もとりますね・

 

過日・同窓会に行きましたと

お話しましたが・

中学生時代の同窓会でしたから

実に50年ぶり・

 

その後、それぞれに交流は

あったと聞き及びましたが

半年が過ぎ

ほぼ途絶えてしまうような

話を聞きました。

 

新しい人間関係よりも

過去の人間関係というものは

歳をとった今では新たに

続いていくのは難しいのかも

しれませんね。

 

一言でいえば、

新しい関係を築く・ことと、

昔の関係をもう一度築く・ことは、

同じ人間関係でもまったく

別の営みなんだと思います。

 

新しい関係は「ゼロからの構築」

新しい人間関係には、

  • 先入観がない

  • 過去の傷も期待もない

  • 互いの“今”だけを材料にできる

という自由さがあります。

 

だからこそ、

慎重にもなれるし、

距離感も自分で調整できる。

 “これからどうなるか”だけを見ればいい。

 

一方で、昔の関係をもう一度築く時には、

  • 過去の記憶

  • 期待

  • 失望

  • その時の自分と相手の姿

  • 言えなかったこと、伝わらなかったこと

そういう“残響”が必ずついてくる。

 

だから難しい。 

ゼロからではなく、

過去という地層の上に、

今の自分たちがどう立つか

を問われる。

 

そして、

昔の関係を再構築する時に必要なのは、

 新しい関係とは違って、

過去をどう扱うか?

という覚悟なんだと思います。

 

どちらが良い悪いではなく、求められる姿勢が違う

 

新しい関係 → 観察と探求

 

昔の関係の再構築 → 理解と再解釈

 

前者は未来志向、

後者は過去と現在の統合。

 同じ“人と向き合う”でも、使う心の筋肉が違う。

 

 そしてもう一つ大事なこと

 

昔の関係を再構築する時、

 人は「昔に戻る」ことを

無意識に期待してしまうけれど、 

実際には戻らない。

 

戻らないからこそ、

今の二人で新しい関係を作り直す・

という発想が必要になる。

 

それができるかどうかで、

再構築の成否が決まる。

 

同窓会の最後には

名残惜しさから

二次会や後日の

飲み会など様々な

催しが聞かれましたが・

 

その後は話も聞かなく

なりました。

 

寂しいことですが

それも致し方ないこと

なのかもしれません。

 

みんな今を生きるのに

大変ですからね・・

 

あの頃とは違うんです。

 

長い時間が過ぎた・

時代が変わった・

人生の機微に触れた

瞬間でした。・・

 

 

 

 

 

 

音楽~音を楽しむこと・

イアン・ペイスの評価・

 

ロバート・プラントの評価・

 

久しぶりの令和のお話・

皆さんご存知の
YOYOKAさん・

You Tubeから
世界への女の子・

8歳の時のドラム・
の才能が
発信された瞬間
ですね。

 

ロバート・プラントが
イアン・ペイスが
賞賛したけれど・

それは世界に認められた
瞬間であり、彼女にとって
ストイックな人生の始まり
だったとも言えます。

 

無論・彼女が選んだ人生
ですから素晴らしい事・
十代だから何もかもが
新鮮だし・厳しいことも
あったでしょう。


令和だから、若者は
日本ではなく世界へ
出ていく・
至極まっとうなことだと
思います。

彼女は・
2022年に家族でアメリカへ移住し、
芸術系の学校でドラムを
専攻しながら活動を本格化 


ロサンゼルスの老舗ライブハウス
「Whisky a Go Go」で毎月演奏し、
現地ミュージシャンとの交流も拡大中 

トム・モレロの息子や、
著名プロデューサーの家族など、
10代のうちに
“次世代の音楽家ネットワーク”を築き始めている 

 

2024年には1stアルバム『For Teen』
をリリースし、ドラマーから“音楽家”
へと領域を広げている 

世界的ドラマーランキング「TOP500」に
史上最年少で選出されるなど、
評価は国際的に確立済み 

つまり、
10代にして“プロの世界のど真ん中”にいる。

日本ではこうはいかない・
少なくとも日本では
何処かの芸能事務所とか
「商品」とされてしまう現実が
あります。

それは日本芸能界そのものの
未だに成長できていない現実が
あるからです。

逆に世界から支配されつつある
部分もあります。

WBCの放映権問題とか
ネットフリックスのこととか

テレビという概念が

既に一部は過去のものと
なりつつある現実が
あります。

 

話を戻して・・

まだまだ発展途上の彼女・
これは事実です。

日本で過ごしたのは10代前半まで
文化的な成熟を迎える前に海外へ
“和の心”を体験する前に世界の舞台へ

日本社会の複雑さも、
良さも、まだ十分に知らない

つまり、

身体は日本人でも、
心の基盤はまだ形成途中のまま世界に出た  
という状態です。

 

世界で活躍する日本人アーティストは、
例外なく“日本人としての根”
を持っている 
 という共通点があります。

坂本龍一

上原ひろみ
渡辺貞夫
久石譲
宮崎駿
北野武

彼らは皆、
日本の美意識・間・静けさ・
謙虚さ・自然観・共同体感覚  
こうした“和の心”を深く持っている。

それが、

世界での孤独や競争の中で、
折れない軸になっている。


YOYOKAさんにも、
いずれ必ずこの“根”が必要になる。

しかし、ここで重要なのは
「日本に長く住んだから日本人の心が育つ」
という単純な話ではない  
ということです。

むしろ逆で、
海外に出た日本人ほど、日本人の心を深く理解する  
という現象がある。ということ。

なぜか?
 

海外に出た日本人は、
初めて「自分が日本人である」ことを自覚する

アメリカで暮らすと、
自分の価値観
自分の反応
自分の美意識
自分の礼儀
自分の“間”の取り方

こうしたものが、
他の国の人と全く違う  
ということに気づく。

その瞬間、

「ああ、自分は日本人なんだ」  
という自覚が芽生える。

これは、日本にいるだけでは絶対に得られない。
YOYOKAさんは、まさに今その過程にいる。
「彼女はこれから“自分で日本を選び直す”時期に入る。」


これは、海外で育った日本人が必ず通る道。
自分は何者なのか
どこに帰属するのか
どんな文化を大切にしたいのか
どんな美意識を持って生きるのか

こうした問いに向き合うのは、
10代後半〜20代前半。

YOYOKAさんは、まさにその入口にいる。

そして、

そのときに彼女を支えるのは、
私が思う・“日本人としての心”です。
 

これからたくさんの若者が
世界へと出ていくでしょう。

「道は違えど・還る道は同じ・」

だと思います。

そんな若者たちを
羨ましくも・誇らしくも
感じています(笑)

 

 

ファースト・アルバム・
ここからスタート
なんですね。

 

彼女の新しい未来

祈ります。・