白い狐 

白い狐 

車好き・音楽好き・
車歴は47年、音楽はバンド含めて50年。
気がつけば・・・おやじ? 
不良少年、健在です。 
自分の分析・文献によると、
地に足がついているが想像力豊か・
感情的だが現実的・愛情豊か・
伝統を重んじる・現実的な理想主義者・

 

手が・かじかむような

寒さのRooftop Concert・

これが4人で演る

最後のライブ・

 

この時は誰もそうなるとは

思わなかったでしょうね。

 

ポール以外は寒くて

みんな奥さんの毛皮の

コートを着ている(笑)

 

ステージ袖に見える

オノ・ヨーコ

 

ビル屋上に見える

パイプをくわえた

英国紳士・・

 

初めから

リズムに乗れる

サウンド・

ロックンロール

 

これがビートルズの原点

なんですね。

 

GET BACKは原点に戻れ・

というメッセージを軸に

した曲・

 

表向きにはジョジョや

ロレッタという

架空の人物の物語

ですが、

 

本質的には

ビートルズ自身への

呼びかけであり、

当時の政治風刺の

名残も含んだ作品です。

 

ジョジョはアリゾナの故郷を離れ、

カリフォルニアへ向かう若者。

 → 60年代の

ヒッピー文化・自由への憧れを象徴。

 

ロレッタは自分のアイデンティティ

を模索する人物。

 → 当時のジェンダー観の揺らぎを反映。

 

どちらも

「自分の居場所とは何か?」

を探す若者像として描かれています。

 

Get back to where you once belonged

 

かつて属していた場所へ還れ・

~登場人物への助言であると

同時に・

 

ビートルズ自身が原点回帰を

求めていた心情を象徴して

います。

 

1969年、ビートルズは解散寸前で、

 メンバー間の緊張・ビジネスの対立が

ピークに達していました。

 

ポールは複雑なスタジオ制作を捨て、

 

初期のロックンロールの感覚に

戻りたいと強く願っていました。

 

ライブをしたのもその為です。

 

 残念ながらその後に

バンドは解散してしまいます。

 

私は

この曲を聴くたび・

還暦超えの自分に

「原点に戻れ」と

語ります。

 

仏教で「原点に戻れ」
と言うとき、

それは“昔の場所へ帰れ”
という意味ではなく、

“心が本来の静けさを
取り戻す場所へ帰れ”

という、
もっと深い次元の話になります。

 

禅では、

「本来面目(ほんらいめんもく)」
=生まれる前から備わっている

“ありのままの自分”  
と説きます。

役割

評価

過去の傷

他人の期待

こうした
“後から付いたもの”
を一度そぎ落とし、
本来の静かな自分に
戻ることが、

仏教の“原点回帰”です。

 

定年となった瞬間・

まさに
肩書や自分の居場所は
無くなった・

表面上は同じようでも
少しずつ・本来の姿と
なりつつある。

 

まだまだやれる・

そうは思っても
平均寿命までは
20年ほどしか
残っていない・

今の若者の1,5倍の
速さで仕事はこなせる

しかし、
いつまで維持できる?

彼らのように
一晩寝れば回復できる
体力はもうない・


日に日に、体力の衰え
身体の悲鳴は
途切れない。

この歳にならなければ
誰にも判らない現実が
ここにある。

「老兵は死なず・
ただ、消え去るのみ」という
言葉が心を貫いていく・


ビートルズが複雑な制作を離れ、
シンプルなロックンロールに
戻ろうとした姿勢は、
まさにこの「本来面目」に近い。

 

仏教では、
すべては縁によって生まれ、

縁によって変わる  
と説きます(縁起)。

だから「原点に戻る」とは、
“昔の状態に戻る”ことではなく、

今の自分にとって、

縁が自然に流れる場所へ帰ること。

無理をしている場所から離れる
心がざわつく関係から距離を置く
自分のペースに合う環境に戻る

これは「逃げ」ではなく、
縁に従う智慧です。

 

仏教の修行は、
心が散乱した状態から、

静まった状態へ戻る旅でもあります。

呼吸に戻る

今この瞬間に戻る

余計な思考を手放す

つまり、
“心が帰るべき場所”

に戻ることが原点回帰。

ビートルズが屋上で

演奏したあの瞬間の“素の音”は、
まさに心が静まる場所へ戻ったような、
そんな清々しさを持っています。

全国の同期のみなさん
あなたの帰るべき場所を
見つけて下さい。

そして今はまだ途上でも
今が一番大切なんだって
感じて下さいね(笑)


仏教的「原点に戻れ」とは?

過去に戻ることではない

自分の本来の姿に戻ること

無理のない縁の流れに戻ること

心が静かになる場所へ戻ること

ビートルズの「Get Back」

が響かせる“原点回帰”は、

仏教の智慧と

驚くほど重なっています。

 

2026年・今は、

2006年のJ・マーチンによる

リミックスをよく聴いています。

不思議と令和に合います。

 

 

 

 

久々の再投稿(笑)

 

TENが歌った「さよならの向こう側」は、
“山口百恵さんの名曲を、

魂の奥底からすくい上げるように

再解釈したカバー”であり、
原曲の「静かな終焉」を、

TENは「深い祈りのような別れ」

へと変換しています。 

 

TENのカバーは
旭化成のCMで問い合わせが殺到し、

CD化されたほど反響が大きかった  
とされています。

仏教的構造で読むと、
二つの歌は“縁の種類”が違います。

山口百恵版
これは「縁が尽きた瞬間の歌」。

役割を終えた縁

執着を手放す

無常を受け入れる

マイクを置く=「形の縁を捨てる」儀式

TEN版
これは「縁が形を変えて続く歌」。

終わりの向こう側にも声がある

別れは断絶ではなく変容

業縁・道縁が続いていく

“終わりの先にも温度がある”という慈悲的解釈

つまり、
百恵版=縁の終焉
TEN版=縁の変容

と解釈できる。

 

仏教では、
別れは断絶ではなく、

形を変えた継続  
と捉えます。

“さよなら”=形の終わり

“向こう側”=縁の変容後の世界

つまりタイトル自体が
縁起

(すべては因縁によって

     形を変え続ける)  
を象徴している。

 

歌詞の中心にあるのは、
別れ=消滅ではない  
という思想。

仏教の「空(くう)」は、
“存在が固定されていない”

という意味であり、
“消える”のではなく
形を変えて存在し続ける。

歌詞の中で描かれる別れは、
まさにこの「空」の感覚。

さよならと言いながら

その向こう側に何かが続いている

これは「空」の世界観そのもの。



仏教では、
生と死、出会いと別れは
輪廻の一部であり、
境界は曖昧。

歌詞の“向こう側”は、

死後の世界

別れた後の世界

新しい縁の始まり

形を変えた関係性

これらすべてを含む象徴。

つまり、
向こう側=輪廻の次のステージ。

 

こういう時代だからこそ

心に残る曲ですね。

 

 

さて10月2日に観てきました。

 

ネタバレは避けたいので

ひとつだけ・

 

あれだけのアクションが

あっても誰一人

死ぬことはなかった。

さすがスピルバーグ監督・

 

主人公の女優さん

どこかで観たなぁ・・

 

なんて思っていたら

メリーポピンズやった♪(笑)

 

あとはプラダを着た悪魔の

秘書をしていた人・・

 

キリがないのでここまで・汗

 

 

 

10月になりました。

カメムシが増えて

きましたね汗

一週間くらいだろうか・

メーカーから研修という

名目で20代の若い女の子

が二人・派遣されてきました。

 

女の子・という表現が

今の時代は適切では

ないかもしれませんが、

還暦超えの年寄りから

すれば、孫のような

世代ですので、

ご容赦下さい。(笑)

 

私は嘱託社員なので

接する機会も無く・

挨拶する程度だったのですが、

 

直接・タイヤ販売の現場に

身を置くことで学べることを

習得していくのが本来の目的

 

ということで現場で観た事

感じた事をありのままに

レポートにまとめて

いきます。

 

本社にしてみれば、

あることなんでも

レポートされますから

素人目線で忖度なく

書かれるわけです。

 

配属される部署に

よっては都合の悪いことも

あるでしょうから

さぞかし戦々恐々と

した感じなんでしょうね(笑)

 

10月になって初日・

作業をしていると

それは何をしているのか

と、質問されました。

 

私が、丁寧に簡潔に

説明すると

すぐに理解していただき・

私はそのまま仕事を

続けていたのですが、

 

突然・女の子から

「○○さん、

クロッキーって聞いたこと

ありますか?」と

質問されました

 

・クロッキー・

 

聞いたことのある単語

だなとあれこれ考えていると、

女の子が、業務用の軽貨物車の

ナンバープレートが黒いヤツ

の話をして、

これを3回観ると幸せになれる

という俗説の話をしたのです。

 

聞けば長野県の地方での

話だそうですが、

関西ではなじみがありません。

 

そこで・そういう話ならば、

関西ではイエローの新幹線

を観ると幸せになれると

言う話はありますよ・

と答えました。

 

いわゆる・ドクターイエローの

ことですね。

 

その話をすると、

二人は目を輝かせて

身を乗り出してきました。 

 

メーカーから派遣

されてきた新入社員で、

毎日が“初めて”の連続。

 

 見るもの聞くものが新鮮で、

驚きに満ちている時期です。

 

 そんな彼女たちが話題にしているのは、

幸せになれるというクロッキーの話。

 

 結局、若い子たちが望んでいるものは、

やっぱり“幸せ”なんだなぁと、

微笑ましく思ったものです。

 

「明日、3時〜4時の間に通るから、

見てみてください」と言うと、

 二人は本当に嬉しそうに「ハイ!」

と返事をしていました。

 

翌日は私は休みで職場にはいない。

 

 けれど、決まった時間に窓の外を

楽しみにしているであろう

彼女たちの姿を思うと、

自然と笑みがこぼれる。 

そんなささやかな出来事でした。

ドクターイエローと記念撮影も!JR西日本「新幹線ふれあいデー」10月12日に開催決定!チケットは8月7日から先着順で発売 - エキサイトニュース

 

さて1980年・

カッコイイ曲・
どうして今はこういう曲が
出て来ないんだろう?

 

吉田美奈子・山下達郎による
「If You Want It」 は、
米国のソウル/AORデュオ
 Niteflyte(1979)の名曲を、


1980年のスタジオ・ライブで
二人がデュエット・カバー
したもの です。

 

後年、
山下達郎「SPARKLE」の
イントロに影響を与えた
と語られる曲・
 

シンプルな循環コードですが

現在は73歳となられる

吉田さんの

27歳当時の歌唱力の凄さが

圧倒的です。

 

山下達郎さんも当時27歳・

二人の驚異的なデュオは

他を寄せ付けないものでした。

 

達郎・美奈子という
日本ソウル史上最強コンビ・

 

当時のファンの方から

「お二人は結婚するもの」と

思っていました。

というお言葉もあったんですが・

 

まぁ、こればかりは「縁」

ですからね(笑)

 

仏教的に言えば、

縁の種類が違った

ということで、

 

お二人は夫婦の縁ではなく

音楽という業(ごう)

を共にする縁で、

 

深く結ばれていたということ

です。

 

お二人の関係は

音楽的共犯関係・

いわゆるソウルメイト

だったと思います。

 

ここでよく言われる

男と女に友情は

あるのか?

 

という問いに

答えはあると

思っています。

 

仏教の縁は一種類ではありません。

夫婦として結ばれる縁(伴侶縁)

人生の一時期を共に照らす縁(時縁)

芸術や仕事を共にする縁(業縁)

魂の方向性を共有する縁(道縁)


このうち、
吉田美奈子さんと
山下達郎さんは
「業縁」「道縁」

が極端に強かった・

 

仏教では、
縁の深さと縁の方向は

別 と考えます。

深い縁=必ず結婚する
ではなく、

深い縁でも、

方向が「伴侶」ではなく

「創作」へ向く
ということが普通に起こる。

二人はまさにこれで、
“夫婦になる縁”よりも

“音楽を創る縁”が圧倒的に

強かった。

 

ということでしょう。

 

ただ、縁とは別に

お二人の感情は

どうであったかは

さだかではありませんが・

(笑)

 

お二人の活動が

終わった後に

達郎さんは

竹内さんと結婚されて

いますから

 

そういう縁であったと

いうことですね。

 

当時・お二人は

最強であったと思います。

 

 

そんな彼女の初めてのアルバム

「扉の冬」1973年・

これだけの歌唱力・

 

バック・バンドには

ベース細野晴臣、ギター鈴木茂、

キーボード松任谷正隆、ドラム林立夫。

 

そして美奈子さんを含んだ全員が、

その後にユーミンのデビューを

サポートすることになる。

 

 日本ポップスの奇跡の道程です。

 

この時・彼女は

レコーディング・

エンジニアの吉野金次さん

と結婚されていましたが

一年ほどで離婚されています。

 

人生・難しい。

 

そして1976年からおつきあい

していた

音楽プロデューサー生田朗さん

と1984年にご結婚されています。

 

この方は坂本龍一さんの

マネージャーをしていた時期もあり

あの戦場のクリスマス映画の中で

日本人医師役で出演もされたほどの

イケメンさんでした。

 

その後・1988年・メキシコで

交通事故にて身罷れてしまいます。

 

聞けば飲酒運転で

オープンカーに乗り

隣には浮気の女性を乗せて

崖から転落・

 

まるでドラマのようなお話です。

 

そして

これ以降・彼女は結婚することは

無かったそうです。

 

現在・JAZZを歌うステージで

彼女の左手に光る指輪が

全てを語っているようで・

どうなんでしょうね?

 

こればかりは

よく判りません。

 

近年はシティポップの

大御所として

再評価されている

そんな所存です。・・

 

そんな曲を聴きながら

帰路についてます。

・・・

大事なことは、

詩をよく読んで

下さいね♪

aiko「花火」は、
1999年に発売された

彼女の初期代表曲で、


“叶わない恋の切なさ”と

“夏の夜の情景”を、

独特の比喩と
音楽的構造で描いた名曲です


発売日:1999年8月4日
シングル順位:
オリコン週間10位
(自身初のTOP10入り)

作詞・作曲:aiko
編曲:島田昌典
収録アルバム:『桜の木の下』


タイアップ:

サークルK
「冷やし中華/ひんやり夏ラーメン」
CMソング

テレビ朝日
『激マジ!!〜ティーンのホンネ
〜』ED

アニメ『まっすぐにいこう。』
ED(2003年)

ロングヒット・20週間チャートイン

夏恋ソング1位
(2009年オリコン調査)
 

~デビュー直後の多忙で、
毎年行っていた
地元の花火大会に
行けなくなったaiko。
 

その夜、
ベッドで横になりながら
 カーテンの隙間から星を
 見た瞬間に
 歌詞が降りてきた
と語っています。

この体験が、
あの有名なフレーズに
つながります。

「夏の星座にぶらさがって

 上から花火を見下ろして」

“行けなかった花火大会を、
星の上から
見下ろせたらいいのに”


という、
切なくもファンタジックな
願望がそのまま歌詞に
なったものです。

音楽評論家・小貫信昭氏は、
成就しない恋を
“なかなか上がらない花火”
に例えている と分析しています。

上がらない花火:報われない恋
夏の星座にぶら下がる:
現実から離れたい願望

天使:恋の迷い・葛藤の象徴
涙で火を消す:
恋の終わり、あるいは
自分の感情の限界

aikoの歌詞は、
恋の“揺れ”や“弱さ”を、

日常の小さな情景
(砂山、リンゴの跡、つま先)

で描くのが特徴ですが、

「花火」はそのスタイルが
すでに完成している作品です。


評論家は、この曲に 
ブルー・ノート・スケール
 が使われている点を
高く評価しています。

ブルー・ノートは、
少し“揺れた”音
メランコリックな響き
甘く切ないムード
を生むため、

恋の不安定さ・
揺らぎを音で表現する
のに非常に向いている。

サビで一気に開放される
メロディは、


“叶わない恋でも、
好きという気持ちは
止められない”


という感情の爆発を
象徴しています。


aiko「花火」は、
仏教的に読むと

 “執着(しゅうじゃく)” と
“無常(むじょう)” の物語です。

恋という煩悩が燃え上がり、
そして必ず消える

そのプロセスを、
花火の象徴を通して
描いている曲として
解釈できます。

仏教では、
心を乱す感情を 
煩悩の火 と呼びます。

恋はその代表格で、
燃え上がるほど美しく、
しかし人を苦しめる。

aikoの「花火」に登場する
“上がらない花火”
“涙で火を消す”という表現は、

まさに 
燃え上がりきらない煩悩の炎
 を象徴していると読めます。

上がらない花火=叶わない欲望

火が消える=煩悩の終息

涙で火を消す
=自らの執着を手放す瞬間

花火は一瞬で消える。

恋もまた、
執着が燃え尽きると
静かに終わる。

この曲は、
恋の炎が燃え上がり、
そして消えるまでの心の動きを、
仏教的な「煩悩の火」として
描いていると解釈できます。


・夏の星座にぶらさがって
=輪廻から離れたい願望・

星座にぶら下がるという
非現実的な比喩は、

仏教的には 俗世(欲望の世界)
から離れたい願い 
と読むことができます。

地上=煩悩の世界

星座=輪廻の外側、

あるいは高次の視点

主人公は
地上の恋の苦しみから逃れ、
星座という“高い場所”から
花火(煩悩)を見下ろしている。

これは、
自分の感情を俯瞰し、
執着から距離を
置こうとする心の動き  
に近い。

しかし、
ぶら下がっているだけで、
完全には離れられない。
 

ここに、
恋という煩悩から
抜け出せない
人間の弱さが滲む。

・三角の目をした天使
=内なる声(善悪の葛藤)・

天使が
「疲れてるんならやめれば?」と
囁く場面は、
仏教的には 自我の中の“観照者” 
と読むことができます。

天使=心の中のもう一人の自分

囁き
=執着を手放せという智慧(ちえ)

しかし主人公はその声に従えない。
恋の執着が強すぎるから。

これは、
煩悩と智慧のせめぎ合い 
 という仏教的テーマそのものです。


・涙を落として火を落とした
=執着の消滅(涅槃の瞬間)・


涙で火を消すという表現は、
仏教的には 
執着が涙とともに溶けていく瞬間 
と読めます。

火=煩悩

涙=浄化

火が落ちる
=執着が消える(涅槃の一歩手前)

恋の炎が涙によって静かに消える。

これは、仏教でいう
 苦しみの終わり
=解脱の兆し を象徴している。

さて・
この曲の最も
仏教的な部分はここです。

つま先は揃っても、すぐ乱れる
砂山は必ず崩れる
リンゴの跡は消えていく
 

すべてが 
無常(変わり続けること) の象徴。

恋の記憶も、

夏の夜も、

花火の光も、

すべては一瞬で形を変え、
消えていく。

aikoは、
恋の情景を通して
「この世のものはすべて移ろう」  

という
仏教の根本思想を描いている。


仏教的に読むと、
この曲はこうなる


煩悩が燃え上がる
執着が苦しみを生む

天使(内なる智慧)が囁く
涙が煩悩を消す

無常の世界に心が静まる

つまり、
恋という煩悩が生まれ、
燃え、消え、浄化される
までの心の旅  
を描いた曲。

「花火」は恋の歌であり、
同時に“執着の浄化”の歌でもある

 

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近所で花火大会があると
交通規制があるので
大渋滞汗

通勤ルートともなると
大変です(笑)

不思議なもので
還暦過ぎると
あまり花火に関心は
ありません。

どうしてなんだろう?

 

子どもの頃は
音を聞いただけで
ワクワクして
じっとしてはいられない
そんな思いだったのに・

 

ひとつはPLの花火
スターマインを一度だけ
観たからかもしれません

10万発のラスト
あれが私の花火のピーク
だったので・・(笑)

 

そして、
結論だけ先に言うと、

「花火そのものが

    つまらなくなる」

のではなく、
“人生の中で花火が
占めていた役割が静かに
終わる”からです。

還暦を過ぎると、
花火への関心が薄れる
のはとても自然な現象で、
むしろ多くの人が
同じ変化を経験します。

・花火は
「若い感性のため
 のイベント」だったから・

若い頃の花火は、
夏の高揚感
友人や恋人との時間
未来への期待
夜の空気の特別さ

こうした
“人生の伸びていく方向”
と結びついていました。

還暦を過ぎると、
人生の時間の流れが
「外へ向かう」から
「内へ向かう」へ変わります。

外界の刺激よりも、
内側の静けさや落ち着きの方が
心地よくなる。

その結果、
花火のような外向きの刺激が、
心の中心から自然に遠ざかる。

花火は
「未来の象徴」だったが、

還暦以降は“過去の象徴”になる
花火は一瞬で消える光。

若い頃はそれが
「これからの人生の輝き」
に重なって見える。

しかし還暦を過ぎると、
その儚さが
「過ぎ去った時間」や
「思い出の光」に
重なってしまう。

つまり、

花火を見ると“未来”より
“過去”が立ち上がるようになる。

これは決して寂しいことではなく、
人生の視点が成熟した証です。

大きく、会場を迂回して
コペンで帰る途中・

遠いところから
小さく見えている花火を

バイクを停めて
或いは車を停めて

外でじっと立って
見つめている御仁を
何人か見かけました。

彼らの気持ちが
痛いほど判るんですよね・

懐かしい・悲しい・
感傷的な時間・・

私も同じ気持ちでした。


昭和〜平成の花火は
“祈り”だったが、
令和の花火は“演出”になった

私が以前語ったPL花火の記憶
おばあさんが手を合わせて

「空襲の時の空と
    
      まったく同じや」

と言ったあの瞬間。

あれは、
花火が「供養」「祈り」
「時代の記憶」と結び
ついていた時代の光です。


しかし今の花火は、
ドローン演出
キャラクターの形
SNS映え
商業イベント化

こうした“ショー”
の側面が強くなり、
昭和世代が
心の奥で求めていた

「祈りの火」とは別物に
なってしまった。

だから、
関心が薄れるというより、
心が求めているものと
花火がズレてきた。

通勤途中に作られていた
観覧用の特設会場を
見ていると

酷い言い方ですが
金の匂いしかしてこない(笑)

それも致し方ないこと
でしょうね。

今の花火・

お金かかります。汗

還暦を過ぎると、
人は若い頃よりも
ずっと深い感動を知っています。

人の死

家族の歴史

自分の歩んできた道

季節の移ろい

静かな夜の風

こうした“静かな感動”の方が、

花火のような
派手な光よりも
心に響くようになる。

つまり、
花火の刺激が弱くなった
のではなく、
私の感性が成熟して、

別の種類の光を
好むようになったと
いうことです。


人生で何十回も
花火を見てきた人は、
ある時ふっと、

「もう、花火はいいかな」  

という静かな境地に入ります。

これは飽きではなく、
“人生の一つの章が
 静かに閉じた”

という感覚に近い。

あのPL花火は、
もう二度と再現されない
“時代の光”でした。

花火会場で賑わう

若い人々・

遠くから眺める

高齢者・

 

決して煩悩が

消えたわけでは

ないけれど、

執着の浄化が

心に芽生える

 

少し寂しいような

落ち着いた秋で

ございます(笑)

・・

 

 






 

 

青江三奈さんのJazzを語る時・

鍵になるのはジャズを謳った

というより、

ジャズ的な感情の揺らぎを

演歌に持ち込んだ・

という点です。

 

彼女はジャズ歌手では

ありませんが、

ジャズの語法・

ブルースの湿度・

都会的なムード・

を独自の形で吸収し、

昭和歌謡の中に

落とし込んだ

稀有な存在でした。

 

他の著名な誰が

歌っても、

彼女のグルーヴ感は

出すことはできません。

私が子供の頃の歌手であり

昭和演歌が王道の時代・

 

他の歌手たちとは

あきらかに違う華が

そこにあったと思います。

 

学校を卒業して

就いた職は

都内・西武百貨店の

化粧品売り場の店員さん

 

子どもの頃から

歌う事が好きだった彼女は

歌のレッスンを

欠かしませんでした。

 

やがて湘南の海で

出会った作曲家・

花礼二さんから

ジャズ・シャンソン

演歌の基本を

学びます。

 

これが彼女の

歌の基本となって

いきます。

 

彼女のスキルは

クラブ歌手の面接を

パスし、スカウトされて

デビューとなります。

 

銀座の「銀巴里」は

伝説のクラブ・

 

ここで培った“低音の艶”
“間の取り方”が、
後のブルース演歌の核となる。

1966年:
『恍惚のブルース』でデビュー
80万枚のヒット。

ハスキーな声と“吐息”
の表現が話題に。

そして
1968年:『伊勢佐木町ブルース』
100万枚のミリオンセラー

第10回日本レコード大賞歌唱賞受賞
第1回日本有線大賞スター賞受賞

 1969年:『池袋の夜』
150万枚の最大ヒット。
史上初の 
2年連続レコード大賞歌唱賞。 

 

声が震えていた

照明が落ちた時

目が潤んでいた

 

あれこれ言われた

彼女でしたが

涙は見せませんでした。

 

観る側にすれば

涙も感動のひとつかも

しれません

 

青江三奈さんは、
舞台裏でも
涙を見せないことで
知られていました。

水前寺清子さん
(親友)

森進一さん

などの証言からも

「三奈ちゃんは

    人前で泣かない」

と語っています。

これは、
自我を強く出さない
静かな美学  
を持つ彼女らしい姿勢。


仏教では、
自我(アートマン)が強いほど
苦しみが増える。

青江三奈さんは、
自分を誇示しない
“寂静の美学”を持っていた。

涙は自我の表出。
彼女はそれを抑えた。


泣ききらないことで、
聴く人の心に余白が生まれる。

泣かないからこそ、
色気が生まれる。

これは仏教の“空(くう)”の働き。

泣いてしまうと声が崩れる。

彼女は、
聴く人の孤独を包む声=慈悲の声  
を守るために涙を飲んだ。

そんな彼女が
涙を見せたのは
最後のステージだった・


1999年1月23日

最後のコンサート

渋谷公会堂で
痛みに耐えながら熱唱。

膵臓癌と闘いながら立った
最後のコンサート。

歌い終えた瞬間、
舞台袖で静かに涙を流した  
とスタッフが証言している。

レコード大賞では
泣かなかった彼女が、
最後の舞台で初めて涙を見せた。

これは、
無常の極点で初めて溢れた涙
だった。

青江三奈さんが
晩年に流した涙は、
仏教的に読むと「苦(dukkha)の浄化」

「無常の受容」「縁起の回収」

「自我の消失」という四つの層が

重なった“悟りに近い涙”でした。  

それは悲しみの涙ではなく、
人生の終わりに向かう者だけが流せる、
非常に静かで深い涙です。

仏教では、
涙は苦しみの排出ではなく、
苦が浄化される瞬間に流れるもの  
とされます。


晩年の青江三奈さんは、
膵臓癌の激痛に耐えながら
ステージに立ち続けた。

痛み

恐怖

仕事への責任

歌への執着

生への未練

これらの“苦”が、
最後のステージで
一度にほどけた。

その涙は、
苦が浄化される瞬間の涙
=仏教的な「解脱の前兆」  
だったということです。

仏教の中心思想は 無常。
すべては変わり、
失われ、終わる。

青江三奈さんは、
自分の声が
もう長くは続かないことを
悟っていた。

声が枯れていく

体が動かなくなる

舞台に立てなくなる

歌手としての自分が終わる

その“終わり”を

受け入れた瞬間、
静かに涙が落ちた。

これは、
無常を受け入れた者
だけが流せる涙
であり、

仏教的には
「智慧(prajñā)が開いた瞬間」
の象徴。


人生はすべて 縁起(関係の連鎖)
でできている。

晩年の涙は、
彼女が自分の人生の縁を
“回収した瞬間”でもあった。

下町で歌を好きになった縁

銀座のクラブで歌った縁

花礼二との出会い

伊勢佐木町ブルースの成功

夜の街を歌い続けた縁

ファンとの縁

スタッフとの縁

これらすべてが、

最後のステージで
一つに結ばれた。

その涙は、
縁起の連鎖が
静かに閉じる瞬間の涙
だった。

自我が薄れ、
寂静(じゃくじょう)
が訪れた時の涙
であり、
非常に深い精神性を持つ涙。

 

 

1993年:
初のジャズアルバム
『THE SHADOW OF LOVE』
を発表し、ニューヨークでライブ開催 

彼女の人柄が伺える
映像ですね♪
 

 

2000年7月2日:死去(59歳)
北里研究所病院にて膵臓癌で逝去。

親友・水前寺清子さんが弔辞を読んだ。 

翌年、
横浜・イセザキモールに
『伊勢佐木町ブルース』の歌碑が建立。


青江三奈さんの生涯は
 “夜の街の孤独と湿度を、
声で浄化する人生” でした。

下町の少女が

ジャズの語り口を身につけ

昭和の夜を歌い

苦しみの中でも舞台に立ち続け

最後は静かに去った

私が想う

「綺麗な虹は

 大雨の後に現れる」

という想いです。

ご冥福をお祈りします。

ありがとうございました。

合掌・

 







 

 

 

なるほどね。

 

「魔法のくすり」は
荒井由実(松任谷由実)が
1978年に発表したアルバム

『流線形 ’80』に
収録された楽曲で、
ユーミンが“松任谷由実”名義に
なって以降の初期サウンド
を象徴します。

都会的で少し幻想的な
ポップソングです。  


それまでのフォーク寄りだった
荒井由実から


都会的で洗練された
AOR/シティポップへ

移行していく時期で、
この曲はまさにその
「変化の真ん中」にある作品です。

 

 

「魔法のくすり」の肝心・

ユーミンが歌詞で書いた
「男はいつも最初の恋人になりたがり
 女は誰も最後の愛人でいたいの」

という一節は、“男女の恋愛観の構造”
を鋭く言語化したものです。 

 

男は「最初」になりたがる・存在証明の欲求
ユーミンは、男性の恋愛心理を
“最初の恋人”という象徴で表しました。

自分が彼女の人生の「始まり」でありたい
他の誰でもなく、
自分が最初に選ばれた存在でありたい

彼女の恋愛観を形づくった
“原点”でありたい


これは支配欲ではなく、
存在の証明を求める心です。

「自分は特別な存在でありたい」
という、男性の深層にある願望。




女は「最後」でいたい・愛の帰着点でありたい


一方で女性は、ユーミンの言葉では
“最後の愛人”でいたい。

たくさんの経験があっても、
最終的に自分に帰ってきてほしい

「この人で終わり」と思われたい
愛の旅路の“着地点”でありたい

これは所有欲ではなく、
安心と帰属の願い。

「この人の人生の終点に自分がいる」

という静かな誇り。


歌詞にはこう続きます。


♪だから所詮おんなじ気持ちで
求め合っていると思っちゃいけない♪


ここがユーミンの鋭さ。
男女は同じ“愛の形”を
求めているわけではない。

求めるものが違うからこそ、
すれ違いも生まれる。


この歌詞は「昭和の恋愛観」
ではなく“普遍的な構造”を描いている

現代では「愛人」という言葉が
古く感じられるかもしれない。

しかしユーミンが描いた心理は、
時代を超えて普遍的。

男は「始まり」を欲しがる

女は「終わり」を欲しがる

これは性別の固定観念ではなく、
恋愛における“役割の象徴”としての比喩。

“象徴的・仏教的な構造”で言えば、

これは 「起点」と「帰着点」 の対比です。

釈尊が言う・この世に偶然は存在しない・

その視点で読むと、
この歌詞はこう解釈できる。

男は縁の“発火点”になりたい

女は縁の“結び目”になりたい

つまり、

縁起の流れのどこに
自分が位置づけられるか  
という願いの違い。

これは性差ではなく、
“縁の流れにおける役割の象徴”
としての詩となります。


ユーミンが本当に言いたかったこと

この歌詞の核心は、
男女の違いではなく、
恋愛は、
同じ気持ちで
求め合っているわけではない。

だからこそ、
相手の欲望の形を
理解する必要がある。

という、非常に成熟した恋愛観。


ユーミンは恋愛をロマンではなく
“構造”として見ている。


私は男ですから、
男の側で共感しました。

しかしどちらも縁の極端であり、
そうはいかない論理を
受け止めるところに真の恋愛があると
私は思うのです。



皆が皆・最初の恋人になれる訳もなく
最後の愛人になれるわけではない・


恋愛は本来、

最初になりたい男

最後でいたい女

という極端の願望が
ぶつかり合う場ではなく、

その願望が叶わない現実を、
互いにどう受け止めるか  
という“成熟の場”。


つまり、
恋愛は、願望の一致ではなく、
願望の不一致をどう扱うかで深まる。


縁起は“極端を否定する教え”ではなく、
極端の間にある流れを見つめる教え。

恋愛も同じで、
男は最初になれないことがある

女は最後になれないことがある

しかしその“叶わなさ”の中で、
互いがどう寄り添うかが縁を深める。


ユーミンは“構造”を提示しただけ。


私はその構造の“運用”まで見ている。
極端の願望を持ちながら
その願望が叶わない現実を受け入れ
それでも縁を結ぼうとする

ここに、私が言う「真の恋愛」がある。
これはロマンではなく、

成熟した精神性の恋愛観。

多くの人は、恋愛を

最初になりたい

最後でいたい

という極端な願望ではなく、
もっと曖昧で、
もっと流動的な形で経験している。


これは「成熟しているから」ではなく、
縁がそこまで強くないからです。

縁が薄い恋は、極端を求めない。

ただ流れの中で出会い、
流れの中で離れていく。


まぁ、
縁とは面白いもので・
条件ではなく出会うことで
不思議と過去世の因縁を感じさせる
相手が出てきます。


人は通常、条件で相手を選ぶ。

年齢

性格

価値観

生活環境

しかし、私が言う「因縁を感じる相手」は、
条件を超えて心が動く相手。

これは仏教でいう
「宿縁(しゅくえん)」の感覚に近い。

宿縁は、
“過去世の因果が現在の出会い
として現れる”

という縁の強度のこと。


全てが良い因縁とは言えない・
これは縁起の核心。

縁には

良縁

悪縁

逆縁

破縁

など、複数の質がある。

悪縁は避けるべきものではなく、
心のありようによって
良縁へ変質する可能性を持つ縁。


心のありようとは、

自らに課す

心がけであったり

感謝の心であったり

縁の質を変える“条件(縁)”そのもの。


つまり、

縁は固定ではなく、
心の状態によって変化する。

これは釈尊の縁起の理解と
完全に一致している。



良縁を望むのは誰もが望むこと
しかし勝手に得られるものでもない

これは、恋愛の本質。

良縁は「願望」ではなく、
心の成熟と縁の流れが
一致したときにだけ訪れる現象。


つまり、

心が整う

感謝がある

執着が薄まる

過去の因縁が浄化される

このような状態が整ったとき、

良縁は“勝手に”ではなく
“自然に”訪れる。


これは還暦じいさんの
人生経験から得た
勝手な恋愛観です。(笑)



世の中・
浅く流されるのではなく
深く生きられるように

若者よ・
ジタバタして生きましょう

目の前のスマホではなく
あなたの命で感じることが
身体で感じることが
とても大事なことですよ・


簡単に得られるものに
学びは無い・

せっかくの才能が

あなたの特技が・

そうやって封印されて
しまっていることに
気がついて下さい。

便利さは人生の損です。

 

苦労したから身についたもの

これは一生の財産です。

 

人生の後半にきて・

つくづく私が感じることです。


9月9日・張本さんが身罷れました。
私は熱心な野球ファンでも
ありませんが、

彼の軌跡に触れて・
この曲を贈ろうと
思いました。

 

原曲は1958年のイタリア歌曲で、
「青く塗られた空へ飛び立つ夢想」 
をテーマにした、非常に象徴的な作品です。

青い空=精神的解放

飛ぶ=自己超越

夢想=現実からの離脱と再生

この「精神の飛翔」を、
ジプシー・キングスは 
ルンバ・フラメンカの躍動感 によって
“身体的な解放”へと変換しています。

 

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ジプシー・キングスは、
スペイン内戦を逃れたロマ系の家系で、
“故郷を持たない音楽” をルーツにしています。

つまり、彼らは「亡命者の音楽」を背負っている。


Volareという曲のテーマは
「飛ぶ」「移動する」「境界を越える」という意味
これは彼らのアイデンティティと強く共鳴します。

つまりVolareという曲は
彼ら自身の物語と重なる曲 だったわけです。

日本ではビールのCMソングとして
ヒットして馴染み深い曲ですが、
私は、ジプシー・キングス版Volareに
「境界を越える者の祝祭」 を描いていると
思いました。

国境

言語

民族

音楽ジャンル

伝統とポップの境界

彼らは常に境界の外側にいた存在で、
その境界を越えるたびに音楽が生まれた。

Volareはその象徴として、
“飛ぶ”という行為を身体的な歓喜
として表現した曲 と読めます。

“優勝請負人”巨人・張本勲がセ記録の30試合連続安打【1976年6月20日】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

 

張本さんの軌跡に触れて・
彼もまた境界を越えた人だったと
感じたわけです。


最近では言論問題で物議を受け
批判もあった張本さんですが、

そこは昭和の人であり、
令和の現代では受け入れられない
ものもあったかと思います。

そこで、彼の軌跡を
まとめてみました。


基本プロフィール
生年月日:1940年6月19日(広島市)
死去:2026年9月9日(享年86)
ポジション:外野手
投打:左投左打
国籍:日本
(帰化前は在日韓国人二世、
   出生名は 張 勲〈チャン・フン〉)

プロ野球での実績(NPB史上最高レベル)
通算成績(NPB歴代記録)
3085安打(歴代1位)
504本塁打(歴代7位)
1676打点(歴代4位)
319盗塁
通算打率 .319
2752試合出場(歴代4位)

タイトル・表彰
首位打者 7回(歴代最多)
最高出塁率 9回(パ・リーグ最多)

新人王(1959)
MVP(1962)
ベストナイン 16回

オールスター 18回出場
野球殿堂入り(1990)

所属球団
東映フライヤーズ → 
日拓 → 日本ハム(1959–1975)
読売ジャイアンツ(1976–1979)
ロッテオリオンズ(1980–1981)

張本勲さんは、
日本プロ野球史において
最も多くの安打を記録した

「安打製造機」であり、
同時に被爆体験・差別・貧困を
乗り越えて球史に名を刻んだ人物です。

 

張本勲さん、巨人―ソフトバンク戦での始球式を『サンデーモーニング』が紹介 「見た目はだいぶほっそりしましたが」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
 

長嶋・王さんの影に隠れてはいますが
相当な努力家であり、才能に富んだ方
であったと思います。

張本勲さんの人生を語る上で、
幼少期の体験は欠かせません。

右手の大火傷(4歳)
焼き芋を作る火に落ち、
右手の親指〜中指以外の自由を失う重傷

この怪我が「左打ち」への転向につながる。

広島での被爆(5歳)
爆心地から約2kmで被爆
家屋倒壊、母がガラス片で負傷
姉(点子)が大火傷で数日後に死亡

焼け焦げた人々の匂い、
川へ飛び込む人々の姿など、
強烈な記憶を晩年まで語っている

 在日韓国人としての差別
戦後の広島で貧困と差別の中で育つ
「野球だけが助けてくれた」と語る記事も残る

張本の闘争心や強烈な自己主張は、
この背景と深く結びついています。

プロ入り後の歩み

東映時代(1959〜)
1年目から新人王
1962年、リーグ優勝&日本一、MVP獲得
不動の4番として長年チームを牽引

巨人時代(1976〜)
王貞治と「張本−王」の3・4番コンビ
セ・リーグ連覇に貢献

ロッテ時代(1980〜)
1980年に3000本安打達成(NPB唯一)
1981年に引退・

引退後:ご意見番としての存在感

TBS「サンデーモーニング」で
約20年にわたりレギュラー出演。

「喝!」

「あっぱれ!」

この二語は社会現象となり、
張本勲は「スポーツ界の御意見番」
として強烈な存在感を放ちました。


韓国野球への貢献

韓国野球委員会
(KBO)コミッショナー特別補佐官

韓国メディアからも
「偉大な野球人」として追悼されている


張本勲さんは

NPB最多3085安打のレジェンドであり、
被爆と差別を背負いながら、
境界を越えて生きた象徴的な存在 
であったと私は思うのです。

彼の強烈な発言や時に批判される姿勢も、
「境界の外側で生きてきた者の矜持」
と読むことができます。

“境界を越え続けた男”

被爆者

在日韓国人

貧困

身体的ハンディキャップ

差別

国籍の境界

日韓の野球文化の境界

伝統的野球と

現代的トレーニングの境界

そのすべてを越え、
「記録」と「言葉」で
存在を刻んだ人物 と言えます。


様々なご意見もあるかと
思いますが、

私はそんな彼に一言・
お疲れ様でしたと哀悼を
送りたいです。

ご冥福をお祈りします・

合掌・

 

「ママ、ありがとう」これが最後の言葉でした・

 

「うれしい予感」は、

1995年に渡辺満里奈さんが歌った
『ちびまる子ちゃん』
第2期オープニングテーマで、
作曲は大滝詠一・作詞はさくらももこ。  


大滝詠一さんにとっては 
6年ぶりの新曲であり、
ナイアガラ・サウンドの美学が
90年代に突然よみがえった象徴的な作品です。


タイトル:うれしい予感
発表:1995年2月22日
(渡辺満里奈/植木等のスプリットシングル)
作詞:さくらももこ
作曲:大滝詠一
編曲:CHELSEA
(アルバム版は井上鑑によるストリングス追加)
使用期間:『ちびまる子ちゃん』
第2期 OP(1995年1月8日〜1996年5月26日)

 

 

大滝詠一さんは
1984年『EACH TIME』以降、
表立った新曲がほぼなく、
“沈黙の時代”に入っていました。

その中で突然現れたのが「うれしい予感」。
1989年の小泉今日子
「快盗ルビイ」以来の新曲で、
ファンにとってはまさに“復活の鐘”。

音楽的特徴
フィル・スペクター的な音の壁(Wall of Sound)
緻密な多重録音
80年代ナイアガラの系譜を継ぐ華やかなポップス


イントロは
ビートルズ「Please Please Me」へのオマージュ
大滝詠一さんらしい“引用の美学”。


参加ミュージシャン(豪華)

鈴木茂(ギター)

青山純(ドラム)

長岡道夫(ベース)

知久寿焼(ハーモニカ)

重実徹(ベル)

大滝詠一(コーラス)

大滝作品に縁の深いメンバーが多数参加し、
“ナイアガラ一門総出”のような豪華さがあります。


大滝詠一さんは
以前から『ちびまる子ちゃん』に楽曲提供しており、
1992年 NTTサンクスフェア
(ちびまる子ちゃん編)イメージソング
映画『わたしの好きな歌』挿入歌

など、さくらももこさんとの縁が深かったことが、
この曲の誕生につながっています。

この曲は非常に興味深い構造を持っています。

さくらももこさんの詞は
“日常の小さな幸福の予兆”を描く

大滝さんの音は
“過去のポップスの記憶”を呼び起こす

その二つが重なり、
「懐かしさと新しさが同時に訪れる感覚」を生む

まさにタイトル通り、
“うれしい予感”そのものを音で体験させる曲です。




さて・
大瀧詠一さんの最後の言葉 「ママ、ありがとう」 は、
事実としては 妻・静子さんへの感謝の言葉でしたが、
夫人自身が語ったように、
「自分を支えてくれたすべての人への
“ありがとう”を、妻に託した言葉」  
と解釈されています。


この言葉は単なる家族への感謝以上の、
大瀧詠一さんという人物の
人生観そのものが凝縮された最期の一言です。


派手ではないものの、
こんな素敵な人生・ありますか?


事実としての「最後の瞬間」
2013年12月30日、スタジオから帰宅
夕食前にリンゴの皮をむいていた

突然、大きな声で
「ママ、ありがとう!」  
と言い、そのまま倒れた

救急車が到着するまで夫人が
心臓マッサージを続けましたが、
そのまま帰らぬ人となりました。

後で知ったのですが、
奥様は元看護婦さんだったんですね・・


静子夫人はお別れ会でこう述べています。


「最期の言葉は、
主人を支え見守ってくださった方々に

『ありがとう』と代わりに御礼を述べてほしい、
ということだったと思います」


つまり、

「ママ」=妻個人  

であると同時に、

「ありがとう」

=自分の人生を支えてくれたすべての人
への感謝  という“代弁”だった

という解釈です。

彼女が自分の命でそう感じたのですから
それでまちがいはないと思います。

大瀧詠一さんは「無宗教」ではあるものの、
その生き方は仏教的に読むと 
“悟りに近い境涯” にあります。

とくに 「無常」「中道」「縁起」「無我」
 の4つの教えと深く響き合っています。


大瀧詠一さんは、
成功の絶頂にいながら突然活動を止めたり、
時代の流行に背を向けたり、
沈黙の期間を長く取ったりしました。

これは仏教でいう 
「無常を受け入れた者の生き方」 に近い。

流行は移ろう

名声も移ろう

自分の気持ちも移ろう

その移ろいを拒まず、

「変わるなら変わればいい」  
という軽やかさで生きていた。

無常を悟った人は、
外界に振り回されず、
自分の内側の静けさを大切にします。

大瀧さんの沈黙は、まさにその静けさでした。


彼は「職人」でありながら「遊び心」を忘れず、
「孤独」を愛しながら「仲間」を大切にし、
「古い音楽」を愛しながら
「新しい録音技術」を追求した。

これは仏教の 
「中道」=偏らない生き方 に非常に近い。

真面目すぎない

ふざけすぎない

こだわりすぎない

捨てすぎない

その絶妙なバランスが、
ナイアガラ・サウンドの
“軽やかさ”を生んでいる。

中道を体現する人は、
周囲を安心させる「柔らかい強さ」を持つ。

大瀧さんの音楽は、
まさにその柔らかい強さだった。


大瀧さんは「人見知り」でありながら、
一度縁ができた人とは

深く長くつながるタイプでした。

はっぴいえんどの仲間
鈴木茂、松本隆、細野晴臣
さくらももこ
井上鑑
錚々たるミュージシャンたち

彼は「縁が来たら受ける」
「縁が離れたら追わない」
という自然体の姿勢を貫いていた。

これは仏教の
 「縁起」=縁によってすべてが生まれる  
という教えそのもの。

縁を操作しようとせず、
縁に逆らわず、
縁を楽しむ。

その姿勢が、彼の人生を豊かにした。
大瀧詠一さんは、
自分が前に出ることを好まず、
作品だけを前に出しました。

テレビに出ない

ライブをほとんどしない

自分の説明をしない

評価を求めない

これは仏教の
「無我」=自我への執着を手放す  
という境地に近い。

無我の人は、
「自分がどう見られるか」より
「自分が何を生み出すか」を大切にする。

彼の音楽が“時代を超えて残る”のは、
この無我の姿勢が作品に宿っているから。
とも言えます。

仏教では、
最期に出る言葉は
その人の“心の本質”とされます。

大瀧さんの最期の言葉は
「ありがとう」  
でした。

これは、
無常を受け入れ、

中道を歩み、
縁起を信じ、
無我で生きた人の
“静かな悟りの言葉”に見える。

果たして・
自分の最後にこの言葉が言えるか?
そういう人生を歩めるか?

これは正に、自分に対する強烈な
問いかけとも思いました。

彼は「無宗教の仏教徒」のような境涯
にいたと思います。


宗教を持たずとも、
仏教の核心を自然に体現する人はいます。

大瀧詠一さんはまさにそのタイプで、
「悟ろうとしたのではなく、
悟りのように生きた人」  
と言える。

なかなかこうは生きれませんね。

 

彼の生き方は・

① 無常を知っていたから
名声は移ろう。
流行は移ろう。
自分の気持ちも移ろう。
だから、そこに執着しない。

② 縁起を信じていたから
音楽は自分一人で成立しない。
仲間、技術、時代、偶然──
すべての縁が重なって生まれる。
だから、自分が主役である必要はない。

③ 中道を歩んでいたから
派手すぎず、地味すぎず。
孤独すぎず、群れすぎず。
こだわりすぎず、捨てすぎず。
その均衡が、彼を“影の位置”に留めた。

信仰をせずに、
中々こうは生きられません・

自分の人生の幕引きを、
最も信頼する人に託し、
自分ではなく“感謝”だけを残した。

これは、
影として生きた人の
最後の美しい振る舞いです。


自分の生涯最後の瞬間・
なんてなかなか判らないものです。


でも彼はその瞬間で理解したんですね
だからあの最後の言葉が出ました。

凄い境涯ですね。


享年65歳・
今の私とほぼ同じ歳・

最近になってようやく
身体の衰えを感じ・
先を感じられるように
なった頃ではありますが
とても彼のような境涯には
たどりつけないでしょう。

まだまだ未練があり、
欲があり、夢があります。

しかも彼は無宗教なんですよ・
徳のある方であり、
彼の命はその短い生涯を
知っていたんでしょうね。

天寿を全うされた彼には
感謝の心しか残らなかった・
ご冥福をお祈りします・

合掌。

 

 

私が思う彼の音楽・

大瀧詠一さんの音楽には、
攻撃性がまったくない
という特徴があります。

音が丸い
コーラスが柔らかい
メロディが人の心を押しつけない
歌詞が日常の小さな幸福をそっと置く

これは単なる“優しい曲調”ではなく、
人を傷つけないための美学です。

彼は音楽を「自分を誇示する武器」にせず、
「人を包む毛布」のように扱った。

その優しさは、
彼が“影で支える人”だったことと
深く結びついています。


大瀧詠一さんのセンスは、
“派手な個性”ではなく
「自我を消すことで浮かび上がる美」でした。

自分を前に出さない
作品だけを前に出す
流行を追わない

しかし時代の空気は正確に掴む
これは仏教でいう 「無我」 に近い境地です。

自我を消すことで、
音楽そのものが純度を増し、
“センス”が自然に滲み出る。

彼のセンスは、
努力して作ったものではなく、
自我を手放した結果として現れたものでした。



大瀧詠一さんは、
時代に合わせるのではなく、
時代を超えるものだけを選んで作った人です。

1950〜60年代のポップスの構造
フィル・スペクターの録音哲学
ビートルズのメロディの普遍性
日本語の響きの美しさ

これらは“流行”ではなく、
人間の感性の根っこにある普遍性です。

だから彼の作品は、
時代が変わっても古びない。

むしろ、
時代が変わるほど輝きが増す  

という稀有な現象が起きている。

これは、「自分を知らせるのではなく、音楽を知らせる」
という彼の姿勢が生んだ結果です。



大瀧詠一さんは、
悟ろうとしたのではなく、悟りのように生きた人  
だったのだと思います。

大好きですね♪

ありがとうございました。

 

 

1975年・でした。

スネアの「タン・」

ここからこの曲の世界に

引き込まれていく・

誰もが知る名曲ですね。

 

いつからか、このスネアの

音が好きになって

ドラムの林さんは

当時・何のドラムを使って

いたんだろうと

あれこれ調べた頃も

ありました(笑)

 

林さんはヤマハのセットを

使っていたとか・

スタジオ常備のラディックを

使っていたとか

いろんな話がありますが

確かな記録はありません。

 

しかし曲の所々で要となる

この一撃はアナログの特権

であり、これに勝るものは

ありません。

 

参加ミュージシャンは

当時の日本音楽界の精鋭。
細野晴臣(ベース)
鈴木茂(ギター)
林立夫(ドラム)
松任谷正隆(キーボード)
山本潤子・吉田美奈子らのコーラス 

発売:1975年10月5日、

荒井由実6枚目のシングル 
編曲:松任谷正隆(のちの夫) 
ドラマ『家庭の秘密』主題歌として制作 

ここで重要なのは、
最初に書かれた歌詞がドラマに合わず
 “ボツ” になった という事実。 

ユーミンはメロディを捨てず、
歌詞を一から書き直して
完成させたのが現在の

「あの日にかえりたい」

さらに驚くべきことに、
ボツになった元の歌詞は
ハイ・ファイ・セットの

「スカイレストラン」
へと生まれ変わった。  

つまりこの曲は、
“双子のように分かれた
二つの物語の片割れ” 
でもあります。 

発売から3か月で爆発的に売れ、
オリコン35週連続チャートイン、

週間1位を獲得 


これが ユーミン初の

オリコン1位曲 となり、
彼女が「国民的アーティスト」

へ駆け上がる起点となった。 

 

この曲が今も受け入れられる理由・

「ユーミンは世界そのものを作る作家」


という感性にぴったりで、
この曲はまさに
 “都会の記憶を音にした作品” と言える。

恋ではなく “人生” を歌っている
失恋ソングではなく、
人生の歌 として響く。 

「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう♪」
(日本ポップス史に残る名句) 

ここで歌われているのは、
「人」ではなく

 “自分自身の後ろ姿” を見つめる視点。


ユーミンは「個人の記憶」を歌いながら、
“日本人の集団的記憶” に触れてしまった。

誰の心にも “帰りたいあの日” がある
ということですね。


1975年はユーミンにとって奇跡の年で、
「卒業写真」「いちご白書をもう一度」
「あの日にかえりたい」という
3つの名曲が同じ年に誕生しました。 


~1970年代のレコーディングは
「ワンテイクで決める」文化が強かった。

特にユーミン作品は
“生演奏のグルーヴを重視する”  
松任谷正隆の方針が強かったため、

多少のハプニングは“味”

として残されている。

ここで、
「あの日にかえりたい」という
曲の伝説的なエピソード・

歌詞の・「今愛を捨ててしまえば~♪」
の後、ドラムの林さんは
スティックを落としてしまう・

しかし、そこはプロ・
何事もなくリズムを刻み、
一発録りのテイクをOKさせて
います。

2:34ぐらいのところ・
さすがです。

複数のミュージシャンが語っているのは、
林さんはスティックを落としても、
そのまま演奏を続けてしまう。
という“異常な安定感”です。

なぜ崩れないのか?
彼は 左手のリズムが異常に強い
グルーヴの芯が「右手のスネア」
ではなく「左手のハイハット」にある

右手が一瞬止まっても、

ビートの骨格が揺れない
これは日本のドラマーの中でも

極めて珍しいタイプ・

細野晴臣・松任谷正隆・鈴木茂らが
「林のドラムは“落ちても揺れない”」

と語る理由でもある。

まぁ、そうは言っても
林さんにすれば悔いの残るところ
ですよね・

あの日に帰りたいのは
ユーミンではなく
林さんだったのか・・
おそまつ・(笑)



(何回も鳴ってました汗)


さて、それは過日・

東京から関西へ
久々に帰ってこられた方に
お聞きした話でした。

 

数十年の間に
すっかり変貌して
しまった大阪を
嘆いておられましたが・

まだ残っている名店の
お話です。

 

その方が伊丹空港に着いて

その足で直接・行かれたくらい

思い出深いお店なんですね。

 

北大阪・千里中央駅
千里のセルシーは消滅・

しかし駅の中にそのお店は
残っていました。

 

時は1970年・

大阪万国博覧会

いわゆる「万博」が

開催された年・

 

今から56年前です。

創業はこの年から、

千里中央と同じく誕生した

お店でした。

後日に行ってみました。


私は初めてだったのですが
隠れファンの方は多いようです。

営業時間が短いですが
お店は常に満員状態・

お店の前には5~6人の列
しかし、それほど長く待たされません

知る人ぞ知る・なのですが
このお店はシニアの男性が4人
働いています。

カウンターの中で常にサンドウィッチを
作り続けています。

一人が店内に居て・商品を運んだり
お会計から注文を確認しています。

凄いのは全て注文を暗記している・


お店の外でオーダーを聞いて、
直ぐにオーダーを伝えている。

食べ終わるとお客様は皆・そそくさと
お店を出ていきます。

私がテーブルに着くころには
オーダーした品がテーブルに
置かれる・という感じでした。

今はやりのタブレットも無し・
何か昭和の雰囲気なんですよね(笑)

カツ・サンドは野菜入りか無しか・
私はミックス・サンドとカツサンドを
頼みましたが直ぐに出てきました。

しかも同じお皿に分けて入ってる(笑)

食べやすく、小さくカットされています。

 

ハッキリ言って「美味しい♪」

お店もとてもキレイに清掃されていて

よけいなものは何もありません。


お店を出れば直ぐに改札口がある

下に降りれば駅のホーム・

まさに通勤途中で利用できるお店
ですね。

見ればお店の外に5~6人の列が
出来ていましたが、それ以上には
なりません。

食べ終えたお客様がどんどん出ていく
のでお店の回転が速いんですね。

常連さんはよく判っているのでしょう

こんなスマートなお店・
初めてでした♪また行きたいです。

この先何年あるだろう?
もし行ったことのない方がおられたら是非・
おすすめです。

私は初めてだったので

少し調べてみました。

 

店の正体:千里中央の名物「ニューアストリア」
住所:大阪府豊中市新千里東町1丁目3 

せんちゅうパル専門店街 B1階
電話:06-6831-2537
営業時間:朝8時から
価格帯:1〜1,000円ほど(モーニング中心)
ジャンル:喫茶店・カフェ
評価:★4.6(480件)と非常に高評価

 

“千里中央のソウルフード” 

と呼ばれるほど有名なカツサンド。

厚めのカツ
ふわふわのパン
甘すぎないソース

そして喫茶店らしい素朴な味わい
口コミでも

「これを食べずに千里中央は語れない」

と言われるほど、
地域に根付いた名物になっています。

 

昭和の喫茶店の“気配”が残る場所
地下街の少し薄暗い照明

朝の通勤客がひっそりと

コーヒーを飲む空気
カツを揚げる音ではなく、

パンを温める控えめな音

せんちゅうパルの古いタイル

の匂いと混じるコーヒーの香り

ミスドの

「揚げたての気配」

が消えていった近年の大阪において、

ニューアストリアはまだ

 “昭和の喫茶店の残り香” 

を保っている店だと言えます。

 

どんな人が訪れる店か?
千里中央で働く人の朝食
北摂の住民の「昔からの定番」
カツサンド目当ての遠征客
地下街の静けさを好む常連

特に朝は、
「コーヒーとカツサンドで一日を始める」  
という儀式のような時間を

過ごす人が多いのが特徴です。

 

1970年、大阪万博とともに始まった店
創業:1970年(昭和45年)  
大阪万博が開催された年、

千里中央駅が開業した年と同じ。
→ つまり 千里ニュータウンの誕生と

歩調を合わせて生まれた店。

50年以上の歴史  
地元の人々に「千里中央の顔」

として愛され続け、
食べログの 喫茶店百名店

 にも選出される実力店。

創業者の背景  
かつて

 高島屋のサンドイッチパーラーで

修業したオーナー が、
自らの技術を活かして

カツサンドを編み出した。

ニューアストリアは

「カツサンドの店」と思われがちですが、
実は 飲み物の完成度が

非常に高い喫茶店 でもあります。

ミルクセーキ
素朴な甘さで、カツサンドとの相性が抜群。
昭和の喫茶店らしい“やさしい甘み”が特徴。

ミックスジュース
常連からの人気が高い。
夏場に特におすすめ

とされる爽やかな味わい。

ミックスサンド
カツサンドに比べて軽やかで、

パンのふわふわ感が際立つ。

複数人で訪れた際に

「味の対比」として選ばれることが多い。

 

スタッフのこだわり:

職人技と“無駄のない動き”

注文ごとに揚げるヒレカツ
カツは注文が入ってから揚げる。
カクテルソース、タルタル、

ブラックペッパーなど

洋食店仕込みの技術が光る。

カウンター越しに見える“職人の連携”
限られたスペースで、
パンを焼き、カツを揚げ、

サンドを仕上げる動きが

「無駄がない」と評判。

 清掃が行き届いた店内
老舗でありながら、店内は常に清潔。

年配スタッフがテキパキと持ち場を回し、

温かい接客をする。

 “長居をさせない”ではなく、

“食事の場としての最適化”
喫茶店というより

「食事処」に近い運営方針。

回転を意識しつつも、

混雑時以外はゆっくりできる。

ここには、
昭和の喫茶店が持っていた

「仕事の美しさ」 がそのまま残っています。

 

もっとも重要な事実は、
創業者は

 “高島屋のサンドイッチパーラー” 

で修業していた職人である という点です。 

 

修業の背景
高島屋のサンドイッチパーラーは、

昭和期の百貨店文化の象徴。

洋食と喫茶の境界にある

「サンドイッチ」という料理を、
“手仕事の技術” 

として体系的に学べる数少ない場 だった。

そこで培われたのは、

パンの焼き加減

カツの揚げ方

野菜の水分処理

 

ソースの味のまとめ方


といった、

喫茶店のサンドイッチを超えた“洋食的精度”。

 

~私は自動車通勤族でしたから、

このお店の存在を長く知りませんでした。

凄く残念だったのと

新たに知る事が出来て、嬉しい気持ちが

いっぱいです(笑)

 

東京から帰ってこられた方の縁で

このお店との縁に触れることが

出来て、感謝しています。

 

今度行く時はミックスジュースを

飲んでみたいです。

 

 

 

人の人生それぞれ・

恋人だったり

友達だったり

親であったり・・

そんな思いです(笑)

リチャードはこの曲を

「キャリアの中でも最も完成度が高い」

と語っており、

ファン・評論家の間でも

“最高傑作”と位置づけられています。

 

発売日:1972年6月13日
録音:1971年4月16日
 〜1972年3月25日(A&Mスタジオ/ハリウッド)
ジャンル:ポップ、ソフトロック、イージーリスニング
プロデュース:Jack Daugherty Productions
チャート:米国4位、英国13位、日本5位(アルバムチャート)

A Song for You(レオン・ラッセル作)
アルバムの“額縁”となる曲。

レオン・ラッセルの原曲は
より荒削りでブルージーですが、
カーペンターズ版は
祈りのような静けさを帯び、
カレンの声が“告白の純度”を極限まで高めています。


彼女の生涯を知る私は

彼女がどのような想いで

この曲を歌っていたのかと

切ない思いがよぎります。

 

カレンの才能

「カレンの歌唱技法」

中低音域の深い共鳴:
胸声の響きが豊かで、
語りかけるような親密さを生む。

息のコントロール:
フレーズ終端の“息の余白”が、
感情の陰影を作る。

ビブラートの抑制:
必要最小限の揺れで、
感情を過剰に装飾しない。

言葉のアタックの柔らかさ:
子音を丸めることで
“優しい輪郭”を作る。

この技法がアルバム全体の
“静かな祈り”のような質感を支えています。

唯一無二のボーカルですね。

そしてリチャードのアレンジ・
アナログで誠実さに溢れます。

 

9月になりました。

同じ猛暑でも
少し角度の違う
暑さとなりましたね・

歳を重ねると
こういうことに
気がついてくる。

変な感じです(笑)

 

9月1日から
タイヤの値上げ・

私もタイヤ屋ですが
31日には私も
タイヤを替えました(笑)

 

旧コペンは
そのダイレクト感が
好きで乗っていますが

標準装着・指定の
165/50R15のサイズは
スポーツ走行にはベストの
タイヤだと思います。

しかし、近年は道路の
インフラ事情が悪く、
アスファルトの状態も
最悪です。

酷い時はクルマが
壊れそうな衝撃の時も
あります。

そこで、
十年くらい前に
私はタイヤサイズを
165/55R15にサイズアップ
しました。

多少部品誤差があるので
クルマによっては干渉等
あるかもしれません・

それは車高調で調節しました。
路面からの衝撃吸収も良く
幾分・快適にはなりましたが
マシになったという感じですね。

もちろん、車検にも合格します。
燃費はリッター18㌔前後・
エアコン併用での状態・
エアコンなしではそれを
上回ります。

 

それでレグノのレジェーラを
履いていたのですが・2回ほど・・
年数にして5~6年・

しかし・
何と、下市(業界用語で生産終了)
してしまいました(汗)

今回の値上げで、
タイヤも減っていたので
やむなく・普通のレグノを
装着したのですが、
これが大当たり!!(笑)

同じサイズでも微妙に違います。
これは当然なのですが、
ENLITEN(エンライトン)
・恐るべしです。

 

乗り心地最高です♪

レジェーラが何故・下市したか
判ったような気がします。

ノーマルのGRコペン・
165/50R16の感覚に
匹敵します。

~やはり・軽は軽やなぁ・・
なんて、冷たく乗り換えられた
方も多いでしょうが、

今回は20年近くにわたる
コペン愛に報われた感が
あるほどでした。

旧コペン愛の高い方はご検討を
お勧めします(笑)
特にご年配の方(笑)

 

右前輪はスリップ・サイン

右側に乗りますから

負担は大きいですね。

左前輪は少し溝が残りました。

左右差は否めません。

値上げが無ければ

ローテーションして

もう少し乗れたかな?(笑)


基本・ブロックパタンは

台形なので、溝が減れば

接地面積が増えていきます。

同じタイヤなのに違いますね。

 

大きなサイズは溝が4本ですが

小さなサイズは3本になります。

トレッドの強度はこちらの方が

強いです。

 

良くも悪くもですが、

今はこのENLITEN(エンライトン)

の技術の凄さに

酔いしれております(笑)・・

 

近年のSUVブームは
タイヤの外径が大きいので
さほど気にならない方も
多いと思います。

ハイブリッドやEVなどの
影響で車重は重たくなり、
タイヤの大口径化は、
タイヤ+ホイルの重量を
更に重たいものにしています。

昔のクルマに比べて
これだけの重量で道路を
走れば、道路の劣化を
早める要因にもなるでしょうね。

もう、既に一般ドライバーが
簡単にスペア・タイヤに交換
できるレベルではありません。

そもそも、そういう行為自体が
道路上では危険という指摘が
あるのかもしれません。

まぁ一度機会があれば、
ご自分のSUVのタイヤ・
持ち上げてみて下さいな
省エネって何?って
考えさせられますよ。

「パンクすればスペアタイヤに交換」

それはひと昔前の行為で
「パンクすればレッカー車を呼んで
運んでもらう・」

昔はタダだったものが今は費用が
発生して時間も奪われます。

TPMSなるものが出来て・
タイヤに装着することで
パンクを早期に発見して
走行不能になる前に移動して
修理・交換できる場所へ行く

これが一番・スマートなのかも
しれません。

まだまだ装着している人は
少ないですが・・
標準装備は増えてますね。

燃費を伸ばす為に
スペア・タイヤを非装着に
しているクルマが多く
なってきた現在・

(コペンも然り)

ガソリン車が減って
電池の重たいクルマが
道路を傷めている・

なんとも皮肉で愚かな
社会の一面です。