●12 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの哲学的展開、日蓮遺文の曲解例 | ラケットちゃんのつぶやき

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●12 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの哲学的展開、日蓮遺文の曲解例


 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
 です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。



■日蓮の師弟不二を覆す日寬アニミズム


 さて、日寬教学を師弟関係において考察する。
 日蓮は、佐渡において観心本尊抄(御書P253)を顕し、そこには、
「我が弟子之を惟え 地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」
《わが弟子たちはこのことをよく思惟せよ。地涌千界の菩薩は教主釈尊の初発心の弟子である》
とあり、あくまで日蓮は教主釈尊の弟子である、地涌の菩薩であるとの自覚である。
 その後、身延で、前述したように
「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(三大秘法抄 御書P1023)
《この三大秘法は二千余年前のその時、地涌の菩薩の上首(上行菩薩)として日蓮が確かに教主釈尊の口から直接に相承したものである》
と述べている。

 つまり、師弟関係は、何度も何度も日蓮は教主釈尊の弟子であると述べている。
 なのに、日寬は、
「当山古来の御相伝に云く、本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事也」
「本地自行の自受用身とは、即ち是れ本因妙の教主釈尊也。本因妙の教主釈尊は即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり」(末法相応抄、日蓮宗宗学全書4、P80-83)
「第六の文底の教主釈尊は即ちこれ蓮祖聖人なり」(観心本尊抄文段、日蓮宗宗学全書4、P219)
 と、何度も述べて、日蓮=師=教主とし、結果、上行菩薩を弟子としている。

 つまり、教主釈尊と上行菩薩の師弟関係をも逆転させていて、日蓮の師弟不二を覆していることになる。
 したがって、この論理の構成はまさしく師敵対であって、仏法本来の、三世永遠の血脈とも異なっているのである。
 俗世の血脈・師弟不二もすでにズタズタになっているばかりか、これではなんとも目の開けようがないと感じる。

 そして、現代の宗教学的見地から見れば、実質的には、ご本仏日蓮に通じるとした法主(および末寺の住職など)をシャーマン相当とし、板本尊(マンダラ板)を、無限の仏力・法力と称するものを具えるという「超自然的存在」「霊的存在」とするアニミズムである。

 これは、日蓮が真っ先に破折した念仏と同じ論理であり、釈迦も原始仏教で梵我一如と共に真っ先に否定した外道ではなかったか。



「先づ汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ」(日蓮、聖愚問答抄 御書P491)

 また、日蓮は「依法不依人」(法に依って、人に依らざれ)と述べている。


 何度も確認するが、日蓮は佐渡流罪赦免の後も、邪法を擁護する鎌倉幕府からの寺院寄進を明確に拒否し、邪法・謗法を改めよと国家諫暁している。
 そして、謗法の布施を拒否して極寒の身延で、清貧の布教を行なっているのである。

 これに対して、この時点の大石寺が法主や日寬も含めて、相変わらず幕府権力におもねり、権力からの布施で大石寺の建物を再建しつつ、布教禁止や限られた檀徒利用の収入により生き延びていたことは、いかに理論武装しながら綺麗に言いつくろっても、日蓮の教えに違背していたことは否定しえない。

 謗施に繁栄を支えられていた大石寺門流は、日寬でさえ、宗祖日蓮の極貧生活や法難の生涯に思いを馳せ、それに立ち返ることはできなかったようだ。
つまり、厳しい指摘ではあるが、日蓮の教えや生涯のように「法華経に頸をささげ」(種種御振舞御書)、「ただひとえに思い切」(聖人御難事)ることはできなかったといえよう。

 現実にこれができたのは、この時点では不受派や寛政法難での要法寺などであったし、それ以降も法難で流罪になったのは大石寺の末寺であって、大石寺本山においてはいっこうにみられない。

 そして、日寬の教学は、そうした日蓮の教えに違背した処施術を明確に否定せず、暗に肯定した中での論でもあるため、権力に迎合・利用される要素(アニミズム等)を含んでいることが、最大の汚点である。
 他の非科学的宗教と並んでドングリの背比べとなっていることは、聖なる法則を説いた日蓮を、自動的に貶めてさえいる理論ではないだろうか。
 そして、後世に、様々な日蓮主義となって萌芽し、一部は国家軍部によって利用され、また創価学会や日蓮正宗の間で様々な問題を引き起こしていることは歴史が証明している事実である。


 日蓮は身延に入るとき
「日蓮を用いぬるともあ(悪)しくうやまはば国亡ぶべし」(種種御振舞御書)とある。
 これが日蓮の結論である。


 ただし、少しの救いとして、日寛は、「当家三衣抄」の最後で「行者謹んで次第を超越する勿れ」との誡めていて、すでに伝統であった「法主即日蓮」「法主信仰」は、まとめて否定していた。

 同時にこれは、自らの説で最第一とした日蓮に対し、自らを同等か彼を超える者とみなす説、たとえば幕府によって禁制となり取り締まりの対象となった三鳥派日秀の説を否定し、以後もこのような説が大石寺内に発生したりして幕府の取り締まりを受けることのないようにくぎを刺したものともいえるのである。
 つまり「法主信仰」否定の本当の目的は、こういった保身であった可能性もある。

(日秀は、日蓮の本因妙思想を展開して、自身を日蓮と同等かこれ以上とみなし、曼荼羅書写を行なっていた。日寬が細草檀林にいた中の1706年、この説は幕府によって異流義とみなされ、日秀は三宅島に流罪となった。
法主を日蓮と同等とみなすと、異流義扱いされたのである。)


 しかし、信教の自由がある現在では、「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(大日蓮 1991年9月P87、教宣ハンドブック2012 P36など)と、堂々と主張できるのである。
 つまり、この時点の法主は阿部日顕だったので、信心は、阿部日顕=戒壇の大御本尊という。
 仮にこういう信心「この根本の二つに対する信心は絶対」ならば、題目も首題も、南無妙法蓮華経ではなくて、南無阿部日顕でもいいことになるのではないだろうか。
 法則である「妙法蓮華経」に南無(帰命)するのではなく、実質的には曼荼羅板と不二の尊体「阿部日顕」に南無(帰命)するとするなら、むしろその方が正直で正確ではないか。
 いや、この宗旨からすれば、そうすべき信仰ではないだろうか。


 それが正直にできないことは、教学の論理や主張に様々な矛盾を抱えているか、又は教学以外の何か不純な動機(いわずと知れた、権力行使や教団存続の利権等)をあいも変わらず含んでいるのであり、日蓮の言う「一心欲見仏 不自惜身命」の信心とはとてもかけ離れている証拠ではないだろうか。


 世間の風潮である、そんなに厳密なことを言うものではない…これも信仰の自由だ…で、いいのなら、それでもいい。
 そういう軟風にひたるのも心地よいものであって、信仰の自由のひとつだ。
 間違ったことを信じる自由もあっていい、それが宗教ともいうかもしれない。
 アニミズムも、一時の娯楽、道楽、ボケや戯れで終わればそれでもいいかもしれない。

 しかし、本気で信じるものや、「信念」が間違っていたら、必ず問題が起きて行き詰まる。
 厳然とした因果の法、善因楽果、悪因苦果なのであるから、一切衆生救済のための、法の解釈や実践法が間違っていては困るだろう。
 現在の創価学会や日蓮正宗、またほかの日蓮教団の間で繰り返し繰り返し起こっている様々な紛争や問題は、日蓮の信仰を間違って捉えていることが根源となっていると考えられるのである。


「日蓮を用いぬるともあ(悪)しくうやまはば国亡ぶべし」(種種御振舞御書)
これが日蓮の結論であろう。


 三世永遠・本来の血脈にもどるべきである。
 その気さえあれば、いつでも戻れるのである。


 もっとも、日寛は、「当体義抄文段」の中で、信心唱題に励む人の身は「全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と述べているのであり、日蓮の凡夫本仏論もきちんと受け継いだ上での教学であるが、この部分はセンセーショナルな「日蓮本仏論」の陰に隠れてしまって、一歩引いた主張となっている。

 須田晴夫は前掲書でこの部分を重要視し、日蓮・日興が十分表明できなかった意図を敷衍し、より明確に表現した面があり、その典型が凡夫本仏論であるとしている。
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」((日寬上人文段集P548)
「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(同P676)を挙げて、凡夫本仏論というべきであるという。
確かに、この引用文だけを見れば凡夫本仏論に見えるが、これらの引用文のすぐ前には、それぞれ順に、
「久遠元初の自受用とは蓮祖聖人の御事なり…中略…
問う、妙法五字のその体何物ぞや。
謂く、一念三千の本尊これなり。
一念三千の本尊、その体何物ぞや。
謂く、蓮祖聖人これなり。…中略…」
 また、
「当に知るべし、『倶体倶用・無作三身』とは蓮祖聖人の御事なり」
が存在して、これらに続いている文であって、どちらも先に日蓮を本仏と宣言しているのである。
すなわち両文とも、この本仏である日蓮を信受し、南無妙法蓮華経と唱えれば、本仏と同等となるという文脈なのであり、結局は日蓮本仏論の説明の一部にすぎないのである。
「久遠元初の仏道に入る我等衆生の当体、全くこれ久遠元初の自受用身なり。自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり。」(日寬上人文段集P488)も、須田は同様に引用しているが、この文の前、後にはそれぞれ、
「この本尊を受持する衆生は皆久遠元初の仏道に入る、故に『化一切衆生、皆令入仏道』というなり。既に」
 と
「故に『妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや』というなり。自受用はこれ師、我等はこれ弟子、既に『如我等無異』なり。豈師弟不二に非ずや」
 がある。
 これらをサンドイッチにして連続して読むと、日蓮の観心本尊抄の重要部分である「受持即観心」すなわち「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」を説いた部分の続きの解釈になっていることがわかる。
 「二法」「妙法蓮華経」とあるように、ここでも「法則」の説明であることが明確であるが、どういうわけかここでもアニミズムの対象として久遠元初の自受用身が出てきて、仏道に入る我等衆生の当体が自受用身となり、これが日蓮の原文である「因果の功徳は骨髄」に相当すると、日寬はこじつけているのである。
 さらに、『如我等無異』となるから、師弟不二であるとしている点は、釈尊と師弟関係を逆転させておきながらの前提なので、結果としては、これに帰命する衆生をすべて師敵対の論理で導こうとするものとなっている。

 これを挙げて、
「本尊を受持する凡夫が久遠元初自受用身であり、無作三身であるとする」(前掲書P246)
 さらに続いて「須臾も本尊を受持すれば我等の当体、全くこれ究竟果満の無作三身なり」(同P489)も引用して、「凡夫本仏論というべき思想」(前掲書P246)というのである。

 また、これを受けて、2019年の創価学会青年部一級試験の教材にもなっていた創価学会教学部編「教学研鑽のために 観心本尊抄」(2018/3/16聖教新聞社)のP162-163で、
「この文の元意として、日寬上人は『自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり』と述べている。御本尊を受持し唱題に励む私たち凡夫の身が、そのまま自受用身と現れるのである。
経文に『一切衆生を化して』とあることから、この『自受用身』は師、「我等衆生』は弟子である。妙法受持によって師弟が一体になるのである。
ゆえに、この文は『師弟不二』を示すものである」
 と述べられているのである。

 日蓮仏法の根幹である観心本尊抄の肝心部分を、このような師敵対の論理で無理矢理まとめた「師弟不二」として説いている故なのか、創価学会が、日蓮正宗から破門されながらも、結局は日蓮本仏論の日寬教学を根本としたアニミズムに加えて創価三代を「永遠の師」とするシャーマニズムに陥り、俗世の「師弟不二」をとなえながら、犯罪行為を含む様々な社会的問題を引き起こしつつ、どのような因果な歴史を綴っているかは、改めて後述することにする。




 関慈謙は前掲書P516において、大石寺門流への提言として、要法寺日辰の人法体一論と左京日教の久遠元初自受用身思想を排除するよう、具体的に以下を提言している。
「一、戒壇本尊を絶対的な本尊とせず、本来の意味を復活すること。即ち、師ではなく、弟子が成仏した姿を本尊として顕したという本来の意味を復活させることである。
 二、日辰によって始まった人法体一論をやめる。
 三、日蓮本仏論をやめて、不造像義本来の意味である、衆生即仏論に戻す。
 四、久遠元初自受用身の考え方をやめる
 五、富士戒壇建立説をやめる。」
 更に細かなこととして、偽撰である『身延相承書』『池上相承書』『本因妙抄』『百六箇抄』『産湯相承書』『日興跡条々事』に固執しないこと、本門本尊を一秘とせず、南無妙法蓮華経を一秘とすること、本門題目を単に信・行面だけ論じるのでなく、諸仏の源である点を重要視すること、以上の五点をあげている。

 これらはまことに素晴らしい、的を得た提言である。
 この、信仰上の提言に加えて、あえて私は、これらについて、科学的再現性も加えた、哲学的意味づけも要請したい。


 ここで自身の現実を反省・懺悔し、ズバリ白状することには、過去に大石寺に数回にわたって登山した私は、日蓮の信仰のなんたるかをきちんと教えらていなかったために、南無妙法蓮華経という「法」に帰依するようであっても、そうではなくて、南無妙法蓮華経と描かれている「曼荼羅〝板〟」に帰依していたのである。
 そして、普段の私は、毎日朝晩に「阿部日顕の書写曼荼羅のコピーが張り付けられた〝掛け軸〟」に帰命し、そして2~3年前までは「創価学会が認定した日寬の曼荼羅が張り付けられた〝掛け軸〟」に帰命していたのである。
 同じ題目でも、多くの題目の時間は、心の中で、帰命の対象が、まったく違っていた、
 つまり、「板」や「掛け軸」といった物体に帰命をしていたのである。

「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大曼荼羅を帰命依止の本尊とする」(日蓮正宗宗規)をあげ、関慈謙は前掲書P57で、「日蓮正宗は板曼荼羅宗と言っても良い」と述べている。
 ならば、同様に今の創価学会の現状は、暫定日寬曼荼羅掛け軸宗とでも言えるだろうか。
 なぜなら、法に対する帰命を建前上言っていても、実質的には自分たちだけの曼荼羅「板」や曼荼羅「掛け軸」を絶対視して(させて)、他を排除(又は憎悪)しているからである。
 だから、過去にも今でも本尊偽造説が組織の内外からはびこるのである。
 更には、多くの信者・会員が、その掛け軸の安置の為に、自宗限定の、それなりに高価な仏壇・仏具や書籍などのグッズを買いそろえ、関連会社や宗教業界が潤っている。


 日蓮の信仰の真実を知り、真実の血脈を受け継ぐのなら、南無妙法蓮華経はあくまで法則なのだから、そして、日蓮の信仰は法への帰命なのだから、誰が曼荼羅を描いてもよいのではないか。
 日蓮が、曼荼羅特許権や著作権を行使したか?
 一切衆生救済のための法ではなかったか。
 日蓮の信仰が真実ならば、首題の南無妙法蓮華経がヒゲ文字でなくても、下手な自筆でもいいのではないか。
 さらには、アーチストやデザイナーが描いたポップな曼荼羅でも、おなじ「信心」なら、全く功徳は同じではないか。
 時代のIT技術の恩恵は、まさにこれに、広宣流布に役立てるべきではないか。
 これを容認してこそ、過去のドグマから脱皮した、科学的再現性のある理論となるのである。
 大切なのは、根本なのは、南無妙法蓮華経への「信心」である。
 これが、科学的再現性を持った道理である。

「先づ汝 目をふさぎ 心を静めて 道理を思へ」(聖愚問答抄 御書P491)


■日蓮の教えの、哲学的展開

 南無妙法蓮華経を法則とする日蓮の教えを、哲学的に展開すれば、それをだれが書いても、同じはずである。
 曼荼羅の作者が日教であろうと、外道とされた三鳥日秀であろうと、南無妙法蓮華経の法則に違いはないはずであり、その曼荼羅に書かれた「法」=「南無妙法蓮華経」への帰依なら、曼荼羅の作者への帰命になることはないのである。

 曼荼羅の作者や、書写した曼荼羅にこだわること自体が、偶像崇拝と同じではないか。
 謗法の者が書写した曼荼羅の内容が、正しい「法」=「南無妙法蓮華経」であったなら、この正しい「法」に帰依したら、謗法の者に帰依したことになるのか?
 そうではないだろう。
 私たちが南無妙法蓮華経と唱えるとき、帰依・帰命するのは南無妙法蓮華経という「法」であって、それが描かれている「曼荼羅」物体ではないだろう。
「曼荼羅」物体に帰依するというのなら、それは日蓮が破折した、念仏などの偶像崇拝である。

 現在の創価学会は、日蓮正宗を破門されてからも、自らの正統性を様々に主張展開している。
 しかし、日蓮の御書を根本とするなら、そしてその御書を忠実に理解した信心をするなら、創価学会は、自ら「自身の胸中」である曼荼羅を書くことを、どうして、会員に奨励しないのか。
 むしろ、マンダラ掛け軸を写真にとることさえも事実上禁止していることは、指導者の首が変わっただけで、創価ルネサンスとは言っているが、江戸時代から続く日蓮正宗の悪しき呪縛から根本的には解放されていない証拠ではないだろうか。


 この、科学的視点において、多くの信仰者は、見事に間違った見方をしている。
 ああ、この「間違った見方」をもって、信仰というのかもしれない。
 時代は仏教も、科学化し、進歩していくのである。


 日辰や日寬の日蓮本仏論も、これを信奉する人の唱える題目と、これを全く知らない凡人が唱える南無妙法蓮華経との差異を、どうやって科学的に証明するのであろうか。


 以下の詳細は後述することになるが、完全無欠の理論など存在しないし、存在しえない。
 それは、あるとすれば、不完全・独善的なドグマでしかない。

 既に解明された理論の、不完全な部分が指摘され修正され、バージョンアップされていくためにベースになることは、
「常に、その理論が、修正可能であること」、修正可能な余地があることが、必要十分条件である。

 たとえば、科学の一つである量子論は修正可能であるが、マルクス主義は修正不可能である。

 既に解明されている部分を説明する理論が、不完全な部分を修正しながらアップデートすることができること、これこそが科学的な再現実験や批判検討を万人に対して可能とし、自身を高めていく、科学的な理論ということである。
 古代ギリシア哲学から、キリスト教神学、近代哲学には、修正不可能なドグマを前提としたものも多数ある。カントの理性、フロイトの性欲、ユングの集合的無意識、牧口の価値論などである。
 もちろん、創価学会の教学も同様である。
 ポッパーの批判的合理主義には、その可能性を考察した部分が多い。


 因果は自明である。
 人類の研究や解明には限界があるし、不完全である。
 これから、物質やエネルギー、生命など、存在・非存在も含めて、それらは、時空を超えて永遠であることが分かる。
 これに業という概念を取り入れて、万物の因果の説明を試みたのが、仏法における理の一念三千である。
 対して、創造主を置き、一切の因果をそこに求めたのがキリスト教(一神教)の神学であろう。
 どちらも、ドグマを含んでいる。
 神の原因、生命の原因、成仏の因の説明を次々に過去永遠に求めると、無限の退行(無限後退)に陥ってしまう。

(「無限後退(むげんこうたい、英: Infinite regress)とは、ものごとの説明または正当化を行う際、終点が来ずに同一の形の説明や正当化が、連鎖して無限に続くこと。一般に説明や正当化が無限後退に陥った場合、その説明や正当化の方法は失敗したものと見なされる」(Wikipedia))

 だから、「元々から存在したもの」つまり、アプリオリのドグマの設定となってしまう。
 この悪弊に堕ちいっていたのが、有名なものとしてはキリスト教の神学であり、そのほか、太陽や星などの宇宙、地球上の自然の事物や様々な対象に超自然的な霊力を設定し、これに救済や呪いを求めてきたのが人類の各地域でみられるアニミズムであり、これを仲介するシャーマニズムである。
 日蓮仏法においても、創造主に相当する「仏」、仏としての人格的な「南無妙法蓮華経」「久遠元初」「自受用報身如来」などが、まさにこのドグマに相当する。
日寬の教学も同様に、この落とし穴に堕ちていた。

 日蓮の成仏観は、前述したとおり、「仏」をすべて架空のものであったとして暴露し、「法」(法則)を根本に、帰納的で常に修正しながら完成へ向かってアップデートし続けるという、現実の努力の姿を成仏の姿としている。いわゆる凡夫本仏論である
 しかし、何度も繰り返すが、凡夫本仏論を少し引っ込めて、久遠に元来あったと設定する「自受用報身如来」=日蓮を本仏とし、後世の作でありながら日蓮作と伝承されてきた板マンダラを、帰依の対象である唯一の本尊としてしまったのが、日寬である。
 日寬教学は、その内容は日蓮の信仰(凡夫本仏論)ではなく日蓮への信仰である「日蓮本仏論」を建前とし、板マンダラに「仏力」「法力」と称する超自然的「霊力」を設定したアニミズムである。
 
 日蓮の凡夫本仏論では、日蓮は架空の釈迦仏を師としながらも、決して師弟関係を逆転させることはなかった。
 しかし、日寬の日蓮本仏論における論理の構成仕様は、師弟を逆転させる師敵対になっている。つまり、この論理は下剋上の肯定や修羅道への誘因にもなっているのである。

 これが古来から現在に至るまで、様々な個人的社会的問題を引き起こしてきた根源の教学内容と論理構成であり、これらを根本とした創価学会や日蓮正宗の唱える、非科学的ドグマなのである。
 その影響は、アニミズムは現世利益・名聞名利の追求などとなって現れ、師敵対の論理構成は、それを都合よく真似た主義主張となって、様々な仇討ちや修羅道ともいうべき争いごとを引き起こしてきた。

 日蓮は、「依法不依人」とし、依法の対象である「法」を「南無妙法蓮華経」とした。
 これは科学的見地から見ればあくまで暫定処置にすぎないが、このように定めて、幸福実現や平和構築の実践論としたのが、本当に優れた宗教といえるだろう。
しかし、その大前提となる「真理」の探究には、常に批判・反対例の提示などの受け入れが必要不可欠なのである。
 日蓮の成仏観・本尊観は、この余地を十分に含んでいる。
 そしてさらに注目すべきは、繰り返すが、その批判・反対例の提示が、古くから、保身・保守の中からではなく、対立する教団や、自教団の中でも矛盾や変革を訴える(その後造反や除名されることが多い)主体者によってもたらされてきている皮肉な事実である。
 日蓮が、地頭の東条景信から清澄寺を追われたこと、近年では、創価学会を日蓮正宗が破門したこと、元公明党の要職であった矢野純也がその著書によって創価学会から「仏敵」とされたこと、「実名告発 創価学会」の著者3人が、創価学会を除名されたこと等、同様な好例を数多く上げることが出来る。

 しかし、こうした真実の暴露がないと、どんなに優れた教理であっても必ず独善となって、それが社会正義になってしまえばファシズムである。


 かつて、戸田や池田も、教えは科学的、道理でなければならない旨を主張していた。(これについては、後述することになろう)
 どんな教理・教学でも、科学的であるためには、再現性・普遍性とともに、修正可能であることが必要十分条件である。
 このことを指摘したのがポッパーであった。
 釈迦を創始者とする仏法、日蓮仏法~創価学会の教学も、結局のところドグマを含んでいるため修正不可能である。
 つまり、科学的とはいえない。
 道理とは言えない。
日蓮が言うところの、即身成仏の法を判定する基準、文証・理証・現証のなかの、「理証」は、日蓮の時代のような未発達な科学においては、あまり問題にされなかった。
 しかし現在は発達した現代科学によって、
「常に自身の教学をも、修正していかなければならない」ことが、判明しているのだ。


 しかし、悲しくも、結果として、日寬教学は、その後修正されることはほとんどなかった。
 その後に起こった数々の法難も、あくまできっかけとしては日寬教学に触発されたものとはいえるが、結果としては明確な対社会的行動として「念仏無間・禅天魔・真言亡国・立国賊(四箇格言)」を唱え折伏したことによるものであって、これらは日蓮の「法」の精神に立ち返ることができたところの、末寺の日蓮門下や要法寺に対するものであった。
 これに対して本流である大石寺では、日蓮の「法」の精神に立ち返ったことにより引き起こされるところの、流罪・死罪に至る法難を受けた法主は皆無であった。
 後述するが、要法寺の寛政法難に対する大石寺の初期対応も、保身を図ったためであろうか、一時は日目書写、日興書写の御本尊を互いに贈りあって両寺一寺の盟約を結び、経済的人材的応援を長期にわたって受けていた要法寺に対するものとしては、あまりにも信義に悖るものであった。
 太平洋戦争中に、大石寺は創価教育学会の牧口・戸田を除名し、自らは神札を受けて、軍部に屈した日蓮正宗の宗門の姿もその現証である。
 こうした史実は、日寬教学の限界を、なによりも物語っている。




■日蓮遺文の曲解例

 こうした史実を明確に言及した日蓮遺文のひとつを、以下にあげておく。
「仏法は体のごとし世間はかげのごとし 体曲れば影ななめなり」

(諸経と法華経の難易の事、富木殿御返事、御書P992)

 もっとも、この遺文の切り文は、創価学会の組織内で、曲解されて、信心を強める指導として何度も何度も利用されていて、有名である。
 創価学会の活動家は、おそらく肝に銘じている切り文であろう。(私もそうであった。反省している)

 例えば、池田大作著「人間革命」第十巻、1978/11/24,聖教新聞社,P185-186においては、
「山本伸一(池田大作)は、そうした人たちを見かけると、その誤った信心の姿勢を衝き、叱咤した。
『私は仕事をしない人は絶対に信用しません。日蓮大聖人の仏法に照らしても、信用してはならないことは明白です。仕事に憂いがあるようでは、思いきった戦いができるはずもありません。
 ほんとうの信心は、そんな甘いものではない。
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし 体曲れば影ななめなり』です」
 とある。

 振り返れば、日蓮の遺文のどこに、仕事をしない人を信用してはならないとあるのか。
 仏法では、語る人が仕事をするしないにかかわらず、依法不依人ではないのか。
 このようないろんな指摘ができるが、これはさておき、もう一つ、以下をあげる。
 「きょうの発心選集1」(1978/1/20,聖教新聞社),P371にて、この遺文が以下のようにとりあげられている。
 『仏法やうやく顛倒しければ 世間も又濁乱せり、 仏法は体のごとし世間はかげのごとし 体曲れば影ななめなり』

 をあげて、通解として、
「仏法もしだいに逆さまになったので、世間もまた濁り乱れてしまった。仏法は体のごとく、世間は影のようなものである。体である仏法が曲がっていれば、その影である世間もななめになるものである」を示し、拝読の手引きとして、以下のようにある。
「私たちの日常生活や人生というものは、一切が信心で決まるという御文です。
 体が曲がれば影も曲がるように、信心が曲がってくれば、その影である生活も仕事もすべて曲がってくるのです。体に不調をきたして病気になったり、種々の事故を起こしたり、仕事のミスが続出したり、組織が沈滞したりするときは、必ず信心が崩れ、惰性に流されていることを自覚すべきです…中略…
こういう事情があったから、うまくいかなかったとか、こういうことがあったので失敗したとかは、なんの理由にもなりません。仏法は勝負であり、〝体〟の信心を確立しなければならないのです(……以下略)」

 まあ、この曲解指導は、池田大作名誉会長自身や、御子息の若死、その他現在の創価学会のいろんな都合の悪い歴史的事実に対し、ブーメランのように還っていき、自身の胸に突き刺さる事柄であろう。


 ところで、日蓮が、この部分にこめた真意は、こうではない。
 以下にあげる如く、わずかな前後の文脈をみれば、明瞭である。

「而るを・いかにやしけん弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に 此の義すでに隠没して 日本国四百余年なり、 珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり、仏法やうやく顛倒しければ 世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし 体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり」
《なのに、いかにしたものか弘法・慈覚・智証の義を根本にしたから、日本では法華経最勝の義が隠れてしまい、すでに四百年余り経過した。珠を石に替え、栴檀をただの木として売ったのである。仏法が次第に顛倒したので、世間もまた濁り乱れてきた。仏法は体であり世間法はその影のようである。体が曲がれば影は斜めになる。幸にも我が一門は仏の「法」の真理に随って自然に涅槃の海に流入するし、世間の学者等は随他意(の方便の譬え)を信じて苦海に沈むこととなる。》


 つまり、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし 体曲れば影ななめなり』とは、法華経を最第一の「法」とせず、弘法・慈覚・智証の義(随他意、依人不依法のアニミズム)を根本としたから、世間が「濁乱」したことを、示した「法則」なのである。
 これが日蓮の真意である。


 この、日蓮が遺文で示した法則(理証)は、それ以降の「依人不依法のアニミズム」を根本とした日興門流・大石寺門流や創価学会の歴史が、そのままその現証となって顕れていることが、うかがわれ、悲しいことこの上ない。

 P13へ、続きます。


☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰