●2 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊 | ラケットちゃんのつぶやき

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●2 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊

 このページは、

☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での

P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊 です。


 ページ末に目次を掲載しております。

■釈迦在世の師弟不二

 人間、ゴータマ・シッダルタ(釈迦、現世の釈尊、以後、釈迦と略す)は、紀元前566年頃~紀元前486年頃、インドの釈迦族の王:浄飯王と王妃:摩耶夫人の王子として生まれた。摩耶夫人は、彼の出産後7日後に亡くなった為、妹の摩訶波闍波提に養育され、何不自由なく豊かな生活環境の中で生活していたが、四門遊出を機に、29歳の時、愛する妻:耶輸陀羅、幼い息子:羅睺羅を捨てて城を抜け出し、出家の道に入る。(方広大荘厳経)
 跋伽婆(バッカバ)、阿羅邏(アララ)、鬱頭藍弗(ウッダカ)に師事し、35歳、菩提樹の下で悟りを得た。
 最初に、かつて指示していた師匠に悟りの内容を話そうとしたが、すでに死去していたため、釈迦は五人の沙門に対して、四諦と八正道を説いたのをはじめとして、80歳で入滅するまで40年余りにわたり、インド諸国を伝導した。
 バラモン教の凡我一如を否定し、諸法無我を説いた。また、中道、四諦、八正道などと説いた。
 諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽は、有名な詩句である。
 これらは、当時人々を生老病死で悩ましていたカーストの最高位におけるバラモンの教えを排し、あらゆる束縛から離れて豊かな人としての振舞いを示した修行道と言える。


 釈迦のその後の伝導については、古来から多くの様々な謬説が存在してきた。
(死亡時期についてはチベット伝説:紀元前(以後BCと略す)2422年、法顕伝:BC1008年、周書異記:BC949年、衆聖点記:BC485年、また北伝仏教(漢訳四阿含など)と南伝仏教(パーリ経典)で100年以上の差がある等々)
 弟子たちがその舎利を分骨して埋めた古墳の発掘を、近年の研究、現代科学からみると、紀元前数世紀とされ、ピプラーワ古墳の発掘解析からはBC463年頃、2013年、ルンビニで発見された紀元前6世紀の仏教寺院の遺構によれば、釈迦はBC6世紀以前の人となる。


 釈迦の生前では、仏とは悟りを得た者であって、超越者・絶対者ではなく、深い慈悲と優れた智慧をもって具体的に生老病死を乗り越えていく人への尊称であり、これを師として弟子たちは托鉢などの仏道修行を行なっていた。

 釈迦の教えは、当時の未発達な文化的背景のため、文字ではなく個人の記憶や暗唱を頼りとして受け継がれた。
 釈迦の死後も、弟子たちが各自の伝聞にもとづき聖典の編纂がなされた。
 死後まもなくのものは、王舎城郊外に500人の比丘達が集まり、最初の結集が開かれた(王舎城結集)が、それも合誦による記憶の確認作業であった。
 とてつもない労作業だっただろうが、現代でいえば大規模な「伝言ゲーム」である。
 その後、伝承過程で文明の発達とともに次第に文字として記録され、さまざまな経過のもとに「パーリ五部経典」(南伝仏教)「漢訳四阿含経典」(北伝仏教)などを残した。
 直説としての仏典として、学問的吟味に耐えるものは、これぐらいである。

 その後、これに対して、
仏滅後100年頃、アショーカ王時代の仏典結集、
仏滅後200年、南伝、第3代アショーカ王(阿育王)時代の仏典結集、また、
紀元後2世紀頃、カニシカ王による、北伝、説一切有部の伝承などがある。

 これは、本来、釈迦の悟った仏教は、万人の救済のためにあるとの論に発展したからだろう。
 仏滅後100年以降の仏典結集には、般若、法華、涅槃の経典も、これに含まれている。
 これは、初期の仏教が、修行を目ざして出家した一部の人のみしか救済できない(成仏への船に少しの人しか「乗る」ことができない)として、「小乗仏教」と批判的に呼ばれた。
 そして、自分たちの伝える仏教は、万人が救済の船に乗るためにある「大乗仏教」とした。

 近年、これらは、釈迦の本来の教えとはかけ離れていて、後世の思索による合作であるという、大乗非仏説論が主流となっている。

 遺骨に限らず経典すべてにわたり、科学が未発達であったころの言い伝え・書き写しであるから、完全な客観性は期待できないが、少なくとも、2500年程前の前後頃に確かに実在した人物である。
そして、その考古学的研究は、今もなお多くの学者によって研究され続けている。

 当然に、未発達な文明、制限された範囲の小規模な活動の中での理論は、現代の科学水準・学問的水準と比較すれば、前近代的な要素か濃厚であって、それらの真偽は客観的に再検討を要することは自明である。
 けっして鵜呑みにすべきことではない。
 まして、非科学的な、神話レベルの論や主張を、本気になって振りかざしてオルグするのは、社会的にも非難に値するだろうし、まともに取り扱うこと自体、科学的にも馬鹿げている。


 この2~30年の間に、民間レベルでのGPS精度は秒単位cm単位にまで向上した。
 通信技術は5Gの時代を迎えている。
 科学と宗教は、過去の悲惨な歴史の教訓から、概ね、世界的にはお互いに領域を侵襲しないことが暗黙の了解となっているが、地球環境破壊などの迎えている人道的危機に科学技術が、本気を出して対処すれば、それを乗り越える役割をになうかもしれない宗教の、根幹となっている理論や歴史的根拠に対しても、例えば釈迦の生没年月日や経典類の真偽なども、遺骨の科学鑑定などでピンポイントで特定できるようになるだろう。
 だから、これらの説も、あくまで現在における暫定的論理としてみなしておくべきである。

 さて、釈迦は親を捨て、妻を捨て、生まれて間もない子供を捨てて出て行った。
 当時の社会環境にもよるが、今の日本の社会で言えば、家族構成によっては親棄て、結婚破棄、育児放棄であろう。
 これを実行したら、成道しても、世間から激しいバッシングを受けるだろう。
 だから、成道した釈尊に、はたして仏の三徳といわれる主師親が本当に具わっていたかどうかは、再検討の余地が十分あると思われるが、滅後相当の期間が過ぎた後に編纂された仏典からは、後世によってつくられ賛嘆された内容を信じるほかはなく、完全な科学的検討など不可能に近い。

 事実としては、釈迦は悟りを得て、師を乗り越えたと評価すべきだ。
 その後の布教・先導は、八万宝蔵といわれる、仏典によって讃嘆されているし、今なお人類に貢献すること莫大であって、大いに賛嘆に値する。
 しかし、いかに美化・正当化しても、罪業は罪業である。

 師を乗り越えたといっても、師と同じ境涯(たとえば主師親の三徳を具えた仏)になっても、あくまで弟子は弟子であって、師匠ではない。

 当時の主な思想では、釈迦以前からインド社会をつかさどるカースト制度最上であるバラモン教の根本原理が、梵我一如であったらしい。
 梵我一如とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること(吹田隆道 『ブッダとは誰か』2013年P41-44)であり、ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。(wikipedia,梵我一如)
 ここから輪廻思想が出ている。、
 現世の釈迦は、こうした師事した3師の教え(上記の梵我一如をめざしたバッカバの苦行、アララの無所有処定、ウッダカ非想非非想処定)を自ら破り、真の悟りではないと否定し、諸法無我・諸行無常を唱えたのだから、批判的に見れば、悟ったといっても明らかに「師敵対」の輩(俗世の師匠に敵対する輩)である。
 当時のバラモンたちからの視点でも、現在もそうかもしれない。説法を拒否されたことも多々ある。

 始めのはじめ、仏法の創始者からして、こうなのである。
 当初から師弟の道、師弟不二など、あろうはずがないではないか。

 余談になるが、仮に今の私が釈迦と同様の年齢である26歳で、一方的に家を出て妻や乳児を捨て、行方不明になり、分けも分からない新興宗教団体に出家をすれば、いかに大義名分が立派であって、その後成功を収めたとしても、当時の結婚の一方的破棄、育児放棄の誹りは免れないだろう。

 更に余談になるが、「宇宙即我、我即宇宙」とは、獄中で白文の法華経を読んで「仏とは生命なり」と悟達した、創価学会第二代会長戸田城聖の、悟達の一部であるといわれている。
「宇宙即我、我即宇宙」とは、まさしく「梵我一如」ではないか?…


■法華経に説かれる久遠実成の釈尊

 さて、釈迦の死後約500年以上経過し、いくつかの仏典結集を経た以降、数世紀にわたって大乗仏教の経典が作り上げられた。
その流れはインドや中国の行者(竜樹、鳩摩羅什等)をへて中国の法相宗や華厳宗など南都六宗、天台智顗などにより体系化された。

 とりわけ天台智顗の法華玄義、法華文句、摩訶止観は有名である。
 彼は法華経を中心に独自の形而上学的教学を形成した。
 仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈や、生命についての一念三千の法理である。
 それが伝教(最澄)によって日本に伝えられ、比叡山延暦寺の天台宗となり、日本における仏教文化の源となった。
 鎌倉時代、日蓮が得度した清澄寺も、その末寺の一つであった。


 かつて、近代にいたるまでは、仏教のすべての経典は釈迦の真説とみなされていて、聖徳太子以降、それぞれの宗派の開祖たちも同様、13世紀の日蓮もその信念で論を展開していた。

 現在でも、天台をはじめとした法華系、日蓮系の教団は、科学的成果に目を背けて自宗の正当性を主張し、一方では、大乗非仏説論を取り入れながらこれらを批判する宗派もある。

「大乗仏教経典は、初代の仏弟子たちによって結集されたものではなくて、それ以後の時代の生産に属するものなのである」(増谷文雄「仏教百話」、など)
「法華経が経典として成立した年代も大体仏滅後四、五百年であろうと思われる。勿論、日蓮聖人の時代にそのようなことがわかっていたわけではないから、古来の説の通り、法華経は釈尊が晩年になって説いた経であるとされている。それが今日の学問では、釈尊の仏説そのものではないと解されるようになった」(里見岸雄「日蓮その人と思想」)
「日蓮宗の法華経は紀元一世紀から七百年頃にかけて、多くの人々によって書かれているから、これらは皆釈迦の説いたものではないのである」(道籏奏誠「仏僧より教師へ」)

 以上あげた説、いわゆる「大乗非仏説論」は、現在においては、法華系の宗教をはじめ、大石寺門流や創価学会の宗教体系の土台を根底から覆すものである。

 彼らは、たとえ後世の著作でも、法華経こそが釈迦の最高の教えなのだと主張する。
 しかし、他の系統でも同様の主張をするので、結局、水掛け論に終わるほかない。

 そこで、依法不依人の原則に立てば、仏説であろうとなかろうと、その作者が後世であろうと誰であろうと、内容が真実であれば一向にかまわないのであって、あくまでその内容の真偽を、客観的に実証するべきであることは言うまでもない。

 信仰は本来主観的なものだから、科学で客観的には証明不可能な上、客観的でなければ信仰が崩れるわけでもない、これこそ本来の教えだというのは一方的な主張であって、他の系統の教団には通用しない…
というのが一般常識と思われるが、
主観(一念)は必ず言動・行動として具体的に出てくるので、それ自体が客観的な科学的研究の対象になる。
 事実、多くの困難はあるが、脳科学や行動経済学などは、この考え方によって研究され、一定の成果をあげている。

 天台の確立した一念三千の理論や、日蓮の主張する即身成仏については、盲説も多く存在するが、依法不依人の原則にたった検討によっては、現在においても十分に科学的・哲学的検討に耐えうる真実性があろう。


 さて、話をもどして、法華経は多人数の後世の合作なので、これぞという決定的な訳本はない。
 現在ではサンスクリット語からの直訳本も出ているが、当時、天台や日蓮が使い、日本でも主流だったのは、5世紀の鳩摩羅什訳である。
 訳者の主観がかなり入っているという指摘もあるが、その構成は28章(28品)、7万字近くに及ぶ、主に偈(漢詩)という美しい文体で綴られている。
 この経の前置きとして「四十余年 未顕真実」(それまでの40年余りの説法では、いまだ真実をあらわしていない)や、「正直捨方便 但説無上道」(正直に今まで説いた方便を捨てて、ただ、無上の道を説く)などがある。
 本編に入り、前半では、霊鷲山(仏教の聖なる山)において、まず釈迦が弟子たちに長広舌を天までふるい(舌が長いほど真実の度合いが高い、つまり、絶対に真実であるとの証明)弟子たち一切衆生の賞賛のもとに、数種の比喩や宝塔の出現に至る。
 その基調は第2章(方便品)にある「諸法実相」である。
 森羅万象はすべて「真理」に意義付けられ、この娑婆世界(現実世界)も、実は仏国土である。
 それまでは女性や学者は修行しても成仏できないとされていたが、法華経に至っては、真理を悟って仏になることはだれでも可能と保証する。
 つまり地獄や餓鬼道に堕ちたもの、動物や女性も学者も菩薩も、そして地域独特の悪魔や鬼、天の神々に至っても、すべてに成仏を保証する。
 その方法は法華経にこそ始めて記したから、外道や以前の方の教えに迷わず、迫害にも屈せず、法華経を広めよと説く。
 その後、その場の聴衆がすべて、大地をはるか彼方に見下ろすようなほどの空中に浮かびあげられ、眼前に荘厳な宝塔が出現する。その中で釈尊と多宝仏が、この法華経こそが真実であると保証する。
海のない内陸のインドの山奥での世界から、突然、現在でいう宇宙空間での儀式となっている。
 今風にいえば、壮大なSF小説である。
 後半では、第15章、釈迦の死後に法華経を広めるのは誰かという問題に対し、その場にいた菩薩たちが我こそと名乗りを上げたが釈迦がこれをすべて拒否し、永遠の昔から釈迦の弟子であったという菩薩たちを召喚する。
 すると、夥しい数の菩薩たちが、はるか下に見下ろす地底から湧き出るように出現した。
 そして、一人ひとり順番に、釈迦の前で挨拶・合掌をして、並んだ。
 これには悠遠な期間が経過したが、その場の聴衆にとってはわずかな時間感覚であった。
 ここには、地球を含む、時空すらも、もはや相対的なものにすぎないという卓見を垣間見る。
 更に驚くべきことに、夥しい数の菩薩はすべて、目の前の釈迦をはるかに超える智慧と威厳を具えていた。
 釈迦は、彼らはすべて、久遠の昔から自分が教えてきた弟子たちであるという。
 これを見た多くの人はこの上なく素晴らしいことだと思ったが、当然の如く、疑いを持った。
 なぜに、眼前の師匠よりも素晴らしいのか、こんなに多くいるのか…
 しかも、たった40年余りの間に、目の前の自分たちを出し抜いて、どのようにしてこのような偉業を済ませていたのか…
 釈迦と共に修行してきたエリートたちが、こんな疑問を抱いたのもやむを得ないことだった。
 そこで、舎利弗という、当時もっとも智慧のあった弟子が、代表して尋ねた。
 すると、釈迦は、実は、自分は久遠の昔に成仏していて、その寿命も久遠の2倍あり、今までずっと眼前の弟子「地涌の菩薩」たちを育ててきたのだと明かした。
 そしてその育て方の一つとして、良医の比喩をあげ、方便として涅槃(死)を現してきたと説き、その方便をウソだと咎める者はいないだろう、生命は死後も永遠に続く、仏は常住なのだと明かした。
 この釈迦の答えが第16章「寿量品」であり、法華経のクライマックスである。
 この時の釈迦を「久遠実成の釈尊」、その久遠からの弟子たちを「地涌の菩薩」と呼び、その代表は「上行菩薩」であった。
 釈迦の死後2千年後の、法華経の効力がなくなるという末法という時代に、代わりに「地涌の菩薩」が出現して真の法華経を弘める使命を果たすと誓いを立て、釈迦がこれを了承する。
 これに続いてその場にいた弟子たちも次々と誓いを立てる。
 観世音菩薩も、あらゆる功徳をあげて弘教を誓う…この部分、第25章は「観音経」ともいわれて有名である。

 全体を通してみると、表現の上では、ほとんどが自画自賛の漢詩句で埋まっているが、要するに一切の事象は「諸法実相」(すべてが真実のあらわれ)で、あらゆる生命は永遠であり、久遠実成の釈尊という絶対的相対者を置く。
 私がここで敢えて絶対的「相対」者と表現したのは、その釈尊自身も久遠の昔に歴劫修行の後、法華経という「法」を修行して成仏したとされているからである。
 そして、悪人も女性も無知な者でも動物でも、信じる者は皆、成仏できる(救われる)から、迫害にも怯まずに弘教することなどと説かれている。

 ここでは、仏のもとに、あらゆる生命の尊厳と平等を示唆していることは見事なものだ。
 しかし、久遠実成の釈尊という唯一絶対者を置くことは、誰でも成仏できる(久遠実成の釈尊と同じになれる)はいえ、当初から諸法無我を説く仏教の基調には、当然に、一見矛盾しているように思える。
 だから、疑いなく信じるしかない(無疑日信)と説き、思考停止を促す。

 こうした内容だったから、法華経を説く人たち、とりわけ竜樹・天親、鳩摩羅什、天台智顗などの修行者・伝搬者は、従来の仏教者たちから、師敵対しているとして、攻撃を受ける。

 法華経が出来上がった背景を見ると、寺院・仏塔が盛んに作られている時代であり、これに参画する僧やグループとつながりがあったことが、最近の研究で分かっている。
 手段が乏しく伝承自体が著しく困難な時代背景にも思いを寄せると、この経を信じろとは、この経を説く者を支えよということにつながる。
 迫害が予想されているのは、宗派同志の争い(小乗経と大乗経)や他教徒との争いがあったことを示している。
 事実、インドにおいては、イスラム教の布教によって、実質的に多くの仏教教団は滅んだ。


 6世紀、中国の天台智顗は、竜樹・天親、鳩摩羅什らによって中国に伝えられていた法華経を素材として、独自の形而上学体系を立てた。
 その時点の資料を基に、釈迦の教えを系統的に分類し(五時八経)、法華経を最第一に立てた。
 法華経の理論、諸法実相の究明、空・仮・中の三諦、三世永遠の一念三千等々。
彼はこの法に説かれる「成仏」を、精神集中のひとつ、「観念観法」によって悟ることができるとした。
 観念観法とは、己心を観じて十方世界を観ること、つまり精神集中(止観)によって、実相(内なる仏)を観じるという修行法であった。


 今思えば、諸法実相、一念三千の概念は、現在においては、感覚のある命だけでなく、素粒子から観測不可能な多数の宇宙にまで広げた分析概念とみなすことができる。
 しかし、成仏への方法である「観心」、つまり「己心を観じて十方界を観る」方法は、この時点では、修行を積んだエリート僧のみの可能な方法にとどまっていて、一般的・庶民的ではなく、広くその救済につながるものではなかった。
 だから、伝承には国家や支配者に保護されることがどうしても必要だったのだろう。

 事実、彼の開いた天台宗は、中国の隋・唐の皇帝に重く用いられ、伝教(最澄)によって日本へ伝えられて、平安時代にかけて貴族仏教の中心となった。

 時代が進んで末法に入る。
 法華経に予言された、釈迦滅後2千年後の末法とは、「闘諍堅固・白法隠没」(闘争・戦乱が激しく、釈迦の仏法が消滅する)という時代である。
 現実に釈迦の時代は、言語や文字が一般的でなく、教えを書き残す手段も乏しい、いわば教えの伝搬自体が困難な時代であった。
 師匠の教えを弟子たちが集合してひたすら暗唱しながら自らに取り入れ、他にも伝えたのであった。
 だから、その道に入るにしても素直に信じるしかなく、疑う余地がそもそもなかったのであろう。

 それが、釈迦滅後、時代の発展に応じて、言語・文字や伝達手段が少しずつ整ってきた。
 釈迦滅後千年後までを正法、その後の千年を像法と定義され、次第に文明が進む中で、寺院仏閣ができることなども、予言の中で、おり込まれている。
 しかし、それは同時に、素直に信じることが失われ、民衆に具わっている貪瞋痴の三毒が、疑いや反発などとして台頭、一般化し、広がることも意味している。
 とりわけこのことによって末法以降においては、釈迦仏法は文字だけあっても真の信者がいなくなり、一般化した言語と表現手段・交通手段によって貪り・嫉妬や偏見、欲望が拡大し、真実とウソ、価値のあるものとないものとが混在し、人々が互いに自分勝手な主張をして争いあって、罪のないものに濡れ衣を着せると予告され、真実の教えはそんな衆生の前では効力がなくなると予言されていた。
 これも、あながち間違いではなかったといえるだろう。

 ちなみに、科学が日進月歩の発達、IT・Ai時代を迎えている現代は、驚くべきかな、真実とウソ、価値御あるものとないものの混在にとどまらず、捏造・隠蔽・詐欺・誑惑、フェイクニュースなどが飛び交う、まさに、法華経の予言をさらに拡大された様相となっている。
 日蓮が著した「立正安国論」にも取り上げられているが、天災地変(地球温暖化などによる災害も含む)、飢饉、疫病(コロナなど)、そして闘争はといえば、前世紀に二度の世界大戦を経験し、東西冷戦が終結したとはいへ、テロやクーデター、地域紛争、また、グローバルな経済支配などへ舞台を移して継続している現在の人類の歴史や地球環境破壊に素直に目を向ければ、仏教や日蓮の分析・主張内容は、科学が未発達な時代になされたとはいえ、まさに驚愕の卓見といえるだろう。


 さて、13世紀に至って、法華経において、唯一絶対者とされた久遠実成の釈尊とは、実は一切衆生一人ひとり、万物一つ一つであったと喝破して、それに至る法を説いたのが、日蓮であった。


 教理上では、現世の釈迦は、久遠実成の釈尊を本地とする垂迹であるとされている。

 釈迦は法華経によると、三世の生命を説き、久遠の昔に成道していたとされ、日蓮によれば、久遠実成の釈尊といわれる。
 創価学会の説によれば、師弟の道が仏法という。
 だったら、久遠実成の釈尊(釈迦本仏論上での釈迦)の師は、いったい誰であろうか。
 久遠元初の自受用報身如来(日蓮本仏論上での日蓮)の師は、いったい誰であろうか。
 これを追及すると、無限の退行(無限後退)に陥っていき、結局それは説明に失敗したこととなる。
 これが明らかにされていない以上、仏法そのものにも、科学的に不完全な要素があることは否めない。


 次に、法華経涌出品第十五の虚空会においては、釈迦は自ら弟子として教化したとする地涌の菩薩を召し出した。
 その数は無量であったが、その上首に、上行菩薩がいた。
 ここで、上行菩薩の師は久遠実成の釈尊である。
 この儀式において、釈尊滅後二千年以後の末法という時代には、釈迦の仏法は効力がなくなるため、代わりに効力のある法華経を弘める勅令(附属)を地涌の菩薩に与えた。

 ついでに付け加えると、釈迦は亡くなる前に説いた涅槃経において、依法不依人を説く。

 ここで改めて確認する。
「依法不依人」とは、「法に依って、人に依らざれ」と読み、物事の判断や行動の基準には、あくまで法則を根拠とするべきであり、人の法の解釈や議論を言うことを鵜呑みにしたり用いたりしてはならないという意味である。
 この法の記載時点では、法とは仏法を指している。
 真の法則は変化しないが、人やモノは常時変化し、時と場所を介してうつろいゆく、不安定だから、根本方針として「依法不依人」としたのである。
「依法不依人」での「法」、そしてその真意は、真理法則すべてを意味することは言うまでも無かろう。
 涅槃経に「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」とあることもそれを示唆している。
 人々は生い立ち立場、権威権力や財産の有無、また所属団体や独自の信念や体験をもとにして、恣意的な目的のために、法を様々に解釈し論議・主張する。
 教授や支配者や会長や法主が言ってるからとか、多数決で決まったから、また、世論だから、正しいのではない。また未成年者・乞食・犯罪者・変人・変態者・暴力団などの主張や、くるくる変わる一貫性のない言い分だからと言って、それらが必ずしも虚偽だとは言えないし、真実に基づいていることもよくある話である。
 あくまで、主張の内容が客観的な「法則」に当てはまっているから正しいといえるのである。
 権威・名声・権力・名誉や多数決の世論などは、正義・真理を曲げてきたことは、歴史的に繰り返されてきて、科学の発展とともに、多くの非科学的ドグマを持つ宗教は、科学と袂を分けたが、依法不依人は、科学的論理に矛盾する宗教の教学やドグマが、真に正しいか、真実か虚偽かを判定するうえで、重要な判定基準の一つである。
 当然に、現在の科学技術の進歩は、これを根本としているのは自明である。
 一念三千の法理など、数多くの仏法の洞察が、科学の発展に耐えうるのは、この原則があるからであろう。

 この後の正法・像法と言われている時代の、竜樹・天台などは渇愛する。


P3へ、続きます。

 

☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏ではなかった, 「美作房御返事」の物語るもの, 日興の身延入山時期, 原殿御返事の検討