●11 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ | ラケットちゃんのつぶやき

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●11 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ


このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P11,  時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
 です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。


■時代に妥協・迎合し、さらに歪んだ日寬の教学

 時代はこうした江戸幕府による寺請制度の下、前述の如く、大石寺は、幕府を支える権力機構の一部となっていた中で、前代の火事によって消失した三門などの修復のため、多額の供養を権力側から受けながら、布教・折伏が禁止される中、生殺与奪をにぎっている信徒の目を引き供養を受けるための造像等、様々な矛盾・問題を整理・解決し、受派として生き残るための処施術や、幕府権力を背景として迫る身延派や他の富士五山に対抗するために、その行為や教学に独自性・正当性・正統性を持たせることに迫られていたといえる。


「設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず」(日蓮、立正安国論 御書P29)
「既に謗法の人を供養することを許さず、何ぞ謗法の人の供養を受けんや…中略…二十六箇に云く『謗法の供養を請く可からざる事』と云云」(立正安国論愚記、日寬上人文段集、日顕上人監修、1980/3/1 聖教新聞社)


 日寬は、享保3年3月に日宥から相承を受け、法主となったが、わずか2年後の享保5年2月に日養に譲って、学寮に入る。
 その間も含めて、大石寺が年を追って繁栄していく中、日寬は法主として、
「設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず」
という大命題を、どのような思いで受けとめ、門下に講義をしていたのであろうか。
 考え方は様々あるだろうが、日寬の立正安国論愚記でも、同様の記載があるにもかかわらず、自らは、大石寺が謗施を受けて繁栄する流れを変える行動へ、つまりは日蓮の生涯のような国家諫暁へは結び付いていなかったといえるだろう。


 日量著の日寬上人伝によれば、法主時代の約5年間(1718~1720年、1723~1726年)で、御本尊の冥加料が300両(1両18万円として5400万円)あり、そのうちの100両は「朝夕麁食麁衣にして万事倹約を加え」て貯めたものだという。
別に、150両を五重塔造立用として残していたという。

 晩年に病気になって薬を薦めたが、
「色香美味の大良薬を服するを以て足りぬ更に何をか加へんや」
《南無妙法蓮華経の大良薬を服用しているので十分である。この上、更に何を追加するのか》
 何度も薦めたが、「思ふ所あつて医療を為さず」……そして、
「料り知ぬ当山年を追うて繁栄し観解倍勝進す当に三類の巨難競ひ起るべきか、予春よりこのかた災を攘ふことを三宝に祈誓すること三度び仏天哀愍を垂れ病魔を以て法敵に代ゆ謂ゆる転重軽受とは是なり、憂ふべからず憂ふべからず」(日寬上人伝、富士宗学要集5、P358)とある。
《大石寺は年月を経るごとに繁栄し、見栄えも倍増してきている。このまま進むと間違いなく三類の強敵が競い起こってくる。この春より私は、災いを払うよう三宝に再三にわたり祈誓したところ、仏天が哀れで痛ましいと思われて、その法敵をこの私への病魔に代えてくれた。これが転重軽受ということである。憂うべからず憂うべからず》

 この科学的もしくは宗教的真偽はともあれ、日寬の、このおおいなる慈悲に、私は言葉が見当たらず、涙をもって応えるしかない。
そして、組織的矛盾をこうして昇華したことも、とても素晴らしいと思う。

「日精の邪義を大石寺から根絶するため、第二十六世日寛上人は『末法相応抄』を著された。『末法相応抄』は、要法寺の広蔵院日辰を破することを表として書かれているが、その内実は日精が大石寺に浸透させた邪義を絶滅することにあった。
 『末法相応抄』の「上」の冒頭には、「問う、末法初心の行者に一経の読誦を許すや否や。答う、許すべからざるなり、将に此の義を明かさんとするに、初めに文理を立て、次に外難を遮す」と根幹部分が示されており、「下」の冒頭にも、「問う、末法蓮祖の門弟、色相荘厳の仏像を造立して本尊と為すべきや。答う、然るべからざるなり。将に此の義を明かさんとするに、且く三門に約す」と明記され、以下それぞれ論が進められ完膚なきまでの破折が加えられている。
 “中興の祖”日寛上人の出現がなければ、大石寺は要法寺流の邪義を払拭することが不可能だったにちがいない。
 現在、日顕宗では登座後の日精には過ちがなかったとしているが、日精の邪義と日寛上人の教学は並び立たないことを知るべきである。」(地涌からの通信第691号)

 とあるが、問題はこれだけにはとどまらない。


 日寬は、当面の問題として日辰の造像義を否定し、仏像の代わりに伝承されてきた板曼荼羅を唯一の本尊として統一しようと考えた。そしてその根拠となる日辰の総体・別体本尊、広略要の三種本尊に対し改善・訂正をした。
仏像の根拠となっていた人本尊の久遠実成の釈尊を、板曼荼羅の造立者としての久遠元初自受用身=日蓮に入れ替え、名称も日辰の法勝人劣の人本尊法本尊「一体」から、自身の真の人法体一「人法本尊体一」(人法一箇)として体系化した。

 元々は要法寺日辰の説も、仏が仏になったのは法を悟ったからなので、人よりも法が勝っている(法勝人劣)。一方、法は人によって悟られるので人も本尊として良いとしてきた。そしてこの二つは一体であるとしていた(人法一体)
これは要法寺に源を発する、比叡山の影響を受けた日尊門流の秘伝となっていた偽書『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(百六箇抄、御書856)などに基づいた考えである。

 日寬は、同様の偽書「本因妙抄」において、久遠実成の釈尊の師として、久遠にもともと最初に仏を覚知した仏=久遠元初の自受用身が日蓮である、として設定し、法と同等の位置とした。
これで人法一体(人法一箇)とし、さらに久遠元初の自受用身が現在に宿るのは板マンダラだとしたのである。

 こうして、アニミズム的に信心の対象を、信徒の目を引きやすい造像の代わりに、首題が南無妙法蓮華経と書いてある「板マンダラ」=日蓮造立の「日蓮の出世の本懐」と相伝された「板本尊」を唯一とし、たとえ謗施を受け折伏を放棄しても、「板マンダラ」さえ秘し守り伝えることができれば日蓮の正当・正統な血脈であるとまとめあげた。
 日蓮の説く「法」を前面に押し出せば、日蓮の生涯の姿勢の如く、幕府を諫暁し、折伏をして謗施を拒否する具体的行動をしなくてはならない。
 だから、最第一の法の重要性を少し引っ込め、アニミズム要素を取り入れて板マンダラを霊力の具わる最第一とし、教学上の整合性を合わせたと考えられる。
 この結果が、後述する日寬の展開した六大秘法である。

 この日寬の立場は、時代を経て、ある程度の研究が進んだ現代では十分理解でき、この時代に生き延びるためにはやむを得なかったと考えることができる。
 これは、前述した日蓮の生涯の一貫した姿勢に目をつぶり、「依法不依人」を説く日蓮の教えに明らかに背を向けながら、しかも組織存続や伝統維持のために日蓮を建前としてうまく持ち上げる論理となっている。
これが見事に現実であったといえよう。
 後の創価学会や他の日蓮教団にも似たような姿勢を見ることができるが、日寬教学の構成が、その手本となっているのかもしれない。

 ところで、理性に支えられた科学技術や学問研究が発達した今日でさえ、日蓮本仏論を唱える教団、たとえば日蓮正宗や創価学会は、こういった事実や歴史的背景を知っているにもかかわらず、信徒や会員たちに明言しないで隠蔽している。

 それは何のためか?

 もし知らなかったといえば、自己向上への研究や思索が足らず、智慧がいたらなかったとしか言いようがない。
 しかし、明言してしまえば、それは日蓮の真の教えに背いていたことが暴露されることであり、教団の維持・存続にかかわる大問題に発展してしまう。

 その真実の目的は、己の歴史や権威や立場、組織の維持・拡大といった、名聞名利の範疇にすぎないといえるのではないか?。
日蓮の教えを切り文にして表面的に利用するのも、同時に自己主張の正当化を図るのが主な目的であると考えられるのである。



■日寬教学の理論構成、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力


 日寬教学の理論構成を詳細に見てみよう。
「久遠元初の自受用報身、無作本有の妙法を直ちに唄う」(本因妙抄 御書P870)
「本地自受用報身、垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮(百六箇抄)
を文証として、
「本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(日寬著「文底秘沈抄」)
「本地自行の真仏は、久遠元初の自受用身、もとこれ人法体一にして、更に優劣なし」(日寬著「文底秘沈抄」)
とした。
 つまり、この「本地自行の真仏」が、法華経において釈尊の召喚で出現し末法の弘通付属を受けた、釈尊よりも高貴・荘厳の姿であった上行菩薩であるとし、そして上行菩薩の再誕を日蓮としたのである。

 そして日寬は、観心本尊文段の冒頭で「夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底深密の大法にして本地唯密の正法なり」
 としながら、続いて下記のように自説を展開する。
「この本尊に人あり法あり。人は謂く、久遠元初の境智冥合、自受用報身。法は謂く、久遠名字の本地難思の境智の妙法なり」
 とし、更に続いて、
 「法に即してこれ人、人に即してこれ法、人法の名は殊なれども、その体は恒に一なり。その体は一なりと雖も、而も人法宛然なり」
 と言って、人法体一にし、日蓮の観心本尊抄自体を、
 「応に知るべし、当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ」
 と断じて、ここで日蓮の趣旨を曲げ、更に、
 「これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。
故十方三世の恒妙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。
譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し」
 と強調した後、さらに、板マンダラを
 「故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり」
と飛躍して、これに超自然的な霊力を設定し、ついにアニミズム的に、
 「故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。」
 と結論する。


 更に念をおすように、板マンダラについて「正境」「正体」「明鏡」と表現しながら、
 「妙楽の所謂『正境に縁すれば功徳猶多し』とはこれなり。これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり」
 と持ち上げている。
 この文ではきちんと「蓮祖出世の本懐」と表現しているから、日蓮造立と伝承されてきた板マンダラについて述べていることは明白である。
 つまり、冒頭で「法」(=南無妙法蓮華経、観心の本尊)から始まった本尊の説明が、いつのまにか途中から巧みに「板マンダラ」であると言いくるめられているのである。
 さらに続いて「故に宗祖云く『此の書は日蓮が身に当る一期の大事なり』等云云」
と付け加えて、巧みに「此の書」(日蓮筆「観心本尊抄」)に、上記の内容があるかのごとく述べている。


 この板マンダラに設定された超自然的な霊力を「仏力」「法力」と説明し、指導に利用したのが、創価学会である。

 注意すべき点は、日辰は、人本尊として久遠実成の釈尊を立て、この「像」を作っていたが、これに対し日寬は、仏「像」を廃止して、その代わりに相伝の「板」本尊(マンダラ「板」)とし、これを一大秘法、法本尊に格上げとし、その土台として人本尊の日蓮をたてた。


 こうして、日蓮の出世の本懐である、法則としての南無妙法蓮華経は、一大秘法本尊としての地位を失い、この展開である三大秘法の中の、本門の題目という名目で、板曼荼羅(マンダラ板)よりも相対的に下位扱いになったのである。


 これは、高尚な教学を装ってはいるが、実態としては、人類発症以来から存在していたアニミズムであって、これは仏教発生時点で釈迦が「諸行無常 是生滅法」「諸法無我」と破折されたことではないか。
 そして日蓮も「諸法実相」といって、これを破折しているではないか。
 なんのためにこうしたのか。

 その真意や忖度は日寬の著作中には明らかには見えないが、
 このことは、謗法の者からは布施を受けないという日蓮の法門を忠実に貫いた不授不施派が幕府から弾圧を受けて壊滅させられた背景に、もっともな理由をつけて生き残るべく、江戸幕府の寺請制度、布教禁止・新規寺院増設禁止などに都合よくつじつまをあわせることにうまく適合している。
 そして、現状を追認・正当化し、限られた信徒から供養を得るため、様々な現世利益を満たし、「救済」をはかることに、実際には役立っていたことは容易に想像できる。
 そして幕府権力を背景に大石寺末寺化を迫っていた身延派や、日有時代に秘蔵の板マンダラを暴露されて犬猿の中であった重須北山など、他の富士五山と差別化し、日蓮直造と伝承されていた板マンダラを宣揚しながら、自分たちこそが日蓮門下の血脈を受け継ぐ唯一の正統な教団であることを主張する意図が明確にうかがえるのである。
 こうした意図は、かつての、身延相承書・池上相承書などの偽書や、真筆であった「日興跡条々事」の一部抹消や書き加え、また日尊門流における本因妙抄・百六箇抄などの偽書をかまえて相伝とした姿勢の中にも明確に現れている。


 そして、この傾向は、時代を経た現在においても日蓮正宗や創価学会など、日蓮本仏論を主張している教団に顕著に現れているのである。
 とくに、創価学会においては、前記事にも記し、後述もするが、こうした意図による代作の書物や、過去の史実や対立する教団などに関しての記載に欺瞞・隠蔽・捏造などを数多く指摘することが出来る。
 このような傾向は、日蓮滅後から既に始まっていたといえるのである。
 日蓮が説いた血脈の精神である「日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして」(生死一大事血脈抄 御書P1337)は、いったいどこへいってしまったのだろうか。


 日寬教学に関して、例えば、須田晴夫は著書「日興門流と創価学会」(2018/9/5 鳥影社 P244)で、日寬教学の位置づけとして、
 「日寬がこのように戒壇本尊を教義の根本において強調したのは、第十三世日院当時からほぼ百六十年以上にわたって大石寺に定着していた戒壇本尊宗祖直造の信仰に従ったものであり、決して日寬一人の判断によるものではない。それは第十四世日主以降の歴代法主と同様、北山(重須)本門寺や保田妙本寺、京都要法寺、西山本門寺など日興門流の他教団、さらには身延や中山などの他門流に対抗して大石寺の優位性を主張しなければならない教団維持上の要請に基づくものといえよう。
 しかし今日、戒壇本尊が後世の造立によるものであることがほぼ明らかにされた以上、戒壇本尊を教義の根本とするという日寬の主張を今後用いることは困難となろう」

 と指摘する。

 さらにP245から、
 「日寬教学は…中略…恣意的な創作ではない。日寬にも時代の制約、また学頭や法主として大石寺教団の維持・発展を図らなければならなかったという教団人としての制約があったことは言うまでもない。先に述べた、戒壇本尊を根本とする主張や歴代法主を宣揚する発言などはその制約の表れといえよう」
と、擁護している。

 しかしながら、こういった制約から脱皮できなかったこと自体が、教団が日蓮の教えに背いていることであり、その正当化につながったのであって、そもそもの問題なのである。

 そして彼はこのことの指摘を避けながら、
 「そのような制約、限界があったことを認識しつつ日寬の教学を見るとき、日蓮仏法の基本からの重大な逸脱はないと判断できる…中略…『六大秘法』などの用語はともかくとしても、その内容、すなわち人本尊・法本尊、人法一箇、五重の相対などの概念は決して排除すべきものではなく、むしろ尊重すべきものと考える」(同、P245)
 と、日寬を擁護する自説を展開している。


 私は、五重の相対はともかく、人本尊・法本尊、人法一箇の概念こそ、アニミズムを高尚に言い換えたものであって、古来からの風習、習俗を巧みに利用するものであり、これらこそが、厳格な真実の「法」のみに頚をささげた日蓮の仏法の基本から大きく逸脱しているものと考えている。


 アニミズムとは、霊的存在が肉体や物体を支配するという精神観、霊魂観であり、世界的に広く宗教、習俗の中で一般に存在している。(Wikipediaより)
 弱く儚い自身や集団を救済するため、大自然や大きな物体、神や仏、特定の人格などの様々な対象に、超自然的な霊的意義を設定し、これにおすがりする信仰が、アニミズムである。

 前述した以下の文が、それを端的に述べている。
『この本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用あり。
故に暫くも此の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなし』(日寬、観心本尊抄文段、折伏経典P304-5など、引用書物多数)
 「此の御本尊」とは、板マンダラ(マンダラ板、すなわち物体)のことである。

 眼前に厳然と迫る物理的対象の方が、高尚・難解な教学理論よりも、民衆にとってははるかに分かりやすくて受け入れやすく、その教学理論における巧妙な欺瞞・詭弁の隠蔽に役立っている。
 まさにアニミズムへの無疑日信である。


 アニミズムは、日本古来、いや世界的にも仏教発症前から、民衆の間に存在し、人類のモラルの起源にもなってきた、いわば遺伝子的な精神的資産のひとつともいえるぐらいである。

 日寬は、厳しい弾圧と組織内の教学の混乱、はては供養のもとになる信徒の様々な現世利益の要求の前に、無意識に持ち前の原始的・遺伝子的発想にとらわれ帰着していったのだろう。


 結果として、法本尊の位置を、法則としての南無妙法蓮華経から、法が書かれたマンダラ「板」に格下げすることによって、日蓮の「法」を他宗と同列のアニミズムに貶め、巧みに幕府の弾圧を逃れるための都合のよい「正当化」とともに、不甲斐ない自分たち教団の「慰め」とした、と考えることができる。

 日蓮の本来の法門は、間違った法「謗法」に対する厳密な指摘である「折伏」である。
 間違った、仏像や人に帰命をするという間違った教え「謗法」を破折し切り捨てるというのが、日蓮の法門であったはずである。
 妙法蓮華経と自ら定義した正しい「法則」に自身の「頚」を捧げたのが日蓮の生涯ではなかったか。
 弟子の日興も、前述のとおり、そう述べている。

 これに対して日寬の教学には、結果として弾圧を誘発する「折伏」を捨て、権力に媚び諂うことが可能な忖度要素(念仏と同様なアニミズムなど)を巧みに含ませた事により、宗門の歴史を従来からの処施術の流れから一歩も脱却できなかったし、しなかった。
 大石寺門流は、これ以降、あえて折伏をしなくても、寺請制度の下、生き残る糧や保証も得られ、正統派であるという面目をも保つことができたのである。

 さらに振り返ってみると、日寬だけでなく、ずっと以前にも日尊の仏像造立や、日有あたりからの曼荼羅板造立から、こういった物体に対するアニミズムが芽生えていたとみるべきかもしれない。
 日寬は中興の祖とされているが、こうした時代の流れの中で、アニミズム教学を、分かりやすく確立し、教団の処施術として機能したという点では、歴史的には大いに評価できるだろう。


 難解な諸法実相の理解よりも、供養を得るため民衆の現世利益による救済が優先されるのは、創価学会等の栄枯盛衰を例にあげるまでもなく、現代においても同様である。

 板マンダラが日蓮作ではなく後世の偽作であることは、大石寺の歴史に残る様々な問答や、創価学会が出版妨害を行った書物の中にも見ることができるが、それが決定的になったのは、後述するように写真やIT技術が庶民化する今世紀初頭前後まで待たねばならなかった。


 犀角独歩や金原明彦は、写真やグラフィックを駆使して、この板マンダラの首題である南無妙法蓮華経の文字が、弘安3年の日禅授与曼荼羅の首題と完全に一致したことを証明した。
 動かぬ証拠が暴露されたのである。
 同一人物であっても、筆跡は同様ではあるが、複数の毛筆が、サイズ・形状も含んで完全一致することは有り得ないことである。
 日蓮造立として伝承されてきた板マンダラは、後世のパッチワークであったのである。
(デジタル技術が発達する現在は、真作と完全一致したものを無限に複製できる。
 こんな中で、アナログである「手作り」の優れた点は、たとえ同一人物であっても完全に同じものは作成することが出来ないことであり、まさに目の前の物が、世界でたった一つしか存在しないという点である。  真作が、物としての価値があるのはこの点である。)


 この板マンダラを日蓮造立と主張し続けている日蓮正宗は、この点に対しては、数ある偽作論に対する反論の中でも、科学的な反論を何一つとして証明できていないのである。


 これだけではない。
 過去の様々な伝承のなかの欺瞞・隠蔽・捏造などが、同様に暴露されつつあるなかで、たとえば前述したが、板マンダラの最初の暴露である「日有この頃未聞未見の板本尊を彫刻し」を記した「重須日浄記」は、対立する北山本門寺の6世日浄の書であった。
 つまりは、真実を明らかにしようとするその主体者は、対立する教団の所属であるか、もしくは暴露する前後に教団を離脱したり除名されたりする例があるのもまた皮肉な事実なのである。
 日蓮が、地頭の東条景信から清澄寺を追われたことも、その好例であるし、近年では、「実名告発 創価学会」の著者3人が、創価学会を除名されたこと等も、同様な好例である。


 ところで、日寬の時代も含め、写真技術の未発達な時代には、板マンダラを霊的存在として謳い相伝することは、なんら困難なことではなかった。



■日蓮教学の流れ

 さて、以上を日蓮教学の成立の流れとして、もう一度詳しくおさらいする。
 元々の日蓮の教えは、法華経が本尊であり、さらに以下にある如く、
「彼は一品二半、此れは但 妙法蓮華経の五字なり」(観心本尊抄)
「余経も法華経も詮なし、但 南無妙法蓮華経なるべし…中略…此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆゝしきひが事なり」(上野殿御返事)
「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(経王殿御返事 御書P1124)
 すなわち本門本尊=南無妙法蓮華経(一大秘法)であった。
 これに弘安5年、釈尊の弟子上行菩薩として相承した三大秘法抄での展開を見れば
 南無妙法蓮華経┬本門本尊:本有無作三身の教主釈尊
 (久遠実成の法)├本門題目:自行化他にわたる南無妙法蓮華経 
        └本門戒壇:広宣流布後の事(事実)の戒法

 これを受けて、日興の御義口伝、後世による本因妙抄・百六箇抄などで、三大秘法への展開が徐々に変わっていく。
 そして、時代を経て、幕府の政策や経済的要因などが重なり、その解釈も変わる。すなわちこの時点では、

 日辰の三大秘法は前述したが、
 南無妙法蓮華経┬本門本尊:久遠実成の釈尊(造像)
 (久遠実成の法)├本門題目:南無妙法蓮華経
        └本門戒壇:四菩薩の造立、広宣流布の事の戒壇堂 
        
 ここで、久遠実成の釈尊と南無妙法蓮華経は一体であるから、実際は二大秘法となる。

 日寬の三大秘法は、一大秘法は本門戒壇本尊(秘伝・唯一の曼荼羅板)であり、それから三つに分かれ、更に各々二つに分かれて、六大秘法となり、
本門戒壇本尊┬本門本尊┬人本尊:日蓮大聖人(久遠元初自受用身)
(曼荼羅板)│    └法本尊:戒壇板本尊(秘伝・唯一の曼荼羅板)
      ├本門題目┬信の題目:信心(無疑日信)
      │    └行の題目:南無妙法蓮華経の唱題
      └本門戒壇┬事の戒壇:富士建立の戒壇堂
           └義の戒壇:寺院・家庭の本尊安置場所

となる。

 六巻抄の「依義判文抄」に
「実には、一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。この本尊所住の処を本門戒壇となし、この本尊を信じて妙法を唱えるを本門の題目となす。故に分って三大秘法となすなり。また本尊に人・法あり。戒壇に義・事あり。題目に信・行あり。故に関して六義となり、この六義散じて八万法蔵となる。…中略…故に、本門戒壇の本尊を、または三大秘法総在の本尊と名づくるなり」
とあるから、上記のようになる。

 久遠実成の釈尊が成仏した法は妙法蓮華経であった。
その法は法華経寿量品の「文面上(文上)」にはない。
 つまりその「文の底に沈められた」とする(文底秘沈)。
 これを本因妙の妙法とする。
 日蓮は観心本尊抄でこれを説き、「彼は一品二半、此れはただ題目の五字なり」としていて、これが一大秘法である。
 その後、日蓮は、入滅の半年ほど前に三大秘法抄の中で、初めて自身を上行菩薩の再誕である自覚と、師匠である久遠実成の釈尊からこの法を面授相承したと述べ、ここに師弟関係が明確に見られる。
 しかし、相伝の本因妙抄・百六箇抄によれば、その久遠実成の釈尊を成仏させたのが久遠元初の自受用身如来であって、法の本尊は釈迦ではなく久遠元初の自受用身の法であるとする。
つまり、さらに因果をさかのぼって新たな師弟関係が設定される。
 そしてこの法を持っている本仏が上行菩薩だったのであり、その再誕であるのが日蓮と説いているので、日蓮が本仏となるというのである。
 そしてこの本因妙抄・百六箇抄は日蓮・日興の相伝であり、代々秘伝された日蓮の真筆であるという。

 こうして、その日蓮が造立したと伝えられていた戒壇板本尊を一大秘法として、三大秘法の本門本尊に分け、人本尊=日蓮ともに法本尊=戒壇板本尊として人法体一(人法一箇)とした。
 この板本尊の安置場所が本門の戒壇となり、日蓮遺命の広宣流布の暁に建立する本門事の戒壇堂には、この板本尊が安置される。
 戒壇板本尊以外の本尊は、その意義を含む本尊であり、その安置場所は義の戒壇となる。
 そして唱える題目が本門の題目となる。

 そして、日蓮が草庵に安置していた釈迦像については、日蓮が曼荼羅を顕す前(佐渡流罪以前)のことであり、末法の本仏としての自覚に至っていなかったからであり、信徒に対する造像勧奨の書簡については一機一縁の方便であったから、日蓮が曼荼羅主体となってからは、造像の説は根拠がないとし、日辰の教学をこれによって覆した。

 こうして、日辰の釈迦造像を廃止して板本尊を立て、日蓮と板マンダラを体一とした、今に伝わる日蓮正宗の根幹ともいえる教学が成立したのである。

 日寬が、当時の混乱の根源・難題であった造像を排除し、さらに従来から存在した伝統である「法主即本尊」「法主即日蓮」の義もこの際「六巻抄」から除外し、信仰の対象を大石寺秘伝唯一の「マンダラ板」に統一しようとした苦肉の策の結晶といえよう。


 「問う。我等唱え奉るところの本門の題目、その体何者ぞや。いわく、本門の大本尊これなり。本門の大本尊、その体何者ぞや。いわく、連祖大聖人これなり。」
(当流行事抄第五、六巻抄)

 日蓮においては、帰依の対象である本尊=南無妙法蓮華経は、諸法実相・一念三千の法則であった。
 しかし日寬においては、この帰依の対象の本尊が日蓮自身、そして板マンダラとなっている。
 そして本門戒壇の板本尊を
「教主釈尊の一大事の秘法とは…中略…蓮祖出世の本懐、三大秘法随一、本門の本尊のことなり。…中略…しかるに、三大秘法随一の本門戒壇の本尊は、今富士の山下にあり」(依義判文抄)として、根本と定める。

 これを指して、日蓮正宗の信者である関慈謙は前掲書P330において、日寬以降の日蓮正宗においては、
 「私たちが題目を唱えるとき、最終的には日蓮大聖人に帰依しているのである」
 「私たちが宗祖所顕の曼荼羅を拝するとき、それは中央の題目に帰依するというより、その曼荼羅を書写した日蓮大聖人に帰依することの意味合いの方が強いということになるのである」
 と、正直に指摘している。

 まさしくこの指摘は的を得ているのであり、今日の様々な問題の根源であると私も考える。
 日寬教学では、日蓮の法門とは違って、信仰の対象(本尊)が南無妙法蓮華経から日蓮、さらに板曼荼羅に置き換えられている。
 日蓮は南無妙法蓮華経を信仰せよと言っているにもかかわらず、この日蓮の信仰を否定して、「日蓮への信仰」となっているのである。

 そもそも日蓮への信仰なら、南無妙法蓮華経=日蓮などと難しく意義づけなどしないで、正直に「南無日蓮大聖人」と、唱えるべきではないか。
 ちなみに日蓮が破折した法然・親鸞の念仏は、阿弥陀仏に帰依することを、そのものズバリ、「南無阿弥陀仏」と説いているのである。
まさに仏を念ずる=「念仏」である。
この先例があるからか、同じ論理となる「南無日蓮大聖人」と、正直に言わないところに、この教学の根本的欺瞞が見えるのである。


 何も複雑なことではない。
 日蓮の説く信仰は、「仏」を念じるのではなく、「法」を念じるのである。

 「仏」に帰命するのではなく、「法」に帰命するのである。

 「仏」は帰命する対象ではなく、自らの胸の中で「開く」境涯(=仏界)である。

 このことは、日蓮の真蹟にも明らかである。
 仏を念ずる=「念仏」を、真っ先に否定したのが日蓮ではなかったか。



 大石寺のとなえる論理が、阿弥陀仏に帰依する念仏と同様に映ったからこそ、念仏を保護する幕府権力の検閲からも容易に逃れられたのではあるまいか。

 まさに、食物連鎖(畜生道や修羅道)の中に住む被食者が、捕食者(天敵)から逃れるため、周囲の環境に同化する(目立たないような工夫をする)という、本能のような対応と同様に見える。
 教学の理解など無い権力側から大雑把に見れは、阿弥陀仏が日蓮仏に代わっているだけである。

 御神体とされる山や岩などが、「板マンダラ」になっているだけである。
 不受派のように厳密な正義の「法」を振りかざしさえしなければ、念仏などを信仰する権力側から見れば、権力にはむかう者とはみなされなかった側面がある。

 P12へ、続きます。


☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)
P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰