●16 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
です。
ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。
■客殿、日恭の導師による、殉教・獄死した藤本蓮城房の満山供養
終戦前年の1939年(昭和19年)2月27日、日恭が導師をして、殉教・獄死した藤本蓮城房の満山供養が大石寺客殿でおこなわれた。
以下、引用である。
「この満山供養において、弾正講の大塚光次氏により追悼文が読経の途中で読み上げられた。内容は、痛烈な日恭批判である。
日恭を導師席に座らせて、まさに弾劾するものであった。藤本蓮城房を弔うのに、これ以上の追悼はなかったにちがいない。
『追 悼 文
謹んで南無三世十方諸佛之御使獨一本門戒壇之大御本尊、南無一身即三身三身即一身三世常住主師親三徳、末法有縁之大教主日蓮大聖人、南無血脉付法之大導師御開山白蓮阿闍梨日興上人、第三祖閻浮提第一の御座主日目上人日道上人等代々御正師之法前に白して言さく。
昭和十九年二月二十七日を卜して大導師六十二世日恭上人及び一山の龍象諸大徳を屈請し法席を荘嚴し上宗祖三寶に報恩の法味を捧げ奉り、一天四海皆帰妙法廣宣流布の願海に注ぎ特に新佛子蓮城日秀居士の精霊に廻向し亦兼て有縁無縁の法性界に結縁せん。
法筵の催主等一同は新佛子蓮城日秀居士を輔導の父とし日蓮大聖人血脉正統冨士大石寺門流に生る、然るに未だ幾年を経ざるに三障四魔出現し此の輔導の父を拉し去る。
而して転々信濃の国、長野の獄舎に投じ有漏の生命を絶れたり、時維れ昭和十九年一月十日酷寒零下十六度の地なりき。
我等一往死生別離の悲みなるも生前の教訓に依り雲霧忽に散じて三世常住の日月を拝したり、今追悼の意を陳へんとす。
新佛子蓮城常に我等に教えて云く日蓮大聖人の法義は道理と文証と現証との三証符合したる大法古今東西獨歩の妙判である、我等此の大聖人の教義に依り現在に皇国清浄土の建設を願業する者である、それには身軽法重の金言を堅く守り死身弘法の実行なくんば有るべからずと。
而して新佛子蓮城信州長野の獄死は其の所信の不幸の結果なるが如きも之を聖者の證者なりとは知る者実に稀にして爪上の土も譬にあらざるなり。
…中略…
然るに昨年国諌に禍され入獄するや我宗務當局は何を考えてや僧籍を剥脱し日号を変更し居士となす、これ皆山法山規宗制等に依ての事と拝承せるも退いて一考するに宗祖の御書、開山上人の遺戒は如何、敢て當局に再三再四考慮を要望す、…中略…新佛子蓮城は…中略…心密かに宗開両祖の聖行の一分を敢て為さんとし世法の網に懸る、然るに我が本山宗務當局は世法に順し僧籍を削除す、嗚呼日興上人の御遺誡、死身弘法の行者を過する條目に違犯するを慨くや切なり。
…中略…
又開山上人の御遺誡に云く『身命を捨てて随力弘通を致す可き事』と、
之を拝するに新佛子蓮城の所行は宗開両祖の御所行の万分の一に當るも我宗務當局諸賢の行動は然らず千万分の一も叶はずと見え僻見なからん事を祈る者也、然らば故、蓮城房は血脉相承の法主にあらず一名字の凡僧を以て栄誉ある宗祖大聖人並に諸先師の芳躅を偲び敢て此の国諌を企て未だ聖聞に達せずして中途牢獄に入ると雖も之慥かに聖意に随ひ奉り而して悪酒に酔へる時代的僧侶に覚醒を促す一大警鐘なり、且つ夫たるや當時の裁判所、當局の聴取書に明かなる如く日蓮大聖人が弟子たらんものは来りて此の聴取書を翫味すべき也。
御義口伝に云く 事理の不借身命之有り、法華の行者田畠等を奪はるは理の不惜身命也、命根を断つを事の不惜身命と云ふなり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は事理共に難に値ふなりと。
御書を心肝に染め極理を師伝する流を汲みたる故蓮城房の斯事は本宗大石寺信行史に燦然たる一頁を加ふべき名誉にして大顕彰に値すべきもの也。
然るに宗務當局は大忠に無比なる日蓮大聖人の御跡を偲ぶ蓮城房の僧籍を削除せり之を聞く者親疎を問はず唯呆然たるのみ、…中略…宗務當局は此の初心の行者を蔑如して僧籍を削除す実に前例に見ざる極悪不法の処置なり、知らず當局諸賢は自己の良心に恥ざるや否や。
宗祖日蓮大聖人玉はく、哀哉今日本国の万人日蓮並に弟子檀那等が三類の強敵に責られ大苦に値ふを見て悦んで笑ふとも昨日は人の身の上今日は我身の上なれば日蓮竝びに弟子檀那共に霜露の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せん時汝等阿鼻大城の底に沈みて大苦に値はん時我等何計り無慚と思んずらん汝等何計りうらやましく思んずらん、一期を過る事程も無ければいかに強敵重なるともゆめゆめ退する心なかれ等云云。
此の聖教を拝せば一日片時の惰眠は許されず夫れ大聖人の金言は一言一句たりと雖も忽諸し奉るを許さず、況や之を抹殺するに於てをや、何に況んやこれを侵せば聖意に逆く大謗法罪也、而して開山日興上人二十六ヶ条の御遺戒文は本宗唯一無二なる僧侶の亀鑑たり万代不易の亀鏡なり、反くは大逆師敵対の邪説、己義の法門也、宗義也、堕地獄の根源也。誡めらるるに後代の学侶敢えて而も疑惑を生ずること勿れ、此の内一ヶ条においても犯す者は日興が末流に有るべからざる者也。
之によって之を思へば故蓮城房の所行は宗開両祖の納受を得たる明し也と、故に不幸我が賢明なる當局諸大徳には未来所罰の因となれり、今三寳法前に故蓮城が獄中より教訓の一部を奉告し奉る。
昭和十八年十月二十二日付
『獄中の弁当にて満足し居れり但し腹半分也(中略)諸天加護なしと疑ふ勿れ成仏疑ひなしといふ大証明なり、現在の境遇を不幸とのみ見るは之偏見なり、之護法の功徳力也 蓮城は此の侭死すとも観喜なり。妻子は今の苦が如説修行也、同信の諸師は僕の為に苦労をされるが、如説修行なり、蓮城は〆殺さるるとも大聖人の御意にソムキ居らざるつもり也。凡夫の常気付かざる事は知らず 国家の禍の源を知り乍ら聴き乍ら見乍ら言はざれば不忠也、不敬也。
正直に申し上げて難に遭ふ 破仏法の因 破国の因を直言して罪に問はる 之れ過去に正法を持つ人を罰せし宿業なること疑ひなし、(中略)僕は保釈も不能、執行猶予なしとすれば第一審で服罪した方が宜敷かとも考えて居る。僕の弁護士は日本国には無き筈なり、或いは不知童子をして衛護せしむと云ふ佛語あり、見方に依れば刑務所も正法の道場也、されど娑婆一年の修業は刑務所一週間の功に及ばずか乃至すべては御妙判に依り御判断相成たし。
合掌』
嗚呼 大聖人を思い信ずるは之にすぎたるはなし、国を憂ふに之にこえたるはなし、此の時身命を惜しむならば又何時の世に仏になるべきか。僅かの小嶋の主等がおどさんに恐れては閻魔王の責めをば如何せん、仏の御使と名乗り乍らおくせん事は無下の人々なり、魔来らざれば正法に非ず、魔来る事それ即なり、即ち大聖人の金言を口伝するものなり。
噫大聖人滅後六百余年の間斯くの如くして仏意に従い奉りし人幾人有りや、恐らくは十指に満たざるべし、而るに我が宗務當局は蓮城房の舌禍入獄を機とし之が僧籍削除を宣言し了ぬ、実に冒涜の極みなり、位階の高下智解の多少に或は隔歴あるも信法信行に至っては師に譲らざる概あるなり、云く、畜生の心は弱きをおどして強きをおそる。
諸師は此の御聖訓に恥ざるや。
出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是れ仏在世の六師外道が弟子也と、
此の誡めを、又開山上人の御遺戒に反き奉らば必ず頭破作七分して阿鼻大城に堕し一劫十劫百劫継歴して大苦悩を受くること疑ひなからん。
大聖人の金言に、『今日蓮が弟子等も亦是の如し、或は信じ或は伏し或は従ふ但名のみ之を仮りて心中に染めず信心薄き者は設ひ千劫を経ずとも或は一無間、二無間乃至十百無間疑ひ無からん者か』と。
吾人異体同信之輩、無量劫に得難き身命なるを知る故に此の金言を心肝に染めん事を三寶御寶前に誓ひ奉り謹んで宣誓する者也。
吾人に直言を許せ今にして猶徒然たる宗務當局は財魔、色魔、酒色妻子に法魂を奪はる也、名聞名利の風に折角の妙華を散らすものなり、従って智解の清水は凅渇せられ錯覚と迷惑に翻弄され不惜身命の法の為に願い給はざると噂頻々たり徒らに長命を願ひて何の詮か有らん、諸士の安逸を貪るを羨むに非ず吾等只だ自他一同仏にならんと願ふばかり也。
されば我等は日蓮大聖人に従ひ奉り強盛な信行に勇猛精進し法王が家人として恥じず佛祖の御跡を紹継せんとする者也、維れ蓋し佛祖竝に正師上人の御報恩にして抑亦特に吾等の恩師に酬ゆる報恩の資料と成さん、願くは此の大願を以て已謗と未謗の一切衆生に与え結縁し佛身を成就せんと念願し奉る。
謹んで新佛子蓮城日秀居士追悼の辞とす。
如説修業の現証なるも之を知る人は少なり、又口に出す人も僅かなり、正法治国邪法乱国、吾等も此の全世界を挙げての未曾有の大動乱 本国土妙大日本国の危機一大事に直面して国を憂ふ事何人にも不劣と自負する者也、即ち佛の金言を守るが故也、国民の本分を盡すが故也、今眼前に国家の禍の源を知って言はざるは大不忠也、大不敬也、在家なりと雖も此の聖訓を心肝に染むる者也、況んや出家者に於てをや、重ねて言ふ現事局を何と見るか吾人已に大聖人の御許を得たり
幸に時宜を得んか直に不惜身命の実行せんの覚悟や切なり、此処に故蓮城房の身読と判決文の概略を三寶御寶前に謹告し奉る。
要 旨 蓮城房の曰く
正法に依て戦勝の祈念をすれば即ち易く勝ち、邪法に依て戦勝の祈念をすれば不利の状態に立ち至るのであります、ですから正法に依て国教樹立し正法に依て戦勝祈念をしなければ全人類を救ふことは出来ませんのであります、我が国には其の使命があります。
私は身分低い為どうか検事殿から天皇陛下に此の正法を保って戴きます様御進言申し上げて頂きたいので有ります、而して私の身命は喜んで国法の下に服従するものであります。閻浮提第一の御本尊は日蓮大聖人より第二世日興上人に下し給った唯一無二の大本尊であります。血脉相承ある冨士大石寺に於いてお守り申しております。此の安置の戒壇には大梵天王帝釈等の古き国神も来下してふみ給ふべき御誓約であります。
以上
判決言渡要旨
正法に依って大石寺の曼荼羅を以て右の如く言ふは天皇陛下の御威勢を云云する事と相成り懲役一年四ヶ月未決通算二十日の判決を言渡す者也
但し右判決不服の場合は五日以内に上告すべし
以上
幸に吾人等は諸天の加護を得たり、當日此の席に列り判決を眼前に聞くを色心共に感激に躍動せり、大法悦也、爪上の土のみ之を知る、之を要するに我等の善なる導師蓮城房の言行は些の私事を見出さず、其の進言は常に広略を捨て要に取る所謂要中の肝要なる者也、実に一語の己説を混へざる。
昭和十九年二月二十七日
異体同心者 大 塚 光 次
合 掌
唱題三返』
この追悼文は、弾正講の大塚光次氏と飴山裕三氏が書き、佐藤慈豊住職が手を入れたという。」(地涌第706号,1993/11/15 日蓮正宗自由通信同盟 http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/706.htmlより)
■因果な客殿焼失に対する描写の違い
さて、その後の第62世日恭、および大石寺客殿について、後日、創価学会第3代会長(現、名誉会長)池田大作は、現代の御書とする小説「人間革命」で、次のように描いている。
「昭和二十年六月十七日――敗戦の二か月前、夜半、突如として、客殿は焼亡したのである。
この客殿は、明治二年、第五十二世日霑上人により再興され、さらに日蓮大聖人六百五十年忌を記念して、第六十世日開上人により、大修理を加えられた由緒ある建物であった。…中略…
客殿の大火は、この対面所から、出火した。
幹部の失火か、朝鮮兵の幹部を怨んでの放火か、戦時中のことで、原因不明のまま、うやむやに葬られてしまった。…中略…
火は、消えた。
火事場の異様な、臭気が漂っている。白い煙がくすぶりつづけている。
僧侶たちの目は期せずして二階の管長室にそそがれた。…中略…
焼けただれた管長室には、第六十二世日恭猊下が、おいたわしくも、身を火焔に自ら焼き、端座したままの姿であられたのである。
しかも、正装であり、袈裟をかけた、お姿である。そして、一閻浮提総与の大御本尊を、御安置した、御宝蔵の方に向かっていた。
猊下はお逃げになることは、いくらでも出来たのである。その証拠に、数百人の罹災者のなかで、負傷者は一名もなかった。
客殿の、焼亡とともに、何故に、吾が身をみずからお焼きになったのか――凡庸の推察は、差し控えなければならない。しかし、側近の老僧には、深く思いあたることがあった。
一人の老僧は、前日の、猊下のお言葉を思い出した。…中略…
『国が亡びるか、否かの時になった。私もいつ倒れるかわからない』
さらに、その数日前――もう一人の老僧にも、猊下は、異常な御覚悟を語っていた。
『……私に、万一のことがあろうと、御相承のことは、お二人の御隱尊猊下(堀日亨上人・水谷日隆上人)がいらっしゃるから、何も心配はない』
さらに、此れより前――猊下は、お一人で文部省を訪れた。身延との合同問題が、国家権力の強圧の下に、実行に移されるばかりになっていた。
猊下は、単身、当局に向かって『合同、不承知』をば厳然と宣言して帰られたのである。…中略…
その毅然たる態度、迫力に、役人は驚いた。なおも猊下は、――たとい今、頸を切られてここに死すとも合同せず――と叫ばれて、ここに正宗の法水を護り抜かれて帰られた。じつに、日蓮大聖人の、幕府権力に対決した時のお姿が、そのまま拝されるのである
戸田城聖は、焼け跡の一隅にうずくまり、在りし日の日恭猊下を偲んでいた。…中略…
――日本は焦土となった。客殿も焼亡した。そして、猊下は御身を焼かれ、恩師は獄死された。有徳王も死し、覚徳比丘も亡くなられた。これ程の弾圧が過去にあっただろうか、断じてない。大聖人の御聖訓に照らし、日本の国が滅亡したのも、正しく、この弾圧の結果ではないか。
ここに厳然たる因果の法則を見ることができる――」(池田大作著「人間革命」第1巻、1965/10/12,聖教新聞社,P256-264)
この小説が聖教新聞に連載された時期は、言論出版妨害事件を起こす前で、日蓮正宗創価学会が破竹の勢いで発展している時期であった。
創価学会は、日蓮正宗(宗門)のなかの一つの信徒団体であり、宗門を外護する立場であったから、当然に、上記のような描き方になっている。
ところが、創価学会が破門された後、日蓮正宗自由通信同盟の不破優は、以下のように語る。
「『慧妙』は、『地涌からの通信・資料編』が日恭の死について報じた真実の報道が気にくわないというのである。日恭の無残な死が真実となれば、“法主”を“現代における大聖人様”と崇め、その生き仏に“信伏随従”することを根本教義とする邪宗日顕宗にとっては、はなはだ不都合なことになる。それだけに日恭の死にまつわる真実を、歴史の奥底に隠しておきたいのである。
では「『地涌』からの通信・別巻(1)資料編」は、日恭の死についてどのように記述していたであろうか。関連部分を以下に引用する。
『昭和二十年六月十七日、大石寺は炎に包まれた。対面所裏より出火した炎は対面所、客殿、六壺、大奥などを焼き尽くした。朝四時まで燃え盛ったといわれる炎は、第六十二世日恭の生命を奪った。焼け跡から発見された日恭の焼死体は、仏法の厳しさを示して余りあるものであった。日恭は、客殿一階部分の、主に従業員などが食事をしていた食堂の一角にあった竈(かまど)で発見されたのである。日恭は竈の中に下半身が嵌まり込み焼け死んでいた。しかも無残なことには、下半身と腹わたは焼けず、生身のままで上半身のみ黒焦げとなって死んでいたのであった。
日恭は前日、静養先の隠居所からたまたま大石寺に戻り、火事の夜、客殿二階にあった管長室に泊まった。日恭は巨躯と病気のために歩行困難であった。
その日恭が火に巻かれ、速やかに逃げることができなかったのは無理からぬことであった。恐らくは火事のため客殿二階の床が焼け落ち、日恭は一階に落ち、意識のあるまま竈に嵌まり込み、逃げるに逃げられないまま焼け死んだと思われる。上半身のみ焼け、下半身と腹わたが残った死体が、そのことを物語っている。
時の法主が本山で無残な焼死をしたことは、仏法の因果からして当然のことであった。軍部の猛威を前にして恐怖し、御書削除、御観念文の改竄、そして神札甘受と大聖人の教えを次々と打ち捨て、その上あろうことか、仏意仏勅の団体である創価学会(当時・創価教育学会)を自己保身の故に見捨てた宗門に、厳罰が下ったのだ』(筆者注 日恭は大奥に隣接する「奥台所」の竈にはまり込み焼け死んだと、後に判明した)」(不破優著「地涌からの通信㉕」1993/9/20,はまの出版,P131-133、『地涌』からの通信・別巻(1)資料編P166)
「日恭は当夜、大奥二階に泊まっていたが、火の廻りが早く、当人も巨躯と持病の疝気(漢方で、大小腸・生殖器などの下腹部内臓が痛む病気)のため歩行が不自由であったため逃げ遅れた。
焼け跡から発見された日恭は、上半身が黒焦げとなり下半身と腹わたが生身のまま残っていた。この火事の犠牲者は、日恭一人のみであった。…中略…
当時の管長代務者である中島廣政は、昭和二十年九月の妙光寺彼岸会で日恭の死について、つぎのような考えられないような不運が重なった結果であると話している。
『書院には三百名の農耕兵が居りましたが或事情のため消火に協力出来ず、門前にあった消防自動車は故障のため使へず、上井出から來た戰車學校の自動車はガソリンを忘れたため是亦役に立たず、富士宮では消防自動車が大石寺出火と聞き逸早く出動準備を整へたのでありますが、署長不在のため命令を受けられず、空しく時を過し上野署よりの應援要請で馳著けた時は火は既に客殿に移り、手の下しやうもないと云ふ此上ない悪條件揃ひであって、洵に宿命と申す外はないのであります』
そのうえで中島は、日恭の死について、
『然し金口嫡々の法主上人が此くの如き御最期を御遂げになったと云ふことは僧俗共に深く考へなければならぬことで是は大聖人大慈の御誡であります』
と素直に受け止め、彼岸会において宗門大衆を前に話している。
たしかにこれほどの不運が重なることも珍しい。まさに罰以外のなにものでもない。そのうえ、これこそ罰を認識する核心部分であるが、竈に嵌まり込み、逃げるに逃げられず上半身黒焦げ、下半身生身の無残な死に方を日恭はしたのである。さすがに当時の宗門中枢も、この不運が重なった結果として総本山大石寺が大火に焼け落ちて“法主”が無残な死を遂げた事実に直面し、かりそめであれ謗法に染まった過去を懺悔していたのである。その歴史的事実に目をつむり、宗門は今日になっても日恭の死を美化し、真実を隠蔽することに腐心している。そのような愚かなことはもう止めるべきだ。
時はすでに“法主”の権威をもって真実を隠蔽することを許さない。仏道を志す者であれば、事実を事実として認め、仏法の本質を学ぶべきである。
なお余談になるが、邪宗日蓮宗の坊主・安永弁哲の書いた『板本尊偽作論』のネタを提供したのは、日蓮正宗の妖僧・小笠原慈聞である。『板本尊偽作論』は、日蓮正宗内の長年にわたる出家同士の確執が、形を変えて表面化したものであるといえる。」(不破優、前掲書P142-144)
終戦間際に、大石寺客殿が焼失し、戦前戦中に法主であり、様々な法難の中心に関わる人物であった日恭が、大勢の焼け出された人の中でただ一人の犠牲者となっていた。
この史実に対し、立場や歴史によって、これだけ異なった描写になることも、極めて珍しいことと思われる。
■独善的アニミズムが引き起こす修羅道や畜生道
以上、長々と挙げてきた日興門流、とりわけ日寬教学が確立された以降の大石寺の指導者たちによって引き起こされた様々な醜態の歴史をみてきた。
後述するが、この流れをくむ創価学会では、会員の洗脳・盗聴・謀略・諜報・ストーカー行為など、さまざまな犯罪行為が歴史的に繰り返され、最近では、2021年3月明るみに出た福岡5歳餓死事件などが一例である。
この事件では、本年3月、「保護責任者遺棄致死罪」の容疑で逮捕された女性は男児の母親・碇利恵容疑者(39)と、“ママ友”の赤堀恵美子容疑者(48)で、亡くなった男児は碇容疑者の三男・翔士郎ちゃんだった。
年の差が10歳もある二人は創価学会員で、
「この2人をさらに親密にさせたのは、どうやら『信仰の絆』にあったようだ。…中略…年上の赤堀被告は、隣近所の住民にも『私は学会員だから』と吹聴していたというから、筋金入りの学会員であったようだ。…中略…一部報道によると、赤堀被告が碇被告を徹底的に洗脳したのは事実である。…中略…
その結果が最悪、食事制限と称した無謀な行為が重なり、3男・翔士郎ちゃんの餓死に結びついてしまうのだ。救急車が自宅に急行した時、息をしなくなった翔士郎ちゃんの横で、母親の碇被告が『題目』を唱えていたという。何を祈っていたのだろう」(段勲「FORUM21」303号、2021/4/10,P2-3)
「いったいどうしたら、このような餓鬼・畜生の牙を育む人間になることができるのだろうか。…中略…
腹を空かしたまま、死に絶えた5歳の翔士郎ちゃんは、普通に育てばあと70~80年の人生が残されていた。しかし、母親とそのろくでもないママ友の2人が、無残にも奪ったのである。
どのような弁解も通用しないが、この事件に見え隠れしているのは『宗教』であるような気がしてならない。本来、宗教とは人の生きる道を教え、幸せとは何かを説いた。殺生などとは対極にある」(同、P3)
「万人の幸福」実現、一切衆生の救済を目指す信仰の舞台に、こうして繰り返されてきた救われない事件は、近年も起きており、これからも繰り返して起きていくだろう。
なぜなのか。
「罪を憎んで人を憎まず」という諺は、人類にとって、科学的叡智といえる。
なぜなら、「依法不依人」(法に依って、人に依らない)の、哲学的言い換えになっているからである。
人は、完全無欠ではない。
だから、必ず過ちを犯す。
このとき、「依法不依人」の逆、「依人不依法」(人に頼って法に依らない)にしたがうならば、依られた人の過ちが依った人(酔った人?)によって拡散する。
末端組織の中での「依人不依法」は、身近な人間によるマインドコントロールを引き起こし、犯罪行為へつながっていく。
集団の指導者が「依人不依法」の独善アニミズムであれば、その信念が強ければ強いほど、末端へのマインドコントロールの影響、およびその論理による害毒を引き起こすことになる。
末端は、中心者や指導者の、小さなクローンになる。
その信念は、変化する時代や環境が、アニミズムが善を生み出す場面にのみ、人々に満足をもたらすが、悪を生み出す場面なら、当然に害毒をもたらす。
さらに、依正不二の原理、一念三千の法則で明らかなように、小さなアニミズムの集合が時空を超えて一人や少数の集団に集中すると、その結果発生するフォーカスには、更なる強力なエネルギーをもたらす。
これは、独善的アニミズムの中心者が、さらにカリスマ化するシステムである。
この「依人不依法」に基づいた社会的現象は、例えば流行の一世界である芸能界においては、時流に乗ったアイドルがプロデュースされ、芽吹いたアイドルがファンを獲得・拡散し、それがさらにそのアイドルを成長させる。
野球やサッカーなどのスポーツの世界における、選手やチームとサポーターとの関係にも見ることができる。
枝葉末節はあるが、中心になるのは必ず「人」であり、どこまでいっても「法」ではない。
平たく言えば、法の真偽や正邪善悪ではなくて、好きか嫌いか、感情に合うか合わないか、心地良いか悪いかが決定的な要素である。
だから、娯楽・道楽の範囲では、それなりに満足をもたらすが、真実の追求や万人の幸福を目的とする宗教や政治に、大規模な「依人不依法」の独善的アニミズムが蔓延ることは、人倫として、人類として、とても残念なことと思れる。
日寬教学には、「依法不依人」を見逃して「依人不依法」を許す抜け穴がある。
この一つが、「人本尊」という設定である。
これは、これを血脈として受け継いでいた牧口の本尊観「この本尊観には霊格と、人格との両面があります。即ち法の本尊と人の本尊であります。」に、明確に示されている。
たとえば無作三身、法報応の三身のうち、永遠に不変・不滅であるのは法身のみであり、報身・応身はどんなに完全無欠の仏の姿といっても所詮は因果応報に移ろいゆく姿だから、これらを本尊と固定して含めることは非科学的となる。
もう一つは板マンダラへの「霊格」の設定である。
アニミズムとして、板マンダラへの盲信を許し、「人格」という「人本尊」は、時のトップや指導者への「信伏随従」を許す。
せっかく日蓮が説いた素晴らしい科学的な「法」としてみなすことができる「南無妙法蓮華経」に、六大秘法という名で「霊格と、人格」を設定してしまった日寬教学の誤りが、日蓮の教えや広宣流布への予言に反して、日蓮門下によるこうした自業自得・因果応報の歴史を繰り返し繰り返しもたらしてきたのである。
これでは一神教などの他教団や無信仰者と同様であり、素晴らしい日蓮の教えを受け継いだことの意味が薄れてしまっている。
前述した、進歩し続ける科学のメスによって切り落とすべきところの、日蓮の教えの中に存在する余分な呪縛となっている非科学的部分やドグマとは、日蓮が依教とした法華経の中で一機一縁の方便として用いた励ましの部分とともに、こうした「霊格と、人格」を設定した部分なのである。
こうしたドグマを切り落とすという、絶え間ない切磋琢磨の作業がない限り、日興門流や創価学会に待っているのは、以後昭和から今世紀に入っても改善されることのなかった諸行無常の歴史を、今後も繰り返すことしかないだろう。
日蓮は遺文で教えている。
「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は 法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、
迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき・本門には「自ら身命を惜まず」ととき・涅槃経には「身は軽く法は重し 身を死して法を弘む」と見えたり、本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事・譬ば寒熱の姿形もなく 眼には見えざれども、冬は寒来りて草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。(松野殿御返事、御書P1386)
《受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れ雑談のみして明かし暮らす者は、法師の皮を着た畜生である。法師という名を借りて世を渡り、身を養うといえども、法師としての意義は何一つない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきであり、恐るべきである。
法華経迹門に「我は身命を愛せず但だ無上の道を惜しむ」と説き、本門には「自ら身命を惜まず」と説かれ、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死して法を弘めるべきである」と説かれている。法華経の本迹両門・涅槃経もともに身命を捨てて法を弘めるべきであると説かれている。これらの禁に背く重罪は目には見えないけれども、積り積もって地獄に堕ちる事は、譬えば、寒さ熱さの姿形もなく、眼には見えないけれども、冬には寒さがやってきて、草木や人畜をせめ、夏には熱さがやってきて人畜を熱さで悩ませるようなものである。》
「身命を捨てて法を弘むべし」とあることを、多くの日蓮門下が見失っている。
人はどれだけ変わっても交代しても、法は変らない。
日蓮の教えでは、「弘むべし」内容は「人」ではなく、あくまで「法」なのである。
そして、このことは、「法」の内容を、ドグマを廃して限りなく探求する意味において、時空を超えて、科学的といえるのである。
P17へ、続きます。
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」
目次(一部リンク付き)
P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰