●21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価 | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

●21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価


 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
 です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。

■暴力否定の日蓮

 安永弁哲著「板本尊偽作論」は、前述にも取り上げたが、日蓮正宗や創価学会の会員においては見聞購読厳禁とされ続け、他の評論家からも悪書とされ、おまけに創価学会からは名誉棄損で訴えられて裁判で負け、著者である安永弁哲が謝罪広告まで出したと言われる、また、著者自身が発刊後に何者かに暴力を受けたという、いわくつきの書である。
 こういった書の中にも、いや、こう言った書だからこそ、それが暴露されれば多くの不利益を被る者や組織から迫害を受けるに値する「真実」の部分があるのである。

 私は、依法不依人の原則をもとに、検討すると、その中に、「日蓮大聖人の教法は暴力否定である」と述べている部分(P117-120)があり、以下に原文のまま、引用してみる。

「そこで問題は創価学会の基本方針たる暴力を聖人が肯定されたか否かゞ問題となるのである。暴力肯定論者は『撰時鈔』(ママ)の『建延寺(ママ)、寿福寺、極楽寺・大佛・長楽寺等ノ一切ノ念佛者禪僧等ガ寺塔ヲバ焼キハライテ、彼等ガ頚をユヰ(由井(ママ))ノ浜ニテ切ラズバ日本国必ズ亡ブベシ』とか、これの類文『種々御振舞御書』をよく引用する。然し聖人を初めとして御門下が暴力を以って他に対抗した例は一度もない。
 寧ろ甘んじて迫害を受けよと教えられている。良寛忍性、然阿良忠、道阿道教等の讒言によって『日蓮ノ身ニ疵ヲ被リ弟子等ヲ殺害ニ及ブコト数百人也』と『行敏訴状御会通』に書き残されている。御振舞御書には日蓮聖人並に弟子檀那の二百六十余人が鎌倉に七、八度も放火し、人を殺したと讒言されたのであるが、是等の讒言に対して迫害を加えられるに当っても、
『各各我弟子トナノラン人人は、一人モオク(憶)シ、オモ(思)ハフベカラズ、親ヲオモイ、メコ(妻子)ヲヲヒ、所領ヲカヘリミルコトナカレ。……佛ノ御使トナノリナガラ、オク(憶)センハ無下ノ人人ナリト申シフクメヌ』と、あく迄も佛の使いとしての大使命に殉ぜよと教えられて、決して暴力を以て対抗することを許し給うていない。又『弟子檀那中御書』には『各各用心アルベシ少シモ妻子眷属ヲ憶フコトナク権威ヲ恐ルルコトナカレ。今度生死ノ縛ヲ切ッテ佛果ヲ遂げしめ給ヘ』と教えられている。
 『行敏訴状御会通』には日蓮の身に疵を蒙る上に、弟子等の殺害せられたる者数百人に及ぶと書かれているに拘わらず、斯様にテロの猛威にさらされた日蓮門下であるが、日蓮門下は絶対に暴力を用いることを許されなかったのである。四条金吾が鎌倉竜ノ口の刑場で、大聖人の御供をして『腹切ラスト申シ候(ママ)』(四条金吾殿御消息)と言ったことは有名であるが、絶対に暴力を行使してはいない。寧ろ反対に『クサ(臭)キカウベ(頭)ヲハナタレバ沙ニ金ヲカヘ石ニ珠ヲアキ(貿)ナエルガゴトシ』(種々御振舞御書)と、法華経の為に吾が命を捧げ奉ることこそ、法華経行者の亀鑑とされているのである。
 聖人は松葉ヶ谷の御草庵に兵杖をたくわえられていたが、それはあの焼討の時などの万一の防禦の為であって、テロ行為の準備ではなかったのである。
 然れば日蓮聖人は佛教徒としては如何なる政策をとるべきかを『立正安国論』に『即チ其ノ施ヲ止ム』とあって、経済政策を以って、謗法の僧侶達に当るべき事を、時の北条幕府に献言されている。釈迦以前は『其ノ罪ヲ斬ル』という斬罪政策をとったが、釈尊以後は『其ノ施ヲ止ム』の政策でなくてはならぬと教えられているのである。
 然も『三度国ヲ諫メンニ、用ヒズバ山林ニマジワレ』(報恩抄)というのが日蓮大聖人の御方針で、どこまで言論をもって三度迄は諫言をして、それで聞き入れられねば、山林に入るべきであるとの御信念で、暴力は絶対に許され給うてはいないのである。
 更に『智者ニ我ガ義破ラレズバ用ヒジトナリ』(開目抄)の御信念で、経文によって、是非黒白を決し、言論によって公場対決してその正邪を決定しようという、あくまでも暴力を否定し言論中心の布教方針であったのである。」


 以上にあげた部分は、日蓮の遺文を根拠にした正論である。
 これは、言論の自由を保障する、現在の日本国憲法にもかなっている。

 実際に、日蓮の在世に、日蓮の信者が徒党を組んで暴力事件を起こした史実は存在しない。
 ちなみに、鎌倉で、門下の三位房が竜象房を破折した桑ヶ谷問答において、立ち会った四条金吾が、徒党を組んで乱入し、法座を乱したという訴えがあったが、これは讒言であったと日蓮は喝破し、主君である江間氏に対する陳状(頼基陳状)を書いている。
 


 さらに安永弁哲は、これらを根拠に
「創価学会はこの大聖人の布教方針を誤って社会秩序を破って迄も折伏を敢行しようとするところに根本的誤謬があり、日蓮聖人の御教を相反する邪教である」(同書P120)
 そして、
 「彼らの教義こそは日蓮門下中最悪極悪の過激分子の巣窟であって、日蓮大聖人の教義を損う最大の罪悪を醸す教団であるが故である。
『黄金』十月号は創価学会を『宗教界ノパルチザン』と評し、『暴威振フ戦闘宗教』という見出しをつけておる。週刊読売には『〝軍旗〟ノアル新興宗教』とか、読売新聞の『凶悪ナル共産党』とか評されているように、創価学会は過激的、戦闘的、狂暴的であることは衆目の一致するところである」(同書P126)
 と酷評している。



 安永弁哲が引用した遺文は、順に、以下にあげるものである。
 撰時抄、御書P287
 「日蓮は日本国の棟梁なり 予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて 此の国の人人・他国に打ち殺さるのみなら
ず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ、」

 種種御振舞御書 御書P910-911
 「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、 法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。仏滅後.二千二百二十余年が間.迦葉.阿難等.馬鳴・竜樹等・南岳.天台等・妙楽・伝教等だにも.いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ」

 行敏訴状御会通 御書P182
 「但し良観上人等弘通する所の法・日蓮が難脱れ難きの間 既に露顕せしむ可きか、故に彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す汝等が大怨敵なりと云云、頚を切れ所領を追い出せ等と勧進するが故に
日蓮の身に疵を被り弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり、此れ偏に良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出たり心有らん人人は驚く可し怖る可し云云」


 弟子檀那中への御状 御書P177
 「大蒙古国の簡牒到来に就いて十一通の書状を以て方方へ申せしめ候、定めて日蓮が弟子檀那・流罪・死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ 方方への強言申すに及ばず 是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え、鎌倉殿.宿屋入道.平の左衛門尉・弥源太.建長寺・寿福寺.極楽寺・多宝寺.浄光明寺・大仏殿.長楽寺已上十一箇所仍つて十一通の状を書して諌訴せしめ候い畢んぬ 定めて子細有る可し、日蓮が所に来りて書状等披見せしめ給え、恐恐謹言。
文永五年戊辰十月十一日                  日 蓮 花 押
 日蓮弟子檀那中」

 四条金吾殿御消息 御書P1113
 「かかる日蓮にともなひて 法華経の行者として 腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮・霊山にまいりて・まづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ」

 種種御振舞御書 御書P912
 「さいわひなるかな 法華経のために身をすてん事よ、
くさきかうべをはなたれば沙に金をかへ石に珠をあきなへるがごとし、
さて平左衛門尉が一の郎従・少輔房と申す者 はしりよりて日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出しておもてを 三度さいなみて・さんざんとうちちらす、又九巻の法華経を兵者ども打ちちらして・あるいは足にふみ・あるいは身にまとひ・あるいはいたじき・たたみ等・家の二三間にちらさぬ所もなし、
日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをすと・よばはりしかば上下万人あわてて見えし」

 立正安国論 御書P30
 「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん。」

 報恩抄 御書P322-323
 「去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は 相模の国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん其の夜は・のびて依智というところへつきぬ、又十三日の夜はゆりたりと・どどめきしが又いかにやありけん・さどの国までゆく、
 今日切るあす切るといひしほどに四箇年というに結句は 去ぬる文永十一年太歳甲戌二月十四日に・ゆりて同じき三月二十六日に鎌倉へ入り 同じき四月八日平の左衛門の尉に見参して やうやうの事申したりし中に今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ、同じき五月の十二日にかまくらをいでて 此の山に入れり、これは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ、
 又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば 山林にまじわれと・いうことは定まるれいなり」

 開目抄 御書P232
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、 身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも
 智者に我義やぶられずば用いじとなり、
其の外の大難・風の前の塵なるべし、
 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」



■折伏の実態と、暴力の隠蔽

 佐木秋夫・小口偉一「創価学会」(1957/8/20 青木書店)P203には、以下の指摘があり、こう言った事実を裏付けている。
 「強要、強制、脅迫、暴力、破壊……
『迷惑かまわず押し掛け法論。半ばおどしの布教ぶり。責められて発狂した主婦も』――こんな見出しで、『毎日新聞』の『暴力新地図』という特集の一つに、創価学会が扱われている(五六・八・一三)。そこにあげられている実例の一つに、こういうのがある。
 東京都豊島区のKというクツ屋の老人は、孫が入院したら、出入りのクズ鉄商のMが『仏罰だ、入会すれば治る』と連日のように押しかけて何時間もねばるので、たまりかねて一一〇番に電話したら、パトロール・カーがとんできた。
 しつこい強要で困っている、という投書はじつに多い。たとえば、座談会に出て断ったら、青年部だ婦人部だといれかわり立ちかわり毎日やってこられた(「読売」五五・五・一七ー川崎市民の投書)。警察を呼ぶのはよくよくで、近所づきあいや知人関係でもあればそうもできない。ムリに断ればケンカになるし、善良な市民とくに婦人の場合はもてあます。炭労の場合には、入坑の一番手、二番手などの時間をはかって来るので、休息がとれず閉口する。商売や仕事のじゃまという訴えも多い。めんどうだから形だけ入会しておこうなどと一寸のがれをやれば、あとがいっそう大変になる。」

 また、
「強要には脅迫がつきものである。東京都世田谷区のある主婦は、いったん入会して脱会したら、『一家はどん底に落ちる』『子どもが死ぬ』とおどかされてついに気が変になった(「毎日」五六・七・一六)。入院患者もよくおびやかされる。秋田のある療養者は、一〇〇日で癒す、癒らなかったら首をやる、と勧められ、『断ると手のヒラを返すように一年、三年目にタタリがあるだろう、と脅迫めいたことをいわれた経験がある』(「朝日」声欄、五七・六・二五)
『あなたはきっと再発する。仏法でははっきりしている』とやられた人もある。
病人、病気の家族で悩んでいる人、気の弱い人などが、非常な圧力を感ずるのは当然で、なかにはノイローゼ気味になる人もでてくるだろう。病気いがいにも、炭労労働者の主婦に『坑内でケガをする』といい、運転手の妻に『信心をしていたのであやうく強盗の難をまぬがれた現証がある』と説き、夫の気持ちを心配している妻を『七年以内に夫婦わかれする』とおどす(新宗教新聞社『新聞記事に拾う、創価学会の実態』五五年一二月にある『毎日』茨城版、五五・一〇・一六『正教か邪教か、無理に入会させる』の水戸市下市A子さん(二八)の例)、『子どもの悪いのは邪教のせいだ』『ほんとの不良になる』とやるなど、要するに、現代の大衆のあらゆる苦難や弱味がすべて材料になる。
 精神的なおどしだけでなく、実力的なものもある。右の『毎日』の記事のA子さんという人は、『班長さんが恐ろしくてやめられない。こんな危険な宗教があってもいいのでしょうか』といっている。数人の男女が『胸にピストル向けらりょと』の意気で押し掛け、ケンカ腰でどなられたら、たいていのひとはおじけづく。いつでもケンカになるキッカケがころがっているのだから、恐怖する。とくに、寺院、教会、布教師などのところへ押しかける場合には、最初から威力で圧倒するつもりで『作戦』をねっていくのだから、勢いが猛烈で、つるしあげをくった僧のなかには『わび証文』をとられた人さえいる。東京都浅草の東本願寺別院には数十名が
押しかけ、ついに警察が介入して折伏隊一〇名ほどを調べたが、ただのいやがらせとして事件にはならなかった(「朝日」五四・一〇・二六)。
東京都北区の与楽寺には二〇人ほどの機動部隊が作戦した。真言宗の話をきかせろからはじまって『シャカと日蓮とどちらがえらい』などと質問し長岡住職が『信仰のちがいだ』といえば皆で『わからないのだ』と騒ぎたて、バカバカしいから奥へ引っこむと『逃げるか』と浴びせ、けっきょく玄関で『勝った』と気勢をあげて帰った。リーダー格は服装もキチンとして話の筋がとおっていたが、あとは労働者、学生といった感じで、雑音を入れるだけだった(同紙)
 この最後の例では、住職がしっかりしていたからよいが、自信のない人なら二〇人の人数だけでふるえあがってしまったろう。折伏攻撃はっ宗教家の人物やその信仰と学識にたいする皮肉なテストだともいえるかもしれない。また、宗教のかんばんをかけている以上、法論に応ずるのは一種の義務だろう。
 強要や脅迫、強制といわれるものは、当人がしっかりしていれば効果がない場合が多いのだから、おどかされるがわにもたしかに問題がある。それが道義的な問題としての意味を越えて脅迫罪(刑法二二二条)になるかどうか、その一線をどこに引くかはむずかしい。断っても家宅に侵入するとか、店先を占拠して営業を妨害するとかいうことになれば、もちろん明らかな犯罪である。(刑法一三〇条住居侵入罪)
 じっさいに暴力ざたになった例も、時どき伝えられている。大阪市では、青年部隊の班長ら五名を暴力、傷害の容疑で捕えたが(五六・一〇・一五)、大阪では、日蓮正宗の寺院の帰属問題で、住職と創価学会で激しい紛争が起っていたのだった。沼津市のある仏立宗の老婆は、二人の会員が『まるで強盗』みたいに日蓮の木像などをさらっていった、と警察に訴えた(「軍旗のある新興宗教」ー『週刊読売』五五・一〇・三〇号)
 創価学会では、暴力というのはデマだ、と否定している。本部の方針として暴力を奨励するような自殺行為をするわけはない。強迫や強要についても、『折伏経典』をはじめ、ハッキリといましめている。折伏は『警告』で強迫ではない、という。しかし強迫めいたことは、全体の教義や組織からいっても、末端でそういう事態がおこるのがむしろ当然だろう。『いくぶん行きすぎはある。ただどこに一線を引くかはむずかしい』と小泉理事長も語っている」(同書P204-206)


 戸田時代の創価学会について、その暴力性を指摘した著書は少なからずある。
 新田倫三著「創価学会・公明党の真相」(1065/6/10、真世界社)では、元創価学会の支部長であり、その邪教性にめざめ、脱会しようとして暴力的リンチをうけた静岡県天龍市の市議鈴木貞秋氏は、池田大作のまわりには、その命令一下、暴力をいとわない、ヒットラーの親衛隊もどきの行動青年隊が十万名もいると明言していることをあげて、
「信仰に生きるものは、その信条の命ずるところ、時と場合によっては、世間一般の道徳や国の法律にもしたがえないということはないとはいえない。…中略…
 しかし、だからといって、それは国法や道徳を無視してよいということでははいはずであり、軽視することも意味しない。もし真にそれほど信仰信条に忠実なものならば、つねに国法は重んずるはずのものであり、どうしてもやむをえない場合に限り、信仰的態度において、信条をむねとして現世の法の裁きをおのれの受難として、つつしんで甘受してゆくものであるだろう。
 しかし、創価学会のやり方はそうではない。昭和三十七年の参院選の時、大阪ではろこつなひどい選挙違反が行なわれた。それはまったくの国法無視なのである。そうして会員が違反であげられると、彼らは警察権の発動は選挙への不当な干渉であり妨害だと称して、警察署のそばへ『選挙妨害対策本部』を設置して対抗するというやり方であった。」(同書P22)
 と指摘する。
 さらに、創価学会の教義について、折伏経典をあげ、
 「折伏経典には、法律に三つあって、世間法と国法と仏法だといい『最高の仏法律に従うと雖も、世間法の一部分であることを忘れてはならない』とわけのわからぬことをいったあとで、一往は『特に世間法にそむき、国法に背くことはあってはならぬ』といいながらも、すぐそれにつづいて、『ただ仏法を護らんために世間法も背かねばならぬこともあるのである』といっている。この一言は、彼らが常識のない盲信的な宗教団体であるだけに、見のがすことのできないことばではなかろうか」(同書P23)
 と述べている。

 さらに、
 「事実、彼らは今後の政治動向のいかんによっては、青年多数を動員して実力行動に訴える用意のあることを表明している…中略…
ほかの宗教団体にはまったく絶無といえる非合法な暴力性が、この教団にのみあるということこそ、創価学会の最大の特色ではないだろうか。およそ宗教というものほど、暴力と無縁なものはないはずである…中略…」
 そして、日蓮についても
「日蓮聖人は、敢然と北条幕府の背理を身をもって指摘された。また他の諸教の正しくないゆえんをつよく主張した。そのために刀杖瓦石の難にあわれ傷つきもし、島流しにもあい、首もはねられようとされた。だが、たといわが身を守るにせよ、また他を責めるにせよ、日蓮みずから非合法な暴力を是認し、これを行使するということがあったであろうか。あとで彼らの暴力的シャクブクについてふれるが、決して日蓮聖人は、そういうことはなされなかった。」(同書P24)
 と、指摘しているが、これも前述した安永弁哲の指摘に合致している。

「試みに、創価学会教学部編『日蓮正宗創価学会批判を破す』(以下『批判を破す』)という彼らの文献には、仏立宗を下品な筆致でこきおろすところで、『折伏をうけるとすぐ〝警察一一〇番〟という……〝ふりかかる火の粉〟を払う窮余の一策か』などといって、一一〇番と縁のふかいことをみずからみとめているが、創価学会問題で治安当局にもちだされた件数は全国的には大へんなかずであろう。曹洞宗教化研修所編『教化研修第二号』にある『創価学会の素描』という調査研究の報告書には、『学会台風の爪跡――かずかずの暴力・紛争』というところで、こういっている。
 戸田会長は、各種座談会やラジオのインタビューにおいても、しばしば言明しているように、その布教活動の行きすぎに伴う暴力事犯を極力否定し、事実無根でのデマであると強調している。
 しかしながら、これこそ苦しい弁明であって、事実は全くその逆である。……
 折伏においてしばしば脅迫的言辞を以て入信を強要し、又暴力をもって勧誘する等の事例は、実に枚挙にいとまなしと言っても過言ではない。
 実際に、こうした暴力行為の続発をみるので、治安当局は、昭和二十七年一月二十六日に、会長戸田城聖にたいして、創価学会が『暴力主義的行動を是認するような傾向が見られる等の事由』により、
 『今後折伏においては、暴力及び脅迫等の不法行為を一切禁止し、これを全会員に徹底さす』むねの始末書をとり、『諭旨処分』に付したのである。
『教化研修』は昭和三十年から約一ケ年間に、創価学会が各地でひきおこした暴力・紛争のかずかずを六頁にわたる一覧表にしてかかげている。そのなかには大阪における日蓮正宗の由緒寺院蓮華寺の住職崎尾正道師(六六頁参照)がバスに乗ろうとしたところを、待伏せしていた青年部十四部隊長某および同参謀の二人の学会員によって、強引に暴行を加えられ、その二人は検挙されたという事例をはじめとして、殺人未遂事件をふくむ戦慄すべき多くの事件が記載されている。」(同書P24-25)

「『板本尊偽作論』の編者である安永弁哲師は、その出版のあと、二度にわたって夜陰にまぎれてなにものかに暴行を加えられたと、その体験を語っている。国柱会が昭和二十八年九月十二日に読売ホールにおいて催した迷信打破大講演会にさいしては、青年行動隊と称する百数十名が幹部の指揮のもとに計画的に集団妨害を行ない、演壇にかけあがろうとし、これをふせぐ国柱会々員に暴力をふるい、ついに警察力の要請を察知するや、動員寸前に一斉退場するという事例もあった」(同書P25-26)

「さきにあげた静岡県天龍市の市議鈴木貞秋氏は、もと学会の支部長をしていたが、脱会するや、昭和三十七年十二月、現在の学会の大幹部である副理事長秋谷城永の指揮のもとに十三人の学会員によって加えられた『殺されるか』と一時は覚悟したほどの『打つ、蹴る、殴る』の集団リンチ事件の実態を、文章もしくは講演でくわしく解説し、そうして世人がこの邪教団のおそるべき正体に一日もはやくめざめるよう熱心に訴えている。『マスコミ』という新聞は、その鈴木氏が検察庁に提出したという『上申書』の全文を掲載しており、そのなかには他の事例もあげて、そのおそるべき実情を報じている。」(同書P26-27)


 上記の「秋谷城永」とは、秋谷栄之助であり、のちに創価学会第五代会長をつとめた要人である。彼は、戸田の弟子でもあり「城永」という名前を戸田からもらっていたが、池田大作が第三代会長になり、池田を師と仰いでから後、「城永」の名前を捨て、もとの「栄之助」と名乗ったのであった。


 それにつけても、この戸田時代の折伏大行進について、こういった批判は一切会員に知らされていないばかりか、これを掲載する書物なども、一切デマであるとして、当時の会員には、読まないように、信じないように、口コミで指導されていたのであった。


■折伏経典にある三つの法律

 新田倫三氏が指摘した「折伏経典には、法律に三つあって」云云というのは、確かに創価学会の経典「折伏経典」にある。
 「折伏経典」(1961/5/3校訂三版、創価学会)P378-381には、「三法律というのは何か」という、会員向けの解説が掲載されている。
 「世の中に世間法律、国法律、仏法律の三つの法律がある。
 この世間法と国法と仏法とを網にたとえれば、世間法律は大きな目の網で、国法律は中くらいの目の網、仏法律はごく細かい網の目で絶対にこの法律をのがれることはできない」(同書P378)
 とある。つまり、
 大きな目の網である世間法は、容易にかいくぐることができ、中くらいの目の網である国法は、世間法よりは難しいが、網の目をかいくぐる事もできる。
現実に、国法の抜け穴をかいくぐり、もしくは悪用する輩も多い。
 しかし、三世永遠にわたる因果が説かれている仏法律は、ぜったいにかいくぐる事はできないということである。

 このこと自体は、仏法の厳然たる因果を説いている上でのことで、決して間違っている事ではない。

 「世間にいかに評判が良く物質的にゆたかであっても、国の法律にはかなわない。国法は世間法よりきびしいのである。又いかに国法に準じ世間に評判よく物質的に豊かでも、仏法にそむけば仏法律は絶対にきびしいのであるから、仏罰は当然である。」
 と続き、
 「いかに世間に評判悪く貧乏で万が一、国法にそむくようなことがあつても、仏法律にたがわなければ、冥々の加護あつて、世間的にもよくなり国法の支配をのりこえた幸福になるのである」(ママ)
 と続く。
 私は、この部分は、三世にわたる生命の因果に立てば正しい説明と見えるが、この部分は、ややもすると
「仏法律にたがわなければ、つまり、折伏において国法にそむくようなことがあつても、国法の支配をのりこえた幸福になるのである」と解釈することができ、このことが、弘教や折伏において国法を犯す根源の指導になっていたと考えている。
 そして、いかに仏法律、つまり「法」が正解であっても、こういった解釈を勝手にするのは「人」であり、間違った法である「依人不依法」の日寬教学アニミズムを受け継いだ「人」に依って、勝手に解釈され、国法を犯しても布教さえできればよいと、犯罪が正当化されたのではないか。
中枢幹部も、また末端会員も、この文を見れば、容易に以上のような結論に至る。 そして、普段は世間法に忠実な生活を送っている常識ある信者であっても、そういった思いが遂げられない場面に遭遇した時に、臨機応変に、各々勝手に対応した結果、暴走して、法に触れる行為に至ったことを想像するに難くない。

 「たとえば、志那事変中、三勇士とたたえられた人々は故郷にいた時も又隊中でも評判がよくなかつたと聞く。しかるに一度国のために身を犠牲にするや、彼らは一躍、日本の国法に照らして三勇士として一般民衆より称えられたのである。これは世間法より国法が強く高い証拠である。
 芦田均氏は一国の総理大臣として評判の高かつた人であるが、一度昭電事件に連坐するや国法の裁きをうけなくてはならなくなつた。世間法では国法に勝つわけにはゆかぬのである。世間法は世間の交際がよいとか、お世辞がよいとか、商売がうまいとか、財産があるとかによつて、この法の利益をうけるのである。
 国法は正邪である。国の法律に照らして正であるか邪であるかの判定をなすのであつて、国民全体生活の秩序を乱さぬ最低範囲において基準がおかれている。この基準によつて正邪を定めるのである。」
 と続いて後、
 「仏法律は国法をもつて、いかんともすることのできない峻厳かつ崇高な法律である」
 と、この仏法律が最高の法律であると称える。

 そして、
 「日蓮大聖人は仏法律にすこぶる忠順であらせられた。一切民衆に真実の楽土を建設させんがために、命もすて苦しみをしのび、悪口にたえて御奮闘を遊ばされた。もつたいない限りである。世間法からみて決して評判はよくなかつた。国法に照らしても罪人として伊豆へ佐渡へと御流罪である。国法から見て世間法から見てほめられる御境涯ではない。しかるに大聖人は仏果を成ぜられ、末法の御本仏として仏国土に君臨遊ばされて東洋の仏法をここに御建立なされたのである。誰人か大聖人の御心境を奪えるものぞ。いかなる国法も大聖人の仏果をさまたげうるものぞ。
 大聖人が開目抄(御書二三七㌻)に、『日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず後生に大楽をうくべければ大に悦ばし』と、されば仏法律は国法律をもつて、いかんともなしがたいものである。
 国法律は正邪をもつて判じ仏法律は勝負である。仏法を信じる者はその生活において勝負を決するのである。末法今時において、日蓮正宗を信じひたすら題目を唱えるとき、仏法律によつて冥々の加護をうけ、誰人も奪いえない真の幸福をうるのである。
 ここに考えなければならないのは、最高の仏法律に従うといえども、世間法・国法が仏法律の一部分であることを忘れてはならないことである。
 一切法これ仏法である。特に世間法にそむき、国法に背くことがあつてはならない。
 ただ、仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」

 と、記載されている。



 日蓮は、暴力を否定し言論中心の布教方針であったことは、前述した安永弁哲の指摘の通りである。
 それだけではない。
 日蓮は、「世間のとが一分も無し」(種種御振舞御書)
とあるように、その他の世間法や国法すら、在世においては犯していないと遺文には述べられているのである。
 さらに、自らの法難に対しても、幕府や邪宗などに対抗することのないように、門下に言い渡していたという。
 日蓮の信者で、強引な、暴力的な折伏をされて、日蓮に帰依した者がたった一人でもいただろうか。
 
このことも、創価学会は、御書根本をうたうならば、肝に銘じるべきであったろう。

 日蓮は、それでも、自身の法難の罪は、厳しい仏法律を犯したことによるものであることを、佐渡御書には述べている。
 佐渡御書や生死一大事血脈抄など、多くの日蓮の重要法門の講義集が戸田城聖全集第3巻にまとめられている。
 日蓮の重要な法門のほとんどを講義していた戸田城聖や、その講義を聞いていた側近幹部や会員は、よもやこの事実に触れていなかったわけではなかろう。

 ではいったい、どうして、世間や国法に触れるような布教が公然となされ、しかも法難とかと正当化されたり、歴史的には隠蔽されたりしていたのだろうか。

 前ぺージでもしてきしたが、
 「天晴れぬれば地明かなり 法華を識る者は世法を得可きか」(観心本尊抄、御書P254)
《天が晴れれば地は明かとなる。法華経を識る者は当然に世法を得ている。》

 この日蓮の遺文ひとつとっても明らかなように、世法・国法よりも自らの主張する〝仏法〟や組織の論理を優れたものとして、布教のためなら国法を犯してもよいと、様々な犯罪を重ねてきた創価学会に、日蓮直結・御書直結を掲げる資格が存在しないことは、既に歴史が証明している。
 創価学会が自ら悪書とした安永弁哲の指摘は、彼が自著の中で指摘する「悪現証」として、そのまま創価学会自身の実態を正直に指摘していたのである。


 これも、ひとえに、受け継いだのが「依人不依法」のアニミズムであり、「依人」となった中心人物である「師」、この時代では戸田城聖や池田大作に、誤りがあったことの現証である。
 そして、依人不依法なるが故に、師に対してまともに諫暁する者が乏しく、あっても冷遇または排除され、絶対的主従関係が「依人不依法」にもとづいて形成されていたのである。
 つまり、このアニミズムに基底を置いた絶対的主従関係が、創価のいう「師弟不二」だった。
 これは、この源流に見るように、明らかな現証なのである。



 P22へ、続きます。



☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)
P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価