●33 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作
このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P33, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作
です。
ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。
■言論出版妨害事件1970年1月-2月分、ウィキペディア(Wikipedia)での概要
「共産党の報道をきっかけに、他のマスコミも創価学会・公明党を批判的に報じるようになった。この問題は1969年から1970年の国会で取り上げられ、出版を阻止するための組織的と見られる行為があったこと、公明党の幹部らが働きかけたこと、藤原以外にも批判本を書いたために出版に対する妨害を受けたとする著者が多数いたことなど、問題の詳細が明らかにされて行った。また創価学会・公明党関係者だけでなく、与党の幹事長という大きな権力を持つ立場にある角栄までが介入していたことはこの問題をより大きくした。」
■当事者、藤原行正の記述
先述した藤原行正著「池田大作の素顔」P121-131には、この事件が以下のように述べられている。
「少なくとも、テープの段階では後に騒がれたような憲法違反云々といった次元の問題ではなかった。…中略…
『創価学会による言論弾圧の重要証拠が私の手元にある。これは言論の自由を認めた憲法にも違反する行為であるから、国会で取り上げろ』
氏はマスコミにこう訴え、自らも月刊誌や週刊誌で積極的に論陣を張ったため、世の中は騒然となった。…中略…
この予想外の事態に腰を抜かすほど仰天したのが池田大作であった。
学会側は発売と同時にこの号を十万部以上買い占めた。言論出版妨害の事実から一般会員の目をそらしてしまえ、というのが雑誌買い占めを命じた池田の狙いだった。…中略…
藤原弘達がテープの存在だけを天下に公表したことで、池田大作は『大変なことになった』と血相を変えた。下手をすると創価学会の最高責任者として自分が社会的糾弾の矢面に立たされる。池田はまずその不安に怯え、
『おい、大丈夫か!』
オロオロした声をあげた。持ち前の厚顔としたたかささで学会内部にニセの『池田神話』を広め、超ワンマンぶりを発揮しながら、一歩世間へ引っ張り出されると臆病そのものという地がモロに出た…中略…
直接の当事者だった私は内心で苦笑する思いだった。…中略…
言論弾圧だ、と大騒ぎされるほどの言葉を口にした覚えはない…中略…
そのことを池田にも伝えていた。私の言葉を信用していれば話は簡単だった。この段階で、当事者の私なり秋谷なりが正式に謝罪し責任を明らかにすれば、学会組織にまで累が及ぶことはなかっただろう。
実はテープの一件が暴露された直後、学会上層部で善後策を協議した。北条、秋谷、私の三人に竹入と矢野なども加わり、その場で『謝罪すべし』という一つの結論が出ていた。
この時は私もハラを決めていた。テープをとられた一件は自分のミスだ。私が頭を下げ、学会側の要求を撤回した上で都議を辞任する。要するに学会側に言論妨害の意図は一切なく、私の独断でただお願いに上がっただけという事態収拾案だった。諸般の情勢からそんな形で当事者が早めに社会的責任を明らかにするのがもっとも妥当な解決策ではないか。最高幹部の間ではその方向で意見の一致を見ていたのである。秋谷も当事者だったが、表に出るのは一人でいいだろうと判断した。
『ぼくが悪者になってすべて被るよ』
『藤原さん頼むよ、よろしく』
彼とはこんなやりとりをしたが、調子のいい返事にこの男の底が見えた気がした。
もっとも、この最高幹部間の取り決めは池田の勝手な先走りでご破算となった…中略…
私たちの動きとは別に学会系の潮出版社など出版関係、雑誌関係の幹部たちを動員して、
『おまえらも全力を挙げてあの本の出版を潰せ』
と命じてしまっていたのである。そこで当時の潮出版社幹部だった池田克也(現衆議院議員)らが、大手取次店各社、大手書店などに手を回していた。もし新刊書の『創価学会を斬る』を取り扱うなら学会系の潮出版社の刊行物をすべて引き上げることもありうるゾ。そんな脅迫めいた裏工作が九月中旬から連日展開されていた。…中略…池田一人が悪あがきを繰り返し、キズはどんどん深まっていったのである。
『心配ないですよ。当事者の私が謝罪して責任を取る必要があるかもしれないが、テープの内容に関する限りでは相手が公表しても絶対に大丈夫です。』
私は池田にこう申し出たが、問題はすでにテープだけではなかった。いずれ取次店や書店への学会の圧力まで暴露されるかもしれない。池田は気を揉み、心配のあまり一種のパニック状態に陥っていた。
『おい、謝りに行こうかな』
池田が配下の人間を集めてこんな弱きをのぞかせたのはこの時期だった。藤原弘達氏のもとへ自分で謝りに行ったほうがいいか、という意味だった。しかし、だれも返事をしなかった。それが心にもない言葉だとわかっていたからだ。幹部はみんなシラけた気分で黙っていた。頭の中では『すぐ謝りにいくべきだ』と大半が判断しているのに、その正論を口にしたら池田の怨みを買う。それはゴメンだ。
もしこの時、幹部のだれかが池田に謝罪を勧めたとしよう。その場では彼は黙って聞いている。しかし、事件のほとぼりが冷めた三年後、五年後に必ず仕返しされるであろう。
『あいつはオレに頭を下げさせようとした、チキショウ!」
池田大作の執念深さを幹部たちはみないやというほど知らされていた。
最悪の手、田中角栄登場
強い不安に駆られた池田は事態の打開を焦るあまり、さらに最悪の手を打った。劣等感の強いこの男はあきらめが悪い。その上に世間を知らないから、自分の力を過信してなおのこと強引に無理を押し通そうとした。
そこにゴマすり幹部が余計な手を貸したから話がややこしくなった。これはのちに創価学会が問題を大きくしていく時のお定まりのパターンともなるが、この言論出版妨害事件で助っ人役を買って出たのは公明党委員長(当時)の竹入義勝だった。…中略…
竹入はすぐに田中幹事長(当時)に相談をもちかけ、相手は学会の頼みを入れ、弘達氏との仲介役を承知した。…中略…
四十四年十月十五日、赤坂の料亭『千代新』で藤原弘達氏と田中角栄氏との第一回目の会合がもたれた。これは弘達氏が旧知の相手の顔を立てたにすぎず、田中幹事長が一役買った初回の仲介は不首尾に終わった。
池田大作が三たび失態を重ねたのはこの時だった。池田は竹入と一緒に問題の料亭のすぐ隣りの部屋に身を潜ませ、藤原・田中会談の話の成り行きにこっそり聞き耳を立てていたのである。
ところが、その姿を係の仲居さんに目撃され、のちにこの事実は当時サンケイ新聞政治部記者だった俵幸太郎氏によってスッパ抜かれるというオマケまでついた。
十月二十三日、自民党の実力者・田中幹事長と弘達氏との間で二度目の会見がもたれた。しかし、この仲介も、弘達氏側が蹴る形で物別れとなる。
それは当然だったろう。池田大作は一方で田中幹事長に仲立ちを依頼しながら、他方では潮出版幹部らを動かして大手取次店や広告代理店への圧力をますます強化させ、さらに同社や聖教新聞の業務部員を総動員。都内の書店を回らせ、裏からの圧力を強めてもいた。
『学会に批判的な『創価学会を斬る』を扱うな。もしおたくがあの本を扱えば学会推薦の書物を遠慮してもらうしかない……』
また、この時期は藤原弘達氏の自宅をめがけて学会側からのイヤガラセの手紙、無言電話、脅迫電話が昼夜を分かたず殺到していた。池田は相手をねじ伏せるためにあらゆる手を使った。しかし、その圧力を激しくすればするほど著者側は態度を硬化させた。
創価学会の一連の圧力がそれなりの効果を上げたのも本当だった。出版元の日新報道は車内吊りポスターの掲載を断られ、多くの書店で注文拒否に遭ったという。当時の学会内部の動きからすれば、これはすべて真実だったろう。…中略…
そして十二月、共産党機関紙『赤旗』に自民党の田中幹事長が創価学会の言論弾圧に手を貸したという弘達氏の談話が掲載され、このころから新聞、雑誌などマスコミ各社の動きが騒然としはじめるのである。
事態の悪化に直面して、学会上層部は連日の様に善後策を協議していた。悪あがきを繰り返す池田になんとかブレーキをかける必要がある。大幹部全員の頭にその思いが強かった。何度か話し合った結果、竹入がある謝罪案を口にした。要するに今回の問題はこちらに身に覚えのあることだから、相手側と世間に対して、『これから気をつけます』と、頭を下げ、とにかく事件を収めようという発案だった。
事件解決を優先させるにはそれがもっとも常識的な手であった。そこで幹部間の最終意見がまとまり、学会ナンバーツーの北条さんが池田大作へ最高会議の結論を報告した。ところが、池田はここで首を横に振ったのである。
『絶対に事実無根で押し通せ!』
池田は北条さんにこう厳命し、その指示が北条さんから今度は竹入に伝えられた。池田独特の性格がまた顔を出したのだ。もし一度でも創価学会会長たる者がミスを認めたら自分の権力の座が危なくなると不安でもあったのだろう。この男は自分の犯した誤り、間違いを決して認めようとしない性格の持ち主であった。
■竹入委員長の事実無根発言
一方、池田大作が謝罪案を蹴ったために、竹入は大ウソつきの汚名をかぶる羽目になった。四十五年一月五日。彼は党書記長の矢野とともに記者会見し、創価学会の言論出版妨害事件はすべて事実無根と発表してしまったのである。
その発言内容は内部の人間でさえ恥ずかしくなるようなウソだった。
…中略…(この発言は前ページ参照)
衆院勢力を四十七議席に伸ばしていた。その余勢を駆って、強気の記者会見であった。が、すでに明らかなようにこの時の竹入と矢野は池田大作の操り人形にすぎなかった。
この竹入の事実無根発言に激怒したのが藤原弘達氏である。氏は私や秋谷とのテープをもっているし、自民党の田中幹事長から執筆取り止めを依頼されたのも事実。その席で田中幹事長は、
『公明党の竹入委員長から頼まれた』
と、学会側の裏工作の真相を弘達氏に打ち明けてもいたから公明党首脳のウソはだれの目にも明らかだった。
ここに至ってマスコミ各社は創価学会へ強い疑惑の目を向け、国会では共産党、社会党らによって創価学会会長・池田大作、公明党委員長・竹入義勝の喚問問題が取り沙汰される事態となる。
この時、池田大作の見せた醜態はひどかった。言論出版公害事件が国会で取り上げられ、池田本人の喚問の可能性が生じるや、この男は日ごろの威張り返った仮面を脱ぎ捨てた。国会という公の場でギューギューやり込められたら、もうお手上げだ。学会内部のウソでかためた池田崇拝など吹っ飛んでしまう。自分の正体が暴かれるのを、池田はおそれ、あわてた。そのうろたえぶりは哀れというより無残だった。
■箱根の山へ逃げた池田大作
池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔策を命じた。共産党を除く各党の理事を全部懐柔せよ、という号令が本部から全議員に指示されたのである。
そのため公明党の全国会議員は赤坂二丁目のクラブ石丸を拠点とし、今日は自民党理事、明日は社会党理事という具合に各党代議士連中を接待攻めにした。その接待費は学会本部持ちで毎晩毎晩一流クラブや料亭へ誘い出した。各議員は接待が終われば拠点に戻って報告し、次の指示を仰ぐ。連夜の飲み食いで身体をおかしくする者まで現れる始末だった。
同じ時期、池田は突然、学会の機構改革を断行して副会長制を敷いた。会長の下に北条浩、森田一哉、秋谷栄之助の三人をおいたのである。
この人事のナゾはのちに解けるが、要するに事態を悪化させるだけ悪化させたあげく、事件の張本人である池田大作には身勝手な自己保身しか頭になかった。
池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は二月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。
この逃避行の際、年末に軽いカゼをひいたのを幸い、自分から不調を騒ぎ立てた上で徹底して重病人を装った。その側についていたのが一番弟子・原島崇教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明かしている。
『四十五年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました。時には、午後四時(ごろ)にある女性が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています』
この時、原島と一緒に上田雅一現副会長も同行していた。そして、二人は逃避行中の池田大作の裏の顔、ふしだらな女性関係をまざまざと見せつけられてしまう。その事実も月刊ペン裁判で原島は次のように証言している。
『最初の目撃は、四十五年二月初旬。場所は仙石原の箱根研修所です。ちょうど言論問題のさなかで、池田大作は会長を退くとか、退かないとかの話があったころです」
(以上、藤原行正著「池田大作の素顔」P121-131、なお、続きは後ページで後述する)
さらに、・創価学会・公明党の内部に渦巻いていた、まさに本音を渡部一郎議員が端的に演説したことを取り上げておく。
ちなみに公明党の渡部一郎衆議院議員は、のちに池田大作のスキャンダルの相手として月刊ペンで隈部大蔵に名指して記事にされた元議員渡部通子氏の夫であり、創価学会としても歴史的に重要な人物である。
渡部通子氏は、池田大作が大蔵商事営業部長であったころ頻繁に取引先として通っていた松島家の娘で、渡部一郎氏と夫婦となってからも池田大作の抱擁をうけたと自ら信仰体験の発表をしている(MY EXPERIENCE(私の体験VOL.3)P7)のであり、その後の月刊ペン事件へとつながる重要な伏線となっている。
■山崎正友著「再び、盗聴教団の解明」2005/4/8 日新報道 P90-93
これを壇上で聞いていた山崎正友は、以下のように生々しく述べている。
「二万人の学生部員が集まったこの会合に、私も学生部No.2の主任部長として、壇上に座っていた。…中略…衆議院公明党国会対策委員長であった渡部一郎氏が招かれ、講演を行なった。
〝言論出版妨害事件〟の真相と対応を学生部員に話してもらう、というのがその目的だった。…中略…
久しぶりの学生部幹部会に臨んで、リラックスすると共にハイな気分になった渡部氏は、日頃のウップンを晴らそうと、胸のすくような快気炎のボルテージを一気に高めた。
『私は、例によりまして、言論の自由の問題につきまして、申し上げたいとおもうのであります…中略…
学生部員の拍手喝采を受けて、渡部氏はさらに調子に乗った。
『社会党のウスバカどもが』
『(民社党は)頭が宙返りしている』
『角(田中角栄)にも福(福田赳夫)にも、黒いところはいっぱいある(自民党には)貸しはあるけど借りはない』
『この愚かな共産党は……』
『そんなに公明党が言論の自由を弾圧しているというなら、ぼくも戦車に乗って〝赤旗〟なんかつぶしてやる』
『私はこの辺を皆さんに含みとして話しておきたい。したがって、私達は、黙っている気はない。最後のドタン場まで、黙っている気はない』
批判者達を次々とやり玉に挙げ、報復を宣言する渡部氏の講演に、学生部員達は小おどりした。
それから一ヶ月間、渡部氏の演説にもかかわらず、この間、創価学会も公明党も〝貝〟のように口を閉ざし、首をすくめて嵐が通り過ぎるのを待つ戦略に徹した。
池田大作は、国会喚問の予感に怯え、ただうろたえ、取り乱した。佐藤栄作に直接電話をかけて電話器の前で平身低頭し『助けて下さい』と哀願した。
田中角栄氏にも赤坂の料亭で会い、重ねて頭を下げた。
社会党や民社党にも、泣きついた。
新聞記者たちを接待づけにし、〝お手やわらかに〟と懇願し続けた。
その結果、とにかく〝池田大作国会喚問〟だけは、何とか避けられる見通しとなった。」
■1970年1月11日、創価学会学生部幹部会における公明党・渡部一郎前国対委員長の演説
以下は、言論出版の自由にかんする懇談会編「公明党・創価学会の言論抑圧問題」1970/3/20、飯塚書店 P196-207 に、この問題の関連資料として掲載されているものを、紹介しておく。
「では、わたくしは例によりまして言論の自由の問題につきまして申しあげたいと思うのであります(拍手)。
さいきん笑いばなしのような事件がありまして(笑い)、これはまともな話じゃない(笑い)。こんな神聖な学生部幹部会の壇上で話すべきことではないのでありまして(笑い)。みんなにいうべきことではない。うしろにいる森田学生部長らを悩ますことになるおそれもある。わたしは慎重にことばをえらんで話さなければならないとさっきから悩んでいたしだいであります(笑い)。
言論の自由は、民衆の、人間の権利のなかでもっとも重大な自由であります。この言論の自由がおかされたとき、民衆の不幸があったということはあたりまえのことであります。そのためにこの言論の自由を獲得するたたかいは、世界の人類のなかでつづいているわけであります。しかしながら、権力の側からみると、これくらいめんどうなものはない。したがって、むかしからの政治の内容は、言論の自由をいかにたくみにうばうかという操作技術であるとさえいわれているのであります。
ところが、言論の自由を弾圧するとか、さいきんは、ますます手がこんでまいっています。そうして言論の自由をほんとうに守ることのできる体制はどこにあるのかというと、それはない。」
「アメリカにおきましてはどうでしょうか。さいきんの世界における新聞、放送関係のジャーナリストの集会でいわれたことですが、いままがりなりにも言論の自由がある国は、日本とフィリピンとアメリカの三つであるということです。わたしはアメリカ側を支持するつもりはありませんが、なにしろ総理大臣の悪口をいっても殺されない権利は保障されている。わたしたちは『佐藤の栄ちゃん』といっているし、『栄ちゃんのバラード』などともいっている。しかし、いったってさしつかえない(笑い)総理大臣もだらしのないものでして(笑い)、「栄ちゃん」といわれたがっている(笑い)。
まことにいい国です。なかなかいい国です(笑い)、日本という国は。
戦争中、東条英機というひどいいやらしい首相がいまして、ゴミ箱からスイカの皮をひろって、まだ皮が分厚いから国民はまだ税金が払えるとかいったことがあります。
そういうおかしなやつを批判する自由がないと、国はさかえない。したがって言論の自由を守るということは権力の魔性とたたかうわれわれには必要なものである。」
「ところがさいきん、こともあろうに、わが公明党=創価学会が、その権力の魔性にとりつかれたのか、言論の自由を弾圧していると攻撃されておるのであります。
その関係者の名前として、ここにいられる、われわれの先輩である秋谷副会長であるとか、藤原行正総務部長とかが、藤原弘達というヘンなやつの書いた、へんなやつでありますけど、あいつの書いた本を弾圧したんだ、魔物のような創価学会はなんだ、しかも自由民主党の田中角栄を使って、竹入、矢野の両氏が弾圧を依頼したんだ、そんなばかなことがあるか――こういうように、いま共産党はいっしょうけんめいにビラをまき、宣伝をし、演説をし、テレビで訴え、ラジオで訴え、新聞で訴え、毎号の『赤旗』で書き、書いて書いて書きまくっているわけであります。 それにたいして、なにかというとふだんからかじってかじってかじり返すところの公明党が知らん顔をしている(笑い)。諸君はふしぎに思うでしょう。とくにぼくのごときは、悪質でありまして国会で記者団からさんざんとっちめられている。しかし、ニヤニヤしているわけであります。「やがてわかるよ」とかなんとかいって(大笑い)。
ふしぎな事実であるということで、このあいだまでガンガン書いていた各新聞社がやめてしまいました。なぜやめたか。きのうなんか、弘達はひじょうに怒っていたそうであります。『新聞記者になんぼわしがいっても書かない。なぜ書かんのか。そんなものは記者じゃない。また買収されたんだろう』とかいって(笑い)。そうじゃないのです。なにかというと口を出す公明党がこれだけいわれてもだまっているのは、深いわけがあるのだろうといって、新聞記者がおそろしくなってきたのであります。(笑い)。キューッとだまってしまったのです。そこでいわしていただきたい(笑い、拍手)。
拍手の鳴りやまないうちにしゃべったら、話がきこえない。拍手が終わってからしゃべるのが演説のコツであります。
それとおなじように(笑い)、こんなうるさいときにしゃべってもしょうがない。しずかになったときにしゃべる。いっぺんにそのときにいってやろうと待ちかまえているのです。
こんなバカバカしい(笑い)話がありますか。なにがわたしたちが言論弾圧などしますか(笑い)。
創価学会の初代会長いらい、日蓮大聖人いらい、おシャカさまいらい(笑い)、言論の自由のためにたたかっているわが創価学会が、そんなバカなことをやりますか(強く)。もうわたしはきいてあきれるというんだ(笑い)。まさにあっとおどろく、タメゴロー(大笑い)
こんなバカな話はない。真相はどうだったか。
真相は、最後にかためて話したい。それはもうちょっとタイミングが必要です。しかし、親愛なる学生部諸君にすこし話をしなければしょうがない(拍手)。だからここだけの話にしてほしい。
それは、ちょっといま政治的にはまずい時期ですから、あるたとえ話をもってそれにかえたいと思うんです。
ですから、これは弘達のことをいっているわけではないんです(笑い)。創価学会のことでもない(笑い)。あるどこかの国のある宗教政党の話なんです。そう思ってきいてください(笑い)。
それはですね、われわれは、しょっちゅうなんだかんだといわれているわけですね。言論の自由というものはひじょうにありがたいけれどもね、言論の自由を確保するということは、悪口をいわれる自由もある、それにいいかえす自由もあるということなんです。
だから、だまっていると、悪いやつがたたえられる。だから言論の自由を確保するさいひじょうに困難性を感じなければならないのは、わたしたちにたいするバリ雑言、その量は飛躍的に拡大している。日蓮大聖人さまの時代とはわけがちがう。おシャカさまは、悪口をいった人の数を勘定したそうですが(笑い)、あのころはまだ勘定できた(笑い)。いまは勘定できない。毎日の新聞による悪口を勘定してごらんなさいよ、悪口だっていっぺんいうならまだいい。朝日新聞なんてのは、五百万部出ているから、一部ずつを一ぺんとしたら一日で五百万回いわれたことになる(笑い)。
だから、わたしたちは悪口をいわれたら、それにいいかえす責任と義務がある。そうでなければ、真実というものが消えてしまう。
ところが、われわれにたいしては、悪口をいわれてもじっとしているべきだ、悪口をいわれてもいいかえすのがおかしいのだというような議論がときどきある。
公明党はだまって……いやまずい(笑い)、ある政党はだまってきくべきだ、いいかえしてはならない。人民どもがガーガーいうのをじっとうけて耐えよ。『涙ながらにこらえてまっすぐすすめ』(大笑い)という議論があるが、とんでもない。
わたしも人間だから、そんな道はあゆみたくない。それはキリスト教のあゆんだきびしい道です(笑い)
われわれは、一ついわれたら十ぐらいいいかえしたい(笑い)。そうでなかったら、真実は守られないからです。ほんとうですよ。ごまかすやつがたくさんいる。いくらだって悪口をいいたいのがいる。
むかしからそういうのがたくさんいた。
わたしたちがお山(総本山)に行く場合、こういうのがいる。みんなでお山へ行くのはあれはなんだ。お山でチークダンスをやっているんだ(笑い)、なんていうのがいる。
それを刷りものにしてくばるのがいる。刷りものにしてくばるのならまだなっとくできるんですよ。ああ、またハナ紙がふえたか、なんて笑っていられる(笑い)。ところが、それをわざわざこっちへ売りにくるんだから、イヤになる。どうだ、おどろいたか、こんなすごい真実をおれは知っているんだぞ、これをばらまくけどどうだ。おどろいたか。買わないか(笑い)、とこっちへいってくる。ハナ紙にカネをだすバカはいないですよね。そうでしょう。そんなハナ紙などむしって相手の顔にぶつけてやるのが関の山ですよ(笑い)。
それは、程度の大小はあるけれどもこの〝ハナ紙事件〟とほとんどおんなじようなニュアンスの事件がこの日本におこる可能性がある。げんにおこりつつあり、また将来にもかならずおこるということなんです。」
「このバカバカしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷でかためたハナ紙みたいなものをもってきて、恐かつにくるアホウがまだいるということなんです。
ま、なんというか、人をみくびるのもいいかげんにしろ、といいたい。そりゃ、おかしな団体ならヘンなことを書かれるたびにびっくりしなければいけない。それをカネで買いしめなければならない。
しかし、おどかし相手がわるい相手です。おどかすのにことかいて、わが……その……いよいよしゃべりたくなってきたよ(大笑い)、こともあろうにぼくたちをおどかそうとしたらだな、そりゃケガするのはむこうの方じゃないですか(大拍手)。
おどかすのにことかいて――そりゃぼくみたいなもののように、おどかせばホコリのでるやつもいる。しかし、秋谷さんや藤原行正さんみたいな人格者をおどかすのは、これはちょっとね、相手を見くびってるよ。バカだね(笑い)。
しかし、これはもしそういうことがあるとすればの話ですよ(大笑い)。まだあったとはいっているわけではないんですよ(笑い)。なにをバカバカしい……方角をまちがっている。一軒、家をまちがってはいったんじゃないかな。ほんとうにもう、どこかまちがえてとびこんできた。こんな事件はたくさんあるわけですね。
わたしは、このへんをみなさんにふくみとしておはなししておきたい。したがって、わたしたちは、だまっている気はない。最後のドタン場までだまっている気はない(強く)。
しかしそれにはタイミングがある(笑い)。チャンスというものがある(笑い)。相手がしゃべってしゃべってしゃべりぬいたあとに、真実のカクカクたる太陽があがってくるのでありましょう(大拍手)。
そのときをたのしみにしていただきたい」
「はたして言論弾圧であったか、いいですか、言論弾圧であったか、それとも恐かつにたいする果敢なる挑戦であったか――そのちがいがあきらかになるでありましょう。そのときの『公明新聞』はきっと売れるでありましょう(拍手)。
ほんとうにバカなはなし。あきれるほどです。天下の創価学会と天下の公明党にたいしておどかそうなんて、まったく(大声で)おどろいたね。まー、ほんとに、ほー、ほんとに考えられないね。ほんとにバカバカしい話(笑い)、まったく頭にきてるんですが、いましずかに鳴りをひそめているところなんです。
そうしたらまた社会党のうすバカどもが調子にのって、『言論の自由の問題は政治の問題であるから、われわれもとりあげたい』――このあいだからとくに百四十議席から九十議席に落ちたのがこたえているんだな。
ひがみぬいとる感じだな(笑い)。まだいいよ。九十あるじゃないか。その程度で
すんで感謝しなきゃいかん(笑い)。そうひがむなよ(笑い)こっちなんかまだ四十七でがまんしてるじゃないか(笑い)。
とにかくひがんだヘンな目つきして、傷だらけの傷病兵みたいなもんだ。ぼくらとすれちがうと、うらみがこもった目つきで見る(大笑い)。
そこへ民社党が、『あの問題はうちがいいだしたものだ。言論の自由の問題は重要だ。このさい徹底的に公明党をやっつけなきゃいかん』とかワイワイという(笑い)。共産党をやっつけるのが立党の精神なら、民社党は共産党としっかりたたかうべきだ。それを公明党とケンカして、どっちの味方なんだ。わけがわかんなくなる(笑い)。頭が宙返りしている。そんなんじゃしょうがない。そんとうの政治家と思われない。気がちがっているとしか思われない(笑い)。」
「それから、自民党なんかにものをたのむほどうちは落ちぶれていませんよ。はっきりいっておくけど(長い拍手)。
みなさんにわかってもらいたいんだけど、うちは自民党に〝貸し〟はあるけど、〝借り〟はないですよ(拍手)。〝貸し〟はいろいろあるけどね。
さいきんは〝角〟とか〝福〟とかいう連中がつぎの総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも〝黒い霧〟のヒモがちゃんとついているんだ。導火線をうちはにぎっとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(笑いと拍手)。
選挙があるから、がまんしているだけだ。それなのに調子にのりやがってね、うちをおどす片棒をかついでいるやつなんか、ようしゃせん。
ようしゃせんと、われわれが怒るだけで、向こうはあわてちゃってるんです。
どうかこのさい公明党にたいして、創価学会にたいして、池田先生にたいして好意的な目つきをしておかないとオレの総理への道は落とし穴をつくられてしまう(笑い)、時限爆弾をしかけられてしまう(笑い)。
かれらの恐怖と脅威は毎日ふえる。それこそ顔面まっさおになって、毎日ふるえながら新聞を見ているのは、自民党ですよ、ほんとに(笑い)。
公明党のカンニン袋の緒が切れたらどうしよう。恐怖と脅威は、彼らの災難ですよ(笑い)。
それがこっちにわかっているから、笑って平気なんです。『おお、やってるじゃないか』(大笑い)――というふうにある日、ぼくはユメを見たんだというわけです(大笑い)。」
「それからね、みなさんね、大手取次店をうちが弾圧したといってるでしょう。じょうだんじゃない。そんなものを弾圧できるほどすごいかね、うちが(笑い)。
それはですよ、アリがね、象をね、弾圧したというようなもんですよ。アリと象がケンカしたらアリは負けるのよ(笑い)。そりゃ、たまにはね、アリが背中にかけあがってくすぐる(大笑い)……本質的にはアリはつぶされますよ。ま、なにをふざけたことをいうか。
ね、『こんな本、売らんでくれ』――そんなことできるだろうかしら。できやしないですよ。そんなバカなことを。売れそうだと思ったら、出版社はそれこそ万難を排して出版しますよ。どんなことがあっても、いくらさけんでもわめいても、いくら泣きさけんでも、非情な出版論理の哲学によって、怒涛のように出版される、配給される、売られる。いくらやめてくれとさけんでも、アリのさけびのようにとどかない。
ところが、取次店がその本を見て、ひかえる場合は、たった一つしかない。『こんなバカな本をあつかったら、うちの権威が傷つく』といった場合だけ、象が自分を反省するときだけしかない(笑い)。アリのさけびとは関係ない、そんなものは(笑い)。
だから、さいきんになって、あのおかしな本がくばられるとき、ある大手取次店は、自分の方で『こんなものくばれるか。こんなきたないものはあつかえるか』といったものもあるようだし、またそのうえ、朝日新聞をはじめとする大新聞の広告局は、『わが新聞は、あまりにもひどく人の悪口をいった本の広告はいっさいおとりあつかいしませんので、どうぞ三流の新聞へ行ってください』といった(笑い、拍手)。
そういうこともありうるでしょう。そんな本を書いたやつこそ反省すべきですよ。『こんな品の悪い本を書いちゃって、失敗したな。このつぎはもうちょっとカッコいいもの書こうな』(笑い)――というふうにぼくはユメをみたんです(笑い)
それから藤原弘達という、あのすごい怪物をですね、秋谷さんと藤原行正さんが弾圧したといっている、これはね、アリと象じゃないけどね、おかしい。藤原弘達という人とうちの藤原行正さんという人は、仲がいいんですよ。ありゃ、またどこかひきあうのか、おれはよくわからないのだが、この……実をいうと六年まえからのおつきあい。二人でね、ケチをつけあってどなりあってね、ケンカしながら仲がいいんだな。ピッと共鳴するところがあるんだな。行正さんはいまごろクシャミしているかもしれんけど(笑い)だからとにかく弾圧なんかとんでもない。二人はいろいろ話し合ったりする仲なんですな。むこうはですよ、行正さんが行くと、雨が降ってると、カサをさして見送ってくれるような仲なんだ。二人でいろんな話ができる仲なんですね。わたしは政治家らしくて、いいと思います。いろんな話し合いができなきゃね。それを弾圧なんて、ね。それから、弘達は録音テープにいろいろすごいことがとってあるといっているが、それを行正さんにいったら、ゲラゲラ笑い出して、そのテープをきいてもらったら、弘達がどんなことをいったか、もっとすごい話がはいっている(大笑い)
ほんとにどっちもどっちで、ヘンな話ですよ(大笑い)。
こんな話、もうわかっていただけましたでしょう(大拍手)。
とにかくこの席で、わたしはなんら責任のあることをいわなかったことを銘記しておきたいと思います。
わたしはユメをみたのであると(笑い)、わたしは、いま政治的にまずい時期であるので、はっきりしたことを申し上げられないことを残念に思います。だけど、言論の自由なんて、そんなことを共産党がいえるものですか。」
「また日本共産党は、自分自身がひどすぎるじゃないですか。『ねずさまし』という有名な詩人がいたはずですよ。このあいだからかれはどこかへ消えちゃった。ね、それでかれらのなかにはたくさん有名な論客がいたけれど、かたっぱしから粛清されて消えてしまう。どこへ消えてしまうのか。生きているのか、死んでいるのでもない。わからなくなってしまう。
そして毛沢東主義者、修正主義者、右翼日和見主義者、左翼偏向などとたがいにバリ雑言によっておたがいに傷つけあう。そうしていまや生きのこったものどもが、宮本天皇のもとにかすかに生息しておる。キョトキョトしながら(笑い)。かれらは党内において何ひとつ意見などいえない。そのおそろしさにふるえながら、ともかくも生きている。逃げるわけにもいかない。退転の自由がある創価学会なんかとちがうんだから(笑い、拍手)。出たら最後なんです。すべてはほうむられる。まえにすすむしかない。暴力のかなたへ向かって、ばく進していく。突撃しかない。うしろから機関銃で追っかけてくるんじゃないかとおびえながら突撃していく。そのまえにぼくたちがいるというわけです。かわいそうったらないんじゃないか。
こんなおかしな共産党が、党内にさえ言論の自由さえない政党が、なんでこんなおかしなことをいうんでしょうか。
人のことを言論の自由の弾 という(ママ)ことでののしる資格があるとすれば、それは自民党でしょう。自民党のなかには、言論の自由が確保されておる。それから四分五裂の、七分(大笑い)……言論の自由の見本です(笑い)。共産党では、反対者はみな殺しです。
公明党の場合は、言論の自由は、最大限に確保されている。なにをいったってよい。それこそ議論が裏がえしになったり、ひっくりかえしたりして、あげくのはては最後のドタン場になってやっぱりなっとくのいく線でまとまっていくというふうになっているから、公明党の決定というのは、盤石の決定となっている。
そうでなかったら、つぎの新しい時代をつくることはできないとわたしはおもうんです。
このおろかなる共産党のためにアタマをうばわれている諸君のために、諸君らの力を発揮していただきたい。
『共産党はハシカのようなものである』といった人がありますが、青年期にハシカにかかるのはやむをえない。しかし、おとなになってまでハシカにかかることはない(笑い)。ちょびヒゲがはえるころになって、共産主義だなんてなにをいっちょるか。十代にハシカにかかるのはやむをえない。かかった方がよい場合もある。おとなになってかかるとたいへんおもいから(拍手、大笑い)。なんでヒゲのはえるころになって共産主義にひっかかってるのか。それは自分が勉強しなかったからだ。スローガンでものを考えるから、自分の頭でものを考えないから、ほんとうに無知だったから(大笑い)、まるで衝撃でうごく〝衝撃人間〟なんだから――そこをよく考えていただきたい。
言論の自由は、いったいどこの体制にあるのかを。そして、いままでの国家権力にあるか、それとも新しい生命尊厳を基調とする民衆大革命のわれわれのなかにあるのか、それをみなさんにわかっていただきたいと思うんです。
したがってわたしたちはこの言論の自由の問題についてあくまでこれを守ってたたかいぬいてまいりたい。それを最後に申し上げてごあいさつといたします(拍手)。」
■矢野絢也著「私が愛した池田大作」2009/12/21 講談社P157~での記述
「二月に入ると、衆院予算委員会が始まった。予算委といっても出てくる質問はこればかりである。
『言論妨害は憲法違反ではないのか。そういうことをする団体は解散させるべきではないか』
言論の自由を侵す団体は解散させよというのが、自民党から共産党まで一致した主張だ。さらに週刊誌などが『他にもこんなことがあった』『ウチの編集部にも乗り込んできた』などと次々記事にするから、質問の材料には事欠かない。なかには『こんなネタもありますよ』と政治家に提供するマスコミも現れる。具体的な事例が次から次へと予算委に出てくる。
『こうした妨害があったという話も出ているが、公明党の見解や如何に』
まさに集中砲火だ。また、出てくるわ出てくるわ、これまで本当にあちこちで、言論妨害をしてきたのである。そんなことまでやってたの、と質問されたことらが初めて知らされることも、たびたびあった。
つまりは弘達氏の著書は、キッカケに過ぎなかったわけだ。同じようなことはこれまでずっとやってきていた。そのため学会に対する不信、不満は世間にずっと鬱積していた。それがとうとう、今回の件でマグマのように噴き出したのである。
さらにそうした言論妨害をするような宗教法人と、政党との関係に問題は発展する。
『報道されているように、宗教団体の命を受けて政党まで妨害工作に手を出したとすれば、大問題ではないか』
『憲法の禁じる政教一致ではないか』
『この件に関して内閣法制局長官の見解はどうなのか』
『佐藤(栄作)首相はどう思うのか』
ほとほと困り果てた。針の筵とはこのことだった。
しかも質問は、宗教法人に対する税制優遇制度にまで及んだ。
『宗教法人は非課税になっているが、これは本当に宗教活動として認められるのか』
『たとえは日蓮正宗の総本山・大石寺に、学会員がおおぜい参詣して宿泊している。これは旅館業ではないのか。非課税のままでいいのか』
『こうしたことまで非課税になっているのは、公明党が政治の力を使って当局に圧力をかけているせいではないか』
…中略…
まさに学会の存亡に関わる危機だった。
…中略…」
「〝大奥〟に引きこもり
『これは軍資金だ』
北条氏から、ポンと札束で渡された一〇〇〇万円の現金。私も初めて見る大金だった。
『なんですの、これ』
『君に預けとく。その代わりちゃんと報告だけはしてくれ』
『なんに使いますの?』
『この問題で、学会も党も集中砲火を浴びている。これは情報戦だ。お前たちは目となり耳となるんだ』
政治家やマスコミを片っ端から食事に誘い、酒でも飲ませて話を聞け。とにかく人と会って情報を収集しろというのだった。先に紹介した池田語録にあった『新聞記者を味方にせよ』『政治家に会え』という教え通りである。…中略…
たしかに情報収集活動をしようと思ったら、軍資金は必要だ。政治家やマスコミを連れて、屋台に行くわけにはいかない。どうしても料亭やクラブで会合することになる。そんなわけで議員には『金の心配はしなくてよいから、とにかく人と会え』と大号令をかけた。
金を出した学会側からも党のほうに電話がかかってくる。
『今夜は誰と会ってどんな話をしたか、報告しろ』
これが毎晩である。漫画みたいな話だが、誰にも会わなかったと言うと、『サボっている』と怒られる。
だがそうそう連日、違う相手と会合し続けられるわけがない。手当たり次第に声をかけるものだから、他党やマスコミからも失笑された。
『突然あんたらから酒席に誘われるようになった。まるで掌を返したみたいだ』
酒を飲みたければ公明党に行け、という冗談まで言われる始末だ。
請求書は全部こちらに回ってくる。また店の側も足下を見て、ムチャクチャ高い額を吹っ掛けてくる。…中略…
結局このときの一〇〇〇万円は、なんの益ももたらさないまま、あっという間になくなってしまった。…中略…」
こうしたことに費やした金は、いったいどこから拠出したものだろうか。
池田大作金脈の研究など、金についての著書も数々あるが、ここでは割愛する。
■「新・人間革命」での描写
この渡部一郎国対委員長の講演については、「新・人間革命」第十四巻P254-255に、以下のようにある。
「この二十三日、『言論・出版の自由にかんする懇談会』は、記者会見を開き、公明党国対委員長の渡吾郎(註、渡部一郎国対委員長)が、一月の学生部幹部会で、言論・出版問題について語った講演テープを公開したのである。これは何者かによって、密かに録音されたテープであった。
渡は、創価学会、公明党によって行われたとされている〝言論・出版妨害〟が、いかに誇張された出来事であるかを、個人的な所感を語るつもりで、面白おかしく語ったのである。
学会内部の集会でもあり、しかも、かつて自分が学生部長を務めた学生部の会合であったことから、渡は気が緩んでいた。下宿で後輩たちを相手に、政治談議でもするような気楽な気分で話をしたのだ。
渡は、学会、公明党を袋叩きにするようなやり方が、腹にすえかねていたと見え、批判本の筆者や他党を揶揄し、笑いのめした。時に、他党を罵倒するような、激しい言葉も飛び出した。
学生部員は、政党やマスコミの、一方的な学会への中傷に耐えてきた。それだけに、渡の話に痛快さを覚えた。会場は、笑いと喝采に包まれた。
もともと渡は、弁舌にたけた男であった。そのうえ、仲間うちという安心感もあり、ますます冗舌に拍車がかかり、口が滑った。人は、ともすれば、自ら得意とするものによってつまずくものである。ついつい調子にのってしまい、慎重さ、緊張感を失ってしまうからだ。」
また、同書P278-279には、
「学会への激しい非難中傷の嵐のなかで、真っ先に立ち上がったのが、創価後継の若獅子である学生部であった。…中略…
『彼らは、自分たちは言論・出版・表現の自由、民主主義を守るための、学者、文化人などの集まりだという。その団体が、平然と基本的人権を侵しているんだ。これほどの欺瞞はない。これは、断固、抗議すべきだ』」
とある。
そして、その後、学生部員たちは代表を選んで、この「懇談会」に抗議文を提出したとあり、それには、
「不当な方法で録音した可能性の高い会内行事のテープを、無断で公表し、新聞等に掲載させたことは、著作権の侵害であり、さらに、集会の自由、信教の自由、言論の自由を脅かすものであると記されていた。そして、三日以内に、謝罪と、録音テープの入手方法を公開することなどを要求していた。」(同書P280)
その後は「懇談会」から何の返事もなかったが、この抗議行動が聖教新聞に報道され、
「全学会員が、活気づいた。
皆が、今、自分にできることは何かを考えた。
『今こそ、学会の正義と真実を語り抜く時だ。自分の体験を通して、学会のすばらしさ、信心の偉大さを語り抜くことなら、私にもできる。戦おう!』――同志の多くはそう考え、決然と立ち上がったのである」(同書P281)
とある。
ここで、たった一言の真実を知らされていない学生部員たちの怒りが爆発したのは、至極当然なことである。
この学生部員たちの正義の行動には、拍手を送るべきであると思う。
ちなみに渡部一郎の演説の中に「アリと象」が出ているのには、前ページで指摘したところの北条浩の恫喝が、当時、組織内外でささやかれていたに違いない。
しかしこれは、自分たちの指導者である池田大作創価学会会長と竹入義勝公明党委員長がやった〝盗聴〟を、まんまと相手にしてやられた、まさに因果応報である。
だから、振りかえれば、こんなことを主張する立場になかったことはもちろんであろう。
「人は、ともすれば、自ら得意とするものによってつまずくものである」
というところには、世法上の、示唆は、この小説の素晴らしいところのひとつである。
大勢の前での講演には、やはり学ぶべき点・注意すべき点が多々あることを学ぶことができる。
しかし、このことは即ち、人も動物も、必ず負ける事があるということである。
得意な事でも、失敗することがあるということである。
関西には、「常勝関西」という伝説が作られてきたが、「常勝」なんてありえない。
「我らは、幾たびとなく戦い、勝った。負けたことは、一度たりともない」
(池田大作「随筆 新・人間革命」2003年8月8日、聖教新聞)
などということは、明白なウソである。
「仏法は勝負」などと、間違ったことをいうから、こういうウソの上塗りを続けなければならないのである。
この学生部幹部会に出席し、この講演を聞いた約2万人の学生部員たちは、50年経過した今、生きていれば、70歳前後の高齢者になっている。
そのほとんどは、今でも創価学会をささえていることであろうが、改めてこの事件を振り返ってみたら、そしてこの講演を聞いた感激と、その後の真実を較べてみて、どんな思いがするだろう。
だが、すべては、部分的にではあるが「愚かな、指導者達にひきいられた」(人間革命第一巻、1965/10/22、P3)因果だったことが、歴然としているのである。
「戦争ほど残酷なものはない。
戦争ほど悲惨なものはない。
愚かな、指導者達にひきいられた国民ほど、あわれなものはない…」
から始まる「人間革命」の冒頭の文は、私でも今でも暗唱できる。
いま、定年を迎えている創価学会の諸先輩の方々も、おそらく同様に、暗唱できる人がいっぱいいることだろう。
こういった歴史的事実が明らかになって久しい今、
『今こそ、学会の正義と真実を語り抜く時だ。自分の体験を通して、学会のすばらしさ、信心の偉大さを語り抜くことなら、私にもできる。戦おう!』
という「新・人間革命」の記載は、自分たちにとって、いったい何を意味するのか。
「学会の正義と真実を語り抜く」こと、「学会のすばらしさ」「信心の偉大さを語り抜くこと」とは……を、
改めて考え直す必要があるのではないだろうか。
日蓮仏法を利用したアニミズムの害毒が、ここにも指摘できるのである。
P34へ、続きます。
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」
目次(一部リンク付き)
P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点
P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流
P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会
P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二
P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と野心、「創価学会を斬る」の指摘
P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件
P31, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(1)、被害者ぶった描写、田中角栄氏を使った策謀