●30 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件 | ラケットちゃんのつぶやき

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●30 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件

 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件
 です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。


■「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」


 言論出版妨害事件の全容の検討に入る前に、これ以前にもう一つ二つ、実際に創価学会から出版妨害を執拗に受けながらも克服して批判書を出版にこぎつけた隈部大蔵の著作があったことを取り上げておかねばならない。
 隈部大蔵は、この事件が終ったその後も、その宗教的信念もあって、月刊ペンで特集を組み、創価学会の教義の誤りを約1年にわたって指摘した記事を書いた。

 創価学会は、その指摘された仏法上の誤りに対して何の反論もなし得ないまま、その実例としてあげた池田大作のスキャンダルに対してのみ、創価学会が名誉棄損で訴えた事件が、有名な月刊ペン事件なのである。

 この事件の裁判は、一審で執行猶予付きの懲役刑が下され、一旦最高裁までいったが、その審議中に、創価学会が恐喝罪で訴えた山崎正友元顧問弁護士の裁判で、造反した山崎の様々な創価学会の反社会的陰謀工作が暴露され、最高裁では差し戻しで一審から審議やり直しとなって、再び上告審まで行き、彼が癌でなくなったため審議終了となった。

 結局、長期間争われた割には、控訴審では罰金20万円という微罪が下されたのであった。

 創価学会が、この間、長期にわたって、隈部大蔵や造反者の山崎正友・原島崇などに対して出廷妨害工作のあらんかぎりをつくし、会員に対して機関誌などで彼らを標的とする様々な誹謗中傷や捏造記事を垂れ流し続けたため、おそらく創価学会員の大半は、真実を知らされないまま、未だに池田大作を信じている事であろう。


 少なくとも、隈部大蔵の主張する仏法は、後に簡単にあげておくが、創価学会が掲げる日蓮本仏論や日寬アニミズムとは異なった、釈迦仏法の範疇において、おおむね依法不依人の立場から展開されたものである。
 彼の一生は、相対的には、創価学会を邪法と見立て、潜聖増上慢との戦いに殉じたと評価できるのである。
 つまり、彼を法華経の行者と見れば、鎌倉時代に、法論では勝ち目が無いため権力に取り入って日蓮を迫害した邪法の僧や学者たちに、創価学会が彼の批判に反論することなく現在の司直に裏工作で取り入って彼を一生涯迫害したことが、ぴったりと当てはまるのである。
 自身の信仰し主張する仏法に対しての論戦の機会があまりなかったことが、挙げるとすれば残念な点ではある。
 依法不依人に基づく論を展開した日蓮が今世に生きていて審判を務めたならば、おそらく隈部のほうに軍配をあげるであろう。


 さて、石井照次郎氏は、自著「もうダメだ!池田大作・創価学会」(1984/9/30 中央書林)にて、隈部大蔵が受けた創価学会による言論出版妨害から、月刊ペン事件の顛末について、衝撃的な一連の事実を述べている。

 今回は、そのきっかけとなったエピソードを以下に紹介する。
 恐るべき創価学会の言論出版妨害の実態である。

 「昭和四十三年九月十一日、午後一時きっかり。創価学会の北条浩副会長(のちの第四代創価学会会長)は、東京・赤坂プリンスホテル新館の一室に隈部大蔵氏を呼び出し、恫喝した。
 初対面の二人は名刺交換した。が、北条氏の名刺には『創価学会副会長』ではなく、『公明党副委員長・参議院議員』の肩書が、隈部氏の名刺には『西日本新聞東京支社・論説委員』の肩書が刷り込んであった。…中略…
 当時、創価学会副会長として有名であった北条氏が、創価学会にとっての重要な要件であるこの日の会談に、『公明党副委員長』の肩書の名刺をつかっているのは、創価学会と公明党の組織ぐるみの代表者として、この日の会談に臨んだことを意味している。
 隈部氏の名刺には…中略…『隅田洋』とも、一匹の『蟻』とも、また『虫』とも書かれていない。が隈部氏はこの日の会談で、創価学会・公明党代表の北条氏から、〝お前みたいな蟻や虫は……〟と、虫けら同様のあつかいにされ、恫喝されたのだ。…中略…
 そのハイライトともいえるひとコマを隈部氏の話で再現してみると――
北条氏 『隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ…中略…
しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない『虫けら』はいないのだ。わかったか』
隈部氏 『…………』
 北条氏はビールをひと口飲むと、一匹の虫けらをにらみつけ、語調を強くした。
北条氏 『よく聞くがよい。たとえていえば、創価学会は『象』それも巨象だ。これにくらべてお前は一匹の『蟻』だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ』
隈部氏 『…………』
…中略…
 一匹の『虫』とも『蟻』ともけなされた隈部氏に対する巨象の恫喝はなおも続いたが、最後に北条氏はこう締めくくった。
北条氏 『そこで最後に三つだけ、しかと言っておく。第一は、論説委員という者は、新聞社全体の見識を代表する、いわば新聞社のフェイスだ。それに西日本新聞社とは今年の初めころ、西日本地域の聖教新聞の印刷・発送などの面で創価学会とのあいだに業務提携の契約がむすばれ、友好関係が生じている。
 そういう新聞社の論説委員が、世界一の仏法である日蓮大聖人の仏法を信仰し、全力をもって広宣流布している創価学会の批判をする、それも一般的な批判でなく、生半可な知識で仏法批判をするということは、絶対に許すべからざることだということだ。
 第二は創価学会青年部を見よ、ということだ。学会の青年部は純真で、情熱的で、行動力に富んでいる。したがって創価学会を批判するような不心得者に対しては、最高幹部の命令とあれば、命令一下、どんなことでも実行する信念と行動力を持っていることを、よくおぼえておけ。
 第三は、最後にしかとつけ加えておくが、学会の情報によれば、隅田洋は性こりもなく第二の学会教義批判書を執筆中とのことだが、そうはさせない。事実とすれば即刻、執筆を中止せよ、ということだ』
隈部氏 『…………』」(石井照次郎、前掲書P15-18)


 石井氏は、この恫喝について、言葉だけでなく中身もすごいものがひそんでいるとして、以下をあげる。


 「創価学会の世界には、いろいろな『法』がある。位の順序からいえば、第一が日蓮大聖人の『世界一仏法』、二位が『国法』、三位が夫婦や家族関係などを規定する『世間法』となっている。だから一位の仏法と二位の国法が衝突するような場合、どちらをえらぶかという段になると、たとえ国法を犯しても、仏法の命ずる方向をえらばなければということになる。」

 これは、P21以降、何度も述べて恐縮であるが、折伏経典において三法律が説かれ、世法・国法よりも仏法が優先されるという、創価学会の基本精神となっていることである。
「一切法これ仏法である。特に世間法にそむき、国法に背くことがあつてはならない。
 ただ、仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」(「折伏経典」(1961/5/3校訂三版、創価学会)P378-381)


 そして、石井氏は、特異な才能のある山崎正友・元創価学会顧問弁護士の例をあげている。
 山崎正友は、在任中、池田大作の命を受けて、さまざまな「偽証」「裏工作」「電話盗聴」「政治的圧力」などを手掛けていたことを、自ら懺悔・告発していることで有名である。
「『当時は、現代の仏であると信じた池田大作を護り、創価学会を護ることが最大の正義であり、そのために必要とあらば手段を選ばぬのは当然と確信して、最高幹部および仲間の弁護士と共に。かかる(ダーティーな)作業にたずさわってきました。しかし、いまとなれば大変に間違っていたことであり、深い反省と悔悟の念を禁じ得ません』(山崎正友氏の大高裁への上申書)

 そして、
「多数の創価学会顧問弁護団の中心人物であった山崎弁護士にしてこうであるなら」、「第二は創価学会青年部を見よ、ということだ。学会の青年部は純真で、情熱的で、行動力に富んでいる。したがって創価学会を批判するような不心得者に対しては、最高幹部の命令とあれば、命令一下、どんなことでも実行する信念と行動力を持っていることを、よくおぼえておけ。」
 というのは、本物の脅しであり、「創価学会、公明党の組織的、計画的な言論弾圧の脅しであるとすれば、なおさらである」(同書 P20)としている。




■突然変異、公明党の誕生


 ところで、創価学会において、戸田会長時代には、衆院選には出ない、政権をめざす意図はなく政治姿勢を正すため、という公式声明のもと、昭和31年参院選にて3名の当選者をだしていた創価学会は、池田大作が会長になると、昭和37年に300万世帯の折伏を達成し、参院選に9名の当選を出した。

 池田大作は、昭和36年6月1日付けの大白蓮華121号の巻頭言において、創価学会の政治部について、
「われわれは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒をすすめるものではない。…中略…あくまでも、慈悲をもととした、大局観に立った、政治体制を確立せんがために…」(池田大作著「巻頭言・講義集」1962/7/3、創価学会、P31-33)
 と、基本的精神を述べている。

 また、次の大白蓮華122号での巻頭言でも、政治をとることが目的でなく、教育だけが目的でもないと、述べている。

 多くの創価学会員は、政治の関心の厚薄はともあれ、選挙の票取りを、国や地域の広宣流布の一環としてとらえていたと思われる。
 今にして思えば、この基本精神を維持していたならば、その後の創価学会やその歴史は、もっと仏法精神に近かったかもしれない。

 ところが、昭和39年5月3日、第27回本部総会において、池田大作は、突如として、
「第四番目に、公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、…中略…政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定といたします。」
 として、出席者を巻き込んで、あっさりと戸田会長時代からの方針を覆してしまった。
 ここにいう「民衆」とは、なんのことはない、創価学会員のみを指し、「時代の要求」とは、池田大作の意図・野望に他ならない。
 それも、以下のように、
「私は巻頭言で『われらは政党ではない。すなわち創価学会は政党ではない。したがって衆議院にコマを進めるものではない。あくまでも参議院、地方議会、政党色があってはならない分野に議員を送るものである』という意味の一項目を書いておきました。
 したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのです。なぜならば、この十年間、わが同志である議員は、戦い、勉強し、一流の大政治家に育ってまいりました。恩師戸田先生も時きたらば衆議院にも出よとの御遺訓があったのです」
 と、前言を覆し、しかも恩師の遺訓を捏造しての正当化が見られる。
 さらに、
「その政策と創価学会との関係についてひとこと申し上げます。信心はあくまでも信心、政策はあくまでも政策です。したがって、多数のなかには、政策に対し、異議、異論をはさむ人も出ることはとうぜんであります。それは自由といたします。あくまでも、私ども同志、また議員の方々が支援を願い、理解させ納得せしめるようにしていくことはとうぜんでありますが、たとえ政策のうえで異論を唱える人があったとしても、学会人は学会人として、信心は信心として、大きく包容して進んでまいりたいと思いますけれども、この点はいかがでしょうか(拍手)。意味はわかりますね。」

 これは、要するに、異議・異論は許さない、すべて組織で丸め込んでしまう、という意味であり、これが「意味はわかりますね。」という言外の本音であろう。

 さらに、
「創価学会の推薦の選挙は、生涯、永久に公明選挙でゆき、理想選挙を貫き通してゆき、民衆から、大衆からいっさいをうけられる、讃嘆されるような選挙をしていきたいと思っております。…中略…
 見事なる公明選挙、理想選挙を貫き通して『夢に見た良い社会』をつくろうではありませんか・
 以上、かんたんでございますが、大綱だけ四項目を申上げました(大拍手)。これをもって満場一致で決定といたします。」


 こうして、あっさりと前言を覆してしまった。

 そして、こう言っておきながら、はやくもその4年後に第8回参議院選挙における替え玉投票事件(新宿替え玉事件など)、5年後に言論出版妨害事件が明るみに出るのである。
 言論出版妨害は、この4年後あたりから、ひそかに組織的におこなわれていたのであろう。


 石井照次郎氏は、自著で、これについて、
「『変幻自在』『突然変異』という言葉があるが、さしずめ創価学会の衆院進出の決定はその典型的な例であり、また池田大作・創価学会の体質の一面を端的に証明している」
 と指摘してる。


 このような創価学会・公明党の姿勢は、現在も様々な批判を受けている本質的な点ではある。
 さらに、こうした戸田の理念・基本方針を覆した池田の行動は、やはり師敵対の姿であるといえる。
 しかも、そのやり方が狡い。
 前会長戸田の威光を利用し、次々と自分の思惑を戸田の遺言として捏造・宣揚しながら、しかも形式上は、閉鎖空間の中で大勢の参加者の自身への支持を巧みに利用して、前言の覆しを正当化している。
 霊感商法にも似たやりかたである。



■「蟻」の恐るべき執念


 「宗教学者にしても創価学会の教義、教説を正面から批判する学者は皆無といってもよいほど少なく、…中略…
 こうした新聞社をめぐる内外の情勢のなかで、隈部氏は、通りいっぺんの創価学会批判ではなく本質的な学会批判の必要性を痛感、ひそかにそのような批判書を出版する決意を固めた。…中略…創価学会の『言論統制』はきびしく批判書の出版は当時すでに社会的に暗黙のタブーとなっており『禁書』となっていた…中略…
『ひそかに』書かれたのが、さきの北条恫喝で問題になった隅田洋の『創価学会・公明党の破滅』である」(石井照次郎、前掲書P24-25)

 
 その原稿は昭和42年秋にできた。全国に「禁書」の出版をしてくれる出版社をさがしたところ、北九州にある東北出版社が見つかった。その社長は気配りをして、原稿を通常の活版部門にのせず、学会員でない信頼できる従業員2人を自宅に呼んで写植を打たせた。
 だが、原稿が九州の印刷部門に入った段階で創価学会関係者に洩れ、九州の印刷業界の最高幹部が再三、中止の圧力をかけた。校正用のゲラが送られた東京支社に対し、宗教界の権威であった日本大学の古田会頭がゲラの検閲を強硬に要求し、本社社長には文部大臣・剣木亨弘氏が圧力をかけた。東京支社は脅迫され、ついに支社長は検閲に応じたという。
 こうした中でようやく完成した批判書が、北九州から長距離トラックで、途中で学会の車に妨害を受けながら東京へ送られた。隈部氏は喫茶店で4千枚の著者検印用紙に捺印したが、この本は一冊も書店に出ないまま絶版になったという。

 この事情は、上記で、隈部を恫喝した北条浩が一番よく知っているはずであると石井照次郎氏は述べている。

 『これはまるで、ソビエトで地下出版物を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き『まてよ、作影(註=池田大作の影響の意)はやはりうわさだけではなく事実かな』と思わざるを得なかった。というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら、『極秘』のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗出すとは少々恐れ入った話だが、『作影』が『○影』に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない』(山本七平、「諸君」(56年6月号)
 をあげ、以下のように結んでいる。

 「北条恫喝は、これからみると第一段階の四十三年ニ月に『批判書』を完全に踏みつぶしておきながら、それでも満足せず、それから約七カ月間の〝捜査期間〟を経て、九月の第二段階で『批判者』をも踏みつぶそうとしたものである。
 しかも、隈部氏には『面会要件』さえ示さず、赤坂プリンスホテルに強引に呼び出したのだが、そうするまでには新聞社の首脳陣にまで圧力をかけている。
 彼等の言論弾圧にかける狂気のような執念と異常性が、あますところなくあらわれている。憲法の保証する言論・表現・出版の自由のもとにおいて――」(石井照次郎、前掲書P28)


 隈部大蔵は、第二の批判書「現代のさ迷える魂」を書いていたが、創価学会の情報網と執念深さにさらに驚いたに違いない。
 その年の暮れからペンネーム「福島泰照」で「創価学会・公明党の解明」の、極秘出版に取りかかり、翌年の昭和44年春に執筆が完了した。
 ところが、出版業界では、創価学会批判本は完全に「禁書」扱いであり、自費出版でも引き受ける本屋は全国に一社もなかった。
 そこで隈部大蔵は、原稿割当、写植、紙型、用紙、印刷、製本、装丁など、出版までの工程を13に分け、その一つ一つの行程を零細企業の事業主を当って交渉した。この際、総ての段階で学会員やその関係者がいないことの確認と、そして事業主に対して創価学会に対する恐怖心を取り除くことに苦心したという。
 それでも何回か阻まれたようだが、1年かけて昭和44年の秋、完成にこぎつけた。
 しかし、創価学会は出版物の取次販売の根っこまで抑えていたので、販売ルート確保は極めて困難であった。
 新聞広告も、学会批判書だからという理由で拒否された。
「新聞広告は…中略…学会批判書の広告だけはお断りという、まさに創価学会によって去勢された状態になっていたのが当時の新聞界の実情であった。
 だからこうした新聞社が、学会批判書の紹介(書評)をしたり、学会批判の特集記事を組めないのはいうまでもないこととして、事件などを報じる雑報記事に至るまで、学会を刺激するような記事の掲載は極力見合わせるか、ぼかして報道するというのが当時の新聞全体の傾向であったのだ。この傾向は、あとで述べるように現在もなお質的に改まっていない。」(石井照次郎、前掲書P31)


 幾重にも困難を克服して、福島泰照著「創価学会・公明党の解明」が、全国の小さな書店にほそぼそと並べられたのが、創価学会による言論出版妨害事件が報道される前の、昭和44年12月初旬だった。


 「真実の仏教を守り、民主主義の基盤である言論・批判の自由を推進する視点から、邪悪な宗教団体とその政党に対する正当な批判は万難を排して実現していかなければならないとする一匹の蟻の情熱と執念は、このとき、夜空の小さな星のような批判書であったがひとまず実現したわけだ。創価学会・公明党のさまざまな圧力を受け、よろめきながらも、一匹の蟻は、どっこい生きていたのだ」(石井照次郎、前掲書P32)



 以上のように、隈部大蔵の著書は、創価学会・公明党からのたび重なる迫害を克服して世に出された創価学会の言論出版妨害事件の前後のドサクサに紛れてようやく出版された。
 その初版の「まえがき」には本書の高度の内容がみて取れる。
 さらにわずか4カ月後の新版の「はじめに」では、彼の苦労とともに、創価学会による言論出版妨害の事実が記されているので、重要な証拠として紹介しておく。

 福島泰照著「創価学会・公明党の解明」1969/12/5 展望社 での「まえがき」P1-2 
 「一 本書の内容は、いまなお深い霧のなかに閉ざされている創価学会、公明党の『実態』――(性格・思想・動向)について、『客観的』かつ『公平な立場』から、『学問的良心』をもって、『体系的に解明』すると同時に、絶対不滅の法である真実の『仏法の根本原理』を明らかにしたものである。
 一 創価学会・公明党の実態に関する解明の方法としては、とくに『宗教』『政治』『経済』の三つの柱を立て、このうち学会にたいしては、主として宗教の面から、公明党にたいしては宗教を背景に、政治、経済の面から総合的に解明するようにつとめた。
 一 本書の目的は――
 ①創価学会、公明党の実態に関する『世論を喚起』して社会の浄化を図らんとしたこと。
 ②いかに信教の自由とは言え、国民大衆をして邪法に迷う事のないように、さらには混迷の時代であればあるほど不滅の光を発すべき仏法の現代に生きる意義を明らかにするとともに、不幸にして邪法に陥った人々にたいしては、その『迷夢』をさまさんとしたこと。
 ③創価学会から邪教のラク印をおされたままになっている『宗教界の奮起』を念願したこと。
 ④政界における創価学会、公明党についての『根本的認識』を深め、『政界人の覚醒』をうながす一方、日本社会の健全な発展のために、なんらかの合理的な『学会・公明党対策』を考慮する必要性があることを訴えたこと――などである。
昭和四十四年十一月 著者しるす」


 福島泰照著「新版 創価学会・公明党の解明」1970/3/10 太陽出版 での「はじめに」P1-3
「 1、本書『創価学会・公明党の解明』は、私の
①隅田洋著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』(東北出版、四三年九月)
②『現代のさまよえる魂――釈尊と邪教の対話』(二〇〇字詰め原稿用紙九〇〇枚、四三年九月)
――などに対する創価学会・公明党の打続く言論弾圧の受難のうえに、〝とむらいの書〟として、やっと築きあげた創価学会・公明党についての本格的批判書である。
 どうして本書が、‶とむらいの書〟であり、また第三の受難の書であるのかといえば、現に、いろいろな圧迫を受けているほか、前著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』は、四十二年から四十三年初めにかけて創価学会・公明党の迫害により‶初版即絶版〟となって、ただの一冊も書店に並ぶことなく、文字通りヤミからヤミへ葬り去られた。
 しかも、それだけではなく、『現代のさまよえる魂』という創価学会批判の原稿も、四十三年九月、原稿完成の段階で、創価学会・公明党から踏みつぶされてしまったなまなましい経験があるからだ。
 2、本書の内容は、ながい間の彼等の強力な‶批判拒否〟の厚いカベのなかで、いまなおその『性格』『思想』『動向』がはっきりわからない創価学会・公明党の実態・本質について、『宗教』「政治」『経済』の面から、総合して客観的に解明するよう努めたものである。
 なかでも、宗教の問題にかなりのスペースをとったのは、仮面の政党――公明党をささえるものが、まぎれもなく創価学会であり、創価学会をささえる〝原点〟にあるものは、その異様な教義のカラクリと信心の世界であるからだ。つまり、こういうわけで、正しい宗教の知識なくしては、創価学会はもちろん、公明党といえども、その本質を理解することは困難なのである。
 だから、本書によって、創価学会の教義のカラクリだけでなく、そこから一歩すすんで、ほんとうの仏教というものがどういうものであるか、その核心を理解していただきたいと思う。
 3、たび重なる受難のうえに築いた『創価学会・公明党の解明』は、前記の『破滅』の書と、『魂』の出版に引き続き、創価学会・公明党批判がまったくタブーであった四十四年春ごろから構想をねり、執筆、活版、印刷、製本などそれぞれの段階で苦労に苦労を重ねて、同年十一月中旬、やっと自費出版できるところまでこぎつけた(四四・一二・五初版)。こうして最後に残る販売部門を展望社という出版社に依頼して世に出した。
 しかし、そのご出版社のつごうより、不本意ながらこれまでの分は、四十五年一月三十日の再販をもって絶版とし、今回、改めて新装をもって他の出版社から刊行することになった。
 4,本書出版後、創価学会・公明党の言論・出版妨害事件が、共産党をはじめとする一大キャンペーンによって急に世論の批判のマトになり、さすがの彼等もかなり動揺してきたようにみえる。
 だが、彼等の本来の性格、思想、動向が、そう簡単に変わることができるとは到底考えられない。
 それはなぜだろうか……。こんごの彼等の動向を理解するためにも、創価学会・公明党の体質そのものを十分知っておく必要があろう。
 読者の皆さんが、本書によって、創価学会・公明党の本質を、その基礎のところから体系的に理解していただければ幸である。
 昭和四十五年二月 福島泰照」



■ 福島泰照著「創価学会・公明党の解明」

 隈部大蔵の力作、福島泰照著「創価学会・公明党の解明」は、内容においてはどちらもほぼ同じである。

 以下に、初版の目次(P1-P240)をあげておく。(各章内の小項目は省略)
「第一章 創価学会・公明党を理解するか目に…………………… 七
第二章 仏教のこころの底のここ……………………………………一八
第三章 仏教の三大潮流と日本の仏教………………………………三三
第四章 大乗仏教の代表的聖典の一つ・法華経……………………四一
第五章 日蓮、日蓮正宗、創価学会の性格と思想…………………四九
第六章 日蓮正宗・創価学会の教義は最高の破法…………………七六
第七章 創価学会の性格・思想・動向ー要約ー…………………一一〇
第八章 〝突然変異症〟が噴きでた公明党の周辺………………一二一
第九章 政党の仮面をつけた公明党の内幕………………………一三三
第十章 公明・創価学会党の性格・思想・動向ー要約―………一八九
第十一章 学会・公明党に関する提言……………………………二〇五
〈付録〉
一 日蓮正宗歴代会長の裏面史……………………………………二一五
二 創価学会の『選挙替え玉事件』………………………………二二-
三 創価学会の思想への疑問――無断『盗作』は精神的堕落…二三〇」




 ちなみに初版P8,P9には、創価学会の主な主張を以下のように7つ挙げている。
①世界最高・唯一無二の絶対の宗教・日蓮正宗
②東洋仏法の真髄・創価学会。世界の生命哲学・創価学会。二十一世紀の思想・創価学会。人間主義の創価学会(したがって日蓮正宗・創価学会以外の宗教は、すべて邪宗・邪教・低宗教)
③本門戒壇の大御本尊――板マンダラ
④末法の本仏・日蓮大聖人(したがって釈迦は利益の蒸発した脱益の仏)
⑤末法の教法・南無妙法蓮華経の題目(したがって法華経はヌケガラ)
⑥絶対幸せを約束する幸福製造機(そむけば仏罰必定)
⑦王仏冥合は日蓮大聖人の至上命令(したがって選挙は王仏勝利の関所)

そして、これらのすべてで「仏法のうえから大いに検討を要する教義(?)」と指摘して、これを信奉した行動していることは、宗教界・社会・政治的に解決すべき重要な課題であるとしている。


 私見では、上記①②については、その誤りを前述してきた通りであり、③については科学的知見によって後世の偽作と結論が出ている。
 ④については、日蓮本仏論・日寬アニミズムと指摘した通りであるが、釈迦について「利益の蒸発した脱益の仏」とは、彼なりの独特の表現である。
 ⑤については、いまもなお科学的観点から検討していくべきではあるが、「法華経はヌケガラ」というのも彼なりの独特の表現であり、一部の真実を表している。
科学的に言えば、私なりに「ヌケガラ」という表現を使ってもいいと思うが、元々の原作からしてフィクションであり比喩の集合であるため、元々「ヌケガラ」の何もない。
 更に言えば、日蓮の指導も、これを引用しているため、科学的検証を必要としているのである。
⑥についていえば、非科学的アニミズムの骨頂である。
⑦は、これの元の文献が日蓮の真作かどうかが問われているし、日蓮の意向としたら、日蓮仏法そのものをも、科学的総合的に再検討を要すると考えられる。

 したがって、隈部大蔵の論述は概ね是認できるものである。

 さらに、同書P9で、公明党について、同じく問題をはらむ宗教政党と題して、
 「公明党は、このような問題の多い宗教団体・創価学会を母体とし、それと異体同心、一体不二の関係にある宗教政党であり、また政党の仮面をつけた宗教団体である」と指摘する。

 これは、まさしく的を得た指摘であるが、批判的な表現になっている。
 それがどうした、何が悪いのか、なにが問題なのかについては、
 「連立政権に参加し、そのごは単独政権樹立に向うとの政権構想」をかかげているが、公明党には、宗教の面から「政治進出の必然性」「宗教政党としての存在価値」「宗教的独自性」、また政党の面から「体系的な政治理念」「政策の合理的な実現性」「党内民主々義」などがあるだろうかと問題をなげかけているのである。


 隈部大蔵は、創価学会・公明党がきちんと理解されていない理由は、一宗一派からの批判はあったが一方的・水掛け論に終始してほとんど破折されることはなく、仏法の観点から「総合的」かつ「体系的」に分析した著書・論文がほとんどなかったためと指摘する。
 公明党に対する従来の批判も宗教抜きの政治的側面からのみ、つまり片手落ちであったという。
 この点で、彼は、創価学会・公明党を一体不二として踏み込んで論じていることは卓見である。
 創価学会、公明党それぞれは、世間には政教分離という建前上からの主張に終始し、現実は一体不二であるにもかかわらず、そのことは口コミやあうんの呼吸の策で覆い隠しているからである。
 日本共産党も、藤原弘達も、時を同じくして、この点に踏み込んだ批判をし、これは憲法違反だと叫んだが、彼等の視点はあくまで世法・国法上にとどまるものであった。


 「公明党だけは、他の政党とちがい創価学会と一体化している『宗教政党』なのである。しかもその中身が宗教団体であればむろんのこと、また表面的にも『中道』とか『王仏冥合』などといった宗教的思想をかかげて行動している。…中略…宗教抜きの政治的観点からだけの批判は、解説は公明党を理解するためにじゅうぶんであるということはできまい。」(同書P12)


 さらに、当時の日本の現状として
「創価学会、公明党の実態につき、これを客観的な立場から解説、批判した著書が、いま、この時点において、全国の書店をさがしまわってみても、おそらく一冊も店頭に見出すことができないことだ。」

 という。
 これは、創価学会の妨害であることを暗に示唆している。そして、
 「全国の書店にならんでいる創価学会、公明党関係の本は、以前から現在に至るまで学会、党に直接所属する機関からの出版物であるか、それとも同筋のイキのかかったものばかりである、といってもいいすぎではないだろう。
 さらに最近数年間の傾向として、創価学会、公明党にたいし、客観的な視点からする解説、批判的記事は、一般新聞、総合雑誌、週刊誌にいたるまでほとんど見あたらなくなってきていることだ。それどころか一部の雑誌などでは、ことさらに創価学会、公明党のイメージ・アップをする内容の記事がふえつつあるような状況なのである。
 これにたいし、学会、公明党の文化活動は活発化するいっぽうで、たとえば、学会の『聖教新聞』が日刊で三百万部以上、公明党の『公明新聞』も日刊で七十万部発行といわれている。一般の大新聞も顔負けの発行部数であるし、自民、社会の二大政党の機関誌でさえ、一週に一度、それも十万部ていどしか出していないことを思えば、聖教、公明両新聞の発行部数の大きさがわかろうというものだ。
 このような状況が事実であるとすれば、創価学会、公明党の実態は、いまなお、あるいは、最近になればなるほど、いっそうわかりにくくなっている」(同書P12-13)
 というのは創価学会が出版妨害していた当時の様子、及び創価学会の破竹の勢いを物語っているといえる。


 そんななかで、創価学会組織の実態について、
 「創価学会の内部をみると、学会員はあらゆる機会を通じて、①世界一の日蓮正宗・創価学会の教義にたいする信心を強盛にして広宣流布一筋に生きよ、②本仏・日蓮大聖人の至上命令である王仏冥合――王仏勝利の功徳のために奮闘せよ――などと徹底的に訓練されている。
 この路線では、自己の宗教と公明党を無批判に絶対化することや、外部からのいっさいの批判にたいする〝批判拒否〟の態度を固めるほかに、行くべき道はないだろう。このことは、信心の世界ではありがちなことかもしれないが、いずれにせよ、学会員にとっても、創価学会と公明党の実態を理解することは、ますます困難の度合いを強めていることを意味する。」
 と、指摘する。
 創価学会員にとっても、つまり内部の人間にとっても、洗脳されていることがわからないまま、訓練されていくというのである。
 宗教とは、恐ろしいものであることが、分かる。
 彼のこの指摘は、半世紀たった今の創価学会においても、勢いは衰えたが十分に的を得ている指摘だと思われる。


 客観的な立場から、この時点での創価学会・公明党の実態を暴露されれば、実態が政教一致(憲法違反)、目標が国教化(天下取り)である等として、たちまち世間の大批判にさらされてしまう。

 いうなれば、未熟な教学の中で建前として隠していた本音が暴露されることになり、創価学会が最も恐れていたことである。

 おそらく出版妨害はこれを防ぐために組織的になされたといえるのである。
 隈部大蔵の分析・批判は、世法・国法を包含した仏法律の観点から破折・批判しているのであり、この当時の批判書としては最上級レベルであろう。
 腐敗していた仏教界の学者たちを凌ぐ、おおいに評価すべき著書である。



 「批判拒否の意味するもの」(同書P13-)において、隈部は、
 「もし、その大きな原因が、『言論・出版・その他一切の表現の自由』にたいする彼等のいろんな形での圧力と妨害にあるとすれば、問題はきわめて重大であるというほかない。それは、民主々義社会の基盤を空洞化する大きな要因であるとともに、言論その他一切の表現の自由を保障している憲法違反の色彩が濃くなるだけでなく、肝心の仏法そのものの大精神にも明らかに反するからだ。
 日蓮正宗が世界最高の・唯一無二の絶対の宗教であり、日蓮大聖人が末法の世の本仏であるのがほんとうであるなら、そのような宗教と本仏をいただく創価学会、公明党は、なにをこのんで批判拒否の態度をしめす必要があるのだろうか。いかなる批判も正々堂々とうけとめ、必要とあらば再批判して、自己の真実性と優位性を堂々と世間に主張すればよいではないか。
 そのような公明な態度こそ、世界最高という宗教団体と、それを母体とする公明党の名にふさわしいあり方ではなかろうか。
 それなのに、学会、公明党が、いぜんとして批判拒否の態度をとりつづけていることは、決して公明正大な態度とはいえず、かえって世間の疑惑を増大するであろう。さらに、批判を拒否するところに仏法や民主々義の精神はなく、自己の成長も充実も、期待することは不可能であろう。」(同書P14—15)


 これは、至極当然な指摘である。
 むろん「自己の真実性と優位性を堂々と世間に主張」出来ない、やましいことがあるところに「批判拒否」および「言論出版妨害」の原因があるからである。
 当然ながら、隈部の述べるとおり、これは池田大作の巻頭言にあるような「公明正大な態度」とはいえず、批判を拒否するところに仏法や「民主々義の精神」はないと言わねばならない。
 それどころか、日蓮の教えの精神にも反し、池田が師と仰ぐ戸田の教えにも反している。
 池田大作は、おのずから師敵対・仏法違背の集団へと、創価学会を導いていた。
 池田もそれを祭り上げる信者も、これを隠蔽し正当化するために、言論妨害を組織的に行っていたといえるのである。

 拙論文の先のページで引用した、宗教学者小口偉一の著作は、宗教学の立場からのみの観点からであり、佐木秋夫の著書も、深い仏教の視点からの解明には及んでいない。
 おおむね隈部大蔵の上記の指摘及び当時の時代背景の分析は妥当なものと評価できよう。
 上記のように、彼のこの著作は、仏教の根底から創価学会の教義を分析し、政治方面からも指摘に及んでおり、この時代においては、画期的なものとして大いに評価できると考えられる。



 さらに、創価学会を詳しく分析する方向として、彼は、
 「創価学会は――
 ①日蓮正宗。創価学会の教義を最高唯一のものとして強信する在家の『信仰団体』である。
 ②日蓮正宗は、日蓮宗(身延久遠寺)の分派であるが、末法の世の本仏を日蓮、教法を法華経の題目(南無妙法蓮華経の七文字)とする『特殊の宗派』である。
 ③日蓮は、『法華経の偉大な行者』である。
 ④法華経は、『大乗仏教の代表的な聖典の一つ』である。
 ⑤大乗仏教は、釈尊入滅後結集された『原始(根本)仏教から部派(小乗)仏教を経て完成された仏教』である。
 ⑥釈尊は、仏教を開示した仏教の『教主』である。
 以上の点からみてわかるように、創価学会の実態を本質的かつ系統的に理解するには、『教主釈尊』、『仏教の根本原理』、『法華経の教理』、『日蓮の思想』などと関連して検討することが、ぜひとも必要である。」

 さらに、公明党に関しても、
 「公明党は――
 ①宗教団体・創価学会を母体とする『宗教政党』であり『政党の仮面をつけた宗教団体』である。
 ②宗教と関連する面からみれば、公明党の事実上の党首は『創価学会長』である。
 ③公明党の上層部と創価学会のそれとは、メンバーがほとんど『重複』している。
 ④公明党の政策や政治理念には、王仏冥合、仏法民主主義をはじめ、仏法と関係のあるようにみえる内容のもの』が多い。
 ⑤他方、公明党は『政党』である。政党とは、一定の政治目標を実現するために、政治権力への参与を目的としている政治結社をいう。
 ⑥こうした政治と、経済ないし経済体制とは、『不可分の関係』にある。
 だから、公明党の実態を学会同様に本質的かつ系統的に理解するためには、とくに『宗教と学会の体質』を背景に、これと密接に関連して『政治』、『経済』の面から検討する必要がある。」
 と、検討の方針の必要性を述べている。

 さらに、
①抹香臭い
②非科学的な観念論ないし神秘論
③社会的なアヘンである
 という宗教に対する先入観で、見向きもしない人がいる一方、イワシの頭も信心から式に盲目的・狂信するグループもあるが、とくに「真実の仏教」は決してそのようなものではなく、そうでないと仮定してもこのような状態では、創価学会・公明党の正体は理解できないとして、
しばらく「真実の仏門に入り」、真実の仏教というものを「客観的な立場から理解していただきたい」と、説いているのである。

 これは、彼なりの一種の広宣流布であろうが、彼はどこかの宗に属する信者なのであろうか。

 しばらく、隈部大蔵の「真実の仏門」に入ってみたが、十二因縁、縁起、法、四諦、教主釈尊などの仏教用語が豊富で、なかなか分かりやすくて面白い内容であった。

 とくに印象的だったのは、P70-71で、板マンダラを幸福製造機と題するところで、
 「創価学会教義の第二の柱は、ゴリヤク信仰の典型ともいうべき『幸福製造機』を自家製造していることだ」
 「この幸福製造機は、戸田城聖第二代会長が、戦後の社会の混乱、不安と金銭主義的風潮をたくみにとらえ、これを背景にして例の牧口常三郎初代会長の利・善・美という『価値論』を板マンダラにむすびつけたものと考えられる」として、戸田城聖会長の説明を
 「①利益、幸福――名誉、地位、財産は人生最高最大の価値であり、このような人間の利益、幸福は、日蓮正宗・創伝学会(ママ)を信ずるか否かによって決定づけられる。
 「②末法の世の唯一、絶対の救済主である日蓮大聖人の宗教の正統は、日蓮本尊の日蓮正宗だけで、その証拠として正宗総本山の〝お山〟にだけ板マンダラがある」
 「③板マンダラは、これをおがめば祈りとしてかなわないものはなく、利益、幸福がたちどころにやってくる『幸福製造機』である」
 「④反対に幸福製造機にそむけば、仏罰必至で、他宗はすべて邪宗であり、しかも不幸の源泉だ」
と述べる。
 これに池田大作の
 「仏法の根本精神は慈悲である。慈悲とは抜苦与楽と訳し、あらゆる民衆の苦悩を除き、またあらゆる民衆に楽しみを与えることにほかならない」
 という文言を、板マンダラにあてはめて、
 「つまり幸福製造機とは、『祈ればかなう利益、欲望の万能製造機』といったものとみてよいだろう」
 と、断ずる。
そして、そんなものが本当にあるとしたらこんなに有難いものはないとしながら、問題として、
 「①いうところの幸福製造機の『幸福の中身』が欲のかたまりであってもよいのか」
 「②利・善・美の『価値論』に仏法上の価値があるのか」
 「③『抜苦与楽』ということの深い仏法的意味はどういうものであるか」
 「④さらには板マンダラ自体、はたして『ホンモノかニセモノ』かということ。かりにホンモノであるとしても、これを本尊としてよいか」
 「⑤『仏罰』とは何ぞや」
と、問いかけている。




■日蓮の至上命・王仏冥合(国立戒壇・民衆立戒壇・本門戒壇)


 つづいて、隈部大蔵は、
 「日蓮正宗・創価学会教義の第三の柱は王仏冥合――国立戒壇である。王仏冥合とは、日蓮の用語で、王すなわち政治と、仏すなわち仏教とがどちらかたともなく自然の状態でむすびついて仏国土が建設されるという意である。
 だが、戸田会長は、この王仏冥合――国立戒壇の『現代訳』にとりかかるとともに、これを日蓮の『遺命』から『至上命令』に格上げして、こういっている。
 われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては三大秘法稟承事における戒壇論が日蓮大聖人の至上命令であると、われわれはかくしんするものである――と。
 ところで、戸田会長は、国立戒壇という表現をしているが、その中身は、従来のそれが上からの国立戒壇の建立であったのにたいし、これを百八十度転換して、下からの民衆による、いわば『民衆戒壇』といった革命的なものに変革していることに注意を要する。
 その根拠は、戦後の時代は国民主権であるから、天皇なんぞは問題にならない。天皇なんぞをいさめて、天皇の日蓮正宗帰依による国立戒壇の建立は、もはら必要でなくなった――ということになる。この国立戒壇論によると、国民の間に日蓮正宗・創価学会の教義を広宣流布して、国民の総意にもとづき国会の議決によって、日蓮正宗・創価学会の教義を『国教化』して国立戒壇を実現すると同時に、その他の邪教であるすべての宗教を追放し、創価学会・公明党の手によって政権を完全に掌握しようというものである。」
 「それに加えて第三代池田創価学会長は…中略…『最大多数の最大幸福』といったベンサムの功利・快楽主義的思想に裏づけられた『大衆福祉』というの理想社会像(ママ)を、王仏冥合のなかにもちこんだ。…中略…
『国立戒壇』を『民衆立戒壇』といいかえ、さらに現在ではそれを『本門の戒壇』と日蓮の三大秘法における本来の用語に統一している。」

 「そうして最近では、…中略…王仏冥合といえば大衆福祉社会の建設であるという面に比重をかけて強調しているのが、学会の特徴的な傾向といえるようだ。」

 


 以上の論展開をした後、
 「こうしてもとわといえば(ママ)、板マンダラの幸福製造機に魅せられ、あるいは自分や家族の不幸などに乗ぜられて強引な折伏によって強制的に入会させられた大多数の信者・会員は、いつのまにかいろいろな選挙のたびに『王仏冥合の関所』とか『王仏勝利の選挙』とかいったスローガンのもとに選挙の票集めにかりだされ、政治的使命まであたえられることによって、その信仰を政治的にも利用されているありさまなのだ。そしてその結果は、四十三年の参議院選にさいして、‶その無知、悪質な創価学会員による詐欺投票事件〟と週間新潮(ママ)が強調しているような『選挙替玉事件』までひきおこす始末にまでなっているわけだ(付録二参照)」

 こうして、彼は
 ①「学会・公明党の強引な、強引で悪ければ積極的な『政界進出』は、はたして王仏冥合か」
 ②「王仏冥合の内容のなかに、功利・快楽主義の思想までもちこんでよいのか」
 ③「仏法本来の政治観と学会・公明党の政治観の関係はどうか」
 ④「仏法につき無知で、しかも純真な大多数の信者・会員を、仏教の権威と信仰を背景に、政治的に利用してよいのか」
という点を、問題だとしている。

 上記の①②③は、いろんな論議や評価の可能性があるが、④については、反論の余地がないものと思われる。


 総じて、立派な著書と思われるが、これも、創価学会が、出版妨害していた例の一つとして挙げておいた。

 

 

 P31へ、続きます。



☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点

P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流

P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会

P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二

P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と野心、「創価学会を斬る」の指摘

P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件