●37  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件 | ラケットちゃんのつぶやき

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●37  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件

 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P37,  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件
 です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。

 前ページに続いて、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討を、「新・人間革命」での描写も併せて行った。


■「新・人間革命」での謝罪

 そのP299には、
「『今度の問題は、学会のことを『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思います。ゆえに〝言論妨害〟というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動がすべて〝言論妨害〟と受け取られ、関係者の方に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまい、まことに申しなく、残念でなりません。』」
 と謝罪文がある。
 原文の「個人の情熱」が「個人の〝熱情″」に引き下げられ、原因がよりいっそう「個人」という軽い別物の仕業のような言い換えになっている。

 続いて「新・人間革命」では、
 「さらに彼は、今回の問題をめぐって、幾つかの新聞や雑誌が、フランスの作家ボルテールが述べたとされる『私は、君の言うことには反対だ。しかし、君がそれを言う権利を、私は命をかけて守る』との言葉を引用していたことに触れた。
 そして、その考え方のなかに、『言論の自由の根本』があるとして、こう語った。
『名誉を守るためとはいえ、私どもはこれまで、批判に対して神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります』
 伸一(註、池田大作)は頭を下げた」(同書P299)
 とある。

 原文の「たしかにこれは、それ自体として法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります」
「かくも言論の自由が尊重されるゆえんは、それが人間の権利の欠くべからざる要素であり、あらゆる人が自己の主義・主張をなんら拘束されることなく、表現できることが、民主主義の基盤であるからであります」
 が、そう言いつつも省略されていること(一連の行為は{法律に抵触する」ことは明らかであろうから省く)はともあれ、
「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬ、と猛省したいのであります」
「いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります」
 が、省略されているのは、はっきりいって、事実の巧みな隠蔽である。
「独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければ」と言いながら、結局のところも、この時点であっても、前述(P36)の如く「猛省」などはなく、戦略的なポーズである。
 その後の結果としても、藤原弘達など多くの関係者へ自らお詫びに行ってはいないのだから、「関係者の方におわびしたい気持ち」など微塵もなかったことは明らかであるからである。

 なんということか。
 そこには崇高な仏法者としての姿が見えない。

 「今まではきちんと返せなくて悪かった。許してくれ。必ず返すから、もう?万円貸してくれ。
他に借りて迷惑かけた人にも必ずお詫びに行く…」
 このように、まったく返すつもりのない詐欺師が、更にカネを無心している姿によく似ている。日常よくある寸借詐欺の光景が思い浮かぶのは、私だけだろうか。


 続く「新・人間革命」P300では、
「参加者は驚きを隠せなかった。
〝先生がなぜ謝らなければならないのだ!〟
〝学会は法に触れることなど、何もやっていないではないか!〟
 複雑な表情で壇上を見上げる人もいれば、悔し涙を流す人もいた。
 ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。
〝私たちは、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ〟」
 と、真実を知らされていない幹部たちの描写が痛々しく続いていく。
 しかし、この、ある人の誓いはもっともなことである。

 さらに「新・人間革命」では、
「また、ある人は、伸一が、今、発表した『社会に信頼され、親しまれる学会』というモットーを思い返した。
 そして、社会を大切にし、大きな心で人々を包む寛容さを、会長は身をもって示したのだと思った。
 言論の自由の尊さを述べた伸一は、『言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したい』と、力強く呼びかけた。参加者はそれに、雷鳴のような拍手で応えた」
 と、続いている。
 このように、「社会を大切にし、大きな心で人々を包む寛容さを、会長は身をもって示した」と思わしめるには十分であったことがわかる。



■本門戒壇の意義(同書P13-19)

 記念講演では、国立戒壇を否定すべく、以下のように続いている。
 「次に、一部に、今なお『国立戒壇』ということに関して批判がありますが、この点について言及しておきたい」
 として、
①日蓮の御書には『国立戒壇』はなく、明治時代から国家意識が強くなって使われ出した。
②日蓮正宗では、正式には『本門戒壇』『事の戒壇』で、一般にならって『国立戒壇』を使用してきた。
 さらに、以下のように続く。
「恩師戸田前会長も、また私達も、決してその表現にこだわらず、本門戒壇は、単に日蓮正宗のためのものでも、創価学会のためのものでもない。日本一国の繁栄、全世界の平和を願う、その本来の精神を端的にあらわすものとして、国立戒壇という言葉を用いてきました。
 しかし、その言葉が、そのまま国教化を目指すものであるという誤解を生じてはならないので、戸田前会長も私達も、明確に、国立戒壇イコール国教化ということは、最初から否定してまいりました。
 だが、どうしても人は『国立』という言葉からくるイメージで、国家権力によって戒壇を建てるのではないか、そして国教化、一宗専制を目指し、他教を権力によって弾圧するのではないか、という誤解をいだいてしまうのもやむをえないかもしれない。
 そこで私は猊下におうかがいしたうえで、国立戒壇という表現を使わないことにし、かつこれまで使ったことがあるけれども、その真実の内容は、民衆立であるということを何回となく申し述べてまいりました。
 しかし、それでも一部になお疑惑がもたれ、学会の政治進出の目的は、国立戒壇にあるのではないか、したがって、それは憲法違反ではないか、更に現在は民衆立でも、やがて国会で三分の二の多数を占めて、国立にするのではないか等と、さまざまに心配されてまいりました。
 たしかに、かつてそれに近い表現もあったことも事実であります。しかし、もとより大聖人の御書には、戒壇建立の本義は明かされても、具体的なプロセスについては、後世の人に託しておられます。
 また先哲も、あらかじめ形を定めることは後難を招く恐れありとして、その社会、時代に応ずべきことを明言しております。
 私は猊下のご説法に基づき、また総務会、理事会等の了承を得たうえで、ここに、現代における戒壇論をめぐる諸問題を明確にしておきたい。
 私がこう申し上げるのも、後世のために、現在の責任者として、全ての路線を明確にしておく必要があることを痛感し、皆さん方に確認しておきたいからであります。
 まず第一に、本門戒壇は国立である必要はない。国立戒壇という表現は、大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来ともに使わないと決定しておきたいと思いますがいかがでありましょうか。(全員挙手)
 第二に、国教化は、一閻浮提という世界宗教の意義からはずれ、その宗教の力なきことを意味するものであり、かねてからこれを否定してきた私どもの意思を、更に高らかに宣揚したいと思いますが、その点もいかがでしょうか。(全員挙手)
 第三に、将来、国会の議決によって国立にするのではないかという疑惑に対しても、本門戒壇は、どこまでも、純真な信心を貫く民衆の力によって築かれ、意義づけられることを民衆の要望をあらわすものとして、真剣に考えたこともあります。しかし、それは、憲法の精神からいって不適当であり、私どもとしても、はるか以前にこの考えを捨ててしまっております。
 私は、歴史上、尊い試練を経て確立された信教の自由、そして、それを定めた憲法をどこまでも遵守していきたいのであります。
 また、国立でないからといって、いささかも戒壇建立の本義を曲げるものではなく、むしろ、どこまでも純真な信徒の総意によって推進されていくことのほうがはるかに大きい意義がある。故に、絶対に国会の議決等にはよらぬことを明言しておきたいと思いますが、いかがでしょうか。(全員挙手)
 第四に、したがって政治進出は戒壇建立のための手段では絶対にない。あくまで
も大衆福祉を目的とするものであって、宗門、学会の諸活動とは無関係であることを、再度確認しておきたい。よろしいでしょうか。(全員挙手)
 以上の四点は猊下のご同意も得たうえで、総務会等の決定に基づき、発表するものであり、未来においてもこの決定は変わらないことを明確にしておきたいのであります」

 大聖人の仏法は〝世界の大白法〟
 およそ、大聖人の仏法は、あくまでも民衆の生活のなかに躍動する文化の大海でなくてはならない。個人の内面の変革を通して時代をもリードするものであり、全人類の生命にひそむ魔性に挑戦し、悲惨と苦悩を絶滅することが仏法の本意であります。
 立正安国論にいわく
『汝早く信仰の寸心を改めて、速に実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり。仏国其れ衰んや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん(ママ)』(御書全集三二㌻)と。
 日寬上人は、この御文を引き『文はただ日本および現在にあり、意は閻浮および未来に通ずべし』云云と。
 この御聖訓および日寬上人の解釈に明らかなごとく、横には全世界、全人類の崩れざる平和、縦には未来永遠にわたる生き生きとした幸福の確立こそ、日蓮大聖人の終極の目的なのであります。
 そのための三大秘法の仏法であり、決して一時期の、そして、限られた人々のためのものではないことは、あまりにも明白なのであります。
 されば、大御本尊は、一閻浮提総与と相伝あり、大聖人の仏法が世界の大白法であることも、諸御書に厳然と説かれているところであります。
 三大秘法抄にいわく、
『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり』(御書全集一〇二二㌻)と。
 すなわち、本門の戒壇は、日本、中国、インド、更に全世界の人々の懺悔滅罪の道場であるのみならず、世界のあらゆる指導者も、平和のためにここにつどいくるであろうとの断言であり予言書であります。
 戒壇の戒とは、元来、防非止悪すなわち非を防ぎ、悪をとどめるの義であります。今、末法事の戒は全人類の悲惨の根源に迫り、生命に内在する非道と根本悪を防止することにあります。
 したがって、本門戒壇の本義は『全人類の恒久平和と幸福を祈願する大殿堂』という点にあることを、明確に熟知していきたいと思うのであります。」




 記念講演では、この三大秘法抄の「戒壇とは王法仏法に冥じ…中略…勅宣並に御教書を申し下して 霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か 時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、」を隠しながら、「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」だけを引用している。
 国立戒壇の解釈の元となっている前の文をあえてださないことが、この欺瞞を隠蔽していることになる。
 そもそも、このような考えは古臭い、過去の遺物である。
 日蓮の三大秘法抄も、当然に、再検討・訂正するべきであり、「勅宣並に御教書を申し下して」とか「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」などは、その典型の部分のドグマである。
 そもそも「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」ならば、あえて勅宣など必要なく、最勝の地なども定めなくてもよいではないか。
 このような矛盾を抱えたままのドグマなのである。
 つまり、日蓮の真意を、鎌倉時代の縛りを排して、永遠の仏法・法則に立って再検討すれば、いつでもどこでもだれにでも、無条件にその人のいる場所が本門戒壇(防非・止悪の場所)なのである。違うか?!




 国立戒壇という用語は、これ以来、創価学会では一切使われなくなった。
 しかし、いまだ完成していない正本堂を、民衆立の本門戒壇としてしまったことが、後の妙信講との宗内争いとなり、350億円という巨額な供養を集めた時に、喧伝していたことが、後に覆されることになる。


 さて、そもそも戒壇について、さかのぼって、日蓮は、法華取要抄(御書P336)に、
「問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」
 とあり、出世の本懐として三大秘法である「本尊と戒壇と題目」をあげた。
 このうち、本門の題目は南無妙法蓮華経であり、1253年4月28日にはじめてとなえ、本門の本尊は、観心本尊抄などで明かされ、真筆のマンダラも存在している(先述したが、日蓮正宗では、大石寺の板マンダラが唯一のそれとなっている)。

 ただ、残された本門の戒壇のみは、晩年1年前の三大秘法抄(御書P1022)に、
「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時 勅宣並に御教書を申し下して 霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か 時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」
 と、述べている。
 この解釈をめぐって、さまざまな争いがあるが、要するに、日蓮がいう本門の戒壇とは、王臣一同(全民衆)が日蓮仏法を持つという広宣流布が実現すれば、(天皇、幕府など最高権力者の)「勅宣並に御教書」によって、霊山浄土に似た最勝の地に戒壇を建立すべきであるとし、これは、全世界の人が集うべきところ、大自然もそのように受け入れるところというのである。


 日蓮の弟子である日興も、
「是れ偏えに広宣流布の時、本化国主御尋ねあらん期まで深く敬重し奉るべし」(富士一跡門徒存知事)
 と、子の義を受け継いでいる。


 時代を経て、日寬は、戒壇について、
「本門の戒壇に事有り義有り。所謂義の戒壇とは即ち本門の本尊所住の処・義戒壇に当る故なり。…中略…正しく事の戒壇とは一閻浮提の人懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。秘法抄に曰く『王臣一同に…中略…」(文底秘沈抄)
 また、
「本門戒壇に事あり、理あり…中略…
広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等に皆嫡々書写の本尊を安置す、其の処は皆是れ義理の戒壇なり…中略…
事の戒壇とは、秘法抄に云く『王法仏法に冥じ…中略…事の戒法と申すは是なり』等云云」(法華取要抄文段)
 と述べている。
 つまり、既にある末寺や在家の曼荼羅安置の場所を義の戒壇、これに対して広宣流布の暁に立てられる、三大秘法抄でいう戒壇を、事の戒壇としている。
 したがって、事の戒壇とは、古くから時の最高権力者の命による戒壇を指すとして伝えられてきたことが明白である。


 昭和になって、田中智学や戸田城聖は、時代にあわせて、この日蓮のいう本門戒壇を「国立戒壇」と称した。
 日蓮の遺文、とくに「勅宣並に御教書」を文字通り解釈すれば、今日でいうところの「国立」と称すべきであろう。
 当然ながら、日蓮のこの遺文も、鎌倉時代の縛りを受けているのは自明であり、前述の如く、常にアップデートしていかねばならないのである。

 さて、ここで、池田大作が師匠と仰ぐ戸田城聖のいうことから振り返っておく。

 「広宣流布を思い違いしている人がいるのです。広宣流布は、日本じゅうだいたいの人が信心しても、本門戒壇を建立しなければ、広宣流布の目的は達せられません。
 本門戒壇とは、国家鎮護の寺として認めなければならないのです。たとえば、国家が不景気の時、国がお願いをして、これが叶う戒壇を建立した時を広宣流布というのです。経済その他の革命ではありません。
 国民の生活が安定する準備として戒壇を建立するのです。今日のように月給のないときをキチンといいます。こういう状態にさせないように、国家を代表した人が国家のために、ご祈念をすればききめがあるのです。そういう時をつくろうというのが、広宣流布の目的です」(「戸田城聖全集」第四巻、1965/12/10、和光社、P123-124)

 なぜ参院選に立つのかの問いに対し、戸田は、
「王法、仏法に冥じ、仏法、王法に合するその時をつくるのが広宣流布の下地です。その時機をつくらなかったならば、ただ広宣流布、広宣流布というだけでおわってしまいます。『勅宣並びに御教書』(三大秘法抄一〇二二ページ)とおっしゃっているが、勅宣とは、天皇陛下のお許しです。御教書とは、国会の許可です。その国会の許可を取るためには、いま政治というものに関心をもたなかったら、いつになっても御教書をもらえないでしょう。なにも私は日本の国をぜんぶ南無妙法蓮華経にするのではない。ここを思い違いしてもらうと困ります。
 いかに広宣流布したからといったって、キリスト教も、アミダ教もぜんぜんなくなるというのではないのです。
ただ、勅宣ならびに御教書を申し下すという日蓮大聖人のご命令に答えて行かなければならない、そして本門戒壇を立てればよい。
 国家が国家のこと、あらゆる一大事をここで祈念すれば、かならず国家が安泰であります。早くしなければならない。そこで広宣流布の一段階として、参院に出すのです。この次にも出す、私は日蓮大聖人様のご命令どおりにやればよいのです。各地にそういう人がどんどん出てもらわなければなりません。」(前掲書P160-161)

 さらに、広宣流布の暁の政治について、戸田は、
「陰険な政治家がいなくなるときであります。今の政治家は売春婦と同じであります。利害のために動き、国家を考えていない。広宣流布の暁には、ほんとうの国士の政治家が出るのです」(前掲書P161)


 そして、弟子の池田大作は、会長就任前ではあるが、
「創価学会は、日本の国をとるのでもなければ、政治団体でもなければ、または、全部が政治家になるのでもない。あくまでも国立戒壇の建立が目的なのである。…中略…三大秘法抄の南無妙法蓮華経の広宣流布、すなわち、国立戒壇の建立が目的なのです」(「大白蓮華」昭和33年9月)

「立宗ここに七百三年を過ぎ、仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(「大白蓮華」昭和34年1月)
 と、はっきりと、創価学会の目的が国立戒壇であることを述べている。

「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのであります」(「大白蓮華」昭和34年6月)

 また、会長就任後も、池田大作は、
「化儀の広宣流布とは、国立戒壇建立のことである。大御本尊様の後図顕によって、化法の広宣流布がなされ、一閻浮提の一切衆生の信行の中心道場であり、依所依託となるべき国立戒壇建立が、大聖人様御入滅後の弟子に残されたのである…中略…この日蓮大聖人の仏法のすべて、国立戒壇論も、第二十六世日寬上人によって、教義上完全となった」(「大白蓮華」昭和35年6月)

「日本一国が広宣流布された暁には、民衆の総意によって国立戒壇を建立するのです。」(「聖教新聞」、昭和37年3月3日)

 と受け継いでいるごとくである。


 これか、この言論出版妨害事件で、その意義を覆せざるを得ない状態になったのである。



■選挙対策としてのカムフラージュ


 もっとも、昭和39年6月30日学生部第7回総会(池田大作著「会長講演集」第十一巻、1965/1/2、創価学会、P213-217)では本音を隠して以下のように、
「戒壇とは何かという定義も知らないで…中略…
『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をしております。まったくナンセンスのかぎりであります。戒壇とは、仏法の終着点であります…中略…大聖人様の仏法においては独一本門の仏法であるがゆえに、その終着点は本門の戒壇となります…中略…
戒壇とは『防非止悪』――非を防ぎ、悪をとどめるという義であります。したがって、いま、日蓮正宗においては、猊下のお許しを得て、私どもは、まだ広宣流布されていないがゆえに、ご内拝と申して、特別に信心純真なものだけが御開扉をうけているわけでございます」
 と前置きして、
「御書には『国立戒壇』ということばはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと〝国立戒壇〟ということばをもらしたことがありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寬上人のおことばにも〝国立戒壇〟ということばはないのです。『戒壇』と言えば『本門戒壇建立』となるのです」
 と、屁理屈をこねて述べていたこともある。
 たしかに、日蓮も日興も日寬も、表現として「国立戒壇」とは言っていない。
 しかし、その真意は前述の遺文の通りであるが、なのに、この屁理屈を、
「だが、与えて〝国立〟ということばをどうしていったか。過去は封建制ですから、どうしても上部の決定によって建立する以外になかった時代です。しかし、いまは民主主義の時代です。したがって、民衆のひとりひとりがぜんぶ信心をまっとうして、しあわせになって、そのうえで納得し、そこで日蓮正宗の帰着点として、ひとつのしるしとしてその戒壇を建てようではないか、そういう意味から〝総意〟という意味から〝国立〟という表現になったときもあります。これは本意ではないのです」
 と、述べている。
 「帰着点」「ひとつのしるし」になってしまった。さらに、
「わかりやすく鉄道にたとえれば、ちょうど国鉄と私鉄との関係のようなものです。いま日蓮正宗は私鉄の立場です。国鉄ではないし日蓮正宗の宗派としての立場で仏法を守っております。ということは、信心しない人は、御開扉はうけさせない。こういうことになっております。
 今度は、本門戒壇の建立という意味になった場合には、国が自由に、だれびとたりとも、拝ませてあげてもらいたい、そういう関係になるのです。信仰しようがしまいが、ぜんぶ公共的立場で拝ませてやってください。そうですかと、そういう儀式にすぎないのです。それで、そのひとつのしるしとして、戒壇建立となるわけです。なにも恐ろしいことでも、特別の事でも、なんでもないのです。」
 と、詭弁を弄している。
 そもそも戒壇建立時点で国民全員が信心しているなら「信仰しようがしまいが拝ませてやって」という理屈は成り立たない。
 また、公共的でなくても、神社や鎌倉大仏や、野仏など、万人が自由に参拝することができる対象が存在するではないか。
 さらに、この講演では、
「政治でも、政党になれば政権をとるという終着点がある」
 と、本音をもらし、
「どんなものでも終着点がある。帰趨すべきひとつの終着としてのしるしがなくてはならない。と同じように、宗教においても、その終着点が必要です」
 として、国民全員が入信することを終着点、すなわち広宣流布としている。
 続いて、
「戸田先生は『本尊流布が、信心が、トウフである。戒壇建立はオカラである。カスのようなものだ』このように何度もおおせになっておりました。その本質を、皆さん方もよく知っていただきたいと思います。戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます…中略…」
「国立美術館、国立競技場、やれ国立博物館などを個人個人が所有していたならば、大衆が幸福を分かち合うことができない。研究もできない。そのときに、国立として、全体が公共物として、自由にそこで遊ぶこともできる、研究することもできる、見学もできる、それが国立美術館であり、国立博物館であり、国立競技場です。
 同じように、国立という名前は使いませんし、使う必要はありませんが、本門戒壇ということも、これらと共通性をもっているのです」
 と述べている。

 つまり、本門戒壇を、公共性があるものとして、公共物として、自由にそこで遊ぶこともできるような、公共の戒壇と意味づけているのである。

 「信仰しようがしまいが拝ませてやって」というなら、他宗の寺院や神社のように、日蓮正宗が板マンダラを直ちに一般公開すれば済むことである。
 それが、広宣流布であるなら、なおのことであろう。
 なぜに、隠す必要性があるのか。
 それが、日蓮の述べたドグマだからである。

 この主張は、日蓮仏法を科学的見地からアップデートする意味では卓越した論であるが、残念なことに、池田大作の本音は、そうではなく、日寬アニミズムをドグマとして、あくまで日蓮正宗の戒壇を国会の決議で建てることにあったことはいうまでもない。
 むろん、憲法では、信教は自由であり、国立戒壇に参拝するのを国民に強いるか否かはともあれ、これによって日蓮正宗を国会が決議した事実上の「国教」とすることであり、これを広宣流布(布教の終着点)としていた。

 だから、この演説は、選挙にむけて本音をカムフラージュするための詭弁であったことは自明である。
 ただ、このカムフラージュが、時代とともに変遷しているのである。




■純粋な信仰心を巧みに利用する、潜聖増上慢


 当時の創価学会員は、ほとんどが純粋な信仰集団であった。
強引な折伏(その善悪を問わず)により、急激に肥大しつつあった集団のなかでは、日蓮のこの遺文、事の戒壇が国立戒壇であることが、文句なしの教示であった。
この時代の選挙の票取りは、ほとんど折伏と同時に行われたのであり、会員たちは、大いなる目標に向かって、燃えに燃えていたのである。

 池田大作は、こういった会員たちの情熱を、巧みに自身の権力のために利用していった。
 側近たちや幹部たちも、戸田の遺言(派閥を作ってはならない、皆で仲良くやっていけ)を忠実に守り、池田をものの見事に賛美し盛り上げた。

 昭和39年8月27日の幹部指導会(萩会館)で、池田大作は、
「『信心強きを名づけて仏界となす』とあります。しょせん、仏界といっても信心が強いということ以外にないのです。すなわち功徳があるかないか、歓喜の生活ができるかできないか…中略…具体的にいいますと、御本尊様を受持して朝晩の勤行、すなわち題目をt記あくさんあげなくては信心は強いといえない…中略…
もっとも信心が強いというひとつの証拠は何か、それはとうぜん王仏冥合に向かって実践していく以外にないのです。ということは…中略…まじめに真剣に学会活動をしていく以外の信心強きということはありえない。そこに創価学会が和合僧であり、王仏冥合をめざしての大聖人様の仏意仏勅にかなった厳然たる証拠があるゆえんなのです。
 学会を離れた場合は信心できない。また、学会を離れて御本尊様を長くたもっている人がありますが、功徳がでない。折伏はできない。それは不思議なものです。また、学会を批判すれば法罰、仏罰は厳然たるものです」(「会長講演集」第11巻、1965/1/2、P289-291)
 と、こう語っている。
 純粋な日蓮仏法の信仰者の心を、日蓮の遺文を利用して創価学会組織にのみ誘導し、罰論で脅して束縛する。
 さらには、
「どうしても惰性に流されきって、信心根幹でなくして役職、階級、それが学会精神であり、そしてまた大聖人様の信心の真髄であるかのように錯覚を起こす場合があるのです。
 そのときには功徳はありません。進まざるを退転という。じっさいは退転になってしまっているのです。大聖人様は
『月月・日日につより給え・少しもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(聖人御難事一一八九ページ)一日一日、月々年々、宿命転換をし、大福運を積んでいくために、前進に前進を重ねていく以外にないのです。
 ということは、朝晩の勤行、そして学会活動を、自分自身から喜んで…中略…一念強く進んでいく人が、最後の大勝利者になるのです。…中略…
 罰をうけていく人、功徳が出ない人、顔色が悪い人、一家がなかなか調和できない、和楽でない人、というのは信心が濁っている。信心が進んでいない。または人を怨嫉している人です。ということは日々、月々、年々に強りたまえという大聖人様の御金言どおりの信行学でない証拠なのです。
 ほんとうに信心が純粋であり、信心だけは潔白であり、そしてまた峻厳なる人はかならず勝っていきます。実相のうえにあらゆる功徳がわいてきております。仏法は証拠です。その証拠を出しきっていくためへの強い強い信心でなければならないわけです」
 といって、巧みに純粋な信仰者を、常にハッパをかけて組織拡大へ駆り立てる。
 むろん、これは、言葉の上では、純真な信仰を持ち続けるためにはある程度正しい。
 しかし、根本としている信仰の内容が日蓮仏法ではなく、しかも目的や誘導先が創価学会の組織拡大、さらには創価学会による国立戒壇建立と、後述する天下取りへ結びついているのである。
 この現象は学会員にとって、まさに日蓮の言う「魔たよりをうべし」であった。


 日寬アニミズムに染まり、会長争奪戦に勝利した池田大作が、こうした側近幹部たちの忠実な支援と賛美を常に一身に浴びながら、さらに激増しつつある学会員たちの社会に与える影響が高まってくることを、おのれ自身の力と錯覚し、その野望をますます拡大していくことは、いとも自然な成り行きであった。
 「長」と呼ばれ、多数の会員から賛美・尊敬され、従われる状態を、自分ひとりの人徳・力量のように錯覚してしまうのは、創価学会では、なにも池田大作に限らない、幹部一般にも少々みられることであった。
 彼が、同類の幹部に対し激高することも、それが同類であるからである。
 こういった心の状態、生命に巣くう悪魔が、魔、いわゆる天子魔であり、これに委ねた状態が増上慢である。
 そして、多くの会員や組織全体に影響力が高いほど、俗衆増上慢、道門増上慢から、潜聖増上慢の要素が高くなるのが、日蓮仏法の方程式である。

 その背景には、「長」にすがり、「長」に自分の至らない姿を投影し、「長」に依り添い、従うことによってはじめて己の喜びや欲を満たし、不安を解消しようとする、「権威への逃走」という心理を、多くの会員が具えていたことである。
 これは、フロムの「自由からの逃走」に指摘されている、ナチズムが発展した背景とされている大衆心理である。

 元来、我が国の民族は、「和」を美徳とし、「和をもって尊し」とすることわざもある。
 これは、「寄らば大樹の陰」が表裏一体となっていて、要するに欧米と違って自己の確立が未熟な傾向の現れである。
 つまり、優雅な孤独や、栄光ある孤立に耐え、それを楽しむことの困難な民衆なのである。
 自己の確立が未熟なまま、戦後の権威支配から一気に「自由」という海へ解放された民衆は、混乱した社会の荒波にもまれながら、自身を支える新たな権威に、容易にすがりつく傾向にあった。
 神々のラッシュアワーと言われるほど、新興宗教がはびこった時代、こんな背景の中で、創価学会が、上記のような指導で学会員を常に駆りたて、このような自己確立の未熟な民衆を強引に折伏して急拡大したのである。
 日寬アニミズムは、とても都合が良い、よくできたドグマであったと評価できる。

 話は戻る。
 こういった様子は、なにも創価学会に限らない。
 一般の企業や団体の組織の指導者やそれに依り添う人々にも、ふつうにみられる現象である。

 拙論文P28で前述したが、正本堂の意義については、池田大作は、
「正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがって、あとは本門戒壇堂の建立を待つばかりになります。したがって、全体的な御供養といたしましては、今度の正本堂の御供養だけで、一切将来はいたしません」(池田大作著「会長講演集」第十一巻、P170-172)
 と、述べている。
「あとは本門戒壇堂の建立を待つばかりになります。」
 と、述べているとおり、この「本門戒壇堂」が、公明党が政権を取った後、国会の議決により建立しようとする「国立戒壇」を指すことは、明白であった。
 また、その後も、学会の幹部が、このあと(の、国立の戒壇)は国費でまかなわれる旨の指導もあった。

 また、上記を裏付ける以下のような資料もある。
 「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇といい、ぜんぶ同じことを指しているからである。広宣流布が達成されれば、すべての人は御本尊を信じて個人の幸福をうちたて、同時に民主国家であるならば、政治家もまた日蓮大聖人の教えを根本にして政治活動を行なうのである。これは王仏冥合の姿にほかならない。そうなれば、日蓮大聖人の御遺命である戒壇建立の条件(王臣一同に三秘密の法を持ちて)がそうであるから、とうぜんの結果として、民衆の総意によって戒壇が建立されるのである。民主国家における民衆の総意は、同時に国家の意思であるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議ではない」(青木亨、「大白蓮華」昭和39年11月号)






 池田大作は、述べている。
 「その時には不開門(あかずのもん)が開く。(はじめて門を通過するのは)一義には、天皇という意味もありますが、再往は時の最高の権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講の総講頭(39年4月から池田就任)であり、創価学会の会長(池田大作)がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。(大拍手)
 後々のためにいっておかないと、狂いを生ずるからいうのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こんどは皆さん方が不幸です。学会も不幸です』(「聖教新聞」 昭和40年7月26日、「大白蓮華」昭和40年9月号)

 不開門とは、
「日蓮正宗総本山大石寺に、広宣流布の時がきて勅宣ならびに御教書が下されたとき、勅使が通過するための特別の門がある。すなわち勅使門がこれであり、ふだんは誰も通さないので、『あかずの門』という」(「日蓮正宗教学小辞典」創価学会)

 さらに、池田大作は、先述したが、こうも述べている。
 「正本堂に御本尊様を安置すれば、御宝蔵、奉安殿より広く拝ませる事になるが、あくまで入信者に限るので内拝である。
 将来一国の総理等が信者で、又、国家権力を押さえた時に国中の人に拝ませる。」
(昭和43年10月24日、第17会社長会記録、「継命」編集部編「社長会全記録」1983/6/10,継命新聞社、P88-89)


 国立戒壇建立は、池田大作が、時の国家としての最高の権力者になるための、単なる口述にすぎなかった。
 日寬アニミズムも、彼の悪用材料として、ほぼ完ぺきなドグマ体系を備えていた。
 もちろんのことだが、そこに日蓮の言う「血脈」=生死一大事血脈は存在しえず、彼の唱えた主張の根底を成すものはそれとは対極の、潜聖増上慢の利用に組する体系でしかなかった。
 昨年の拙論文{私の池田大作観(1)池田大作入信神話と師弟不二」でも指摘したが、池田大作自身が戸田城聖との出会いを「師弟不二」と位置づけ、日寬アニミズムを利用して入信神話等をでっち上げ、自身の履歴についてもウソの創作出版をしたのも、会長就任前後からこの頃のことである。
 だから、以上を見る限り、世の懸念、藤原弘達の指摘は、池田大作の最高権力者への野望をものの見事に的中しているのである。


 ところが、この言論出版妨害問題の真最中に、日本共産党の谷口善太郎議員によって、国立戒壇の違憲性等に関する質問があった。
 これをうけて政府は国立戒壇の意義について創価学会に照会した。
 創価学会は、これに対する回答書で、この池田大作の記念講演を待つまでもなく、すでに正式に、国立戒壇を否定し、正本堂は民衆立としていたのであるから、その無節操な変容ぶりには驚きである。
「一、本門戒壇とは、本尊をまつり、、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
 二、既に信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行なわれており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
 三、一時、本門戒壇を〝国立戒壇〟と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である」


 こうして、日蓮の勅命、戸田の遺言であった事の戒壇=国立戒壇を、民衆立の正本堂へ、すりかえていたのである。
 純粋な仏法の方程式に依るのではなく、その方程式の時代によるアップデートを検討することもなく、その時々の都合に依る、己の権力欲や組織の事情などを根本としていたから、コロコロと理念や教義を言い換え、過去の言を覆さなければならない。
 こういうのを詭弁というのではないだろうか。

 日蓮の言うところの「広宣流布」の解釈を、この記念講演にて、「広宣流布とは決してゴールインを意味するものではない」などと言い換えたのは、まさしく創価学会が目的としてきた事の戒壇=国立戒壇を、まだ未完成の、民衆立の正本堂へ、すりかえるためだった。
 決して、日蓮仏法そのもののドグマを自ら再検討していたのではなかった。
「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌であります…中略…広宣流布とはまさしく〝妙法の大地に展開する大文化運動〟であると定義」と、自らの独善的なドグマの流布を「広宣流布」=「大文化運動」と定義したのは、前ページで指摘した如く、戦略的に自らを正当化したに過ぎず、それは、池田大作の策謀謝罪の前置きとしてしか意義のなかったものだったのである。
 だから、その2年後の正本堂落成時にも、正本堂建設のための供養を集める時から自分たちが主張し続けて来たその意味づけや教義を、歪曲せざるをえなかった。
 そして、これが、新たな紛争、板マンダラ事件の訴訟へと発展していくのである。
 まさしく日蓮の言う、「自界叛逆難」の一現象である。

 以上に挙げる如く、記念講演でのこの部分は、見事な詭弁という要素もあり、藤原弘達によって批判されていた当初の野望を、いみじくも挫かれた格好となった。
 かつてからの野望も、このときはついえたかに見えた。

「新・人間革命」では、この部分について、
「また、〝学会は建設中の正本堂を『国立戒壇』にしようと考え、政界進出を果たした目的もそこにある〟との誤解が、いまだに社会の一部にあることから、伸一は、この問題にも言及していった。
 そして、『本門の戒壇』は『国立戒壇』の必要など全くないこと、政界進出は戒壇建立のための手段では絶対にないこと――を改めて確認したのである」
 と、わずかに触れているだけである。

 P38へ、続きます。


☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点

P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流

P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会

P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二

P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と野心、「創価学会を斬る」の指摘

P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件

P31, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(1)、被害者ぶった描写、田中角栄氏を使った策謀

P32, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(2)、池田大作と竹入義勝が‶盗聴〟 日蓮仏法の悪用

P33, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党・渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作

P34, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(4) 山崎正友の進言で謝罪へ転換

P35, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(5)  戦略的で周到な捏造

P36, 言論出版妨害事件 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(1)、日本共産党への憎悪

P37,  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件