●52 時事懇談会資料の検討、謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2) | ラケットちゃんのつぶやき

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●52 時事懇談会資料の検討、謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2)

 このページは
☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」での、
P52, 時事懇談会資料の検討、謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2)
です。

 ページ末に目次(一部リンク付き)を掲載しております。

 


■学会独立と五二年路線

 創価学会の独立路線ともいわれた五二年路線をもう少し詳しく検討したい。
 当時側近であった創価学会教学部長の原島崇は以下のように指摘している。
 「話は変わりますが、昭和五二年暮れから五三にかけて、あの宗門に対する大攻勢はどこへやら、創価学会は守勢に立たされました。…中略…五二年一二月四日の日向定善寺において、先生が例によって言論問題のときと同じように〝大誠実〟を示して、日達上人の前でお詫びしたのです。
 それで一件落着かに見えました。しかし事態はそんな甘いものではなかったのです。例の創共協定方式のように、宗門と創価学会の間の和解の協定案のような五項目を、創価学会の幹部の間でつくっていたのです。まだ草案の段階でしたが、池田先生はそれを聞くと、直ちに秋谷副会長から取り寄せ、当時の総監、教学部長に手渡してしまったのです。この内容は、およそ、発想が、独立した宗教法人の意識が先行し、たがいに同等の立場で協定を結ぶというのですから、つまり、日蓮正宗と創価学会とを立て分けて、その間の和解を図っていくというものだったのですから、創価学会の宗教法人設立当初の日蓮正宗の信徒団体という精神に相反しています。いや、これは宗教法人であるかないか以前の問題です。
 これが新しい火ダネとなって、翌五三年一月一九日の抗議集会、さらには二月九日の教師等の集会があり、創価学会を日蓮正宗から切るべしとの強硬意見が宗門の大勢を占めたのです。
しかも、五二年度の路線は、動機はどうであれ客観的にみれば、創価学会が独立してもよいような状態にあったのです。
 たとえば、〝教師〟が学会で任命され、会館には山号がつけられ、さらに日蓮大聖人直結の牧口先生、戸田先生、池田先生と流れる師弟の血脈が語られ、かつ、それぞれの会館で、寺院で行うのと同じような儀式が営まれたのです。あるいは『慧光照無量』として、亡くなった人に先生みずから〝妙〟の一字を書かれ、これでこの人は成仏できるといわれ、さらに発展して、塔婆供養のかわりに、『慧光照無量』として各人が亡くなった人の名簿を提出し、広布基金をご供養として出すなど、さながら独立教団の様相を呈していました。
 したがって、一回の定善寺発言でのお詫びのあと、再び独立した法人同士の提携みたいなものをつきつけては、四七年以後、とくに四九年、五〇年、五一年、五二年と続く学会の宗門軽視、あるいは意図的な無視という一連の流れを考えると、逆に火に油をそそいだ形になったのも当然のことだったのです。
 ところが、創価学会は、その根底に常に自らを正しいとする体質があり、なかんずく、池田先生の絶対性、無謬性が貫かれていましたから、定善寺発言でも『私たちのわがまま』のご寛恕願い〟で終わっていたのです。」(原島崇著「池田先生への手紙」P167-168)


 この路線の真っ先に、創価学会執行部によって吊し上げにあった宗門の菅野憲通ら若手僧侶らが、後日編纂した「時事懇談会記録」には、以下のような指摘がある。

「かくして同年二月九日の時事懇談会が開催された。この会議で学会側の五原則案が反発をかったのは当然のこととして、宗務院案もまた創価学会の自主性を尊重するとか、学会を批判してはいけないとか、学会員はお寺に相談しにきても学会組織につくよう指導する、などという学会案の文句を多少変えた程度の内容であった。しかも、一見すると対等に見える協調案の文言も、よくみれば、信徒は学会で指導するから寺では学会員に指導するなというものであり、そのうえ寺院総代は学会幹部を送り込んで運営に関与してくる方式であるから、実質的には信徒団体が宗門を包囲して管理下におくという、いかにも本末転倒した内容である。そして長時間にわたる阿部教学部長のねばりにもかかわらず、この両案ともに僧俗全体の大変な反発をかい、最終的に会議の意見を集約した日達上人の裁断によって①学会案は突き返す。②宗務院案は撤回、③学会と手を切るか、また協調するためにはどうしたらよいかというアンケートを実施するという結論になった。
 また、この宗務院案が一顧だにされなかったことによって、いかに阿部教学部長の感覚が、宗内世論や日達上人のご意志ともかけはなれ、学会べったり姿勢であるかを示す格好の場になってしまった。…中略…山崎裁判の法廷において池田大作は『二月十日に私は当時の早瀬総監、当時の教学部長とお会いして、一体どういうことなんですかと、光亭さんで遅くまで懇談しました』(昭和五十八年十月三十一日)と証言している。
 阿部教学部長らは信濃町の本部前の料亭で池田と秘かに合い、深夜まで情報分析と対応策について検討していたのである…中略…本来宗門総意を代表して信徒団体の指導・監督にあたるべき宗務院中枢の役僧が内通し、こうした背信行為をするのであるから、もともと宗門の主体性や渉外などあったものではない…中略…

 かくして情報分析の結果、急変に驚いた池田大作は自ら打開策にでた。急きょ十二日と十四日に登山して日達上人にお目通りし、多額の御供養金(一説には予定されていた七百遠忌御供養三十億の一部、数億円の現金といわれる。但し、この時の御供養金は日達上人に受取りを拒否された)をさしだし、手をついて詫びるふりをした。そして、誤りは徹底して改めるとか、規則改正して会長を選挙制にする等の約束をしたため、日達上人も『学会を切る』ということは見合わせることにし、再び第二回目の時事懇談会となったものである。
 過去の歴史に『もし』という仮説は通用しないが、それでも『もし』この時、阿部師等の内通がなければ、その後の情勢は大きく変わっていただろうと思わざるを得ない」(「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」1990/2/16、P6-7)



 以上の流れの後、昭和53年2月22日、大石寺内の大化城にて、第二回時事懇談会が、細井日達の挨拶から始まったのである。詳細はコメント欄にあげた。


■第二回時事懇談会(時事懇談会資料の検討)


 細井日達の挨拶は、
「一往五ヶ条の事だけは向こうの方へ返したのであります。
そうすると学会の方で会長がいち早く宗門の動勢というものを察知して、それで十二日の午後…中略…会いまして種々話をしました。
…中略…どうか手を切るという様な事をしないでくれ、自分の今学会員が一千万人ある。この人達を正宗から手を切るという事は地獄へ堕す様なものであるから、どうかそういう事をしないでくれ…中略…その始めこっちで話をした一つは、学会と手を切る。第二はもし仲良くやるならば、どういう方法でやって行くかというアンケートをとるという事が多分ここで決まった…中略…第二回目にも、又どうかその、それ専門で、どうかその手を切るという様な事をしないでくれ、とそれをその案件も、どうしても皆が動揺するからやめてくれと、こう云ってきたので私は、あなたの信心は当然立派なもんだ。牧口さんは立派な信者だった。戸田さんも飲んだくれで困る様だけれども信心は強かった。あなたも信心があるでしょう。だからもし種々な教義の間違った事や或いは、お寺へ行っちゃいけないと、日蓮正宗では成仏しない様な事を云いふらしておるから、それを徹底してやめさせてくれれば宜しいです。どうか貴方の意志を下の方まで徹底してもらいたい。それならば手を切るということはやめます。しかしその最後のですね、どうしたならば仲良くやっていけるかとアンケートは取りますからと、…中略…
最後に、私の方では創価学会の会員は学会の会員であって、全員日蓮正宗の信徒であるという事を徹底してもらいたいという事を私は言いました。で、それからその時は、会長が前に一月に連絡会議で、今度の遠忌に寄付すると、何億かを寄付すると約束してあったから持ってきます。今日も少し持って来たと言ったから断った。…中略…今受け取るわけにはいかないと云って断った。そこでも、とにかく教義の間違った事はどこまでも正さなければならない。その時に学会の規則も改正して日蓮正宗の管長を、私を学会の名誉総裁にしたいという風に云って来ました。それはダメだと、そういう事はいけない事だと、若し正宗と話し合って行くならば、教義の面に、宗教法人法の教義の面に於いては、日蓮正宗の法主の指揮に従うとかなんとか、入れたらいいでしょう。それ以外にはダメだと、こうハッキリ云ったんです。そこでもとにかく日蓮正宗の信徒である事をハッキリ確認してもらいたいとこういう話で別れました。…中略…
講和を求めて来たことに対してムゲにけっとばす事はできない。…中略…ここはまァ一往退いて、そしてもう一遍手を握ってやって、それでまだ尚かつ、二、三年先へ行って、まずければ、又その時はその時の考えもあるんだ。…中略…私のたてまえとして今まで学会と仲良くやって来た、今後も仲良く手を握って広宣流布に向かって行くという事がよいけれども、それは建前としてはそうでありたい、しかし私の個人の心からいけば、それはどうしても、ちょっとまずい事があれば、いちいちケンカをしているよりも、いっそ別れて自分らで小さくてもいいから、昔みたいに小さくなってもいいからやっていくと、そういう心では思っている。しかしそれは大きな処から行けば、それじゃ通らないと、やっぱり出来るならば向うの非を指示して、そして正宗の教義を間違えない様に、しっかりやっていく事が最もいいんじゃないかとこう考えております。…中略…」(「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」1990/2/16、P66-68)」等と挨拶した。


 第一回時事懇談会における動向を、阿部教学部長らの内通により察知した池田大作が、トップの細井日達を寄付金や名誉職などで懐柔したことがわかる。
 この時、日達は筋と本音を通しつつも、頭を下げる(ふりをした)池田大作にもう一度池田大作にチャンスを与える決意をした。

 以下、今度は細井日達と若手僧侶との激しいやり取りが行われた。

「佐藤正英師 吊るし上げを絶対にやめさせるという確約はおとりになりましたか。
猊下 それはとってない。だから皆さん方で今回のアンケートの条件を出してくれりゃいいじゃないネ…」
「佐野知道師 私は…中略…何と云うか、その体質というものは変わらないんですね。ですからその組織というものをですね、完全に破壊しないと、これは宗門がやられると思うんですよ。僕はいままでの幹部というものを全部とにかく首にしてですね…中略…

猊下 こっちで首にするわけにはいかない。向こうの団体なんだから、だからそれはいいますよ、下の方はいいけれど、中間から上の人がどうしてもハッキリしないという事はね、…中略…事はハシカの様なもので、すぐ落ち着くだろう。学会と別れるという様な事をしないと、事は宗門が別れないでくれと学会に言って来たからだ、だから学会を信じていこう、とこういう風な宣伝をしているけども、これは今聞いたばっかりだ。これは今度は若し向こうと話し合い……これは明日会長に会うから、これをつきつけてこようと思う。これは書いた人の名前はいいませんから安心して下さい。とに角こういう事を云ってるから、これをおさめなけりゃならんという事も行って明日言いますよ。」

「菅野憲道師 四十九年度の謗法問題と、それから一連の正本堂の種々なゴタゴタがありまして、その後に会長は確か、これからは猊下の仰せを何でも云う事を聞いていきます、と云って和解したはずであります。それが三年たった現在、我々末寺にいて信者とよく接触しておりますが、よくその体質がわかります。けれども三年前よりはるかに学会の体質と云うものが日蓮正宗の信者としてのワクから逸脱しておるという現状になってきておるわけです。それで又あやまりに来たと、それで又だますという事になって、そして又気がついた時には又一層悪化して、気がついた時には手遅れになってしまうのではないかという事を我々は一番憂えておるわけです。学会の方でよく〝地獄の底までついていくのが弟子の道だ〟何ていう事を云っておりますけれども我々僧侶としては、地獄の底へ行ってからでは遅いという事を考えておるわけです。ですからその点一つお考え頂きたいと思います。

猊下 …中略…(前述をくりかえし)
だから一往ここでこっちも手を引いて、そのかわり、この次は二、三年たって、又変な教義の間違っておったらどんどん皆各寺でやってもらっていいんだ。それでもダメな時には今度はもう、それが最後と思ってもらえばいい。わしは覚悟してます。」


「佐々木秀明師 今迄の経過をみますと非常に十二日、十四日のお目通りで一往会長が今迄のいきさつを反省し謝ったという格好でありますが、最もこれも、いつもの常とう手段で私はどうもそれが本心とは考えられません。ともあれ、昨年一年のあの強気の創価路線と申しますか、何故この様に変更したのか、おおざっぱに分けて二つあると思います。一つはマスコミの影響、世間への気がね、もう一つは、それが一番大事ですけども、各末寺で道念に燃えた僧侶が日蓮正宗の本来の教義を訴え、それに依って目ざめた正信の信徒が各地方に多数出た為に、これ以上強気で押せば学会にとって大きなマイナスになる。これによってやむなく路線が変更された。これが現実だと思います。昨年一年間……前途ある青年僧侶が多勢の前でクソ坊主だとか、何とか云われて恥をかかされ、詫び状を書かされるという事は、全くもって許せない行為であります。これは一度やられれば必ずその屈辱というものは後世に残ると思います。今、会長が一往謝ったのだから許して仲良く協調してやっていこうと云う御法主の大慈大悲はもちろん身に体していかなければなりません。しかし日蓮正宗当局としては宗制宗規がございます。この一連の学会の問題は、二百二十九条の信者はこういう事はしてはいけないというものに完全に該当します。当局としてはもちろん処分をお考えと思いますが、もしももしも処分なし、謝ったからそれでいいと済ましてしまうと今後どんな事がおきても当事者能力がなくなり、全くもって宗制宗規と云うものがメチャクチャになってしまいます。妙信講は国立戒壇に固執し、御法主上人を誹謗し悩し(ママ)奉った。宗門を混乱した。こういうかどで解散処分を受けました。我々僧侶法華講、大多数の学会員もそれはそれで納得しました。今一連の学会の問題もなんらこの妙信講問題とはソン色のない重大問題です。ちょっと選別をしましても、途中の人師、論師は必要ない。改宗前の宗教は日蓮正宗。本門弘通の大導師は会長である、会長に帰命しよう。人間革命は現代の御書。創価仏法の原点は戸田先生の悟達。青年僧侶の詫び状事件まだまだ地方にはございますけども、どれ一つをとっても重大問題です。これを解決処分せずしてあやふやにすれば、日蓮正宗七百年の伝統にキズをつけ、近い将来必ず悔恨のもとに日蓮正宗の権威は失墜する事は理の明白であります。これをキッチリ解決した、その後で僧俗一致の協調の為の案を練るのが順当だと思います。今すぐ創価学会がなくなるというわけではないんです。ま、とにかくこのまま正信に目覚めた人達を放置しておけば必ず流血をみます。その確証は私は持っております。こういう事でございますので、どうぞ宜敷くお願い致します。(拍手)

猊下 いや、それは今秀明の云う事は、はっきりわかる。で、わかって今さっき云った通りに、これが最后(ママ)と思ってくれ…中略…
この際は一応一歩退いて、又前進する時もあるんだから、どうかそのつもりで皆がまんしてもらいたい。それは吊し上げられた連中も気の毒だよ。それがこの次若し、又教義の変な事を言って、相変わらず言っていれば、それは今度はやらなきゃならん。その時に各寺の檀徒名簿もキチッとして、いつやられても困らない、こっちもそのつもり、本山でもそのつもりでいるんだ。俺は本山の正本堂基金というものは三年前から積んでるよ。俺は、まだまだ一億…三億しかなってないけれども、それはもうもう少し出来たならば、どんな小さい寺でもケンカが始まったらそれを助ける事が出来るんだ。経済的にも。そのつもりで一つ皆ががまんしてもらいたいと思う。ほかにあるかい!

渡辺広済師 只今の猊下のお言葉によりまして、猊下のお心は良くわかったんですけれども、我々僧侶は辛棒(ママ)いたします。又ガマンもいたします。しかしながら、宗門を案じ、そして学会の教義の誤りに気がついて学会をぬけて、しかしお寺を守ろうといって立ち上がった信徒の人達が皆村八分の様に、商売をやっている人は学会員から何も買って貰えない。或いは何か気ちがい扱いまでされて、今戦っております。それを我々は猊下のお言葉ですから忍耐致しますけれども、その人達が受けているくやしさ、そして不当な弾圧、そういうものに対しまして、この際会長があやまったらあやまったと、間違っておったという事をテッテイして下の方まで教えていただいて、今、立ち上がっている人達は決して間違っていなかったんだという事を訴える手段をハッキリとこの際学会の方に示す様にお求めをいただきたいと思います。(拍手)

猊下 それも言ったんだ。その事もわしが、この間会長に言ったよ…中略…もう実際、本当に仲良くやってもらいたいと云う事は言っております。

萩原昭謙師 只今の渡辺広済師の意見と全く同意見でございますが、何らかの方法を以って末端までその誤りというものがテッテイする手法を講じなければ決して今回の事は解決がつかないと思います…中略…今は何としても末端までまず、その誤りがシントウさせる方法をとると言う事が絶対に必要であり(この文すべてママ)、そうしなければ純粋な信徒が必ず本山を離れてしまいますし、猊下、恐れ多い事ですが、猊下の尊厳というものも、そこに必ずキズつけられてしまうと思います。

猊下 だから今の君の云う事をアンケートに出しなさいと言っているんだよそしたらこっちも交渉できるんだよ。
…中略…(出す出さないで数回問答あり)」



「中島広達師 先程も猊下がお読みになった様に出来る事なら末端に知らせたくないと云う様な姿勢が今迄もありありとうかがわれるわけでございます。

猊下 だからそれを直そうとしているんだ。今迄それについて交渉したことがないから諸君のアンケートによって、とるべきものをとってそれをこっちから実際交渉します。宗務院において交渉してくれると、交渉すると、そういう約束をしているんだ、今。

浜田敏道師 今日まで向うの出版物で、あきらかに人間革命が御書であるとか、又は会長本仏であるというふうに向うの出版物にあきらかに出ておるわけでございます。これは向こうの末端まで行っております。故に、これを是正する為には向うの出版物に、あきらかにこれらの事は全て間違いであると云う事をハッキリ向うの出版物に出していただきたいと思います。そうすれば末端までハッキリといくんではないかないかと思いますが、その点についてはどうですか。

猊下 最近の聖教新聞で、しょっちゅうでているではないか。書いてあるじゃないか、そういう事は間違いであると云う事を。

浜田敏道師 それをですね、実は一人一人、実は北条理事長ですね、日蓮正宗はこうであるとか云う事を言っている人を、一人一人の名前を上げていただいて、そして、この人がこういう風に云った事は、実は誤りであるという事をしていただいた方が、やはり一番末端までハッキリすると思いますが。

猊下 とにかくね、向うでも大きい聖教新聞で御本尊とか血脈とかという事を最近一生ケンメイにのせてやっているんだから、それを見れば、そういう事を言ったらそれを見せてやればいいんだ。坊さんの方、諸君の末寺の方もある程度怠慢である。そういう事があったら、間違った事を言ったら、ここが違うじゃないかと云ってやってくれなければダメだ。」


 若手僧侶からは、中枢部で池田が誤った事等が末端まで届かない、むしろ建前上誤ったふりをしていることが指摘されているが、猊下には届かないようだ。



■教義、化儀の面について

「田村竜道師 関係する事ですけれども、もうすぐお彼岸ですが、具体的に学会の方としては法要を今迄どうり(ママ)に行なうのか、やめてゆくのか?

猊下 いいじゃないかそんなものは、お寺へ来たいという人は来いといえばいいんだよ、それは檀家にするんだから、よそのものを拝みたいという者は勝手に拝めばいいじゃないか、学会でどうしても拝みたいという人は学会へ行けばいいんだ。お寺に来て信心をしたい人は、お寺の檀徒として扱っていけばいいんだよ。だから檀徒名簿をつくりなさいと云うんだよ。」

と、檀徒を作るように促している。以下、コメント欄に続きを記す。


 また、次では再び猊下がやり込まれている。

「受道師 さき程御法主上人、学会の方でお寺へ来るものはお寺へ行って、そして学会の方へ行けばそれでいいじゃないかと申されました。法要等実際に今まで最初の一年間お彼岸とかお盆等は向こうでやっておりました。そうした事を一連の向こうの方の五ヶ条の要望の中に創価学会の宗教法人上の自立性を認めろという事がありまして、これは前回の時に一切それを白紙にながすという事で、返すという事で今回があるわけでございます。しかし乍ら十二日、十四日かと(中略)(ママ)学会の方で誕生会を法要を致しております。当然僧侶であるから行っているんだというのが向こうの云い分であろうと思いますけれども、日蓮正宗の信徒としての団体であるならば寺院でもって法要を行なっているんでありますから寺院に当然所属する処のご信徒であるならばそうしたまぎらわしい事を行なわずして寺院で共に行なっていこうというのが誠に改まったという風に考える事が出来るんであります。お寺で、そうした法要を、これからお彼岸、先程もありましたが、お彼岸に来るのも来たい人は来させろと、しかし学会の方でやるんだから、そうして学会の方へ行きたいものは行けばよろしいというお答えがございましたが、そうすると少々私わからなくなりまして宗門の方で、その五ヶ条の中の創価学会の宗教法人上の行事だとか儀式というものをお認めになっておられるのかどうか、そこの処をハッキリとお教えいただきたいと思います。

猊下 それはね、宗教法人も既に昭和二十六年か七年に認めちゃってるんだから、宗教法人………しょうがないじゃないか、だから、その時の約束は信者はこっちへつけろ、三宝を敬え、正法の教義に従え、こうなっている。そんなら法華講において、あっちこっちで誕生会や御会式をやっている。それはいけないというのか。…中略…お寺に行ったって、あの坊さんは説法うまくないから俺は、やめとこうという事じゃ仕様がないじゃないか、だから住職も、もっと腹を決めてしっかり指導しなさいというのネ。


受道師 わかりました。

昭謙師 誠に恐れ多い事でございますが、唯今の猊下のお言葉ですと、この前せっかく宗務院並びに学会側の五ヶ条というものを撤回したいという趣旨が全く、そこでなくなっちゃうような気がするんですけども、撤回したんですから、こうなったら向こうは向こうでやっているんだから仕方がないと、こっちはこっちで、そうやってつくっていくんだと、だったら自立性を認めちゃった事になっちゃいますが………

猊下 自立性たって向こうは宗教法人だから自立性でやっているんでないか、どういう人を任命しようと向こうは向こうでやっているじゃないか。だからお寺に信心をもって、お寺の信仰をやっていくという人はお寺で取り扱っていけばいいんです。…中略…

昭謙師 それから先程の早瀬支院長さんのお言葉と同じ意見でございますが、先程学会の方からどうこう言われるのは我々坊さんですから結構ですけれども、州内の坊さんの中で現実に我々が、こうしてやって来た事に対しても、どうせ猊下はコロコロ変っちゃうんだから変わり身だけは早くした方がいいぞという坊さんがあるんですから、現実に。

猊下 それは信用しない者は仕方がないじゃないか、早くやめてくれという人もある。

昭謙師 何にしましても、宗門というものは一本になってやって行かなければどうにもならないのが宗門ですから………

猊下 そういったってね、どこかにキズがあるよ、俺やめてくれったってやめねエよ。まだ(拍手)リコールやるとか何とかいう評判がたったそうだけど宗制じゃリコールはないから安心しているんだ。

開道師 今迄問題になっている人間革命が御書といったり、会長が本仏といったり、本門弘通の大導師が池田会長だといったり、そういう風な事をこれから協調してやっていく場合ですね、

猊下 協調する?

開道師 これから一緒に仲良くやっていく場合、

猊下 あアそうか

開道師 それを向こうが謝って来たからといって、うやむやにしないで何らかの機関をもって一般の信者さんに訴えていく方法をとっていただきたいと思います。

猊下 それは結構だ。それで新聞でも出てるよ、既に、御本仏は御本尊様、大聖人様であるという事を出しているじゃない、ずっと前に」



 こういうやり取りやこれまでの経緯から疑問に思うことは、聖教新聞や大白蓮華に載っている事がすべて本音ではないことを日達は本当にわきまえていたのだろうか。十分分っていなかったのかもしれない。




「菅野憲通師 問題としては、日蓮正宗の僧侶という自覚のもとに日蓮正宗の教義を説いて日蓮正宗の信徒を作ってゆくわけです。そうするとそこに種々なトラブルが起きて来る。そうすると向こうの言い分とすれば、必ずそれは上の方で猊下と会長が仲直りしたと僧俗一致だという建て前で持って来て、だからそういう事を云う坊主は勝手にさわいでる、つまりは師敵対だという事になりかねないわけです。ですから仲良くするという事を前提とするんじゃなくてですね、日蓮正宗の教義を説いていくと、それについて学会がついてくるならついてこいと、始めから仲良くしてそれからその次はというんじゃなくてですね、日蓮正宗の教義を説いていくと、あくまでもそれを守っていくと、それについて来るものはついて来る。ついて来なければついて来ないという方に、はっきりしていただかないと まず仲良くするんだ、まず僧俗一致だという事で行かれると非常に何か我々のやってる事は師敵対の様にとられるという事をよくお考えになっていただきたいと思います。

猊下 はい、わかった。とにかくね、こっちから正宗の教義を説いて、影でそういう事があればどんどんこっちへ教えてくれと言っている。本人も注意して学会も注意するからね、とにかく正しい事、教義を云っていなかった、また違った事を言えば、どんどんこっちへ云ってこい、そういう風に説いたら、こういう事を云って来なければ本人に注意するし、また学会にも今後注意していくから、そういう意味なんだ。」


 以上のやり取り一つとっても、猊下と若手僧侶との危機感のすれ違いが見える。
 また、学会の本音は建前を繕っても変らなかったし変って行かないという指摘も既にあった。

「丸岡文乗師 御法主上人と会長とのトップにおきまして話し合いがついたと、そして今、冒頭に御法主上人より内容につきましてくわしく御説明いただきましたところより判断しますれば、会長が全面的に謝罪したというわけでございますね。

猊下 そういう事はこっちも云えないね。

丸岡文乗師 しかし、一応これまでの非というものをほぼ認めて、これからあらためますということでございますね。

猊下 そう、それは確かに。

丸岡文乗師 そうしますると、我々がこれまで辛酸をなめまして展開してきた運動、これはやはり正論であったという風に御認めいただけるかと思うんですけれども、もちろん猊下その様にお考え下さって…………

猊下 はいい、いいよ。正しい。

丸岡師 よくわかっております。ありがたいと存じております。にもかかわりませず、この三、四日前からどうも全国的に統一して、学会で幹部にこういう風に云えという風に流されている情報が入っております。
それによりますと、我々の運動、これは若い者が……

猊下 だけど一般に各寺へ向こうの県長かなんかが、なんか本かなんか持って仲良くしようといったんじゃないか、たいてい行ってないでしょう。受けたのか!もらったのか!もって来ても断わった人があるんだからいいじゃないか。

丸岡師 そういう所を見ましても、学会はあくまでも『うらみ骨髄』という風にしか見ておらんと、

猊下 だからそれは、もって来てもちゃんと断ったとこもあるんだ。君らみたいにまだいじめられない所でもちゃんと断っている。

丸岡師 だから僧侶間の分断作戦、離反作戦を計ろうとしているんじゃないかと考えられるわけです。どうかここに居る方は、そういう所をキ然とした態度を示していただきたいと存じます。

佐野師 先程の補足なんですけれども、日蓮正宗の教義ですね、これはとにかく………なおしてもらいたいと思いますね………、聖教新聞とか大白蓮華だけでなく日本全国の新聞に、とにかくこういう広告を出して、たとえばですね、創価仏法とかですね、創価教団とか日蓮正宗から…………一生懸命聖教新聞見ているんですけれども、案外学会の人は見ていないんです………、しかしまた、20日から21日の新聞を見るとですね、ちょっとひらきなおった様な感じがある。
? あります。それがあります。向こうの決勝点は決まってるんだから、ホイットマンだ。」

 これに対し猊下が、
「だから今度やったらもう最後だと、こっちは決心しているんだよ。」
 とうけたが、佐野師が、
「この辺で最後にしていただけないと」
 と、今回で学会を切るべしと訴えている。

 また、分乗師が「先程私が申しました様に謝った様な形を見せながら、尚且つここ二、三日のいろんな幹部に口コミで同じ統一指導とおぼしきものを流しておる。或いは叉佐野知道師が指摘しました様に、この処又ひらきなおった様な風潮が出ておるという事、この一つをとりましても学会が本当にこれであやまっているのであるかという気がどうしても、その危惧というものを払拭することが出来ないのであります。そして何度も何度もそれをくり返しますと一般のご信者さんに、このいきさつを全部話すわけにもまいりませんので、そうしますと表面だけとりまして、それは結局宗門が悪いんじゃないかという風な識者の判断、浅い判断というものにもなりますので、その辺を私は非常に恐れるんです」
「私の………意識は今度が千載一隅の最後のチャンスじゃないだろうか……」


 と訴えても、猊下は「それはもう一つ最後までがまんしなければ………。最後までいってからいよいよやる、だからもう少しがまんしてくれ。」
の一点張りだった。

 菅野憲通師は「ただ仲良くやっていくとかですね、僧俗一致という事を表に出すだけでは、これは絶対解決しないみたいです。というのは、日蓮正宗の教義を守ると、日蓮正宗を守るんだという処で、やっておるわけですから、ただ表面上だけの創価学会と仲良くするにはどうするかという風な事を若し打ち出した場合に、今迄一生懸命やってきた信者は、それを聞いて怒って、それこそ流血の惨事にもなりかねないという事まで起こるんじゃないかと予想しているわけなんです。弾圧にたえてやって来た人は若しここで表面上だけ創価学会と仲良くやって行くんだという風に出された場合には、それを単に………宗門は妥協したという風に見られて、異常な怒りを買いかねないです。ですからそれは、それを表に出すんじゃなくて日蓮正宗を守るんだという線で意見を徴集していただきたいと思います。唯、単に創価学会と仲良くするのはどうしたらいいかじゃなくて日蓮正宗を守るにはどうしたらいいかという線で、して頂きたいと思います。又猊下の心もそこにあると私は拝しております」
 と、くぎを刺した。

 ここでも猊下は、「日蓮正宗外護…信徒を折伏したらお寺につける…三宝を敬うと、この三条件は一番先に約束してるわけ」と建前で弁護したが、分乗師が、
「唯今の日蓮正宗を外護するという事につきまして、あくまでも学会というものは総本山を守る、御法主上人を守るという建前でございまして、末寺の段階になりますと少し強言を述べて諫める者、諫言、善意の諫言をする者でもそれは学会にうらみを含むものとして徹底的にいじめ抜くという事が現実にあるんですけれども、その辺も十分にお考え下さらない事には末寺の住職達は納得出来ないんでございます」
と反論した。



■厳しいアンケート結果

 資料として詳細をコメント欄に記した。
 学会への厳しい意見がほとんどを占めている。
 宗教法人の解散,223(以下数字は同意見数)、包括関係の設定,63、三原則の遵守,168、幹部等の辞任勧告、宗制宗規及び寺院規則に従う、教学上の誤りの是正並びに指導の徹底,131、学会教学の正誤表を作る、これらにも、猊下と会長の覚書を交わし聖教新聞に掲載して一般信徒に知らせる,7、異流義を唱えた者は幹部に登用しない、人間革命の廃刊,2、選挙活動の強要廃止,20、吊し上げの廃止及び収拾,73、協調後の指導徹底,26や、法人規則の公表、収支決算の公表、出版物の検閲など、こうした取り決めを行ってもいかに学会が信用されていなかったかがうかがわれる内容となっている。



■その後

「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」に指摘されたその後の経過を見ておく。
「この集計記録をみると、昭和五十三年三月頃には、すでに宗門人が等しく池田大作の横暴を憂い、学会に厳しい態度をもって臨んでいたことは明瞭であって、学会を擁護するものは皆無に近かったのである。そしてその結果は、最終的に、三月十四日の教師指導会において≪付録二≫の『協調案』として合意されたのであるが、この協調案も、日の目をみないままにおわった。
 ところで、阿部教学部長はこうしたアンケートや課題論文、その他を通じて役職上知り得た宗門僧侶一人ひとりの思想的傾向の情報をどのように利用したのであろうか、興味の涌くところでもある。それが意図的であるか、否かはともかく、情報の一部が学会に提供されていた事ははっきりしている。たとえば昭和五十二年八月の連絡会議の席上、
『秋谷 こちらに入っていること、総監さん、阿部さんらで、あいつの事ではないかと思いあたるふしはあるか。
 阿部 直接ではないが、或る程度の見当というか、いろいろの雰囲気からいって、大分前に五人程宗務院へ来た者がある。九州、佐々木秀明、児玉大光、丸岡文乗……。
(中略)
 阿部 山口は二ケ月前に電話よこして、佐々木が教学部長と話したいと言っている、といってきた。それ切りになってしまっている。
(中略)
 阿部 『和党』大宣寺、一寸変なこと書いたのがいる、宗務院へ呼んで話した。宗内の運営や宗制宗規など何も知らない。宗務院批判、話し合って解った。』(宗務院・学会記録文書九十六頁)
このように、学会本部に行っては、宗内の情勢を報告していたのであるから、今でも宗政を司る立場で得た情報をフルに利用し、学会の助けを借りて宗門の言論、思想統制を行なっていることであろう。
 ところでこの会合以降、阿部師は全く宗門僧侶から支持を失い、次第に孤立していく。池田大作も、阿部教学部長を使っても全く事態の打開ができないので、日達上人の側近であった光久師、菅野師等に直接接近し、あるいは山崎弁護士を介して青年部幹部と活動家僧侶との交渉にあたらせるなど、別のパイプをつなげたため、宗務院・学会連絡会議はほとんど開かれることもなくなっていった。その後、池田大作は不誠実な対応をもって、『六・三〇 教義訂正』『十一・七お詫び登山』と何度も謝罪と修正のポーズをとることになるが、こうして激動していく情勢の中で、阿部は次第にカヤの外に追いやられ、次期法主昇進コースからはずれかかってしまった。
 『六・三〇 教義訂正』は、日達上人の指示により宗務院・内事部の若手を中心に学会の教義逸脱点を質問状の形にして学会側の回答を求めたものだが、この回答について六月二十九日、大講堂において全国教師指導会が開催され、処置について宗内の了解をもとめられた。その際にも、日達上人は、
『ある寺院では学会が嫌だからといって相談にきたのに、まだ学会に付いていろ、と追返す人があったということを、よそから聞きました。それでは困る。それでは本当に正宗としての慈悲に欠けると思うのであります。来たならば理由を聞いて、学会は嫌だけれども信心は続けていきたいという人ならば、お寺の檀徒としてどこまでも守っていく、それが本当の慈悲ではないかと思う』と指導され、阿部教学部長らが学会員が疑問をもって相談にきたら相手にしないで組織につけろといってきたことを批判し、再々活動家僧侶によるの檀徒活動を公然と支持されたのである。
 またこの教師指導会終了後、阿部師が即刻この会合の結果を学会に連絡したことを聞き、日達上人は激怒、内事部において大勢の僧侶を前にして、
『こちらから通報するなんて阿部はとんでもない、学会にべったりでどうしようもないヤツだ。向こうが聞いてくるまでほおっておけばいいんだ』と声を荒げられた。思うに、なんとか学会とのパイプ役としての立場を失いたくないという焦りが、阿部師をこうした破廉恥な行為に駆り立てたのであろう。
 こうした事実は、学会側の阿部教学部長の評価によっても裏づけされよう。
『弁護士 阿部さんが教学部長時代、宗門との五十二年以降の経過の中で、学会に対して、どういう姿勢をとっておられたんでしょうか。
 秋谷 それまで総監にしても、阿部教学部長にしても、今日までの発展の経過をよくご存知ですから、学会の活動に対しては、よく理解してくださっておったということです。』(昭和五十七年六月十一日)
という法廷での証言や、池田大作の証言においても、阿部教学部長から教学上の誤りなどについて指摘を受けたことはほとんどないとしている。
 創価学会の五十二年路線が誤りであったことについて、教学部長だったこの人物には恥とか責任感というものはないのだろうか。池田大作一人に気兼ねして、数百万の会員が間違った信仰にひきずられていくのを放置し、善導しようという気持ちがないのであろうか。」(「時事懇談会記録――宗門覚醒のいぶき」)


■暴露された醜態

 次に、この昭和53年の流れにおける経過を、再び原島崇の指摘で見ておく。
『〝6・30〟も〝11・7〟も不満中の大不満』
 昭和五三年二月、静岡研修道場で、池田先生を前にして何人かで寺院名簿をつくり、いい僧侶、悪い僧侶の点検が行われていました。つまり、池田先生や学会を批判する僧侶は悪い僧侶、批判しない、もしくは池田先生や創価学会に好意を寄せる僧侶がいい僧侶なのでした。そして、そのあと徹底して〝いい僧侶〟には本や品物を届けたのです。こうした裏工作、差別策が、かえって若手僧侶をさらに決起させる因となり事態は悪化するばかりとなったのです。
 その年の六月三〇日付『聖教新聞』に、『教学上の基本問題について』が掲載されましたが(有名な『6・30』)、その三日前から、急遽、一番目立たない頁として四面に掲載することとして、しかも、それを三回ぐらい教学のページとされたのは、ほかならぬ先生であり、先生から指示を受けて私がやったのです。
 その後、山本伸一作詞、作曲の歌で、会員の目先を変えたのは、先生が『6・30』じたいを不満とされた証拠です。先生ご自身がご不満であれば、会内に徹底されないのが当然ではないでしょうか。先生は〝会員のため〟と口ぐせのようにいわれますが、そうした公約に反するようなことをするために、かえって会員を苦しめる結果になるのです。
 昭和五三年の一一月七日のお詫び登山といわれた本山での創価学会創立四八周年記念幹部会(いわゆる『11・7』)もまた、いまにしてみれば一つのゼスチュアであり、ポーズであったことが明瞭です。
 池田先生は、昭和五四年の三月に、ある会議の席上『〝6・30〟も〝11・7〟も不満の中の大不満と、正友(山崎正友元創価学会顧問弁護士)に言ってやったんだ』と言われました。それに関して、私が、本年(昭和五五年)二月二六日に質問いたしましたところ、『私が猊下(日達上人)に関与していなかったからだ』と答えられました。しかし、先生の命を受けた人は先生の代理者であり、全権大使です。その人が、猊下(日達上人)に原稿をお見せ申し上げた以上、先生が関与していなかったといえません。
 また『11・7』については、先生の原稿をはじめ登壇者の原稿を最終的に猊下に直接お目にかけたのは池田先生です。『6・30』についても、その数日前に行われた師範会議の記事では『会長(先生=筆者註)を中心に真剣に討議した』とありますが、どうして『不満の中の大不満』なのでしょうか。
 ともかく、そういう心情をぶちまけたころの昭和五四年の二月、三月、先生には一種の強気がありました。しかし、一連の傾向をみますと、先生の強気は、やはり、逆に失敗が多いようです。すべて、何かやると、これで終わった終わったとばかり強気になられるから、結局、建て前と本音とのギャップに不信感がつのっていくのです」(池田先生への手紙、P172-173)


 以上の資料を、総合的に検討すると、宗門側では、全体的に価値的な討議が真剣になされていたものの、学会側は、池田大作の鼻息一つに振り回された、誠意や統一性の欠ける態度に終始していたといえる。この傾向が、独立後の創価学会でもしっかりと継承されていることをここにおいて示しておきたい。
 池田大作を頂点とする創価学会の独立は、池田大作の会長就任から傾向が芽吹いてはいたが、主には昭和52年ごろから明確になり、創価三代会長を日蓮仏法の血脈と位置づけ、権威づけし、純真な思いで加わって来た日蓮正宗創価学会会員を、マインドコントロールしながら、様々な軋轢と共に巻き込みこみ抱き込んでいった。 やがて会長退任の後、わずか3か月で急死した日達の後に、策を弄して法主に就任した阿部教学部長(第67世阿部日顕)によって、皮肉にも逆に日蓮正宗を破門されることになり、明確に独立した宗教となっていった。
 振り返ってみれば、昭和52年から2年間のこの争いは、その後の宗門や創価学会の行く末を明確に示していたとも考えられるのである。
 その状態は、日寬アニミズムから一歩も脱却できずにいる宗門はともあれ、創価学会においては、日蓮の御書を根本とすると謳いながら、当初から法を根本とする(「依法不依人」法に依って、人に依らざれ…の)日蓮仏法からはかけ離れていた状態で、また、現在では創価三代を永遠の師匠と仰ぎ、池田大作を事実上の生き仏としてすえ、仏法の血脈や師弟不二も創価三代に流れていると会内外に吹き込んでいる。これらは事実上、依法不依人の原則のもとに法の血脈を説く日蓮仏法とは正反対の、創価三代なかんづく池田大作への「依人不依法」(人に依って法に依らざれ)を原則とした、池田大作アニミズム(いわゆる池田教)とみなすことが出来るであろう。

 今年は参議院選挙が予定されている。
 公明党の立候補者の認定は人物本位となっていて、立党の精神に基づいた政策本位…とはなっていない。
池田大作を創立者とする公明党の公認候補者は、こうして創価学会・池田大作にとっての人物本位を基準として繰り返されて来たといえるようだが、政策は一貫性がなく、コロコロ変わるコウモリのようだと揶揄されて来た根源も、つまるところ「依人不依法」のアニミズムが根本となっている証左であろう。

 

 

P53へ、続きます。
 

☆論文「仏法における血脈と師弟―釈迦,日蓮,日興門流~創価学会」

目次(一部リンク付き)

P1, プロローグ
P2, 釈迦在世の師弟不二、法華経に説かれる久遠実成の釈尊
P3, 日蓮の生涯とその教え、日蓮の、在世の師
P4, 日蓮の仏法上の師, 「依人不依法」の日蓮本仏論, 「依法不依人」の日蓮仏法,日蓮の本尊観
P5, 本尊は「法」、生命の形而上学的考察 日蓮の目指す成仏 究極の目的「成仏」
P6, 相対的な師弟不二, 罰論等の限界,死後の生命についての欺瞞, 即身成仏の実態,真の血脈,即身成仏の実態
P7, 日興の師弟不二、日興は日蓮本仏論ではなかった,日興の身延入山時期,「原殿御返事」の検討
P8, 日目の天奏途中遷化、日道・日郷の血脈相承争い、日尊の釈迦立像、日有の原点回帰
P9, 室町~江戸、天文法華の乱~受不受論争~仏教国教化、左京日教の影響と本因妙抄の考察、要法寺日辰の造像義と人本尊法本尊一体論
P10, 要法寺との通用、日精時代の造像と法主信仰、国家権力に屈して日蓮本仏論へ
P11, 時代に迎合した日寬のアニミズム、人間日蓮を人本尊、板マンダラに霊力、日蓮教学の流れ
P12, 師敵対の日寬アニミズム、日蓮の教えの一哲学的展開、日蓮遺文の曲解例
P13, 寛政度の法難、京都15山の権力取り入りズムと、大石寺の裏切リズム
P14, 明治時代以降の大石寺と創価教育学会の戦争観などについて
P15, 神札問題、戸田城聖の小説「人間革命」、創価教育学会弾圧と「通牒」、逃げ切り捨ての大石寺
P16, 終戦前後の因果応報、独善的アニミズムが引き起こす修羅道
P17, 牧口常三郎の師弟不二、創価学会の源流、価値論と結びつけた呪術的信仰
P18, 戸田城聖の師弟不二、隠蔽された不都合な内容、大倉商事の実態、通牒や戸田城聖著の小説「人間革命」、日蓮遺文の曲解利用
P19, 戸田城聖の「生命論」と「科学と宗教」の検討
P20, 池田大作「宇宙のリズム」アニミズム
P21, 暴力否定の日蓮、暴力隠蔽の創価
P22, 狸祭り事件、戸田城聖「師弟不二」仇討ちズムの原点

P23, 戸田城聖、東大・小口偉一氏の人間味のある分析
P24, 戸田城聖の政界進出、創価学会の発展の背景と要因、大阪事件、日蓮の国家諫暁の姿勢
P25, 池田大作エレベーター相承の真相 池田大作ウソ偽りズムの源流

P26, 創価の「師弟不二」の原点、御塔川僧侶リンチ事件、『追撃の手をゆるめるな』の検討
P27, 創価の自己増殖手段「折伏」と、日蓮の説く真の「折伏」、会長争奪戦と創価学会

P28, 師敵対の財務、本来の御供養の精神、仏法悪用の師弟不二

P29, 言論出版妨害事件、池田大作の神格化と野心、「創価学会を斬る」の指摘

P30, 北条浩の恫喝「象は一匹の蟻でも全力をもって踏みつぶす」、創価学会の言論出版妨害事件

P31, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(1)、被害者ぶった描写、田中角栄氏を使った策謀

P32, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(2)、池田大作と竹入義勝が‶盗聴〟 日蓮仏法の悪用

P33, 言論出版妨害事件、「新・人間革命」の検証(3)、公明党・渡部一郎国対委員長演説、逃げた池田大作

P34, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(4) 山崎正友の進言で謝罪へ転換

P35, 言論出版妨害事件 「新・人間革命」の検証(5)  戦略的で周到な捏造

P36, 言論出版妨害事件 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(1)、日本共産党への憎悪

P37,  国立戒壇の否定 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(2)、言論出版妨害事件

P38,  野望「天下取り」の躓き 池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説の検討(3)、言論出版妨害事件

P39,  更新すべき「立正安国」原理、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(4)、言論出版妨害事件

P40,  創価学会の体質、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(5)、言論出版妨害事件

P41,  人間たらしめる究極条件、池田大作の祝典だきあわせ謝罪演説(6)、言論出版妨害事件

P42, 「師弟不二」という、池田大作への絶対的奉仕感情、王仏冥合から反戦平和へ転換

P43, 御供養精神から乖離した醜い争い、戒壇論が崩壊した正本堂意義、板マンダラ事件

P44, 池田本仏、仇討ちズムの総体革命、教義逸脱

P45, 増上慢な本仏、誤った「仏教史観を語る」、寺院不要論
P46, 昭和51年前後のマッチポンプ山崎正友や、御本仏池田大作の回りの微妙な関係

P47, 浜田論文や富士宮問題での様々な謀略

P48, 池田本仏の背景と構成要素、第66世細井日達の教義歪曲(1)

P49, 第66世細井日達の教義歪曲(2)、暗躍する山崎正友、内通する阿部信雄(後の阿部日顕)

P50, 池田大作創価学会VS細井日達と宗門若手僧侶、山崎正友原作「ある信者からの手紙」

P51, 創価学会の建前と本音の乖離、創価学会は『お客様』(阿部信雄)、揺らぐ細井日達(1)

P52, 時事懇談会資料の検討、謝罪演出と約束破棄、揺らぐ細井日達(2)