今日の史料は長いので、前回に引き続き前置き無しで。
アジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の7画像目。
京城領事の内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第26号』より。
長いので、分割しながら。

対韓政策に関し意見上申の件

我帝国政府が、当朝鮮国に対する御政畧上の件に関し、小官に於て喋々意見を上申するは聊か職務外に亘る哉の嫌も御座候得共、其方針の如何は当国に於ける我帝国の勢力と帝国商民の利害に至大の関係を及ぼすものに有之、而して今や実に危機一発の間に差迫り居るものと相考候に付、僭越を顧みず茲に卑見を開陳して閣下の御参考を煩し度と存候。
抑も、今回海陸の軍隊を当国へ向け御派遣相成りたる目的は、唯だ東学党の民乱に付き当国に於ける帝国公使館、領事館を衛護し、帝国臣民の安全を保護するにありて、決して他意無之旨本月11日付機密送第13号を以て御通知に相成候処、我公使館領事館并に居留帝国臣民にして危害を受くるの虞あるに当りては、相当の方法により之を保護せらる可きこと勿論には候得共、折角如此大兵を御派遣相成候以上は、何卒更に一層有益なる目的に之を御使用相成度ものと存候。
而して、更に一層有益なる目的とは他なし当朝鮮国を以て我日本帝国の保護国となすことに御座候。
京城領事がこういう意見書を出すのは職務外かもしれないけど、日本のこれからの方針は朝鮮における日本の勢力と、日本の商民の利害に非常に大きな影響を及ぼし、また今の情勢は一触即発の状態だと考えて、僭越を顧みずに上申する。

今回の日本の出兵は、東学党の乱に対して公使館や領事館の護衛と日本人居留民保護が目的で、決して他意が無いという事は昨年の3月7日のエントリーで取り上げた、大鳥公使を除く総ての在外公使、在外領事に送られた電報で通知された、と。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/3 明治27年6月7日から明治27年6月15日(レファレンスコード:B03030204900)』の25画像目を見ると、各公使・領事によって番号が違い、「京」は確かに「機密送第13号」となってますね。

で、日本公使館や領事館や日本人居留民に危険が及びそうであれば、相当の方法で保護すべきであるのは勿論だけど、折角このような大兵を送ったのだから、更に一層有益な目的に使用したい。
それは何かと言えば、他でもない朝鮮を日本の保護国にすることだ、と。

結局、前回の大鳥も今回の内田も、その他これまで当ブログで取り上げて来た諸氏も、中身が分かれば皆「このまんまじゃ駄目だ、この国」と思うわけで。
一方で独立国として条約を結んでるわけで、そのジレンマと闘うわけですよ。
まぁ、駄目じゃなかったら東学党の乱も起きないか、起きてもすぐ鎮圧できるわけですが。(笑)

従来我帝国政府は、当朝鮮国を以て一の独立国と公認せる而已ならず、欧米列国をして其独立国たるを公認せしめたるにも拘はらず、清国政府に於ては陰に之を属邦と見做し、近年に至りては当国政府をして頻りに属邦たるの実を挙ぐるの政策を執り、着々其歩を進め、今や朝鮮国が清国に対し藩属国たるの姿を呈せるは、単に当国国王が清国皇帝に対する虚礼の上に止まらず、当地に於ける清国駐在官は当国政府の内治外交に干渉し、当国政府も亦謹んで其命を聴き敢て之に逆ふことなく、宛も属邦政府監督の為め本国政府より派遣せられたるが如き状を呈し、当国税関官吏も亦清国政府に於て雇聘せる外国人を以て之に充て、且つ清国人と朝鮮人との間に起りたる訴訟事件は、朝鮮人被告たる場合と雖も清国の法衙に於て之が裁判を行ひ、其他朝鮮国と清国との間に締結せる諸条約書中にも亦、朝鮮は清国の属邦たるが如き文句を記載致居候次第にして、今回清国政府が当国政府の請に応じ、東学党民乱鎮圧の為め数多の兵員を派遣したるも亦、朝鮮を以て其属邦とするの実を挙ぐる政策に外ならざるものと存候。
これまで日本は朝鮮を独立国として公認しただけでなく、欧米列国にも独立国である事を公認させた。
まぁ、日本が独立国としての能力も意思も欠落した国を、独立国とみなしたのがそもそもの原因だと思うんですが。(笑)

一方で1882年(明治15年)の「中國朝鮮商民水陸貿易章程」などで最初から属邦扱いしていた清国ですが、最近では朝鮮政府に対して頻りに属邦としての実効を挙げるための政策をとり、着々とその歩を進めて、今や朝鮮国は清国に対する藩属国な姿を呈している。
これは、単に朝貢等の虚礼上だけの話でなく、実際に内政や外交にも干渉しており、朝鮮側はそれを謹んで聴いているような有様であり、朝鮮駐在の清国官吏はまるで属邦政府監督のために本国から派遣されたかのような状態、と。
この「清国駐在官」ってのは、主に袁世凱なんでしょうねぇ。

で、朝鮮の税関官吏にも清国政府が雇った外国人を充てる。
これは、メルレンドルフ(P.G.Mellendorff:モルレンドルフ、モーレンドルフ)が筆頭って事になるのかな?

且つ、朝鮮人と清国人の間で起きた訴訟事件は、朝鮮人が被告の場合でも清国の裁判所で裁判し、先ほども述べた1882年(明治15年)の「中國朝鮮商民水陸貿易章程」などでも朝鮮は清国の属邦だという文言を記載している次第で、今回清国政府が朝鮮政府の要請に応じて東学党の乱の鎮圧のために出兵したのも、朝鮮を属邦にする実効を挙げる政策に外ならないと考える、と。

属国旗

だから属国旗。( ´H`)y-~~

扨て、我国を始め欧米諸国が独立国と公認したる朝鮮国が、今日の如く甘じて清国政府より属邦視せらるるに至りたる所以のものは、畢竟現政府の当路者たる閔族の所為にして、該族は曽て明治15年及明治17年の変乱に際しても、清国政府の力によりて其政権を恢復し、其後今日に至る迄自家の政権を維持する為め常に清国政府の力を利用したるを以て、清国政府の威令は自から閔族、即ち当国政府の上に行はれ、朝鮮国は終に清国に対し属邦たるの実を現はすに至りたる次第に御座候。
ってことで、日本を始め欧米諸国が独立国と公認した朝鮮が、現在のように甘んじて清国政府から属邦視されるに至った理由は、結局現政府の当事者である閔族の仕業であり、閔族は明治15年の壬午事変や明治17年の甲申事変の際も、清国政府の力によって政権を回復し、その後現在まで自分たちの政権を維持するために常に清国政府の力を利用してきたため、清国からの命令は閔族すなわち朝鮮政府に出され、朝鮮は遂に清国の属邦の実を表すに至ってしまった、と。
つうか、要約になってねぇな・・・。
(;´H`)y-~~

然るに、従来帝国政府が朝鮮国を以て独立国と公認するの政略を執られたるは、必竟他国の干渉侵畧を防ぎ之を開明富強の域に■き、一は以て我国の藩屏を築き、一は以て我国との貿易を盛んにせらるる御主意に外ならざる儀と存候処、已往十数年来帝国政府の政策は前述の如く清国政府の為めに蹂躪せられ、該政府は我国が対等国として交際する朝鮮国をして其属邦たるの実を挙げしめ、我国が開明富強の域に導かんとしたる朝鮮国をして益々退歩衰弱せしめ、以て我国威を辱かしめ、以て我藩屏を破壊し、以て我商民の利益を害したること実に少々に御座なく候。
然り而して、帝国政府の政策が如此清国政府の為め蹂躪せらるるに至りたる所以のものは、従来帝国政府は独立国の名義を重んじ、敢て其国政に干与すること無之而已ならず、清国政府の干渉をも制止することなく、徒に之を放任したるの過失より起りたるものと断定致候。
従来日本が朝鮮を独立国と公認する政略を執ったのは、結局他国の干渉・侵略を防ぎ、朝鮮を開明・富強の域に導いて、一つには日本の防壁とし、一つには日本との貿易を盛んにしようという主意に外ならないと思う。

しかし、それから10数年来、日本の政策は清国のために蹂躙され、清国政府は日本が対等国として国交している朝鮮を、属邦とし、日本が開明・富強に導こうとした朝鮮を益々退歩・衰弱させ、それによって日本の国威を辱め、日本の防壁を破壊し、日本商民の利害を害した事は多々あった。

で、日本の政策がそのように清国によって蹂躙された理由は、これまで日本は独立国の名義を重んじて、敢えて朝鮮の国政に関与しなかっただけでなく、清国の干渉も制止せず、無駄に朝鮮を放任した過失から起きたものだ、と。

いや、独立国として取り扱って来たことが「過失」だとか言われても。(笑)
まぁ、私も日本が独立国としての能力も意思も欠落した国を独立国とみなしたのがそもそもの原因だとは思うんですが。
キャッチャーが伴宙太じゃないのに、剛速球投げちゃ駄目。(笑)


途中ですが、長くなりましたので今日はここまで。



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