ガダルカナル戦書籍一覧
*********************************************************************
ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
今を遡ると八十年前、昭和十七年八月七日早朝
米軍はガダルカナル島と対岸のツラギ・ガフツ・タンボコの各島へ上陸作戦を決行致しました。
流行り病さえなければ、今頃は現地で慰霊行事に参列させていただいているところなので残念な事であります。
折角の節目の日なので、あらためて当時の様子を振り返ってみます。
昭和十七年八月七日米軍侵攻図
①ガダルカナル島
米軍上陸時の我が軍配置状況
八月七日早朝、各隊は起床時刻前に突如激しい砲爆撃を受けた。
第十一設営隊 (門前 鼎 大佐以下1,350名) は海岸近くに宿舎を構えていたので洋上に浮かぶ多数の艦艇と上陸揚陸艦を目視することが出来たため、指揮官が各員を掌握する前に離散してしまった。
米軍に占領されてしまった第十一設営隊の宿舎付近看板
第十三設営隊 (岡村 徳長 少佐以下1,221名)の宿舎は↑要図の如く、ルンガ河左岸に位置していた為、洋上の米艦艇の様子が判らず、七日は米軍の上陸部隊をルンガ河の線で拒止すべく、右岸と左岸を繋ぐ橋を破壊して左岸に各員を配置した。
米軍に鹵獲された第十三設営隊のトラック
夜になると砲爆撃はやみ、東方海岸より舟艇音が聞こえるようになり、米軍の上陸を察知したが、其の兵力は全く不明たった。
その頃、第十一設営隊の門前大佐以下十数名が合流、一週間から十日のうちに友軍の奪回作戦が開始されると信じ、七日深夜マタニカウ川を渡り冲川付近まで後退、冲川左岸に陣地を占領し指揮所(後の海軍本部)を設置した。
海軍第84警備隊 (遠藤 幸雄 大尉以下150名) も同地へ追及、離散していた設営隊員も逐次同地に追及したが総員の把握は不可能だった。
平成27年に訪問した沖川海軍本部付近を紹介した記事です。
沖川
沖川・ブーザ曹長の像
沖川・エスニックテンションの記念碑
沖川からタサファロング
②ツラギ島
ツラギには呉第三特別陸戦隊を主力とした第八四警備隊 (鈴木正明中佐以下約300名) が守備していた。昭和17年8月7日早朝より艦載機の空襲、艦砲射撃の後、08:45米軍第一襲撃大隊他1,690名がツラギに上陸を開始し、208高地へ進撃、警備隊は夕刻には281高地谷間へ追い込まれ、深夜から翌未明かけて数次に渡る切り込み攻撃を敢行した。
平成26年のツラギを訪問した現地の記事です。
③ガブツ・タナンボコ・ハラボ
タナンボコ島には横浜海軍航空隊 (司令・宮崎重敏 大佐以下本隊約450名) ガブツ島には設営工作部隊他約370名と九七式大型飛行艇七機。ガオミ島陸戦隊一個分隊。ハラボには二式水戦隊九機と約60名が配置されていた。
ツラギと同様早朝より砲爆撃が始まり終わると共に、米パラシュート大隊が波止場へ上陸を開始。タナンボコ島のヒル121から13粍機銃でガブツに上陸して来る米兵を狙い撃ち、米軍の上陸は困難を極めた。
20:30タナンボコ島北川ビーチよりより第二海兵連隊が上陸開始。
宮崎司令の命で燃料ドラム缶を上陸予想地点に配置し、敵上陸と共にドラム缶を射撃、一帯は火の海となり米兵は死傷者を出し翌日まで同地から一歩も動けなかった・
ハラボの水戦部隊は早朝の米軍空襲により壊滅したと米軍側の記録が残るだけで日本軍の証言は残っていない。
平成26年にタナンボコ・ガブツ・ハラボを訪れた現地の記事です。
タナンボコ 2014-16 ハラボ
タナンボコ 2014-17
以上が80年前のガ島米軍上陸の概略と、現地を訪れた記録となります。
南緯九度、南冥の島ガダルカナルとフロリダで散華された御英霊を追悼申し上げます・・・合掌
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
**********************************お知らせ********************************
ソロモン諸島方面の戦い、現地情報、ガ島陸戦に於いて散華された御英霊についてのご質問は↓お気軽に軽にお問い合わせください。
tobu23butai@gmail.com
勇一三〇二
**********************************************************************
歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。