ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次


現在地、ソロモン諸島、中央州、ツラギ島慰霊碑


最初に・・・一寸長い記事になってしまいましのでご了承ください。



慰霊碑位置より北方を望むと船を修理するドッグが目に入る。
ガ島も含めこの周辺では唯一のドッグらしい。




慰霊碑を後に2012年にもお邪魔した大型壕へ向かうべく一度台上より下ることとなる。
目的地はオープンカット連絡路の反対側にある為だ。

連絡路を横断して再び反対側の台上へと歩を進める。


連絡路上に鉄製の橋があったと思われるが補修されていないのでとても渡れる状況ではない。


草が邪魔してよく見えないが慰霊碑は↓にある。

手摺の部分が連絡橋なのだが此のありさま


台上では横風が・・・



幸い雨は一時止み、K隊員の玉葱頭が露出してしまった。

この髪型に違和感を覚えるのは自分だけでは無いと思うが・・・ガ島・ツラギではネイティブの青年達が似たような髪形をされているので現地の方々からのツッコミは皆無であった。


さらに歩を進めると台上のさらにもう一段高い所へと通じる石段があった。

2012年にも同じ道を歩いていた筈なのだが気が付かなかったようだ。

この石段は何か?とサイモン氏に尋ねると・・・
わが意を得たりと「英国統治時代の総督が住んでいた屋敷跡だ。登ってみるか?」
と言うので登ってみることにした。


石段の上でまず目に入ったのが水溜タンクである。


目を移すと邸宅跡の基礎が残っていた。

当時の英国の統治者はこの高台から周辺を見下ろしていたのであろう。

コンクリート製の貯水槽もあった。


このような高台によく作ったものだと感心させられたが、実際の作業したのはネイティブの方々であろう。

一通り見学するも戦跡では無いようなので早々に石段を下る。


サイモン氏が道端を指差しているので目をやると・・・

米軍が星条旗を揚げた旗竿の基礎との事。

このツラギ島は米軍占領の後、魚雷艇の基地となった。
米大統領J.F.ケネディが若かりし頃、魚雷艇の艇長としてソロモン諸島へ従軍したことは有名であるが、彼の乗艇PT109も此のツラギを基地としていたと思われるので、此の基礎の上に翻った星条旗を目にしたのではないか・・・と妄想してみたが・・・帰国後調べると1943年8月1日に駆逐艦に沈められサバイバルをされた記録があるので基礎部1943年11月22日の日付からケネディ氏の目にはふれていないのかも知れない。

↓乗艇PT109との記念撮影・右端がJ.F.ケネディ氏


さらに歩を進め
サイモン氏が指差す方向に目を移すと・・・

先に通ったグランドが目に映る。


現在地と下のグランドの中間地点が↓機銃陣地と思われた。



その先、右手前方に大型壕の入り口が見えてきた。

↓大型壕内部の動画


早速K隊員がGPS計測
09 06.293S, 160 08.973'E

グーグルアースで確認すると↓


2012年にお邪魔した際は見るには見たのだが位置がどの辺りか皆目見当が付かなかったのだがこの位置だったかと帰国後スッキリしたのでありました。


↓突き当たりの銃眼

現在は草叢で視界が悪いですが・・・


グーグルアースに書き込んでみるとこのような位置関係で銃口はツラギの波止場を捉えていたのではないかと想像します。


当時の画像に書き込むと↓


ツラギ北岸を東進する米軍を悩ませたと想像するのですが・・・そもそも機銃が配備されていたかを確認する術も無いのが残念です。

移動ルート



つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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