ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

宮川・桜井壕2より続いております。

さらに桜井甚作氏の著書「地獄からの生還」の補記・特別寄稿「あの壕は今」にはこのような資料が・・・


桜井氏の依頼を受け1991年・1992年と当時ソロモン在住であった石川島播磨重工の嬉氏が調査された時の資料となります。
地獄の入り口とされる壕位置はC地点。

↓自分の潜った壕


接近すると・・・

長老・自分・K隊員の三名で入り口を広げてしまったのですが・・・嬉氏の資料写真と酷似しており位置も一致します。


今ひとつ、壕に入りながら「違う」と判断したのは桜井氏の著書には壕の平面図より入り口は一箇所との先入観があった為である。
↓赤矢印より見た様子を赤線にして重ねてみました

左右にそれぞれ入り口があり(どちらも崩れて入るのは困難)正面突き当たりより右に折れて壕は続いておりました。
突き当たり付近まで前進していれば左へ続く壕があった可能性は否定出来ません。

入り口が三箇所あったことと自分が閉所恐怖症気味のため歩を進めることが出来なかったことにより宮川・桜井壕の特定に至らなかったのですが・・・

帰国後、桜井氏の著書「地獄からの生還」の再拝読で士官壕との特定が出来、さらに帰国後発見したアメリカ海軍歴史センター(US Naval Historical Center)の資料から士官室の位置が判明し・・・

この資料の12番は → 配置翻訳記事
 →指令本部・無線室

結果↓図の大型壕と記した壕こそ宮川・桜井壕ではないのか・・・


桜井氏の著書「地獄からの生還」をタナンボコへ持参しなかった事が悔やまれてなりません(ノ_-。)

↓宮川・桜井壕に「怖ぇ~」と呟きながら潜入した場面


中は真っ暗で脛まで水が浸かり・・・ヘッドライト固定のカメラが必要でした。
動画に微かに映る明かりは左右の入り口


「地獄からの生還」に描かれている壕内の図
水から避けるために石や土を積み上げて居住スペースを確保されたとの記述があります。

この真っ暗な世界で50日間も過ごされたのかと想像すると正しく地獄という表現が的を得ている。


100%の確信が持てた訳ではありませんが、幾つかの資料を重ね併せることにより此の壕が宮川・桜井壕であつた可能性は高まりましたのでタナンボコ御慰霊行に宮川・桜井壕を補記しました。


次の機会を得たとするならば・・・もう一回入るのか・・・入れるのか・・・
恐怖心との戦いであります(-。-;)



次回よりツラギ御慰霊行に戻らせて戴きます。



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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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