ガダルカナル戦書籍一覧


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ガ島の朝陽に照らされながらソロモン平和慰霊公苑を後に


ネイティブたちも忙しい朝の一時
市場へ向かうと思われる女性・・・左手にはブッシュナイフ


メイン通りに出て西進マタニカウ川

昨年襲来したサイクロン「アイタ」の疵痕が今も生々しく残っておりました。 

こちらは河口方面

此の河口を少し左に行くと・・・

第二師団総攻撃に呼応し海岸線より攻勢をかけた独立戦車第1中隊の戦車が・・・

今は埋もれ海没して引き潮の時に僅かに見えると聞ききますが・・・
残念ながら見たことはありません。

さらにメイン通りを西進。


ガ島戦史を拝読すると「沖川」と呼ばれる川がよく登場します。

概ねの位置は↑の位置。

過去二度にわたり十数回往復している海岸道ホニアラ通りなのですが、この沖川だけが現地で確認を取れず悶々としておりました。

今回こそは必ず確認すべしと決意しクルツ岬を右手に勇川方面へと車を走らせたのですがやはり発見出来ません。

此のあたりの筈なのだが・・・



Uターンする事二回・・・

くそ~ 此れか・・・

完全に周囲の風景と同化しており見逃しておりました。

海岸道から上流


そして海岸道から下流河口方面


とするとこの沖川左岸の建物から後方の密林にかけてが海軍本部。


歩兵第四連隊史の要図に明記されております。


再び沖川周辺の地図

昭和17年11月上旬、二師団総攻撃頓挫の後海岸線では米軍が宮崎台を超え百武台が第一線となって米軍と対峙しておりました。
11月10日、米軍約千名は砲撃・飛行機の支援を受けながらさらに前進を開始。
対する日本軍は歩四・歩124十二中隊・機関銃一小隊、一木支隊の生き残り一個中隊・道路構築隊一個中隊・海軍ガ島守備隊約百名に加え、輸送の関係で二師団総攻撃に間に合わず遅れて上陸した精鋭歩16第一中隊だった。

11月11日も反覆攻撃をかける米軍を悉く撃退、百武台より沖川の線まで押し返した。
其の時の戦果
軽迫撃砲二、無線機二、有線一、重機関銃二、軽機関銃五、自動小銃五十、その他多数
遺棄死体 五十

損害 戦死十、負傷十二

さらに歩四第二大隊に配属された歩十六の上陸したばかりの精鋭第一中隊を先頭に11月14日から16日にかけて沖川から小川の線まで押し返し米軍をマタニカウ川河谷へと敗走させた。
其の時の戦果
迫撃砲一、無線機一、軽機関銃二、擲弾筒三、小銃弾薬多数
遺棄死体 五十

損害 戦死二十九、負傷十九
(戦果は新発田連隊史より)
とある。

以降、小川の線を第一線として昭和十八年一月中旬の撤退まで実に二ヶ月の持久戦となったのでありました。
ガ島戦史には大きく取り上げられることのない海岸道・沖川を巡っての激闘であります。


何度通っても中々発見に至らなかった沖川・・・

 
前述、昭和17年11月の沖川を挟み繰り広げられた激闘、そして海軍本部の位置した沖川左岸を想起すると違って見えて来るのであります。

つづく


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