ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次


現在地、ソロモン諸島、中央州、ツラギ戦跡・谷間の防空壕より慰霊碑へ向かう道中


雨の中を慰霊碑へとツラギの中心地を抜けて近道を・・・



ツラギでは初めて目にした農業用トラクター

残念な事に左後輪がパンクしている。
この離島ではトラクターを維持する事すら大変であろう。


ツラギ中心地の溝川も増水している。



何やら看板が建っていた

ツラギ クリケット ピッチと書いてある。

そう言えばツラギ戦前の英文資料でツラギにはクリケット場があったような記述を目にした事がある。
帰国後調べて見ると・・・

↓のような写真を発見!!

情報元は・・・なんと豪州の友人のホームページだった。
彼のガ島戦の情報量には脱帽である。

此の写真の米軍機関銃位置は???と現地で写した写真を見直して見ると・・・
↓土取り場の上あたりではないかと思われる。


さらに豪州の友人のホームページより

1939年に撮影されたツラギ・クリケット場


この写真を写された方は・・・

なななな なんと


↓後列中央に写るマーティン・クレメンス氏である。

此の写真、ガ島戦の書を読まれた方は一度は目にされたと思うが、ガ島戦全般でネイティブの方々を率いて連合国のインテリジェンスとコーディネイトされた沿岸監視員士官である。

↓晩年のマーティンクレメンス氏と写る若き日の豪州の友人


さらに興味深いクレメンス氏の写真が・・・

同じく1939年に写されたツラギのオープンカット連絡路である。

↓此の日の朝、我々も通った慰霊碑下の連絡路

当時の写真と比べるといくらか道幅が広がっているように見受けられる・・・
そして・・・当時の写真が写された日は好天だったのが羨ましい。(ノ_・。)


一枚のクリケット場看板で随分と話が膨らんでしまったが気が付かないだけで、貴重な戦跡を素通りしているのかも知れない。

話を戻し・・・
オープンカット連絡路東上に建立されている日本軍慰霊碑に到着。


↓は2012年にお邪魔した際の慰霊碑


雨の為、携行祭壇も出せずK隊員とツラギ地区で散華された御英霊のご冥福を祈り・・・合掌

同行のサイモン氏・バニータスタッフも頭を垂れ平和を祈る場面でありました。


現在地↓慰霊碑


つづく


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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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