ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
横浜航空隊 行方不明者名簿
ガブツ・タナンボコ 2012-1
ガブツ・タナンボコ 2012-2
ガブツ・タナンボコ 2012-3
ガブツ・タナンボコ 2012-4
ガブツ・タナンボコ 2012-5
ガブツ・タナンボコ 2012-6

現在公開している御慰霊行の記録です
タナンボコ 2014-1
タナンボコ 2014-2
タナンボコ 2014-3
タナンボコ 2014-4
タナンボコ 2014-5
タナンボコ 2014-6
タナンボコ 2014-7
タナンボコ 2014-8
タナンボコ 2014-9

現在地、ソロモン諸島、中央州、タナンボコ島 
中央大型壕出口赤丸付近

大型壕より侵入し歩を進めると西方より日差しらしき明りが見えたので出てみたのが赤丸地点。
自分もK隊員も奥は行き止まりと予想していたので、残念!と思いつつ出口より出たのだが、入り口から呼びかけるK隊員は心配すること頻り。
自分の「お~い!!」の声に血相を変えて飛んで参りました(;^_^A

聞けば長老以下村人は出口の位置を知っていたそうでK隊員と二人「知ってるなら最初から教えてくれよ」と日本語で言掛りをつけるが意味が通じないのでノープロブレムである。



壕を出た地点は入り口より30メートル程西方の山の斜面で、一帯は直径4~50メートルの盆地となっておりました。
山の斜面には幾つかの防空壕跡があり此の盆地が横浜航空隊の拠点であった事が覗えました。


小山を中心にビーチへ続く地形の中で此処だけが敵弾から遮蔽される地形となっていたのです。
長老曰く「ビーチ側にある盛土は日本軍が壕を掘った際に出た土砂を積み上げたものだ」との事。

疑問の余地の無い説明に納得。

他の壕に目をやると・・・
長老曰く「この壕には日本兵の骨がある」

二年前にあまりの水量で入ることさえ考えなかった壕である。

島の開発に当たり水中ポンプを使って排水した際に御遺骨が発見されたらしいのだが元に戻したとの事。
水中ポンプは今もあるが燃料が無く、真空ポンプにエアー漏れがあり使用不可。

嗚呼・・・

既に大型壕で腰まで浸かったので壕への侵入を決意。


水は深いところで胸までもあり・・・
↓壕内の状況


長老に「そんな奥ではない」と言われ・・・

入り口付近で掬い物を借りて探してみるが・・・


そんなに簡単に見つかるものではないのであります。


結局、村人たちが御遺骨を発見した際、同時に発見された弾薬箱と・・・


御英霊の御遺品ベルトの一部


このベルトは持ち帰り、横浜航空隊戦友会「浜空会」さまへお届けすべく連絡先を調査中であります。

長老たちの話と此のベルトを併せ考えるに御遺骨がこの壕にある可能性は高いと思われました。

壕の水とベルトを目にし・・・再訪を決意しつつK隊員と共に黙祷・・・合掌

大学生のK隊員はかなり衝撃を受けていたようでありました。


現在地の位置をグーグルアースに落とすと



このような位置関係となります。

↓昭和十八年八月八日、米軍上陸二日目の画像 未だ浜空隊員が潜んでいると思われる写真


米軍はガブツと結ぶ橋の上、桟橋あたりに第一波が上陸したとされるので村人の小屋を挟み桟橋付近米軍、小山御慰霊ポイント付近日本軍の位置で対峙したと想像されます。




と此処まで記事を編集し大事なことを忘れておりました。
御遺骨発見の情報を厚生労働省の担当部署に報告せねばなりません。
状況書類を作らねば・・・

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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