ガダルカナル戦書籍一覧


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現在地、ソロモン諸島セントラル州タナンボコ島、第二テント設営地


二度めのテント設営を終えたのが現地時間16:30頃、18:00を過ぎると薄暮が迫って来ます。

此の日の残された時間は少なくタナンボコ島の北側の様子を探るべく歩き出そうとすると、テント設営を手伝ってくれた青年が機関砲の弾丸らしき物を見せてくれました。


お名前はメモし忘れたが17歳の学生、アルバイトに来ているようである。

機関砲の弾丸と思われる一物を手にして見る。

ボケボケすみませぬ

早速、口径を測ってみると凡そ20ミリ


全体の大きさは↓

薬莢と弾頭の口径はほぼ同じである。

此処タナンボコ・ガブツの兵力は

横浜航空隊342名、第14設営隊144名、第84警備派遣隊約50名、工作関係約60名の合計約600名。
配備されていた飛行艇、97式大艇7機、水戦9機(フロリダ)。
8糎高角砲数門、小銃35挺、13ミリ機銃6の他7.7ミリ機銃数挺と飛行機用の20ミリ機銃2挺
「海軍飛行艇の戦記と記録」横浜海軍航空隊・浜空会編より引用

とあります。
20ミリ機銃は飛行艇より修理の為降ろされたもので

97式大艇の装備
武装:20 mm旋回銃 ×1 / 7.7 mm旋回銃 ×4
航空魚雷 ×2本 または爆弾 2 t(60 kg爆弾 ×12 または250 kg爆弾 ×4)
以上wikiより引用

↑「20 mm旋回銃 ×1」がたまたま修理の為タナンボコ島にあったと推察出来ます。

果たして本当に20ミリ機銃の弾丸なのかと調べて見ると・・・

↓こちらのページの中ほどに
http://roswitha.jp/@1@mein%20Vater%20mit%20dem%20japanischen%20Guntou.html
画像と共に紹介されている「九九式壱号機銃の20mm弾薬包」に酷似しております。

確定出来ませんが昭和17年8月7日米軍上陸作戦の際、タナンボコに存在した2挺の20ミリ機銃の弾丸で間違いないと思います。

余談ですが20ミリの機関銃を「機銃」という呼称をするのは海軍で陸軍では「機関砲」と呼称したと記憶しております。



青年は「要るのならプレゼントしても良い」と言ってくれたのだが・・・
薬莢と弾頭がそのままの結合状態なので帰路の空港で一悶着あっても困る。

「この弾丸は此の島の宝だから貴方が大切に保管し観光に訪れた方々に見せてあげて欲しい」
と話すと青年はニッコリ笑って意味を理解してくれたようだ。

本音としては持ち帰り「遊就館か横浜航空隊に縁のある自衛隊の展示室に展示して欲しい」と考えおりました。

流石に薬莢付きは拙いよなあ・・・と今でも心残りの弾丸です。

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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