ガダルカナル戦書籍一覧


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前記事 タナンボコ 2014-5

現在地、ソロモン諸島中央州タナンボコ島

横浜航空隊玉砕の地タナンボコ島より奇跡の生還をされた宮川政一氏と桜井甚作氏が50日間過ごされたという壕を探して穴に潜ってみました。


撮影用の照明機材がある訳でもないので壕の中は↓この状態・・・

中は脛まで浸かる雨水が溜まっており・・・
壕の中は入ってすぐ左右・正面と三つに分かれおりました。
左右はそれぞれ10メートルも行くと出入り口となっており微かに外の明かりが目に入ります。
正面の通路は3メートル程で突き当たり右へ直角に折れておりました。

入り口付近での爆発破片を避けるため直角に折れているものと思われました。
この段階で宮川・桜井壕とは明らかに違うと判断、壕の中滞在2~3分にて早々に脱出を図る根性の無さに反省しきりです。

何故宮川・桜井壕と違うかと申しますと・・・
↓左現在地の壕、右桜井甚作氏が残された資料の壕見取り図


桜井甚作氏の著書「地獄からの生還」は現在同行したK隊員が拝読したいとの事で手許に無く手書きの落書きで申し訳ないのですが、潜入した壕は三方向に通路が続いておりますが、宮川・桜井壕は二股に分かれていなければなりません。

落書きの赤字「艦砲貫通穴」は宮川・桜井両氏が「見張り」の命令により本隊と別れ二人だけで壕に居たところに米軍の艦砲射撃の砲弾が上部より壕内に貫通し侵入した穴です。
砲弾は不発弾であり両氏は奇跡的に生還されることとなりました。
桜井氏の著書には両氏により信管を外されたとの記述があり二股右付近に埋められた不発弾に爆発の危険はありません。

この時、入り口の狭さから閉所恐怖症の気がムクムクと湧き起こり宮川・桜井壕では無いと判断・即脱出となったのですが正面突き当たりから右へ続く通路を目視確認すべきだったと今頃激しく後悔しているところであります。


ここで壕位置の再確認
桜井氏の残された壕位置

宮川氏の残された壕位置



かなり位置にズレがあります。
帰国後調べて見ると黄丸で囲った位置が現在地の壕付近


宮川氏の壕位置とは合致しておりますが桜井氏の壕位置とは合致しません。

唯一の収穫としてエドウィンPホワイト氏の著書「ガダルカナル島の戦い」に残される要図

複数の入り口のある地下壕が存在するという事実確認が出来ました。
位置には疑問は残りますが・・・

引き続き桜井氏の残された壕位置を確認すべく移動を開始。
壕よりガ島方面黄矢印海岸線へ・・・



何やら水溜りが・・・



水溜りのように見えますが樹木が海水に進出しているのです。
米軍の記録より「ガブツ・タナンボコは水際まで樹木が生茂り上陸地点が限られていた」との証言を裏付けるに足る繁り方でありました。


つづく

ソロモン諸島を襲ったサイクロンで被災された方々への支援物資として日本・ソロモン友好協会さんが供出を呼びかけられていた古着が73箱に達したとのことでした。
ご協力戴きました皆さまありがとうございましたm(_ _)m

ユニセフさん
日本青年国際交流機構さん
上記機関でソロモン諸島における洪水被害に対する募金活動を行われております。
引き続きご協力戴けましたら幸いです。


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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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○原発関連情報○

独逸天気予報より →  放射能予報

文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

武田邦彦教授の → ブログ




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