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ガダルカナル戦書籍一覧   

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この記事は平成25年6月1日に公開した記事であります。


五年近くたつにも拘わらず今なお読んでくださる方も居られ有難い事であります。


 


公開当時、ガ島慰安婦を肯定されるお方から厳しい突っ込みを頂戴するのを楽しみにしていたのでありますが誰も突っ込んでくれないので少し追記してみようと思います。


以下、平成25年公開記事 青字が追記部分


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ガ島戦の資料を探す為、色々とWEBで検索をするわけですが・・・



従軍慰安婦をガダルカナルへ連れて行った



そんな事を公開しているページがあった。





んな阿呆な (^▽^;)







軽く調べると千田夏光氏の著作が出処だった。



彼の著書は一冊だけ「捕虜になった大本営参謀」を読んだ。



最初の印象から胡散臭い本だと感じていたが、九〇三高地で戦死された越次参謀の娘さんのホームページ「越次一雄の死と生」を発見し少しは信用しても良いかと思っていたのだが・・・


※このブログで取り上げるようになってから「越次一雄の死と生」というweb頁は姿を消しました

胡散臭いですねえ (○´艸`)



従軍慰安婦をガダルカナルへ連れて行ったとする出処の本「従軍慰安婦・慶子」

偶々安価でアマゾンで売られていたので入手し読んでみた。





やはり胡散臭い。



最初から最後まで、辻政信の著書と同じ 嘘臭い 匂いがプンプンした。



突っ込み所満載なのだが、明らかに創ったなと確信する部分。





主人公の慶子一行がラバウルに到着すると彼女らを率いている軍属が不在の間に軍人が突然やって来て七~八人程ガダルカナルへ連れて行った。



彼女等を運ぶ輸送船が沈没し連れて行かれた彼女らは行方不明になった。



心配した軍属の男がネズミ輸送でガダルカナルへ行く駆逐艦の



ドラム缶に紛れてガダルカナルへ上陸



※この「ドラム缶に紛れて」と表現した件


ドラム缶輸送の事を全く知らないお方が妄想を膨らませて書いたとしか思えない自爆表現なのです。


ドラム缶輸送方法は駆逐艦の両舷側に片側大凡数十個を数珠繋ぎにドラム缶を吊り下げ・・・


 ↓ 赤線を入れてみました。



此の赤線にぶら下がるドラム缶に紛れぶら下がってガ島まで紛れ続けたとすればとても人間業とは思えません。


ドラム缶単体は↓この状態 挿絵:立岩新策氏 著 「太平洋ひとり旅より」






指定された海域で指定された時間に元綱を切り落として海域に投棄する。


するとガ島の船舶工兵が大型発動艇で捜索、元綱を牽引してガ島の海岸を目指す。


駆逐艦より投棄された元綱のドラム缶群が100%ガ島へ上陸する事は無く、成功率としては高くなかったのです。


何処にどうやって「紛れて」上陸出来たのか納得ゆく説明をじっくり腰を据えて聞いてみたいものです。







タサファロングに上陸後、歩いてアウステン山の陣地まで行き



歩124の岡連隊長と面会

この創作文の設定では軍属の率いる一行は歩124専属らしい



そして行方不明になった彼女たちの安否を尋ねたそうな。



↓此れはガ島撤退時の総後衛部隊松田部隊の布陣図



千田くんの妄想作文の為に新たな要図を作る気にもなれなかったので一昨年八月に作った要図を引用します。

ドラム缶によるネズミ輸送がいつから開始されたか明確な記録を目にしたことはございませんが三十八師団を上陸させた十一月の第二次高速船団輸送以降ではないかと想像します。


十二月は月齢の関係で夜が明るすぎてドラム缶輸送が難しく潜水艦による輸送へと切り替えられています。


再びドラム缶輸送が再開されたのは翌昭和18年1月。


千田くんの妄想作文に登場する軍属の男が「ドラム缶に紛れて」上陸出来たとすれば↑要図のカミンボ又はエスペランスが妥当でしょう。


三十八師団上陸直後の11月中頃までだとすればタサファロングの可能性も幾らかは残りましょうか。


 


軍属の男が面会したとされる岡連隊長の所在地は↑要図のギフ高地と狼陣地の辺りです。


仮にタサファロングに上陸できたとしてこの頃のタサファロングは米軍の重砲による砲撃、米軍機による空爆、巡洋艦・駆逐艦による艦砲射撃で林立していた椰子林も倒れ残った椰子の樹は焦げた電信柱と化しております。


軍属の男が岡連隊長と面談するには


第一経路 タサファロング→コカンボナ→勇川河口を右折→九〇三高地→見晴台→シーホース→目的地


第二経路 タサファング→コカンボナ→勇川河口→沖川河口を右折→堺台第二拠点→堺台第一拠点→見晴台→目的地


通過する道中は米軍の砲撃の嵐、まして「ドラム缶に紛れて」上陸した軍属の男がどれだけの食料を持参できたのでしょうか。


千田くんの妄想作文ではその辺の丘を散策したようにいとも簡単に岡連隊長の許へ到着しております。




※↑ヒル89が九〇三高地


 




岡連隊長から要務連絡を命ず



という命令を貰って駆逐艦に乗ってラバウルまで帰って来たそうな。



そしてまたも簡単に駆逐艦が来る泊地(この時期はもうカミンボかエスペランスしか考えられません)まで傷病に悩むことなく餓死もせず転進出来たそうな。

前述したようにドラム缶輸送はドラム缶を投棄したら反転脱兎のごとくラバウル又はショートランドのエレベンタ泊地を目指します。


駆逐艦にはどうやって乗艦したのでしょうか???


一部の参謀や連絡将校、佐官クラス以上の傷病幹部、戦闘機や爆攻撃機の搭乗員などは特に選抜、駆逐艦と乗艦打ち合わせの上乗艦した節はありますが明確に残る記録を目にしたことはございません。


軍属の男が慰安婦の安否を訊ね帰るので乗せてくださいと岡連隊長の命令があるからと言って簡単には乗せて貰える筈はありません。


そもそも岡連隊長が眼前で餓え死ぬ部下に心を痛めている状況でこのような軍属の男が来たらまともに相手をする筈も無く・・・


あっ 妄想作文如きに血圧が少し上がってしまいました。 イカンイカン





これらの話は戦後生き残った慶子本人から千田君が聞いて書いた実話ということになっている。

事実検証もしているふうで確り創作している。

↑戦後多くの記者が124連隊の将兵を取材されたのですが


124連隊戦友会関連の資料に「何か変な事を書く奴がいるから取材には気を付けろ」という記述があり


成程!!!  千田くんの事だったのかと納得した次第。

 


どうもこの千田くんが「従軍慰安婦」という言葉の発案者らしい。

wikiには 太平洋戦争関連の著作が多く、中でも日本の慰安婦に関する多数の著作がある。

とある。


この多数の著作も妄想作文なのだろうと「従軍慰安婦慶子」を読むと確信に至ります。

昭和五十年代、この手の本が普通に出版され喜んで買う人も多く、妄想作文が既成事実化していったのがこの本で良く判った。





千田君は大東亜戦争敗戦後「戦争アレルギー」化した人々に妄想した作文を売り付け私腹を肥やしていたのか・・・だろう。





その妄想のツケを今もまだ論争しているかと思うと溜息が出る。





久々に悪寒のする一冊だ。



突っ込んでくれるのを待っていたのですが見事に誰も突っ込んでくれなかったのでこの記事を公開した疑問の根拠を追記しました。





追記 

千田君は毎日新聞に勤めていたとの事です。の記者だったそうな


千田くんの生きているうちに此処まで辿り着きたかったと考えるこの頃であります。


 


 




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