ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次


現在地、ソロモン諸島、中央州、ツラギ戦跡・地主さん宅近くの機銃位置


グーグルアースも大分混み合って来ました。


次に向かうポイントはツラギ島守備隊の最期の拠点となったと思われる防空壕群であります。


↓要図は米軍上陸の日、昭和17年8月7日のD-Dayに米軍が侵攻した最前線が点線で書き込まれています


あらためてツラギの戦いを2012年の御慰霊行記事より振り返ると下記の通りである。

ツラギの日本軍
海軍第84警備隊約200名(内約50名ガブツ島へ派遣)、第14設営隊の一部88名、その他56名、指揮官は第84警備隊の鈴木正明中佐、以下総勢約300名。
ツラギの日本軍は各資料で多少の誤差が見られるが上記の数字が一番近いようである。

総勢約300名の日本軍(設営隊軍属含む)に対し、エドソン中佐率いる米国海兵隊四個大隊1,690名がツラギ島西部に上陸後、東部208高地へ進撃していったことが窺える。

また米国ツラギ地図よりD-DAYの点線が280高地を取り囲んでいることから昭和17年8月7日のうちに日本軍は280高地へ追い込まれている。

さらに米軍資料には8月7日深夜から未明、四回にわたり斬り込み攻撃を受けたとの記録が残る。
斬り込み隊の一部はエドソン中佐の戦闘指揮所まで迫るも散華された。

8月8日午後一時ツラギ島は完全制圧された。
日本兵捕虜三名、約40名がフロリダ島へ泳いで脱出。
米軍の損害、戦死36名、戦傷54名。
※フロリダ島へ脱出したとされる40名も確認された訳ではなく米国兵士の口碑に近いものであるとされる。
以上が70年前ツラギでおきた戦いの概略である。


上記の8月7日深夜から未明、四回にわたり斬り込み攻撃実施の際の最期の拠点・・・
そして米軍を最期まで悩ませた守備隊の拠点・・・


その位置を示している資料が↓である。
この資料は迂闊な事に今回のツラギ御慰霊行に持参していなかった・・

昭和17年8月8日、ツラギ守備隊が米軍に包囲され280高地の一角に追い詰められている状況が見て取れます。
資料には・・・
FINAL ASSAULT OF 8 AUG AGAINST CAVE-LINED RAVINE.
と書き込まれている。

怪しい英語力で翻訳してみると・・・
8月8日、洞穴の並ぶ渓谷に対し最終突入
というような意味で良いと思われる。


サイモン氏は近くに大型防空壕がある。
とのこと


サイモン氏を先頭に機銃陣地跡地を後に氏の言う大型防空壕へと歩を進めたのでありました。



つづく

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平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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