ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
横浜航空隊 行方不明者名簿
ガブツ・タナンボコ 2012-1
ガブツ・タナンボコ 2012-2
ガブツ・タナンボコ 2012-3
ガブツ・タナンボコ 2012-4
ガブツ・タナンボコ 2012-5
ガブツ・タナンボコ 2012-6

現在公開している御慰霊行の記録です
タナンボコ 2014-1
タナンボコ 2014-2
タナンボコ 2014-3
タナンボコ 2014-4
タナンボコ 2014-5
タナンボコ 2014-6
タナンボコ 2014-7
タナンボコ 2014-8
タナンボコ 2014-9
タナンボコ 2014-10
タナンボコ 2014-11

現在地、ソロモン諸島、中央州、タナンボコ島 
ベルト発見壕付近

↑図赤矢印に沿って高射砲陣地へ


2012年にお邪魔した際には↓の弾丸を拾った地点です。


長老を先頭にタナンボコ121高地へ


121高地頂上付近・高射砲陣地跡


足元にはコンクリート基礎が残ります


四角く囲った基礎の内側が砲座ではないだろうか・・・


高射砲座付近から望むガブツ島


足下には砲撃により破砕されたと思われるコンクリート片



13ミリ機銃陣地方面へ



此処にもコンクリート基礎



13ミリ機銃陣地より望むガブツ島



米軍のツラギ上陸開始は昭和十七年八月七日午前六時十分とされている。
タナンボコ・ガブツの守備隊はツラギの砲声を聞きながら米軍の上陸に備えていた。
タナンボコの121高地とガブツの148高地は相互支援が可能となるよう火器が配備されていたとある。
以下、戦史叢書・南太平洋陸軍作戦Ⅰより引用
連合軍の攻撃は午前十時、艦砲射撃及び急降下爆撃支援の下にガブツ北東海岸に対する三次の波状上陸で開始された。
その兵力約一個大隊と認められた。
米軍の上陸そのものは破砕できなかったが、敵はまさに我側防火器の瞰制(かんせい)十字火網の中にあった。
日本軍洞窟陣地には連合軍の砲爆撃も歯が立たなかった。
夕方までに上陸部隊の行動を完全に制圧していた。
特にタナンボコの121高地からの背射は有効であった。



その背射を行ったのが正に此の地である。


13ミリ機銃陣地を囲うように鉄杭が・・・


其処此処に・・・


此の鉄杭が日本軍の物かは不明である。
桜井甚作氏の著書「地獄からの生還」には
「不発弾貫通の為生き埋めとなった壕の上に米軍の通信基地が設置され米兵の話し声が聞こえた」
とあるので米軍通信基地を囲った鉄杭の可能性もある。
↓桜井氏の附図


13ミリ機銃陣地附近で発見された穴(蛮刀の指す先)


此の穴こそ宮川・桜井壕へ貫通した不発弾の穴ではなかろうか・・・
長老と青年は桜井氏の残された「二人が入っていた小型の壕」位置を再確認している。


再び宮川・桜井壕を求め13ミリ機銃陣地より下りながら捜索に入った。

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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