ガダルカナル戦書籍一覧


*********************************************************************
2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
横浜航空隊 行方不明者名簿
ガブツ・タナンボコ 2012-1
ガブツ・タナンボコ 2012-2
ガブツ・タナンボコ 2012-3
ガブツ・タナンボコ 2012-4
ガブツ・タナンボコ 2012-5
ガブツ・タナンボコ 2012-6

現在公開している御慰霊行の記録です
タナンボコ 2014-1
タナンボコ 2014-2
タナンボコ 2014-3
タナンボコ 2014-4
タナンボコ 2014-5
タナンボコ 2014-6
タナンボコ 2014-7
タナンボコ 2014-8
タナンボコ 2014-9
タナンボコ 2014-10
タナンボコ 2014-11
タナンボコ 2014-12
タナンボコ 2014-13
タナンボコ 2014-14 ガオミ島
タナンボコ 2014-15 ガオミ島2
タナンボコ 2014-16 ハラボ


現在地、ソロモン諸島、中央州、フロリダ島ハラボビーチ

二式水戦基地ハラボを後にガブツ島へ↓舟艇機動ルート


ハラボ湾から外海を望むと部分的にスコールが落ちている。


目指すガブツには雨は落ちていない様子

天気が良ければコバルトブルーの海も鉛色である。

ガブツ島東岸へ接近、右端タナンボコ

米軍上陸部隊も同じ光景を目にしながら接近したに違いない。

米軍が上陸したとされるガブツ東岸ビーチ


視線を左に移すと、当時のブイがそのまま残る。


上陸して最初に目名飛び込んで来たコンクリートの平地



グーグルアースに書き込むと黄色↓上陸ルート・黄色丸コンクリート基礎



昭和18~9年当時、米軍の基地が整備されたガブツ島北端の写真


この写真に位置関係を書き込んでみた。


↑撮影地点より360度の現在を写すと↓

上陸地点方面


周囲は・・・


当時の面影も無く


自然に帰ってしまって・・・


この光景 【つわものどもが 夢の跡】 である。



2012年にお邪魔した際に小屋の基礎が残っていたはずと水上小屋のある西岸へと歩を進めると


西岸に突き当たり左へ目を移すと記憶の通り水上小屋の基礎が・・・


↑左のせり出した大木の下は↓


昭和17年7月21日、米軍が侵攻開始前に作成した要図

この要図から推察すると「45Chinese quarters」ということになる。

↓同地点より撮影した動画


此処、ガブツ島より生き延びて記録を残された日本軍兵士を自分は存じ上げない。
次の記事で米軍資料よりガブツの戦いを振り返ってみたい。

つづく

**********************************************************************

歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal





にほんブログ村 歴史ブログ 戦史(古今東西)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へ
にほんブログ村