ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
ツラギ 1
ツラギ 2
ツラギ 3
ツラギ 4



現在公開している御慰霊行の記録です
タナンボコ 2014-21 再びツラギへ


現在地、ソロモン諸島、中央州、ツラギ


美味しくパイナップルの朝食を戴いて


現地時間 08:58 ツラギ捕虜収容所跡地へと東端へ向かう

案内をしてくれる村の若者は少々の雨を気にしないが・・・雨である。

出発してすぐに右手海岸に建物の基礎が残っていた。

村人曰く「日本軍の病院跡だ」との事
ガブツ・タナンボコも水上の建築物跡が各所見られたが、湿気と暑さを避ける為に水上に建てたのだろう。

道の左には岩盤をくり貫いた通路と思われる隧道が・・・


さらに歩を進め右手を振り返ると大きな岩がせり出していた

村人曰く「日本軍の機銃陣地があの岩の上にあった」
登ろうとも考えたが登り口も険しそうだし雨も降っている・・・ので歩を先に進めた。

機銃陣地を過ぎ、山側に振り返ると艦砲射撃の砲弾痕・・・

機銃陣地を狙った砲弾であろうか・・・


ツラギ島東端

今朝までお邪魔していたガブツ・タナンボコが望めた

さらに歩を進め

民家の敷地の中へとグイグイ入り地主さんの許可を得て・・・勿論有料である
50ソロモンドル  両替したレートは1ドル20円なので1,000円

高いと思うが・・・このエントランスと呼ばれる入場料を気にすると何処も見て廻る事は出来ないのがガ島一帯の決まり事なのであります。


水溜りの草叢をグイグイと進み



おお!!

この掘っ立て小屋が・・・



戦史叢書によるとツラギ地区守備隊で捕虜となったのは3名、約40名がフロリダ島へ逃げたとされる。
ガブツ・タナンボコでは27名が捕虜となり、約70名がフロリダ島へ逃げたとの記録が残る。

中を覗くと・・・

落書きが・・・観光に訪れた豪州人であろうか

突き当たりの壁上方には窓が一つ

湿気と厚さは尋常ではなかったであろう・・・


小屋の外には何やら鉄の塊が・・・


接近して確認すると・・・YANMARの文字

いやロゴが新し過ぎるので戦後のものであろう

然し・・・

↑の小屋と↓の小屋が同一と言うのは無理がある。

当時の写真には出入り口の上に小窓があるではないか。

持参した資料を見せながら村人に尋ねると・・・当時の此の写真の小屋は解体されたとの事

聞けば、ある時漁師達が鉄を必要として建物の壁の中にある鉄を小屋を解体して取り出し使用したのだと言う。
どうせ壊すのであれば現存の小屋を壊し写真の小屋を残してくれれば良かったのだが・・・村人たちにも都合があったのだろう。


20メートル程離れた所に写真の小屋が建っていた跡地があるというので行ってみると

確かに基礎は残っていた

一枚の写真で歴史的価値のある小屋となった収容所は現存していなかった。
現存する小屋も収容所であったようではあるが・・・せんなきことである。



帰国後、収容所位置に間違いは無いかと調べてみた↓が海外のWEBで発見された。

PRISIONと書かれている。
英語ではPRISONなので英語圏ではない処の情報ではあるが位置は一致している。

現在地を確認すると↓


この収容所跡地の裏山がツラギ守備隊が最後まで激闘を繰り広げた281高地である。

現地時間09:31 天気の回復を祈りつつ次の目的地へと歩を進めたのでありました。

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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