ある無名な男の生涯 Season5 | 社会不適合オヤジⅡ

社会不適合オヤジⅡ

好奇心、いよいよ旺盛なもので・・・

明治の初頭、女性の働き方、社会参加の仕方にはどんな選択肢があったのでしょう。

旧家の子女であれば高等教育にも進めたのでしょうが。

さて家族会議を済ませ、彦蔵の企みはいよいよ開始されます。

 

(※物語は勿論フィクションです。史実と異なる記述があることもありますが、ご容赦ください)

 

題:『ある無名な男の生涯』

 

第五章・・郷土の誇り

 

それからはトントンと話は進み、勿論ゑいは女工で働くことが決まった。

「今日は望月様に会ってくる。オレが会う目的は紡績機の潤滑油の件だけんどな、ゑいの心配事も必ず話してくるからな、いいな、ゑいは呼ばれるまでこの事務所で待っていろ。いいな」

彦蔵はゑいを諭すように声を掛けると機織りの工場へと入っていった。

 

実は女工として採用されたゑいは無心に機を織る仕事をしてはいたものの、彦蔵が目指す絹織物とはどこか違うと感じ始めていた。

「あんちゃん、あのな、オラわからねぇことがある」ある日、仕事を終えてからゑいは彦蔵に相談を持ちかけた。それは女工たちの労働環境の整備についてだった。

「・・・・・ってことだ。オラたち皆んな朝から晩まで手水へ行くことも我慢して繭を煮たり糸を紡いだり機を織ってるさ。それはすんごくおもしれぇ。オラの仕事を褒めてくれる先輩も何人もいる。人様から褒められてお給金をいただけて、あんなあったけぇ布団で寝かしてくれる。それにそのお給金だってすげぇものだ。だってよ、糸車が回るたびに給金がチャランチャランと音を立ててオラの足元に落っこちてくるようだもの。だがな、先輩や同僚の中には体を悪くして国許へとけぇらねばならなぇ者もいるんだ。オラ達は機械じゃねぇ、くしゃみもすりゃぁ小便もする。腹が減りすぎたら目元も覚束なくなって反物にひっつれが出来ることもあるだ。あんちゃん、どうかおねげぇだ、望月様に進言してオラたちも人間のように扱ってくれるようにお頼みできねぇもんかな、オラも自分の体が心配でなんねぇ。ここをやめるなんてことが起きねぇか、心配でなんねぇ」

 

「そうかぁ、そんなことまでは見ていなかったなぁ。すまなかったなぁゑい。俺の度量で望月様にうまいこと伝わるかどうか分からねぇけど、とにかく話をしてみるべ」

彦蔵は彼女達の労働環境のことまでは気が回っていいなかった。そしてそれは驚くべき話で、言われてみればゑいも少しやつれて年の割に老けて見えるように思えた。

ふと彦蔵は嫌な予感がしてゑいに訪ねた。

「もしかしたら何か?仲良しのおセッちゃん、ほら、諏訪の町から来たっていう女工さん、この頃見かけねぇがまさか体を壊して実家へ帰ったなんてことぁ無ぇよな?」

「あんちゃん・・あんちゃん、オラはセツさんを助けられなかった。幾度も幾度もオラが糸撚りの仕事を変わってやるべぇと言ってもな、セツさんは決して休もうとしなかったんだ。それでよ、ついこの前・・・・

諏訪の家元からセツさんのお父とおっかさんが呼ばれて引き取られて行っちまった」

 

彦蔵はそれを聞くと矢も盾もたまらずに望月を尋ね、織機の潤滑油の話もそっちのけで、お国のために身を粉にして働くことを厭わない女工たちを守って欲しいことを嘆願した。

それは望月一人で即答できる内容ではなく、望月はすぐさま臨時の役員会を招集し女工のみならず事務方、荷運びの人夫まで含めた労働環境の改善を議案にし、話し合いの場を設けた。

時間は少しかかったが、現場で働く労働者は高い生産能力を維持しなければならないこと、そしてそれは一朝一夕に獲得できるスキルではないことを、役員の皆が知っていたことが功を奏し、次第に労働の現場はその環境整備が急速に進んでいった。

 

「あんちゃん、おセツさん、戻ってこれたよ!実家の空気はこの辺の空気と違ってとっても体に良いんだと。ほら、労咳患者の療養所なんて言うのもな、おセツさんの町の山にはあるんだと!水もきれい、空気もきれい、食うものも旨くてな、オラはかねてからずっと行ってみてぇなぁって思ってたんだ」

「ほんでな、あんちゃんのおかげで、ほれと望月様のおかげでな、いまは7日ごとに一日お休みを貰えるようになった。んでな、もうな、朝から晩まで働くこともねぇ。一日8時間だと!それに盆暮れにゃぁ10日づつの休みまである。それだけじゃねぇ、飯も寮もお医者様に掛かる金も、仕事で着る服も皆んな工場で持ってくれると!こんな夢のようなことがあって良いものか、オラは夢を見てるようだ」

 

ゑいはまたしても彦蔵の手により苦難を乗り越えられたと感謝していた。

 

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時代は進んで明治12年4月。彦蔵21歳、ゑい18歳だった。

ゑいは機織りの職方に認められ教育担当のような立場を申し付けられた。いわば新入社員の教育係とも言うべき重責な役職だった。

彦蔵は多忙な毎日が続き実家の養蚕を諦め、代わりに寅松を養蚕から揚げ返しまでを監督する役職へと推挙した。それはここまで苦楽をともにしてくれた寅松へのお礼であったが、同時に自分を育ててくれた父と母へのお礼でもあった。

「寅松さん、具合はどうだい?満足が行く生糸になってるかい?」寅松にそう声を掛ける。

「あんだぁ、彦蔵さんじゃァねぇか。まぁな、見てろって。この寅松、彦蔵さんをお蚕に巻き込む時にゃ、お蚕だけで身を立てると、彦蔵さんのおっ父と母様に啖呵を切って始めた仕事よ。任せておくれよ彦蔵さん。でぇじょぶだ、体が砕けるほどキツくとも、俺は負けねぇ。彦蔵さん」

揚げ返しの釜から吹き上げる湯気にあたり、寅松の半纏は衿も袖も背中も汗でぐっしょりと濡れてはいたが、織機の騒音も跳ね返すような大声で笑ってみせた。

 

一通り笑い終えた寅松だったが、ふと嫌な気持ちになった。それはなんだか分からなかった。彦蔵と笑い合っているさなか、なぜそんな気がしたのか自分でも分からなかった。

と、その時寅松はあることに気がついた。が、声に出すことはなく胸の内で、こうつぶやいた。

『彦蔵さんの姿がいつもと違う!堂々と胸を張って歩くいつもの姿と違うんだ!そんで俺は変に引っかかったってこった!それに顔色だってあまり良いとはいえねぇ。どっか具合でも悪ぃんじゃねぇか、彦蔵さんちっとも休まねぇからなぁ』

 

彦蔵も自身の体の異変に気がついていた。一度咳き込むと中々収まらないことや、夜に横になるとときおり背中に激痛が走る事がある。どこか体にガタが来てると。それでも学もなく名家の出でもない自分を重用してくださる望月様へのお返しと、里の父と母、それにゑいに楽をしてもらいたいという気持ちを全うするには、今のうのうと休んでいるときではないことを知っていた。

 

『俺は無名なままでいい、一番望ましいのは望月様の従者みてぇな役回りが良い。でもな、貧乏な百姓から官営規範工場の理事の侍従にでもなれたら、ちっぽけな菅村じゃぁ大騒ぎになることだろう。百姓の他は蚕で細々と暮らしている菅村の皆の衆の希望の星にはなってみてぇ。そうだ、郷土の誇りくらいにはなってみてぇな』

寅松と別れ、事務所へと歩を進めながら彦蔵はそんなことを考えていた。

と、突然激しい痛みが彼の体を襲い、彦蔵は事務所入口ドアの前に倒れ込んだ。

 

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はい、今夜はここまで。

聞くところによると、官営時代の富岡製糸場は、今で言う「ホワイト企業」だったらしいです。

ただそれは官営規範工場という特別な場所であったからに違いありません。

それが結果的には排他的でモラルを低下させてしまうという弊害を招きこむことにつながるのですが。

全く皮肉な話です。

 

若き彦蔵を襲う病魔。彼は郷土の星に間に合うのでしょうか。

また明日ね('-^*)/


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題:【雨男】第1章第2章最終章

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題:【老人の夢】

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