アルファロメオの登場する短編小説Season13-2 | 社会不適合オヤジⅡ

社会不適合オヤジⅡ

好奇心、いよいよ旺盛なもので・・・

人並み以上の苦労とそれを奮い立たせる信念を持った富澤。
彼の望む「希望の丘」レストランはどのように進み、どのように変わって行くのでしょう。
そして彼の最大の理解者、奈津子との行末は。

ドラマティックな展開になりましたらお慰み(^_^)/


題:侵されざる聖域

第3章:それぞれの想い

富澤の企画によるイタリアンレストラン、「希望の丘」第一回目の建築打ち合わせは富澤の強い要望を推すこととなり、施工会社である豊国建設の主任設計士関口との打ち合わせを数度か繰り返すことになった。

そしてどうやら双方の想いが重なり始め、着地点が見えてきていた。

「関口さん。私はあなたに出会えて本当に良かった。最初に打ち合わせを行った時、私は本当は言い難かったんですが、それでも心を奮い立たせてきちんと訴えたんです。今から思えば本当に失礼なことだったと反省しております。けれどこうやって御社も、そして関口さんももちろん施主の私が納得のいく建築図面にまで漕ぎ着けられた事実を思えば、やはりあの時思い切ってお伝えしてよかったと思います。本当にありがとうございました」

富澤は建築の専門家ではない。だが実際に様々なレイアウトのキッチンで這いずりまわって働いてきたという経験がある。これだけは設計士にも建築の専門家にも知り得ない、現場の思いがあるということを表現したかった。そしてそれが形になっていくさまを興奮しながら感じていた。

「富澤様。ありがとうございます。私もこの会社で30年以上設計部に所属して日本を代表するような建築物にも参加してきまし、多くの商業施設の図面も引いてきました。ところが自分の想いが十分に投影できた建築物がいくつあったかと振り返ってみると、予想以上に少ないことに気が付き始めていました。そんな時富澤様にお会いして先日のご指摘を頂戴したものですから、これはきっと天啓のようなものかもしれないと、申し訳ないのですが自分の都合の良いように理解したんです。お礼を言わなければいけないのはこちらのほうです。ありがとうございます」

関口の言葉に嘘は微塵もなかった。建築設計を学んで資格を得て、右も左もわからずに飛び込んだこの業界。関口に待っていたのはワンルームのアパートの間取りを一つだけ作り、それを繰り返しコピーペーストして一棟のアパートを「設計」する仕事ばかりだった。
これじゃぁ設計とは言わないのではないか。俺はこんなことをするためにこの仕事えを選んだんじゃない。関口は豊国建設という途方も無く大きい会社の片隅でくすぶっていた。
きっかけはバブルの崩壊だったのは皮肉なことだった。
バブル崩壊時、建築業は尋常ではない経営危機に瀕し、それはさすがの豊国建設にも大きな打撃を与えた。そして希望退職者とそれを遥かに上回るリストラ。ギスギスした空気が会社全体を覆い尽くしていた。
長男だった彼は故郷の和歌山の両親から地元での再就職も懇願されていた矢先だった。
好景気であれば郷里でも十分に働き口は見つけられた。ところが不景気にな言った途端、地方の財政は中央のそれとは比べられないほど急激に縮小して、気がつけば彼は豊国建設にしがみつくしか選択肢はなくなっていた。

役員の交替も多少あり、経営はスリム化されて淀んでいた会社内の空気が以前より清浄になったのはバブル崩壊の思わぬ恩恵でもあった。
元々真面目で学究的な関口は彼の努力と経験と、そして建築設計に対しての確固たる信念がそのまま評価されて40歳を迎える前にどうにか課長まで登りつめた。
そしていまは誰からも尊敬される「豊国建築の主任設計技士」という地位を与えられるまでになり、代が変わった新社長の右腕として思う存分に彼の思いをCAD図面に投影できるようになっていた。



「富澤様、実は私も家内も洋食には目がないんです。ボーナスが出る時だけは洋服とか旅行じゃなく、普段はとても行けない高級なレストランに行くほどです。このお店が開店したらぜひ家内と二人で食事させてください。何しろレストラン経営学のリーダーでもありヨーロッパの三ツ星店をいくつも歩んでこられた富澤様の初めてのお店でしょう。マスコミからも注目されています。ぜひ宜しくお願いします」

「もちろんですよ関口さん。こちらこそお願いしてオープン日には御社の社長さんと先代の社長様、その他関係の皆様には来賓席をご用意しなくてはいけません。奥様とお二人でぜひお越しください」

打ち合わせは順調に回を重ね、2階建ての鉄筋コンクリート造、地下にはワインセラーと納戸を設けた「希望の丘」は、着々と完成へ向けて工事が進んでいった。


第4章:Alfa Romeo 2000Berlina


鍬入れ式を行ってから既に一年半、どうにか富澤の「希望の丘」は竣工式を向かえるまでになった。

「祐也さん、車で行くの?乾杯のお酒が出るんでしょう?明日はタクシーで行きましょうよ」菜津子は竣工式に着ていくドレスをどれにしようかとクローゼットをかき回しながら富澤に聞いた。

「あぁ、本当はタクシーで行けたらそれが一番だ。でもね、俺はあの四角いオンボロなアルファロメオとともに夢を描いてきた。そしてそれが始まろうとしている。それなのにアイツと一緒にその日を過ごせないのは心が痛む。明日は奴のエンジンを思い切りぶん回して一緒に歓びを分かち合いたいんだ」
富澤は中古で手に入れてからもう20年にもなる、あの1972年式アルファロメオの箱型セダンを自分の相棒として長く愛し続けていた。コックの修行で貯めた金でフランスやイタリアのレストランへ片道切符で出向き、カタコトの現地語を駆使して働いてきた。彼もまた関口と同様、自分の目指すものに向かって必死でかじりついていった。
そしてそんな時、彼は街中を走るアルファロメオのセダンに目を奪われた。

『なんだあのへんてこな車。あんなものを作ってるから日本車に置いてきぼりを食うんだよ。東ドイツとかソ連の車みたいな忘れ去られたデザインの車じゃないか。どう見ても今の時代を走る車には見えないぜ』

最初はこんなふうな悪い印象しか持てなかったが、ある時彼は運転する機会に恵まれた。
彼が運転したのは1969年製の1750ベルリーナだったが、これで彼の印象は180度変わってしまった。
アクセルペダルの裏にキャブレターが付いているのではないかと思われるようなエンジンのレスポンス、レッドゾーンに飛び込んでもまだ喜々として回りたがるエンジン、ある程度のロールは許すものの、その代わりに懐の深いコーナリングを呈してくれ、安心してステアリングを切り込める。対角線上にキャビンが傾き、ピレリのタイヤは鳴きもしないが、ステアリングの反力に抗ってなおも斬りこむと、ピレリはいよいよ静かな悲鳴、いや歓喜の声を静かに上げながら穏やかにテールがブレークを始めて、オーバーステアへと移行し始める。サイドフォースの限界が高くないタイヤであればそのブレークも穏やかで、ステアリングを戻し始める切っ掛けも車の方から教えてくれる。

『・・・・なんじゃこりゃ!イタリアのセダンっていうのはこんな車だったのか!!』



帰国後に彼はこのベルトーネデザインのセダンを探して回った。
幾つか著名なレストランで働いていたため懐には多少の蓄えもあり、何とか程度の良い2000ベルリーナを見つけ出すことに成功した。
それは彼が35歳の誕生日を向かえる一ヶ月ほど前の事だった。

あれから20年ほど、様々なことがあった。

『この先、俺には何が出来る。菜津子を幸せにすることか、それとも自分のまだ見ぬ世界をひたすら追い求めていくだけか。厨房から足を洗ってコンサルタントのようなことばかりで、俺は本当に満足なのか』

彼が考え事をする時、新しいアイデアを思いつく時、それらは常にこの四角い車を運転している最中だった。今回の「希望の丘」計画も、ここ10年ほど前に運転しながら決心し、ずっとあたためてきたアイデアだった。

『俺は苦労してきたことに何の不満も満足もない。けれど今の若い奴らはどうだ。苦労しても報われない真面目な青年におれは俺の人生を繋ぎたい。俺には俺の意思や思いを受け継いでくれる者が居ないからな。俺の知り得る全てを継承してくれる若き人財を探そう。そして俺の思いを受け継いでいってほしい』

そう決心した時、2000ベルリーナは高らかに排気音を残しながら、溜池の交差点を曲がっていった。




第5章:Colle di speranza

竣工式に向かう富澤と菜津子は2000ベルリーナの中にいた。

「祐也さん、いよいよね。私少し緊張してる」そう言うと菜津子はバッグからペットボトルを出して一口飲んだ。

「俺だってそうだよ。店を任す勝山くん夫妻にはなんの心配もしていないけれど、これから15年間銀行へ返済を続けなくちゃいけないのだからね。今まで以上に忙しくなるぞ」富澤は発した言葉とは裏腹に己の心のなかが晴れ渡っていることに気がついていた。

首都高速4号線を代々木で降りて井の頭通りと出会った交差点を右折し、そのまま井の頭通りを走る。
駅前の交差点を抜けて小田急線をくぐり、その先を右折。俺達の希望の丘はもうすぐだ、富澤はそう思った。
この辺りは富澤が24~25歳の頃に時々来た場所だった。記憶は定かではないが、確か小田急線は高架ではなかったような気がする。駅前だというのに商店街など無く、民家が多数あったように思う。
駅の北西側はゆるやかに上り勾配で、かつ起伏に富んでいた。大きな門構えの立派な日本家屋やモダンデザインの鉄筋コンクリート造の家もあった。そんな昔の風景は今はなく、大きなマンションや駅前には今風のお店が並んでいた。

「いいかい菜津子。この緩やかな起伏に立つ『コッリ・ディスペランザ』は俺の仕事の総仕上げだ。だから菜津子には助けてほしい。レシピの作成や販売促進、イベントの企画、アルバイトの訓練など、勝山君の奥さんと二人でお客さんに喜ばれる店、ここじゃなくちゃ嫌だというお客さんを一人でも多く作り上げていってほしい」

富澤には勝算があった。もちろん賭け事のような事業を行うつもりもなかったが、すっかりと火が消えたようなディナー型レストランという業態を再興させる自信はあった。
店の名前はずっと前に決めてあった。富澤がイタリアで修行している時に知り合った女性から聞いた言葉。
彼女は富澤に恋心を抱いていたのだが、日本に戻るまでにはそう長い時間はない。叶わぬ恋だと彼女はもちろん、富澤も理解していた。

ある時食事をしながら彼女がこうつぶやいた

「Sei le colline della mia speranza・・・」

少しだけイタリア語にも慣れてきた富澤は、それが「貴方は私の希望の丘よ・・・」という意味であることが理解できた。

富澤はその返事に、
「ありがとう。もし俺が日本で自分の店をオープン出来る日が来たら、店の名前は"Colle di speranza"と名付けよう。約束する」

彼はそう言って彼女の手を取った。今日はその約束を果たす、意味深い日だった。


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あ~!終わらない。。下書きよりも随分紆余曲折して、やっとここまでたどり着きました
ごめんなさい。もう一日必要です。明日で完結します。乞うご期待(^_^)/



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