消失してしまった小説を再掲 | 社会不適合オヤジⅡ

社会不適合オヤジⅡ

好奇心、いよいよ旺盛なもので・・・

以前のアカウントで書いていた「アルファロメオを題材にした小説」で、保存できていない作品を再掲しようと思います。
本日は三作あるショート・ショートのうち、最新の第三作目「天の果実」をお送りいたします。
初めての方はどうぞコメントにて小生のその愚筆ぶりをお諌めください。
すでにお読みの方は・・・・またかとおっしゃらずに最後までお付き合いくださいませヽ(=´▽`=)ノ

では!!
*************ここからスタートです!!**************

さてさて~調子に乗ってまたまた小説モドキに挑戦!!

今回は新しく読者様になられた方のからのご提案で、今までと少し違う味わいで書こうかと思ってます。
私が書いた変な小説(みたいなもの)でも、楽しんでお読みいただいていることに感謝しております!
んじゃ、行きまっせ~!

題:天の果実

第1章

季節は秋。五十も後半の相葉は一人で、通い慣れたアウトドアショップに併設された喫茶店で珈琲を飲んでいた。
煙草は数年前にやめたので、珈琲を頼むとついつい口淋しくなり甘いものなど欲しくなる。
五十歳を境に代謝が落ちてきてることも十分理解しているし、実際健康診断でもA評価ばかりということでもない。
相葉は若い頃からの趣味だった山歩きを今でも行ってることが唯一、その不安を拭い去れる自分へのエクスキューズにしたかった。



「ほう。こんなコースも面白そうだ。これなら俺でも十分、日帰りで行って来れそうだ」

アウトドアショップで手に入れた低山徘徊を特集した雑誌を目で追いながら、彼はこの前から好物になったナッツタルトを齧った。

「このタルトってやつは携行食にいいかもしれないな。高カロリーだしミネラルも採れる。軽いし嵩張らない。トレッキングの休憩時に紅茶とともに摂取すれば、疲労回復効果は期待できそうだ」

元来が理科系の相葉はそんなことを考えながら、手元のスマホで今見ているコースのマップを立ち上げ、簡便な日帰りコースを想定してみた。

「先ずは自宅から車でアプローチ・・か。車はこの辺りに停めて、その先のバス停裏から入山だな。この混みいった等高線からすると尾根まで直登か。歩き始めですぐにこの長い急坂は辛いかも知れない。帰りのコースならいいかもしれないが、別な入山地点は・・・と。あぁ、もうすこし先の、この民家の脇から入って小川 を渡って、それから斜面を巻くように登れそうだ。これなら40分ほどで稜線へでられそうだな。うん。このアプローチならば体を暖めながら順応させられそうだ」

スマホのマップは全体像を掴むのに最適だった。
コースとしての候補の振り分けの、まず一歩目として大いに役だった。この段階でボツになるコースが数多かったことも事実だった。

近ごろは中高年の登山がちょっとしたブームになっている。
アウトドアショップには、そんなニューカマーのための登山入門コーナーや汗臭さを感じさせないおしゃれなウエアーなどが所狭しと陳列してある。
相葉はマーケットが拡大すれば選択肢も増えて、そのオコボレに預かれるかとブームが起こった最初の頃はウエルカムな感覚でいた。
けれどブームが浸透していった頃、あまりにも非常識な連中が跋扈するようになってしまったことを苦々しく思い始めるようになっていた。

『あのさ、お前ら死ぬ気なの?この天候で街着のようなジャケットじゃぁ、雨が降ってきたらレインパーカーぐらいじゃ体温低下は防ぎきれないぞ。第一なんだそのストックは。いや、ストックが悪いわけじゃない。ノルディック・ウオークは有用な低山徘徊の手段だが、きちんと使い方習得してから山に入れよ。それじゃぁ ノルディック・ウオークになってないし、第一この狭い杣道で振り回されたら周りの者の迷惑だ』

20代、30代の頃、何の変哲もない山歩きでも死ぬか生きるかを数度繰り返してきた経験のある相葉は、どう見ても山の怖さを知らないと思われるそんな中高年の山ガール、いや山姥たちを見てこの無責任さを感じるブームの仕掛け人を呪った。
気持ちが浮遊しているかのような、そんな時、突然彼は声を掛けられた。

「あの、失礼致します。これ、お客様のでしょうか」

視線を窓の外に向けていた相葉は突然そう声を掛けられて、コーヒーをこぼさんばかりの反応で振り返った。

「あ、ハイ? え~と、はい・・・あ、そうです私のです。あ、これ、さっき買った時の・・・」
「えぇ、 そうです。確かお客様は買い忘れたものがあるとおっしゃって、先にご精算されたお品物をお預けになりましたよね。レジでお預かりはできないものですから、 私どものインフォメーションカウンターでお預かりさせていただくのです。ずいぶん長いことお戻りにならなかったので心配になって店内を探したのですが、もしかしたらこちらかしらと。でも良かったですお帰りにならないうちにお会いできて」
「説明が不十分で大変失礼いたしました。お渡し出来て安心しましたが、今後このような事がないように十分気を付けます。レジ担当のものにも再度インフォメーションカウンターの説明の徹底を致しますのでお許しくださいませ」

相葉は自分の忘れっぽさに改めて嫌になったが、それよりもこのなめらかに、そして卒なく過不足無く朗々とわかりやすい言葉で経緯説明と謝罪、そして今後の改善行動まで言葉に出来る女性に驚いていた。

「え・・、いいえ、そうだ。言われてみればインフォメーションカウンターの説明を受けた記憶がありました。けれど買い物を始めたらすっかり忘れてしまって・・・いやぁもう年ですかねぇ。私の不手際ですから、そんなに気になさることじゃありません。ありがとうございます」

相葉は妻と娘との三人暮らしだった。
しかし昨年その娘も嫁ぐことになり、安心して嫁に出せる相手だったことに安堵したことは確かだったが、久しぶりに夫婦二人だけの暮らしというのは気楽なようで寂しいものだと改めて感じていた。

それでも今のところは仕事もあるし僅かだが蓄えもある。
山歩きができるうちは大丈夫だろうと、もし車の運転や山歩きが億劫に感じられるようなことにでもなれば、その時は俺はついに老齢期に入ったと自覚しなきゃいけないと自分に言い聞かせていた。

「さて、帰るか」

相葉は誰に言うのでもなく伝票を手にレジへ向かった。
左のポケットには蛇が人を飲むデザインのキーホルダーにつけられた愛車の鍵がある。
使い慣れたキーホルダーをポケットの中で弄びながら、彼はゆっくりと店の外に出た。



彼の愛する車、それはアルファロメオ156。
エンジンはV6の2500cc、1970年代に登場したアルファロメオの歴史的なエンジンの純血種の末裔だ。
この60度のスロークランクV6は特徴的なバイブレーションを持ち、21世紀のエコカー全盛の現代から見れば前時代の遺物だろう。
ところがこの艶っぽいセダンは駆動輪こそ前ではあるが、コンパクトなボディを操るには素晴らしい出来の足回りを備え、その前時代的な乱暴なエンジンを思い切り使い切れるだけの懐の深い受容性を備えている。
誇張して言えばあたかもデザイナーとエンジニアに芸術家を揃え、彼らの感性だけで作られたような車にさえ思えた。
今では望んでも絶対にどこのメーカにも存在しない、そんな156に相葉は惚れ込んでいた。


第2章


「次はどこ?アルプス?それとも八ヶ岳?」

相葉の妻、諒子は台所を片付けながら振り返りそう訊ねた。
「・・・谷川岳かな。お前も行くか?」

「そうね。気圧配置が冬型になる前なら私も行ってみたいわ。氷の壁になってしまったらとても無理でしょうから。でも仕事の都合がつくかなぁ・・・」

どうやら相葉は谷川岳の一ノ倉沢を狙っているようだった。とはいえ、自分の年齢と体力を十分にわきまえている彼はロープウエイの土合駅からマチガ沢出合、そして旧道の一ノ倉沢出合、新道の一ノ倉沢出合、そして谷川岳登山指導センターへと進むコースを考えていた。

高校から大学にかけて関東近郊は勿論、若さに任せ上信越の山々を制覇すべくストイックに登山を行っていた相葉は、携行食のクッキーまで自分で焼いて持ち歩くほどの猛者だった。
今とは違い、その当時はまだ高栄養の携帯食料は販売されておらず、歩きながらも必要な熱量と汗で排出されたミネラルや塩分を適度に消化し、迅速に吸収させられるような携行食料は自製するほか方法がなかった。

彼は大学で栄養学を専攻している友人のつてを辿り、管理栄養士を目指す1つ年下の女性に出会った。それが今の妻、諒子だった。
諒子は彼の考える携行食料に非常に興味をいだき、アメリカでは既にベトナム戦争の頃からその手の食料が開発されていることを探し当てた。いわゆるレーションだ。
戦争のおかげで文明が進歩するというのはやるせないほど皮肉な話ではあったが、諒子は現物をアメリカから取り寄せ成分分析を行い、成分のみならず長期保存が可能な理由や製造方法まで推測することが出来た。
それからと言うもの、相葉は登山のたびに諒子の試作品を持たされ、云わば生体実験のモルモットのような役割を努めさせられる羽目になった。



当の相葉はタダで非常携行食が入手できることに不満があるはずがなかった。
しかも当初はとても褒められた味ではなかったそれが、次第に進んで食べたくなるほど良好な味へと変わっていった。
挙句の果てに彼は、握り飯やインスタントラーメンなどを全く持たずに諒子の試作した非常携行食だけを持ち、途中一面の雪原でビバークが必要なほどの厳しい冬山へも出かけるまでになった。

「あなたのおかげで私は食糧品開発メーカーの研究員に就職できたようなものね」と諒子が言う。

「ん? あぁ。俺も今、昔のことを思い出していた。諒子の作ったクッキーはうまかったな。生理食塩水にクエン酸と香料と甘味料で飲みやすくしたドリンクもうまかっ た。昔はさ、運動してる時水など飲むとバテるとか言ってOBは水を飲ませてくれなかったものだ。今から思えば危険極まりない話だけど、当時はそれが常識 だったよな」

「そうよ。その頃から私は警告してたのよ。体温調節が難しくなる脳へのダメージと、血液中の水分の減少が血圧の上昇を招くとともに血液そのものの流動性も失わせることになるって。それが過酷な運動をする山岳部のみんなをどれだけ危険の淵へ誘いこむことになるかって」

「本当にそうだ。諒子の卒論は運動生理学と食事を統合した論文だったろう?あれは当時の学者さん達を刮目させたんだもの。でもな、この俺こそが諒子の先進性をいち早く見つけたんだぜ。だからこそハンガーノックにもならず多くの山々を越えることができたんだし」
「そうね。あなたはずっと私の実験のモルモットさんだったわね。ありがとうございました」

諒子はそう言うと相変わらずの愛らしい瞳を一層丸くして、そしておどけてペコリとお辞儀をした。
相葉は諒子という女性について、人生唯一無二の最良のパートナーだと思っている。それはそのモルモット時代からずっと変わらない。彼はこの年になるまでずっと長く一人の女性だけを愛し続けている事実に満足していたし、幸せなことだと思っている。


第3章

「行ってらっしゃい、気を付けて。帰りは明後日ね。ムリしないでね、もう若くないんだから」

結局諒子はスケジュール調整が合わず、一ノ倉沢トレッキングは相葉の単独行にならざるを得なくなった。
相葉を送り出す諒子はいつも同じセリフで彼に声を掛け、そして手を振った。
相葉の乗る愛車、アルファロメオ156はV6特有のバイブレーションを伴う排気音をリエゾンさせながら遠ざかっていった。
目指すは雪を頂く前の谷川岳、一ノ倉沢だった。

谷川岳の標高は思ったほど高くはなかった。
けれども複雑な地形は急峻な岩壁を擁し、また天候もめまぐるしく変わりやすい「魔の山」だった。
尤も彼が予定しているコースは上級者でなくとも一ノ倉沢を十分に楽しむことができるコースであり、同時に谷川岳ロープウェー土合口駅を中心とした周遊コースでもあるため、様々に変化する風景を眼前で楽しめるお手軽コースであった。



相葉にとって何度目の土合駅だろうか。
慣れ親しんだこの駅舎を見ると心が落ち着くと同時に、これから始まるトレッキングへの興味が湧き上がり、十分に充実した時間をすごせる興奮も覚えるものだった。
やがてマチガ沢出合へと到着した。

相葉にとっては足慣らし程度のコースでもあったため、その後も順調な山行だった。
風景をデジカメで撮影するだけではなく、時にはマクロレンズで草花の接写をしてみたり。
健脚な彼なら2時間と少しで踏破できるコースだったが、ゆっくりと3時間ほどで谷川岳登山センターへと辿り着いた。

彼は背負ってきたザックからコッヘルとストーブ、そして諒子の作った携行食を取り出して昼ごはんと洒落こんだ。
今日のメニューは鮭の幽庵焼きと炊き込みご飯、なめ茸と豆腐の味噌汁に川海老の佃煮だった。
どれも熱湯で戻すだけで暖かくて風味豊かな食材へと変わる。

思えば始めの頃の携行食といえばビスケットのようなものばかりで『菓子ばかり食べて登山が出来るか!!』と、彼は本気で諒子を罵倒したのも懐かしい。
あれから35年、見違えるほど味も見た目も栄養価も申し分ない携行食へと進化して、今では彼女のプロデュースした食材は自衛隊でもレーションとして導入されるに至っている。
大規模災害時にも重用されて、避難先での食事として大いにその役割を果たしていた。



「ん?あの方は・・・」相葉は駐車場を横切って行く一人の女性に目を留めた。

あ!もしかしたら。。。相葉は立ち上がり、大股で彼女の元へと歩を進めた。

「あの、すみません。不躾に失礼ですが、あなたはもしや・・・」

「あ!はい。先日お会いした相葉様ですね。今日はこちらにお出かけになったんですか」

その女性は先日インフォメーションカウンターで忘れ物をして相葉を探しに喫茶店まで届けに来てくれた彼女だった。

「私もトレッキング、するんです。アウトドアショップのマネージャーが実際の山歩きをしていないというのはお客様に対して裏切りのような気がしまして」

相変わらず生真面目で卒のない受け答えだ。相葉は彼女と食事の席まで、と言っても切り株を椅子とテーブル代わりにしたものだったが、促した。

「まぁ凄いお食事。これ相葉さんこんなお食事をいつもなさっているんですか?」

「あ、あぁこれは女房の開発したレーションだ。今でこそ立派になったが、昔はね・・・」

「そう!きっと奥様は相葉諒子さんでしょ?そうに違いない!凄いわ。携行食開発の第一人者の相葉さんのご主人だったんですね」

アウトドアショップのマネージャーである彼女は非常携行食のパイオニア、相葉諒子の名前を知っていた。

「ご存じですか、うちの諒子の事。ありがとうございます。本当は今日も一緒に来るはずだったんですが、どうしてもスケジュールが合わなくて。私も今日がダメだと雪が降る時期まで時間が取れなかったんです」

「今度是非奥様にご挨拶させて下さい。うちの店でも相葉様のレーションを扱わせていただきたいとずっと願っていたんです。是非よろしくお願いいたします」

「味見してみますか?まだこれ、手を付けてないですし」相葉は幽庵焼きを差し出した。

「ありがとうございます。遠慮無くご試食させていただきます」

彼女はザックから自分のスプーンを取り出し、食べてみることにした。

「あぁ、やっぱり凄い。相葉先生のレーションは次元が違う。美味しいです」

結局その後、食べかけだった炊き込みご飯も川海老の佃煮も、味噌汁も一人前の食事を二人でわけあって食べることになってしまった。
今回の食料の熱量は、相葉の年齢や体格、ザックを含む体重、歩行時間、山道の勾配計数などを勘案し1,350Kcalに設定して準備してきた。
これを二人で分け合ったらまずいな、と途中で考え始めたものの流石に言い出せなかった。
まぁ後は帰るだけだったし、天候も穏やかで急変するような天気図でもなかったので、相葉は若干の、物足りなさを感じながらも食器を片付け始めた。

「これ、どうぞ」彼女はバンダナに包まれたランチボックスを差し出し微笑んだ。

「私が食べた分、相葉さん補給しておかないと。まだ駐車場まで出るにはもう少し歩く必要がありますから」

相葉は躊躇したが、彼女はさっさと包みを広げ食事の続きを準備し始めていた。


最終章

諒子の製品は結局そのアウトドアショップにおかれるただけではなく、生活習慣病の改善のための食事療法として医療機関でも用いられるまでになった。
こうなると「レーション」などという呼び名は不適合で、誰もそう呼ぶようなことはなくなった。

『今日は車でも磨くか』

相葉は半日だけ空いた時間を持て余して、156の洗車をすることに決めた。
彼の156はシルバーグレイ。一番地味な色だったが、特にこのフェーズ1モデルの156は、この控えめなシルバーが最も似合っていると思っていた。



この車は思い出が詰まってる。諒子と出会って結婚し、15年前にこの車に買い換えたんだ。
ちょうど諒子の商品が世に出始めた頃だった。
俺は諒子と知り合ってからずっと、いつかはアルファロメオに乗りたかった。
学生時代からアルファロメオに惹かれてたし、学生時代にはジュリアの中古車を無理して維持していたこともあった。
156はグローバリゼーションが進んだ、普通に維持できるアルファロメオだという触れ込みであったことも興味を惹かれた。

ところが全然普通じゃない。おそらくこの前のモデルの155から乗り換えた多くのアルフィスタは新旧アルファロメオの混在する、この156に戸惑いと違和感を感じたに違いない。
驚いたのは諒子が大層この156を気に入ったことだ。
自分で車を運転することのない諒子がこいつを買ってからというもの、ことある毎に乗りたがった。
俺は諒子と山歩きを通じて知り合って、そして付き合いが始まり自然に互いに惹かれていった。
人生をともに歩もうと決めた相手に選んだことを一度も悔やんだことなどないばかりか、俺にとっては望外の妻だったと、今更ながらに思う。

相葉は一度水道の蛇口を捻り、水を止めた。セームクロスで水気を拭い取るに連れて、シルバーフレークの混じったそのボディは次第に輝きを戻していく。

夫婦ってのは不思議なものだ。
もし俺が諒子に出会うことがなかったらもしかしたら俺はアルファロメオにもう一度乗ろうなどと思わなかったかもしれないし、買ったとしてもこんなに長く維持してこなかったように思う。
あいつは学生の頃からずっと研究熱心で、アカデミックな学者肌を持つ女性だったが、だからこそこういうへんてこりんな魅力にあふれる車と相性が良いのかもしれないな。
それはきっと俺のことでもあるんだろう。

相葉はボディ塗装の保護液を塗り広げ、洗車の最後の仕上げをしていた。

「あなた、おやつにしましょうよ」玄関を開けて諒子が声を掛ける

「おぉ、もうすぐ終わるから。すぐ行くよ、ありがとう」相葉はそう答えると、急に現実世界に引き戻されたような違和感を感じて苦笑いした。

幸せって、こういうことなのかもしれん。
娘は俺とは全く違うタイプの旦那と一緒になったけど、あいつも諒子にそっくりだ。
こうやって人ってやつはまた小さな小さな、新しい社会を創りだす。

『俺は・・俺は・・まぁ幸せな人生を過ごせて来たってかんがえていいのだろうな』

相葉はラバー部分の艶出しを終えて、洗車の仕上げとした。

「あなた、珈琲冷めちゃうわ」再び諒子が声を掛ける

「うん、もう終わった。すぐ行くよ」

相葉はこの頃、自分の人生がゆるやかに終焉の夕日に照らしだされていくことを感じ始めていた。
先日の一ノ倉沢山行も、初心者向きコースだったくせに若いころには考えられないほど疲労が残った。

『お前といつまで一緒に暮らせるかな』

綺麗に磨き上げられた156を見遣って、相葉は人生最大の相棒である諒子の淹れてくれた珈琲を楽しみに部屋へ上がる。
そう、きっと諒子のお気に入りの菓子皿には、諒子の焼いたサンプルのクッキーが乗っているに違いない。
相変わらず俺はモルモットだな。だがそれは、自分自身に対する最大の賛美であることを、既に相葉は理解していた。



*******************完********************


このショート・ショートは昨年の12月12日にアップしたものです。
ちょうど私と同年代の夫婦を題材に、ご主人も奥さんもそれぞれが独立した「個」というものを持ち合わせている、そんな夫婦像を描きたかったのが、この小説を書いたきっかけでした。

いつも下に記してあるFC2ブログへのリンクには、昨年11月1日以降のものがストックされていません。
小説くらいは保存掛けておこうかと、この前の916スパイダーの記事のように再掲させていただきました。

最後までお読み下さり、ありがとうございます。  また明日(^.^)/~~~






ご興味があればこちらに過去記事(2010年10月~2015年10月)があります。
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