ある無名な男の生涯 Season2 | 社会不適合オヤジⅡ

社会不適合オヤジⅡ

好奇心、いよいよ旺盛なもので・・・

時代は江戸末期を迎えます。

特別恵まれた家に生まれたわけでもない彦蔵が時代の変革に飲み込まれていきます。

それではSeason2、始まりです。

 

題:『ある無名な男の生涯』

 

第二章・・養蚕

 

慶応4年のこの年、彦蔵は未だ家の周り半径一里ほどの世界しか知らず、生業(なりわい)は選択の道がなく、百姓を手伝いながら10歳の誕生日を迎えた。

時代は明治へと変わることになり、長く続いた歴代徳川将軍による統治は天皇家にその権を返納して、日本は列強の西欧諸国からの支配を免れるよう国力の増発に勤しむ道を選んだのだった。

 

「おっ父、徳川様は居なくなっちまったのかい?おら達の村は藩主様のおかげで毎日を暮らしてるけんど、このまま一体どうなっちまうのか、おらは心配でなんねぇ」

わずか10歳の彦蔵は相変わらずの好奇心と知識欲の高さに、幼いながらもこれからの暮らしについて父親である源蔵に思いの丈をぶつけたのだった。

「おぉ、俺もな、よく分からんのじゃ。今年の年貢も今まで通りの納め方でいいものか、それとも年貢そのものも別な納め方になるのか、良う分からんのだ」

大都市では自由民権運動も始まっており、旧武士たちの不満がくすぶり続け、有名な西南戦争の鎮圧を迎える頃には、旧武士に与えられていた士族の特権も霧散してしまった。

 

幼い彦蔵には職業という概念はあやふやだったが、父と母とゑいを守ることが生まれ育ったこの家を守ることになるのだとの理解はできていた。

兄弟はこの時代には珍しく、妹のゑいだけという二人きりであった。

彦蔵にはこの3つ年下のゑいが可愛くてならず、自分はゑいを守り、きちんとした身分の家に嫁入りをさせたい。わずか10歳にしてそんな決心していたことが、先の問いかけとなって口を突いたのでもあった。

 

****4年後****

 

「おっ父!オラな、すげぇ事聞いてきたさ。庄屋さんのところでやっているオカイコ(養蚕)を、オラの家でもやってみねぇかと言われたのさ!桑の木は畑の周りに植えてあるし、あとはお蚕の種だけ買って、棚を作れば少しだけかもしれねぇが、オラのうちでも繭が作れるってことだよ。お願いだお父、おれにお蚕をやらしてくれねぇか」

彦蔵は14歳になっていた。この頃になると農作業の合間に街に度々顔を出し、人夫仕事や日雇いの土建の手伝いなどをして現金収入を得るようになっていた。

そんな彦蔵がどこから聞いてきたのか、養蚕の仕事に興味を持ったのであった。

 

富国強兵のもと、絹織物は当時の外貨獲得の先鋒であり、横浜の港からは高品質な日本の絹を求めてオランダやイギリスの貿易船には関東近県から集められた絹製品が大量に積み込まれていた。

そんな噂を聞きつけた彦蔵は地元の菅村が養蚕でも有名な村であることを知り、販路が確立しているこの地であれば、養蚕業で田畑のみでの収入に頼らない生き方ができないかと思い立ち、庄屋さんにその可能性を尋ねたのだった。

 

「おぉ彦蔵、よく聞け。お蚕さんは生易しい仕事じゃァねえぞ。ほれ、この前ここに遊びに来ていた寅松なぁ、奴は昔からお蚕を熱心にやっていたんだが、繭だけで飯を食えるようになったのは10年かかったんだと。おめぇがこれから10年お蚕を諦めずにやるっていう気構えがあるのなら、それならやってみろ。ただな、途中で泣き言を言い出すのなら今のうちからやめちまえ。いいか、腹を括ってやれるか?」

 

父親は既に養蚕の難しさと安定的に絹を出荷できるまでの苦労を知っていた。

単に繭だけを売るのであればさほど難しいことはないものの、それでは大きな稼ぎにはならない。

繭を煮て絹を引き、そして絹糸へと撚り上げて出荷する。ここまでやれば市場に出して一応の収入にはなる。しかしそれも高品質で一定量の絹糸を安定的に製造できるといったことが求められるのだった。

先の寅松からは今までにも何度か養蚕をする勧誘を受けてはいたが、トミと二人では先祖から受け継いだ田畑を守っていくだけで精一杯だと、寅松に断りの返事を続けていたのだ。

一方、彦蔵は養蚕という仕事は百姓以外での収入の道を作り上げられるのではないかという、自分達の行く末に希望を託せる仕事に思えたのだった。

例の武具を仕舞ってある廃墟のような家を、彦蔵は暇を見つけては手を入れて蚕室として使えるように修繕していった。

妹のゑいを守るため、そして育ててくれた父母への助力となるように、そしてなにより生来の知的好奇心が、彦蔵をして養蚕という仕事を始める決意を揺るぎないものに突き動かせしめた。

彼は早速寅松に養蚕のイロハを教えてくれるよう懇願し、寅松はついに己が信ずる養蚕業の将来性を発展させる協力者が現れたことが嬉しくて堪らなかった。

例の武具が仕舞ってある、今はもう半ば崩れかけたような牛小屋兼納屋の二階を改築し蚕棚を設け、一階には粗末ではあるけれど寅松が見様見真似で開発した繭玉を生糸へと紡ぎあげる機材を設置した。

 

記念すべき養蚕業の手始めとして、彦蔵は寅松から分けてもらった蚕のタネ(卵)を育てて幼虫にし、納屋の二階の蚕室へ敷地内に生えている桑の葉を与えてたくさんの蚕を育てることとした。

とりわけ繭を煮返して生糸へと紡ぐ作業は彦蔵の目には興味深い光景だった。

そして寅松が慣れた手順で出来上がった生糸を糸巻きに巻いていく光景は、彦蔵の心の深いところを激しく興奮させた。これも後に知人に語ったのだが、この最初の一束の生糸を手にしたときが彦蔵が養蚕の最大の魅力とその可能性を実感したときだったと伝えていた。

 

最初のシーズンは、それでも全くの成果がなかったわけではなかったが、父親の言った助言はまさにそのとおりだった。

蚕室の温度や与える桑の葉の量などの、いわゆる生産管理のノウハウが無い彦蔵にとって、命ある蚕を育て上げ、繭を作らせるまでに至る工程は寅松の教えを受けても、そうは一朝一夕に習得できるはずがない。

それでも数年の後、ついに彦蔵は寅松の首を縦に振らせることができる、素晴らしい品質の繭を作り出すことに成功した。

 

「いやぁ彦蔵さんよ、オメェさんは大したもんだ、こんなきれいな繭玉をたった5年目に成し遂げるなんざぁ、俺が教わった隣村の金治郎よりもすげぇ事だ。金治郎はな、今じゃ生糸づくりじゃあ隣村では一番の大店(おおだな)になってる。今こそこの繭玉を生糸にして街の市場へ卸しに行くべぇよ!きっとな、蚕室ももう少し大きく立派に立て直せるくらいの金子(きんす)になるこたぁ俺が請け合うぜ」

彦蔵ももちろんひとまずのゴールへとたどり着いた喜びと嬉しさはあったものの、教える役を引き受けた寅松の喜びと言ったら、彦蔵の数倍も大きかった。

「彦蔵さんょ、俺は生糸市場の鑑札を持ってるからよ、俺の名前で市場へ出せばいい。おぅよ、俺ももちろん一緒についてくさ。この繭が生糸になっていったいいくらの値がつくか、俺も知っときたいってことよ」


寅松の目はどうやら正しかったようで、彦蔵の作り出した繭で作った生糸は当時の相場の最高値を更新したほどだった。

それは糸の細さが安定していること、色の白さが際立っていること、そして絹特有の光り方がなんとも艷やかで、しっとりと輝くような風合いの絹だと評価された結果だった。

唯一残念だったのは、絶対的に生産量が少ないということだった。匁(もんめ)あたりの単価は高くとも、生産量が少なければ収入はそれなりの金額で終わってしまう。

それでもこれを機に「菅村の彦蔵」の名は問屋商の間でも名が知れ渡るようになり、その後の彦蔵は忙しい日々が続いた。

絹織物はもちろん彦蔵の住む菅村だけではなく、秩父、八王子、甲府などからも高品質な絹が横浜へと運ばれ、当時の日本の代表的な輸出品としてヨーロッパ各国へと輸出されるようになってきた。

日本政府は七宝、色絵磁器、漆芸などとともに、生糸と絹織物を重要な輸出産品として国を挙げて生産量と品質の向上に務めるよう、関係者へ通達を行った。

 

*******半月後*******

 

「君が彦蔵くんかね?」

ある日彦蔵の家に、西洋の身なりをし、山高帽を被り口ひげをたくわえた初老の男性が訪ねてきた。

こんなあばら家に毛が生えた程度の家には、およそ似つかわしくない身なりの紳士で、彦蔵はしばし身構えた。

「私は望月孝友という者です。仕事中の忙しいところ申し訳ないが、立ったままでいいから少し話を聞かせて貰えんだろうか」

18歳の彦蔵は望月の名前を聞いたことがあった。それは官営模範工場として稼働していた富岡製糸場の役員の一人だった。

彦蔵は多少訝しげに話を聞き始めたのだったが、望月が知りたかった内容は、どうやら彼が殆ど独学で習得してきた養蚕を生糸へと紡ぐ際のノウハウについてだった。

すでに富岡製糸場は西洋の製糸工場と比較しても遥かに大きな規模を誇り、とりわけその品質管理は西洋それとは比較できないほど優れていた。それでも大量生産は品質の低下を招き、当初計画していた品質に届かない製品が出来てしまうこともあった。

交易品としての価値を維持するためにも、望月は様々な情報を引き込み、彦蔵の名前を知ることになったのである。

 

「今日は不躾な質問ばかりをした非礼をお許し願いたい。菅村にとりわけ美しく高品質な生糸を紡ぐ少年がおると聞いて、矢も盾もたまらずに来てしまった。今度はぜひ私達の工場も見てもらえぬか。日本の発展のために立場は違えど、そちらもこちらも日々精進しなければならぬ。どうかまた楽しい話を聞かせてくれぬか」

望月はそう言うと彦蔵の家の入口に待たせていたフォードに乗り込み、埃を立てながら狭い山道を走り去っていった。

 

「すげぇ!すげぇぞ彦蔵さん!!今の人は富岡製糸の望月様じゃァねえか!俺もよ、時々入札の会場で見かけたことはあったけど、俺らのようなちっぽけなお蚕屋からすりゃぁ雲の上のようなお人だ。それはが向こうから彦蔵さんを尋ねてくるなんて、こりゃぁ大事だ、きっと庄屋さんからも話が来るに違ぇねぇ」

寅松はまるで自分が認められたかのように興奮し、彦蔵もあまりの急な展開に、目の前に起きていることが夢の中で見ているかのようだったと、後年身近な者に述懐したという。

 

 

貧農の生まれの彦蔵が見つけた養蚕という仕事。

彼は父と母と、そして妹を守るため必死に優れた繭を生み出す創意工夫を重ねていった。

同時に、時代は自由経済という弱肉強食の嵐が菅村まで襲いかかってきたのだった。

 

****************************************

 

さて今夜はここまで。

養蚕という新しい事業は緒についたばかり。寅松とたった二人で始めたこの事業を、どうやって成長させていくのでしょうか。

また明日ね('-^*)/


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題:【雨男】第1章第2章最終章

題:【遠い呼び声】第1章・第2章・第3章・あとがき

題:【車窓】その1その2その3その4

題:【老人の夢】

題:【初夢】

題:【俺のオリンピック】

題:【雲に乗ったよ】

 

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