真理質問箱 神・創造主 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところでこの社会では成りすましが公然と行われ続けているようで
ネット社会の視覚を諸に利用しては
人間同士の不和をも誘導している人間達が居るようです。


成りすましメールや成りすましの書き込み。


私のような組織的犯罪被害者はサイバーテロも受けていますし
同様のこともやられ続けてきましたし


工作員にしても何でもありでしょうが、
自分が今まで積み上げて来たブログだけは
成りすまされたくはありません。


私は一時ネット上で成りすましをされていた
数名の被害者が居ることに気がついています。


おそらく其の人間達は倒されたか洗脳された、
もしくは買収でもされたのでしょう。


組織的犯罪工作員の成りすましと
それによる真理の隠蔽にはご注意ください。


私もここで断言しておきますが
私の27日までの記事をとりあえず信頼してください。


保留してあった続・宇宙の法則の12番目の記事です。


それ以後に関しては思考能力低下もありますし
まともな記事を今後も提供できる保障がありません。


私は常に心は決死隊ですが、
私を殺すのではなくて病院送りにしておいて
成りすましが出没する可能性もおおいにあるのでご了承ください。


自殺願望と工作員に言われますが
結果的には脳機能もやられていますし
死んだほうが幸せだと思って居るのは確かです。


私が倒されたり転生した時に成りすましが現れても
覚醒者や理解者は工作員の記事には違和感を感じてくれると思いますが
そうでない人間は容易に騙されると思います。


と言うことで今から牽制しておきますね。


それと”想い”には距離も関係ないという事を
いつか私が証明して見せたいです。


私達の言っていた”最後の希望”のことだけは信頼して
この地獄社会を生き続けてください。



覚醒者は究極の”奇麗事”を語り続けましょう。

地球の法則の信奉者が嫌う普遍的真理をです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①神さまって存在するのでしょうか?


私達が神とか創造主と呼んでいる存在が
実在しているか居ないかを認識する時に
私達は自分達の科学を尺度として見つめてみれば良いと思います。


この三次元の中で一番進化した生命体であり
唯一創造力を与えられている存在が私達人間。


その人間の科学の進化の中で
以前では説明できなかったような現象が
科学的に説明できるようになりつつありますが


それでも私達は現象を追及していくと
必ず未知なる因にぶつかることになります。


それはあらゆる側面において同じです。


なぜに地球には気象変動があるのか?


どうやって電離層は作り上げられたのか?


なぜに惑星は球体となっているのか?


そもそも限りなく無に近かったこの宇宙空間の中で
元素を使用して星を作り上げたのはどんな力の作用によるものなのか?


元素はどのように出来上がったのか?


考えればいくらでも科学で説明のつかないものは存在していて
科学が万能ではない証拠に
生命なるものに関しては私達の知識はあまりにも乏しいと思います。


しかしこの宇宙空間には目に見えない法則が存在していて
その秩序の中で創造と崩壊が絶え間なく続いています。


その秩序を齎したものは
間違いなく意志を持った存在のはずです。


偶然、砂を撒き散らしたら
そこに星が出来上がることはありえないからです。


その意志の大元となっている存在を認めた時に
私達はそれを創造主と呼ぶのだと思います。


それは私達が勝手にイメージしているような
姿では無いようですし


その存在が常時私達の社会にその意志を直接繁栄している
わけでもなさそうですが


この宇宙空間を、そしてその中で働く秩序と摂理を
作り上げた意志は存在しています。


それを”至高なる英知”と呼んでいる人たちも居ます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②神が居るなら何故災害や事故から
救ってはもらえないの?


創造主の存在は私達は残像思念として認識することが出来るようです。

それは創造主のエネルギーの塊としてです。


創造主はその中にあらゆる法則を盛り込んでいるようです。


それが宇宙空間や私達の地球空間での
あらゆる秩序や法則に繋がっているのだと思います。


つまり今現在の創造主の意志が
随時私達の社会に繁栄されているわけではないということです。


私達は出来上がっている仕組みの中を
自分の意志で持って生きている存在であり、
その中での自分の行動に対して責任を負わされているようです。


何故なら私達は自由意志という自分の選択により
行動することになるからです。


これは脳機能と一体化して心と表現されているものかもしれませんし
心と魂の意志の選択のために存在しているものかもしれません。


そしてそこに業とかカルマと言われる物の存在も関わってきて
私達はそれらのカルマを魂に刻み込んだり
法則の中で影響を受けながら暮らす事になるのだと思います。
(カルマに関しては別のところで説明してます)


ただ、私達は自分だけで暮らしているわけでないので
時には他人の業が自分に降りかかってくる事もあります。


自ら悪い事をしてそのカルマを自分で受け止めるのではなくて
他人の行動の結果をそのまま受け止めるようになる場合です。


それは時には不可抗力とも言えるかもしれませんが
一方ではその行為をした人間にしてみれば
それは間違いなくカルマとなるはずです。


その影響を受けさせられた人間にとってのその不条理も、
その人間にとっての別の意味でのカルマとなって
私達に影響を与えることになるのだと思います。


創造主は不条理な状況を放置し続けておくような
そんな法則を作り上げては居ないと言うことです。


他人の業により命を失うことになれば、
きっとそれも私達の転生の時に何らかの影響を
私達に与えてくれるのだと想像しています。


しかし現実社会では、
そのカルマがそのまますぐに反映されるわけでない事は
私達が体験しているとおりだと思います。


悪行を続けていても、面白おかしく暮らせる人間も居れば
真面目に生きていても報われない人間も居ます。


でもイエスキリストが触れていたように
他人に見えない善行が天に財宝を積む行為だと称したように


私達の報われない思いも決して無視されているわけではなくて
それは必ずどこかで私達にとって跳ね返ってくるはずです。


因果の法則とかカルマの法則と言われているものは
現実に存在していると言うことです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11331426927.html
続・宇宙の法則 VOL9 ”因”なるもの
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11369748271.html
生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11370292500.html
生命の科学 復習・応用編 VOL4 潜在意識のカルマ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
③神を信じる人間が救われて
信じない人間が救われないって本当ですか?


創造主は万物に対して平等の意識を持っているはずです。


人間という生物は創造主の作り上げた生物の中で
唯一創造力をもつ存在だと言われますが
創造主はその一人一人の人間に同じような想いを平等に持っていて
決して区別や差別をすることはありません。


そして創造主の想いは、
私達が神の全ての創造物と調和を図りながら
自らは進化していくことだと言います。


つまり私達の周囲に存在している創造主の法は
その創造主の意識を実現するためにこそ
私達に働きかけていることになります。


誰もが創造主の意志に従って進化への過程を進む事こそを
創造主は求めていると言うことになります。


創造主の想いが私達の進化であり万物との調和であれば
創造主が救うべき存在はその意にかなった生き方を
している存在だと言う事です。


救われると言う意味自体を、
私達は誤って捉えている可能性がありますが


この地球社会を地獄と例えればそこからの脱出
もしくは卒業ということになると思います。


その状態へと進むことができるのは
創造主の意志を実践しようと勤めている人間だと言うことです。


神を信じていようが信じて居まいが、
創造主の法の恩恵に預かる事が出来ると言う事だと思います。


結局は神を信じる信じないが”救い”の条件はなくて
創造主の意志に気がついてその生き方を
実践できるかどうかという事にかかっているはずです。


「私を主よ主よと称える者が皆、天の国に入るのではなくて
神の御心を実践した人間が入るのだ。」


と言う趣旨をイエスキリストは語っていたはずです。


私達にとっての救いは、創造主の法に目覚め
その想いを実践して生きることで齎される。


そしてその行いの原点は
私達が道徳と呼んでいるものに他ならないのです。


神を信じていようが居まいが誰でも実践可能なものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
④選ばれた人間達こそが救われるとか
天国に行けるというのは間違いですか?


まず、一般的に認識されている天国と地獄はありません。


選ばれた人間が救われるとか、その人数まで決まっていたりするのは
選民思想と呼ばれるもので


特定の人間達が自分達に独自達の独自の神を作り上げ
その神は自分達こそを救済してくれると信じることで
信仰や生活に生きがいを感じていた時代の悪しき名残だと思います。


創造主と呼ばれる存在は一人だけで、
その人間が宇宙空間を全て作り上げたのですし


その存在が特定の人間を特別だとみなし
贔屓する事はありえないと思います。


区別する事が必要な対象や淘汰すべき必要のある存在など
最初から造らなければ良いのですから。


現に、創造主の意志と言われる魂から感じる想いには
分裂や不平等は存在しては居ないのです。


自分の創り上げた万物に対する慈しみこそが
創造主の意志だということです。


つまりは創造主は
初めから差別意識を持っていないことになります。


先述の様に、イエスキリストが教えの中で
「創造主の意志を実践した人間が永遠の命を持つ」と
話していたはずです。


神を信じて拝むのではなくて
その意志を実践していることが”救い”の
条件だと思います。


そして正しくは”救い”ではなくて”進化”です。


誰もが同様にこの社会の中で創造主の法に導かれ
平等に覚醒の機会を与えられています。


ただ私達がそれを認識できるか出来ないかは
その時の私達の心や魂の状態で異なってくるのだと思います。


そこには前世からのカルマも無関係では無いと思います。


しかし誰もが創造主の予定通りの生き方が
出来ていないこの地球社会の中においては


誰もが創造主の法に導かれるようにと
創造主の法則は常に私達に働いていると思います。


私達は誰もが同じように”救われる”機会を
与えられているはずです。


それは転生の法則に関しても同様のはずです。
(別のところで記事にしています)


創造主の法則に気がつかず暴走している魂ほど
次の転生で苛酷な環境を強いられる事になるのかもしれませんが


その与えられた環境の中でその課題をこなし
十分に学ぶ事が出来れば、
その人間は創造主の法則へと導かれるはずですし、


その環境の中で腐ってしまった人間は
それに気がつくことも出来ないのかもしれません。


全ては私達自分の責任だと思います。


特定の血や民族や教えが救いの要件ではなくて
全ては私達の意識しだいと言うことだと思います。


そして自分達は救われると信じ込んでいても
進化を果たせない人間達も居れば


何も意識していないけれども
救われる人間も出てくる。


これこそが創造主の平等な意識の結果だと思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232871797.html
天国(霊界)の謎が解けた
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003292677.html
天国と地獄
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003294416.html
天国と地獄 後編

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
④イエスキリストは神なの?


私はイエスキリストは人間だと認識しています。


太陽系の天使達(スペースブラザーズ)の中でも
進化した存在の一人で彼らの中の指導者でもあるようです。


天使達と言うのは聖書でも頻繁に出てくる神の使いと
言われている存在ですが


当時の人間達は宇宙船に乗って天から降りてくる彼らを見て
それを神の子供や天の使いだと判断したのだと思います。


彼らは単に太陽系の他の惑星の進化した人間に過ぎません。


時代の流れとともに彼らには翼がつけられ
頭には輪が付けられましたが


聖書の創世記にあるように
地球の人間と”神の子”の間には子供が出来るのですから
彼らが肉体を持った人間であることが判ります。


イエスキリストは彼らの仲間で
その魂を地球で転生させることで地球人として生まれ


成長して地球社会の中を学び、地球での覚醒を果たした後に
創造主の法を独自の説明で語ったのだと思います。


イエスキリストは自らを”神”であると語ったことは無く
自分では”神の子”もしくは”人の子”という
表現をしていたはずです。


私達は誰もが創造主の創造物であり
創造主の意志を魂として持っている神の子です。


そして同時に肉体としては両親から生まれてきた人の子でもあります。


それを”神の一人子”と表現した人間が居ることで
後の社会ではその神性が争われることになりました。


現に今でもイエスの魂を持った人間が、
宇宙空間で肉体を持って暮らしているはずです。


私達が理解すべきことは私達の誰もが創造主の子供であると言うこと。


イエスキリストは何度もそのような発言を繰り返したはずです。


そして自分が創造主の子供であると認識するためにも
創造主の法を理解して実践する事をイエスは求めていました。


”放蕩息子”の例えは、人間が創造主の法に気がついて
その生き方を変えることで”父”の元に返ることになるという話です。


私達は誰もが創造主の分身と言えるエネルギーでもある
魂を持った存在なのですからつまりは創造主の子供なのです。


太陽系の人間達は他人を見る時にそこに創造主の姿を見るそうです。


彼らは万物が創造主の魂を共有している存在であることを
理解しているからです。


私達の魂は四次元社会では宇宙の万物の意識と繋がっているのです。


だからこそ共通意識としてのアカシックレコードも存在しますし、
全ての生命体のエネルギーの根源は皆同じだと言うことです。


そしてイエスキリストはそのことを当然理解していました。


そして創造主を”父”とも呼びました。


それを文字通り受け止めると
”イエスは神の子だ”と言う話にもなってしまうわけです。


そしてイエスキリストは自分の魂から創造主の意志を
十分に表現できる能力を持っていました。


転生を繰り返し魂の進化を繰り返していたイエスは
その魂から創造主の意志を強く感じて
それを実践・表現することも出来たのです。


そして魂の意志に従って生きることで
「自分が為しているのではなく父が私の体を持って為している」
と言う表現をする域にも達していたわけです。


これは私達進化を求める人間誰もが目指すべきことであり
イエスキリストは進化した人間であったからこそ
そこまでのことが可能だったわけで、


イエス=神ではないのです。


イエスの前身はモーゼでありエリアでもあったと
アダムスキーは取り上げていました。


それは必要のあるたびにイエスの魂を持った人間が
この地球社会に転生を繰り返していた事を意味しています。


イエスキリストは神ではありませんが
この社会の指導者として人々を導いてくれた存在だと言うことです。


イエスは私達の救世主であることは間違いないと思います。


三位一体に関しても誤解されていますが、


聖霊という言葉含めて
私達はそれを科学的に認識できる
時代に生きていると思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11059663896.html
皆がイエスとヨハネの継承者
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11096526343.html
皆がイエスの使徒
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11242030857.html
罪と義の概念とイエスの十字架の死
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
⑤マリア様は神の関係者?


イエスキリストを生んだ母親として
それを美化している人間達が居ますし、


欧州ではマリアの姿で現れた人間が奇跡を起こしたと言う
言い伝えが数多く存在するために


マリアを聖母としてイエスキリスト以上に
神聖化している人間達も居るようです。


聖書の中でのマリアは
イエスが気が狂ったと言われた時にそれを迎えに来た
”極普通の人間の母親”として記されているはずです。


マリアと言う女性も天使達の転生であった可能性は
否定しませんが
それに関してのアダムスキーのコメントはありませんでした。


今ではマリア像も数多く存在し、
キリスト教の偶像崇拝の象徴にもなっているようですが
イエスキリスト同様、聖母マリアは神では有り得ません。


神本体はこの社会に肉体を持って君臨することはありませんし
神の魂を持って生まれた人間が神だというのであれば
私達全員が神だと言うことになります。


私の想像では
天使達がクリスチャンに何かを伝えようとした時に
イエスが君臨して伝達するわけには行かないので
(イエスの再臨は審判の日と信じられているからです)


マリアに見立てた人間を使っては
お告げをして見せたのだと思います。


ファティマの奇跡はまさにそれを象徴していると思います。


ttp://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-223.html
ファティマの奇跡と宇宙意識VOL1
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-224.html
ファティマの奇跡と宇宙意識VOL2
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-225.html
ファティマの奇跡と宇宙意識VOL3
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-226.html
ファティマの奇跡と宇宙意識VOL4
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-235.html
ファティマの奇跡 追加情報
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-227.html
ファティマの奇跡と宇宙意識VOL5

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
⑥神様って厳しいの?裁く神とか復讐の神と言う話を聞きますが。。


人々が荒々しく無法だった時代に、
人々の行動に対して罰を与えなければそれを制御できないと考えた人間が、
罪に対して罰を与える事でそれを見せしめとして、


人々の行動を規制したと言うのが
裁く神や復讐の神の起源だと思います。


目には目を、と言ったのも
そうでもしなければ行動が制御できないような
無法者の人間達が存在していたために


そのような習慣をつけることで
して良いこととしてはいけないことを示したと言うのが
おそらくは大元だと思います。


それを支持したのは神の意志ではなくて
人間の行いを正そうとした人間の意志だと思います。


「神はこう語っている」と言うことで
その戒律に説得力を持たせたのだと思います。


現に創造主は私達の行動に一切の強制をすることはありません。


そんな殺し合いがまかり通る時代に、イエスのような天使達がやってきて
創造主の法を語り「隣人を愛せよ」と諭しても
誰も聞く耳を持たなかったことでしょう。


地球社会に与えられた創造主の法は
私達の進化に応じて変化して来たと言うことです。


そしてそれを私達に与えてきたのは私達が天使と呼んでいる存在、
太陽系の兄弟だったという事です。


その教えは例えばモーセの10戒、イエスの教えと進化しましたし


さらには現代においては
アダムスキーとブラザーズが生命の科学と創造主の法として
今の私達の実情に合ったものを与えてくれたのだと認識しています。


創造主がどんな存在であるかはイエスキリストが語ったとおりだと思います。


誰をも差別することなく太陽を昇らせ雨を降らせてくれる存在。


そしてイエスキリストが解いた
「自分を愛するように他人をも愛せ」と言うのは
創造主の意識を一言で表した究極の戒律なのだと思います。


もちろんここでの”愛”は私達が常に語っているような
限定的な人間に対して向けられる好き嫌いの延長の意識とは
少しばかり違うはずです。


私はその”愛”を”万物に対する慈しみや思いやり”だと解釈しました。


パウロやイエスキリストが魂の想いと表現していたものこそが
創造主の意識に他ならず、


そこには復讐や裁きの意識など存在しては居ません。


私達の間違った行動に関しても、
創造主はその罪を罰するのではなくて
学習の場を与えると言う方法で


父の元へと私達を帰そうとしているのだと思います。


罰する神とか裁く神、復讐の神と言うのは
人間が勝手に作り上げた神の幻想だと言うことです。


そして宇宙空間が悪で満ちていると言った発想は
創造主の法則を何も理解していない人間の
誤った価値観だといえます。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11363884269.html
進化する天使の教えと逆行する地球環境
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11364404299.html
指導者の導きと共に進化する


--------------------------------------------------
⑦天変地異を起こしているのは神なの?


創造主の法が存在していても、
創造主が個別の事象に対して介入する事は無いはずです。


特定の条件が整えばそのようになる。


そんな秩序が創造主によって作り上げられているだけで
その条件を整えているのは私達人間です。


ちなみに私達の悪しき思いは
この社会に悪しき現象を引き起こす原動力となってしまうようです。


スペーズブラザーズやアダムスキーの話では
私達人間が生き方を変えてその想いを変えれば
破局と言われるような出来事は起きないという話でした。


現に彼らの社会は破局を迎えることなく
進化を続けていますし

一方では地球社会では文明の興亡を何度となく
繰り返してきているという話でした。


つまりは私達の想いや行動こそが
社会に破局を齎すと言うことです。


火山噴火が起きようと、大地震が起きようと
そこに何らかの歪やエネルギーが生じたことが原因であり、


それは私達の社会の作り上げた歪やエネルギーかもしれませんし
自然発生的に溜まったものかもしれません。


その歪を解消するためにそんな現象は起きることになり、
そんな現象の存在自体は創造主の法で当初から予定されていたと言えます。


現に地球社会の奥深くでは、私達が関わることなくても
今でもマグマ等の熱反応化学反応が続いていて
それは同時に地球の進化でもあるはずです。


創造主の法に則った営みとしてです。


(その歪を人為的に引き起こしている人間達も居ますし
逆に科学力の使用でそれを多少は改善することも可能だと思います。)


ただ、地球社会が近い将来体験するかもしれない
ポールシフトのような事態に関しては


私達の社会のあり方が創造主の法に触れた結果であると想像できますし
それを科学力を持っても避けることは難しいのではないでしょうか。


私達の想いはそのままエネルギーにもなるようです。


その想いが地球社会の環境をも作り上げているのです。


想念がエネルギーとして認識できたことを
科学者達は発表しては居ませんが。。


創造主の法が全ての原因ではなくて、
その法の適応を引き起こす私達の生き方が問題だと
言う話にも繋がってくるのだと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

⑧何でいろんな神様が存在しているの?


私達は自分達の知識では説明できないものに
神秘性を感じ、そこに見えない知恵と意志の存在を感じ
それを神と呼んでいた事もあるようです。


風が吹く原理も、雷が鳴る原理も知らなければ
強雨風や雷雨を神の怒りと認識することもあったと思います。


科学の進化で殆どの現象が物理的に説明できるようになったことで
神の業とされるものも減っては居ますが

それでも私達には自分達の理解の範疇を超えているものがあります。

それは生命の誕生です。


全ての現象を説明してもなおかつその大元が
説明できないことを認めたときに
私達は再びそこに神を認めることになるのだと思います。


一方宗教と言う形で神の存在は分かれているようにも見えます。


しかし同じ宇宙空間に生きている私達にとって
神と言うべき存在は一つだけのはずです。


ただ、その神なるものを教えようとしたときに
その時代背景や生活慣習にあった説明がされ
それが神の意志と語られるために


複数の教えとしてそれは残り
さらに時代とともに人の価値観が加えられて
結果的には複数の神が存在しているかのような
そんな感覚を私達に与えているに過ぎないと思います。


もちろん創造主なるものがどんな立場の存在かも判りません。

天使達は創造主を人間と同じ姿をした若者と認識しています。


それが正しければ創造主が自分の似せて
人を作ったというのは本当だと言うことにもなります。


極端な話が次元の異なる存在社会があって
そこの一人が私達が神と呼んでいる存在で


その神の夏休みの宿題が創造であって
そこで作り上げたのがこの宇宙だと言うような話だって
あるのかも知れませんし


そのときは宇宙なるものが神ごとに存在していることにもなります。


そうではなくて創造できる存在が宇宙空間と全次元において
ただ一人であって、その創造物が宇宙なのかもしれません


いずれにしても私達にとっての創造主は一人だけ。


私達が存在しているこの宇宙を含んでいる全ての次元を作り上げたのは
間違いなくたった一人の意識だと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


⑨神にお願いするとそれは実現するのですが?


創造主が個々の私達の行動や想いに対して反応することがないのは
ここまでの説明のとおりです。


創造主は進化と調和を齎すための
広大な空間と複雑な法則を作り上げただけで


そこで何がおきるかは私達人間しだいと言うこと。


ただ、私達の想いはエネルギーです。
創造主がそれをかなえなくても創造主の法が
それを実現することがあるのです。


強い想いが時にはそれを実現することもある。


ただ、想いを実現するためには
その想いが魂に反映されるようなものであることが前提ですし
その魂が四次元的存在であり


四次元で存在する想いがこの社会の中で具現化されることになるのですから
その元々の想いが三次元的な心のエゴから出ている場合は
魂を通じて実現されることもないはずです。


一方心の想いは想念と言う形で照射されそれも
私達に影響を与えることになります。


時には他人を呪うと言う行為が
実現することもあります。


しかしそれは創造主が引き起こしているわけではなくて
私達の想いのエネルギーによる効果と言えます。


負の想念を発するとその想いは自分の細胞や肉体、
さらにはそこを通じて私達の心にも影響を与えますし


人を呪わば穴二つという状態が現実に齎されることにもなると思います。


私達の強い想いは進化と調和のためにこそ存在すべきだと言うこと。


平和を願うその思いは創造主の意志に沿っていますが
個人の幸せを願うその想いは創造主の予定にはありませんと言うことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


⑩創造主は一体この社会を造って何をしたいのですか?


私にも判りません。


ただ、アダムスキーやスペースブラザーズのマスターの話では
私達は限りなく創造主に近い存在へと進化していく可能性を持っているそうです。


つまり私達が限りなく神に近づけばそのときに
その存在を感じることも、その意志を感じることも出来るように
なるかもしれないと言うことです。


冗談で考えるとしたら、創造主は一人では寂しくて
話し相手を求めているのかも知れないなどという発想も出来ますが
創造主がそんな俗物ではないことは私達には理解できます。


私達に自由意志と心を与えたその理由として
「創造主はいろんな表現を見たかったのだ」


とアダムスキーは触れていました。


自分の100%コピーを作りあげ
魂を通じてそれらをコントロールすれば


自分が思い描いているとおりの世界など
容易に造りあげることも出来るはず
です。

しかしそこに心と言うものを与えられ
経験を通じて自分を意識することになった私達は


その自分の意志と創造主の意志の選択の中で
生きていくことになります。


そして異なった経験と自分は自分であると言う意識が
私達一人一人を個性ある存在にしているのです。


植物には心や自由意志がありません。


結果彼らは創造主の魂だけをもち
その意志に従って生きている存在です。


彼らには自分と他の植物との区別はないはずです。


心という他の創造物と自分とを区別するための道具を
持っていないからです。


私達はそれを持っているからこそ
異なった体験をして時には罪をおかし
その中で進化していくことも出来ます。


他人と自分を区別することも出来ますし
それぞれの経験は独自の魂の進化を作り上げ

それが具現化されると再び異なった存在が出来上がります。


私達は創造主が見たかった様々な表現を
心と自由意志の存在によって実現しているのです。


結果当初の予定通りの調和の取れた社会を
作り上げることなく滅んでいくこともあるでしょうし


地道ながらも順調に創造主の目的へと
進んでいるような人間達も居ます。


結果、宇宙空間にはありとあらゆる進化の過程にある
生命体が存在していて

バリエーションにあふれています。


創造主はそんな状況が見たかったのかもしれません。


被造物である私達は自分のエゴが満たされないことで
創造主に悪態をつきたくなることもありますが


良くも悪くも創造してもらったからこそ
私達は生きていて体験をすることが出来る。


ありとあらゆることに興味を示し
知識欲や体験願望で一杯の私であれば


存在できたことを嬉しく思いますし感謝しますが
皆さんはいかがでしょうか?


【貴方に無限なる力の祝福がありますように。】


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10989130280.html
真訳聖書VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10986067358.html
真訳聖書VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10990855048.html
真訳聖書VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10990856380.html
真訳聖書VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10990857361.html
真訳聖書VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11018722428.html
真訳聖書VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092572275.html
真訳聖書VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11093807513.html
真訳聖書VOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11087949342.html
真訳聖書VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11088762180.html
真訳聖書VOL10
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092802564.html
真訳聖書VOL11聖書の精霊
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092804262.html
真訳聖書VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11121255900.html
真訳聖書VOL13
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11072330451.html
真訳聖書VOL14
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11097524994.html
真訳聖書VOL15
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11097526343.html
真訳聖書VOL16
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11098560360.html
真訳聖書VOL17
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11098561985.html
真訳聖書VOL18
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11100279155.html
真訳聖書VOL19
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11100280561.html
真訳聖書VOL20
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11153013419.html
真訳聖書VOL21
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11153008270.html
真訳聖書VOL22
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11153007545.html
真訳聖書VOL23
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11153006971.html
真訳聖書VOL24


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
真訳聖書VOL25
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003163305.html
真訳聖書 番外編 聖書は科学力に解釈できる