僕が初めて、まとまって「仙厓」を知ったのは、出光美術館の「生誕260年 仙厓―禅とユーモア」という展覧会でした。今から8年前のことです。
もうひとつ、
展覧会の構成は、以下の通りです。
第1章 長寿は天からの授かりもの―「老人六歌仙画賛」を中心に
第2章 力を尽くせば、必ず報われる―仙厓画傑作選
第3章 楽しき思い出よ、いつまでも―「書画巻」をめぐって―
第4章 悠々自適な隠居暮らし―旅行三昧・趣味三昧の日々
第5章 愉快なり、友との日々―仙厓流ユーモアを育んだ面々
展覧会の見どころは、下記の通りです。
01 長い老後が仙厓画を育んだ!
62歳で聖福寺住持職を弟子に譲って以降、25年にも及ぶ虚白院での隠棲期。この間、仙厓は「無法」の絵画を確立し、2千点ともそれ以上ともいわれる画賛を描き、墨跡をしたためました。膨大な数の仙厓作品は、驚くべきバイタリティーの産物だったのです。
02 仙厓はいかにして画賛を描いたか?
禅のテーマ以外にも多様な主題を手がけた仙厓。当館所蔵の「書画巻」と呼ばれるスケッチ集と完成作である画賛類をもとに、仙厓の体験・経験がいかにして完成作へと収斂していくのか。仙厓における作画の実際を解明してみたいと思います。
03 虚白院での晩年は老後のお手本!?
隠棲以降、旅行三昧、趣味三昧の生活を送った仙厓。数えの88歳までの長い悠々自適な生活は、まさに「老人六歌仙画賛」に登場する老人のよう。「老後の達人」仙厓の生き方は、私たちに多くのことを教えてくれます。
04 仙厓と博多文化サークルの面々
仙厓の友人・知人たちには当時の福岡を代表する文化人たちが目白押し。彼らとの共作、そしてその交流が生み出した驚きの見立て「涅槃図」を通して、仙厓を取り巻く文化人サークルの中で醸成された仙厓流ユーモアの世界をのぞいてみましょう。
第2章 力を尽くせば、必ず報われる―仙厓画傑作選
以外の箇所を、以下に載せておきます。
第1章 長寿は天からの授かりもの―「老人六歌仙画賛」を中心に
第3章 楽しき思い出よ、いつまでも―「書画巻」をめぐって―
第4章 悠々自適な隠居暮らし―旅行三昧・趣味三昧の日々
第5章 愉快なり、友との日々―仙厓流ユーモアを育んだ面々
「仙厓礼讃」
ユーモア溢れる「禅画」で知られる禅僧・仙厓(1750 - 1837)。現在伝わっている作品のほとんどは、住持職を引退し、寺の境内の一隅にあった虚白院(きょはくいん)という隠居所で過ごした四半世紀の間に制作されています。しかも、隠棲は還暦を優に超えてからのことでした。実は住持職を引退した後の仙厓には、 "ご隠居さん" として悠々自適な生活を謳歌した第二の人生があったのです。
毎年のように行われた名所旧跡・社寺仏閣への旅行や参詣、地元博多の祭りや催し物見物。あるいは珍奇石や古器物の蒐集、さらには茶をたしなみ、書画や詩作・詠歌・句作などにいそしむ毎日を送りました。特に、友人・知人や地元の人々との心温まる交流を大事にしたようです。数えの88歳、隠棲後25年の長きにわたった仙厓の人生を振り返ると、 "老後の達人" ともいうべき姿が浮かんできます。
本展では、仙厓晩年の作品の中に老後の極意を読み解くとともに、草稿集「書画巻」と完成作との比較から判明した画賛制作の秘密、さらに、友人・知人たちとの交流とその交友の結果生み出された傑作「涅槃図」など、仙厓が残した作品群の意味を考え直してみたいと思います。
仙厓の「禅画」を代表する作品とともに、江戸時代の博多の風俗や風光明媚な九州の景色を活写した作品もあわせてご堪能ください。
「仙厓礼讃」
図録
平成30年9月15日発行
編集・発行:
公益財団法人出光美術館
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