出光美術館で「東洋の白いやきもの―純なる世界」を観た! | とんとん・にっき

出光美術館で「東洋の白いやきもの―純なる世界」を観た!


出光美術館で「東洋の白いやきもの―純なる世界」を観てきました。観に行ったのは8月30日、もう2ヶ月近く前のことです。日本でいろいろ観ましたが、「やきもの」、これがよくわからないんですよ。結局は中国、朝鮮からきたものですよね。台湾の故宮博物院へも行きました。上海博物館へも行きました。ソウルの国立博物館へも行きました。少しわかったのは、青銅器とのつながりがあるということ、だけでした。松岡美術館は、中国陶磁の収集がメインコレクションで、陶磁器の展示は丁寧な解説がついていて、分かり易かった記憶があります。


出光美術館は、僕の「定点観測美術館」、ほぼ毎回観に行ってます。おかげで出光の図録が溜まり放題、美術館一館では一番あるようです。出光で過去の「やきもの」の展示があったか調べてみたら、「麗しのうつわ―日本やきもの名品選」というのが2010年にありました。図録を観てみると「やきもの」はどうしても色物ばかりで、「白いやきもの」はほとんど出ていません。安宅コレクションを引き取った大阪の「東洋陶磁美術館」へ大阪まで観に行きたいと思っていたところ、「悠久の光彩 東洋陶磁の美」という展覧会が、今年の初めにサントリー美術館でありました。この展覧会は、陶磁器の展覧会では最も素晴らしいものでした。朝鮮の「白いやきもの」もわずかですが出ていました。やっと納得できる陶磁器の展覧会を観ることができました。


サントリー美術館で「悠久の光彩 東洋陶磁の美」展を観た!


大阪市立東洋陶磁美術館は、開館当時「安宅コレクション」約1000件を元に展示・研究をしてきて、その後「李秉昌コレクション」が加わり、収蔵品は約4000件におよぶという。「悠久の光彩 東洋陶磁の美」は、国宝2件、重要文化財13件を含む、東洋陶磁(中国、韓国、日本)の名品136件が出されました。中国陶磁と韓国陶磁は、日本陶磁が大きく影響を受けてきた海外古当時の代表格です。その図録によると、「白磁」と呼ばれているものには、(1)白い胎土に透明釉を施したもの、(2)素地に白い化粧土を施して、透明釉を掛けたもの、(3)失透性の白色乳濁釉を施して、白く見えるものの3種類ある。


さて、今回の「東洋の白いやきもの―純なる世界」、中国・宋代の作品を中心に、朝鮮や日本の白磁の名品約110件を紹介していました。宋代の洗練された作品や、宮廷用の元代の景徳鎮製品をはじめ、庶民に使われた漳州窯、景徳鎮以上に美しい白磁といわれる明代末期の徳化窯の製品、柔らかみのある朝鮮王朝時代の白磁などが展示されていました。他に、日本独特の美意識で作られた重要文化財の茶碗「白天目」が特別出品されていました。本来は黒色の釉薬をかけて焼成する唐物天目の器形を、白い上薬で覆った美濃焼の名品です。白磁を独自に発展させた国内で、室町時代の茶人、武野紹鷗から茶の湯の道具として終わり徳川家に伝わったとされます。(この項、朝日新聞の紹介記事による)


以下、出光のホームページより。今回の展示をみると、「白磁」のほかに「青白磁」がかなりの数を占めています。実は青白磁は白磁の一種です。五代の頃からの白磁の産地江西省景徳鎮では、純白の素地にかける透明釉にどうしても鉄分が残り、酸素を奪って焼く還元焔焼成で青味が出てしまいます。白磁ということでは、透明釉は当然無色透明であるべきなのですが、彫文様や型押文様の深い部分では釉薬が厚いため、青がより深く、浅い部分では淡くなり、なかなか美しいのです。景徳鎮ではこれを逆手にとって、宋時代から青味を生かした白磁が特産品になりました。基本は白色の素地に透明の釉薬をかけて焼く白磁なのですが、とくにこれを青白磁と呼ぶようになり、影青(いんちん)とも呼ばれます。


また、宋代までは、宮廷の御用器、とくに宮廷の祭祀に用いる祭器は、漢民族が最も好む青磁で制作され、青磁が国の最も権威ある公式のやきものでしたが、元時代になると状況が変わります。元朝の支配者モンゴル族は、白(純)を最も尊び、宮廷の祭器は白磁の産地、景徳鎮の製品に変更されたのです。技術も進歩し、青味の残らない白磁、甜白(てんぱく)も開発されました。「4 皇帝の白磁―白磁が御用器になった理由」では、白磁がついに御用器になった理由を、白磁の産地景徳鎮製品を中心に詳しく紹介しています。


展覧会の構成は、以下の通りです。


序 白いやきものの出自

1 白いやきものの始まり―陶器質の“白磁”

2 本格白磁の発展―磁器質の白磁

3 白磁と青白磁―景徳鎮白磁の世界

4 皇帝の白磁―白磁が御用器になった理由

5 白土がけの庶民の“白磁”―磁州窯系の白釉陶器

  明末の漳州窯・徳化窯白磁―輸出で飛躍した白磁

6 朝鮮王朝の白磁

7 日本の白いやきもの



序 白いやきものの出自


1 白いやきものの始まり―陶器質の“白磁”


2 本格白磁の発展―磁器質の白磁


3 白磁と青白磁―景徳鎮白磁の世界


4 皇帝の白磁―白磁が御用器になった理由


5-1 白土がけの庶民の“白磁”―磁州窯系の白釉陶器


5-2 明末の漳州窯・徳化窯白磁―輸出で飛躍した白磁

6 朝鮮王朝の白磁


7 日本の白いやきもの

「東洋の白いやきもの―純なる世界」

白く美しいやきもの――白磁は、6世紀の中葉に、中国陶磁のニューウェーブとして誕生しました。中国陶磁は、青磁を主流として発展してきましたが、初期の白磁は、北中国において、その青磁釉の鉄分を去ることによって生まれました。白い素地に透明になる釉薬をかけて高火度で焼く白磁の出現には、当時すでに盛んであった東西交流の刺激、とくに西方のガラス器あるいは銀器への憧れが動機となったとも考えられます。白磁の発展は、磁器質の本格的白磁の出現によって加速されます。その嚆矢は唐時代の邢窯(けいよう)・定窯(ていよう 河北省)の白磁で、晩唐~五代の頃には江南でも白磁生産が始まっています。宋代になると、白磁の生産は中国全土にひろがり、緊張感に満ちた峻厳な器形の宋磁にふさわしい代表的な陶磁になりました。華北では定窯白磁をモデルにして山西省・陝西省・安徽省・遼寧省・内蒙古自治区で、江南では景徳鎮(けいとくちん 江西省)を中心として福建・広東で白磁が焼かれ、その製品は海外にも販路を拡げてゆきました。

元時代、白磁は御器として宮廷用什器の中にとり入れられ、国家の祭器が、青磁に代わって景徳鎮白磁であつらえられるようになります。これは、元朝の支配層モンゴル民族が、白(「純」)を尚(たっと)んだことに起因しています。以来白磁は景徳鎮官窯で焼造されることによって、ますます洗練されてゆきました。藍釉磁器・紅釉磁器・釉裏紅(ゆうりこう)磁器、青花(せいか)磁器なども、白磁の技法のうえに生まれました。また明時代後期からの福建省徳化窯(とっかよう)の象牙色の白磁は、ヨーロッパに装飾用磁器・テーブルウェアとして輸出され、「ブラン・シーヌ(中国の白)」として称賛をあつめました。朝鮮や日本の白いやきものは、中国白磁の影響のもとに始まりましたが、それぞれの民族の独特の受容と発展ぶりを見せます。朝鮮では、柔らかみのある肌合いの白磁が、そもそも白を尊ぶ民族意識のうえに儒教思想が厳格に受け入れられたことにより、祭器として官窯の主製品になりました。日本では、17世紀にようやく磁器が始まりますが、白いやきものとしては、美濃焼や京焼の陶器によるものが、日本的な器形の白いやきものとしてまず登場しています。その中で、本来黒釉の唐物天目の器形を白釉でおおった白天目は、日本的な自由な着想が成功した名品と言えるでしょう。

今回の「東洋の白いやきもの」展では、出光コレクションの中国白磁を中心に、さまざまな産地や時代の白いやきものによって、優れたやきものを鑑賞していただき、その魅力を存分に味わっていただくと同時に、その背景にある各民族の美意識に思いを馳せていただきたいと思います。


「出光美術館」ホームページ


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