イーユン・リー原作の映画「千年の祈り」を観た!
テーマ:映画もいいかもイーユン・リー原作の映画「千年の祈り」を観てきました。以前、イーユン・リーの短編集「千年の祈り」を読んだときに、表題作「千年の祈り」について、以下のように書きました。
題名の「千年の祈り」は、英文で「A Thousand Years of Good Prayers」です。表題作「千年の祈り」の中で、ロケット工学者だった石(シー)氏が、離婚した娘を慰めようとアメリカへ渡り、散歩中に知り合い友だちになったイラン出身のマダムに「中国で『修百世可同舟』といいます」、「誰かと同じ舟で川をわたるためには、300年祈らなくてはならない。たがいが会って話すには、長い年月の深い祈りが必ずあったんです」と。「どんな関係にも理由がある、それがことわざの意味です」と付け加えます。そして「愛する人と枕をともにするには、そうしたいと祈って3000年かかる。父と娘なら、おそらく1000年でしょう」という個所から、この本の題名「千年の祈り」はとられたのでしょう。「一夜床をともにした夫婦は百日愛しあう」という箴言(しんげん)を持ち出して娘の不倫をなじると、父親に心を開かない娘からは「父さんはロケット工学者じゃなかった。母さんは知っていたのよ」と反論されてしまいます。ロケット工学者でなくなったことには、別の事情があったのです。「犠牲にしたものこそ、人生を意義あるものにする」、しかし石氏はこの言葉に、顔を大きく横にふります。ロケット工学者の父親と父親に心を開かない娘は、ほとんど作家自身とその生活環境に近いと思われます。
小説「千年の祈り」はわずか20ページの短編ですが、この映画そのものも思っていた以上に短い(83分)、あれっ、もう終わったの?という感じでした。それだけ緊張が持続して観ることができた、ということでしょう。監督のウェイン・ワンは、この映画の脚本を原作者のイーユン・リーに依頼しました。従って、小説を映画化した時によくある、原作と映画の違和感はほとんどありませんでした。監督は「もとの題材をできる限り尊重する形で作った」と語っています。主な登場人物はたったの3人です。父親役のヘンリー・オーや娘役のフェイ・ユーも小説から抜け出したように、すんなりとけ込んでいました。もう一人は石氏が公園で知り合ったイラン出身の「マダム」です。
映画の筋書きはいたってシンプルで、映像表現は抑制が効いています。中国で生きてきた父親とアメリカに渡って生活している娘、家族主義と個人主義の違い、歳月と距離の隔たりが、父親と娘の意識や感情のズレを浮き彫りにします。父親のあまりの干渉に、ついには「お父さん、いつまで嘘をつくの?」というイーランの残酷なセリフが出ます。父親は初めて壁越しに娘に自分の本当のことを語り始めます。隣の部屋で娘はそれを聞いています。父親の哀しみと娘の哀しみが交錯します。娘は表面上の仲直りとして、父親に「アメリカ・ツアー」を提案します。かつての親子関係は清算され、新しい価値観に変わっていきます。父親は哀しみを背負いながら、「アメリカ・ツアー」へと旅立ちます。
以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。
チェック:世界中から注目を集める中国人女性作家イーユン・リーのデビュー短編集に収められた一編を映画化。わだかまりを抱えて離れ離れになった父娘が、本当の親子のきずなを築くようになるまでを描く。監督は『スモーク』のウェイン・ワン。父を『ロミオ・マスト・ダイ』のヘンリー・オー、娘を『ジョイ・ラック・クラブ』のフェイ・ユーが演じている。サン・セバスチャン国際映画祭で作品賞などにも輝いた、心に染み入る感動ストーリーが堪能できる。
ストーリー:妻に先立たれてからは高齢者向けの料理教室に通うなどし、引退生活を静かに楽しんでいたシー(ヘンリー・オー)。彼はアメリカで暮らす娘のイーラン(フェイ・ユー)を気がかりに思い、はるばる北京から娘のもとを訪ねる。しかし、朝食も食べずに出勤し、帰宅も夜遅いイーランとシーは心を通わせ合うことができず……。
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