出光美術館で「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」展を観た! | とんとん・にっき

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出光美術館で「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」展を観てきました。


過去に出光美術館で、「小杉放菴と大観 響きあう技とこころ」展を、観ていたことを思い出しました。2009年3月のことでしたから、6年前のことです。「放菴と大観」展はどちらかというと放菴が主で、大観は添え、引き立て役という印象でした。その時、以下のように書きました。


やはり特筆すべきは、小杉放菴が「日光東照宮」を描いた洋画家、五百城文哉の弟子で、血気盛んな若き頃は酒好きで自ら「未醒」と号した豪快な洋画家でした。パリに留学しても東洋を愛した放菴は、ヨーロッパで池大雅の画帖に出会い、「帰り行くべき道」を示されたと思い、帰国後は日本画に傾倒していきます。・・・「日光東照宮」は水彩ですが、その頃の酒を愛した放菴の雰囲気は、油彩の49歳の「自画像」と、「太宰府大伴旅人讃酒像」に重なるように思います。旅人も酒をこよなく愛したという。旅人は「験なき物を思わずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし」と詠んだという。これに和して放菴は、「ひとり酒もてあましたるさびしさを独り笑はむかひとり泣かむか」と詠んだという。


さて、今回の「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」展、「金太郎」の画家と呼ばれた放菴らしく、図録の表紙は「金時遊行」です。ピョンピョンと飛び跳ねて屈託のない笑顔を見せる金太郎、モデルになったのは放菴の孫・正太郎です。鉞(まさかり)をかつぎ熊に跨った金太郎シリーズは,放菴が好んで描いた主題です。「金太郎遊行」は、住友家の玄関に飾る壁画として、特別に依頼されたものです。昭和19年(1944)の戦艦献納帝国芸術院会員美術展に、他の画家が戦争画を出品したのに対し、放菴だけは、屈託のない笑顔の金太郎を描いて出品した、というから驚きます。


やはり放菴らしい作品としては、その代表は「天のうづめの命」でしょう。天の岩戸に身を隠した天照大神を表に誘い出そうと、面白い舞を披露する天のうづめの命。両手を広げて高らかにステップを踏む開放感にあふれた踊りは、ブギの女王・笠置しづ子がモデルだという。当時、竣工したばかりの日本最大の出光興産タンカー日章丸のために放菴が描いた一枚です。


「大宰師大伴旅人卿讃酒像」は、歌人・大伴旅人が晩年の63歳で大宰府の長官となって僻地の筑紫に赴任します。その左遷された時期に「酒を讃ふる歌十三首」を詠んでいます。旅人は大の酒好きで、自宅で華やかな宴を催しながら文芸を楽しんだという。政権争いから遠ざかり酒を楽しむ旅人に、放菴は大いに惚れ込んだという。


「湧泉」は、東京大学大講堂(安田講堂)の舞台正面に放菴が描いた壁画の一部の習作です。舞台上部のアーチ形に向かって左側は「湧泉」右側は「採果」と呼ばれています。放菴はパリのソルボンヌ大学の大講堂にあるシャヴァンヌの大壁画を念頭に、フレスコ画風の薄いタッチで、知恵が泉のように湧き出し、大きな成果となって実を結ぶまでの、大学にふさわしいテーマを考えました。「湧泉」は「入学」、「採果」は「卒業」という別名があります。この壁画を最後に、放菴は麻紙と出会い、本格的に水墨画の世界に入っていきます。

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大正末期に、福井の紙漉き職人・岩野平三郎が、平安時代に姿を消した麻紙(まし)の復元に成功すると、放菴は一種変わった墨の風合いをみせる麻紙の虜になりました。そして昭和4年(1929)の中国旅行の時、その餞別として洋画家の倉田白羊(放居士)から雅号の一字を奪い取って、「放菴」と改号しました。


「黄初平」は、僕が一番気になった作品です。黄初平は中国・晋時代の仙人です。15歳の時に羊飼いをしていたところ、ある道士に見込まれて金華山に連れていかれ、姿をくらませていました。捜索の末、40年後に再会した兄の前で、山中の石を鞭打って、ことごとく羊に変えてみせたという。西洋風の衣装を身にまとい、指を天に突き上げ、キリスト教絵画の使徒を思わせる一方、背景は油彩で金箔の形に仕上げられており、日本画の金屏風を思わせます。


そして、襖四面に描かれた「梅花小禽」。大きく弧を描くように枝を張り出した白梅の老木に、山鳥が片足でポーズをとっています。ところどころに霊芝と若松が梅の枝から顔をのぞかせ研ぎ澄まされた感覚が、枝や鳥の質感に見事に結実しています。


展覧会の構成は、以下の通りです。

  
第1章 蛮民と呼ばれて ―日光~田端時代
第2章 西洋画による洗礼 ―文展入賞~パリ時代
第3章 洋画家としての頂点 ―東京大学
第6章 神話や古典に遊ぶ
第7章 十牛図の変容 
第8章 画冊愛好 ―佐三との出会い
第9章 安らぎの芸術 ―花鳥・動物画



第1章 蛮民と呼ばれて ―日光~田端時代


第2章 西洋画による洗礼 ―文展入賞~パリ時代


第3章 洋画家としての頂点 ―東京大学大講堂大壁画


第4章 大雅との出会い ―深まりゆく東洋画憧憬の心


第5章 麻紙の誕生と西洋画の革新 ―〈東洋回帰〉と見られて


第6章 神話や古典に遊ぶ



第7章 十牛図の変容



第8章 画冊愛好 ―佐三との出会い


第9章 安らぎの芸術 ―花鳥・動物画



「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」
「金太郎」など優しく微笑ましい日本画が人気の小杉放菴(1881~1964)ですが、若い頃は未醒(みせい)と号した酒好きで豪傑な洋画家であったことはあまり知られていません。日光に生まれ、高橋由一の門人・五百城文哉(いおきぶんざい)に洋画を学びますが、18歳で上京、小山正太郎の画塾・不同舎に入ります。当時、国際的に流行したフランスの壁画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌを崇拝した放菴は、シャヴァンヌを思わせる淡い色調の風景画で、30歳頃には文展で連続して最高賞を得、夏目漱石も絶賛するほどでした。日本の洋画壇の将来を嘱望されてヨーロッパに留学しますが、本場の洋画が持つ伝統の重みに耐えかねていたところ、パリで偶然目にした江戸時代の文人画の巨匠・池大雅の画帖「十便帖(じゅうべんじょう)」の複製に、自分の“帰りゆくべき道”を見出します。留学後、次第に日本画に傾倒してゆき、昭和期には放庵(のちに放菴)の画号を用いた日本画で知られるようになりました。改名による日本画家への華麗なる転身は、東洋回帰と注目され、一部からは伝統的な洋画家らの敗退という批判もありましたが、放菴は“ずっと続いた一本道”と言っています。実際には、神官で国学者の父・蘇翁(そおう)や、感じに造詣の深い師・文哉から和魂洋才の教育を受けてきた放菴にとって、洋画・日本画といった区分はそれほど重要ではなかったように思えます。西洋から押し寄せる文化の波を受けながらも、日本人のための絵画を創り出したいという熱い思い―放菴芸術に貫かれた<東洋への愛>は、日本の将来を案じる出光美術館初代館長・出光佐三(1885~1981)の心をも惹きつけるほどでした。本展では、放菴没後50年を記念して、約90件の作品で放菴の画業を回顧いたします。洋画と日本画が共鳴しあって生まれた、あたたかく包み込まれるような放菴芸術の魅力をどうぞご堪能ください。


「出光美術館」ホームページ

kosugi1 「没後50年 小杉放菴<東洋>への愛」

平成27年2月21日発行

編集・発行:

公益財団法人 出光美術館









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