こんにちは。
memiです。
あらためまして、自己紹介
memi: 40代のアラフィフ
2022年秋に乳がんに。
その記事まとめはこちら
こちらの続き
4/23のことを今書いてます
お昼食べたあとは、渋谷観光
わたし達の教会は、渋谷まで徒歩20分弱。
ほんとはShibuya Sky
油断してたらチケットが売り切れ
で、
思いついたのが、
Miyashita Park
元の宮下公園を横文字にしただけだって❓
それが、今進化してるの。
こんなふうに立体構造に
(hpより)
ちょうどお天気もピーカン晴れで
インターナショナルなわたし達は
芝生に座ったら、
こんなふうになったよ
By Mason Dahl via Unsplash
↑こちらはイメージ素材ですが。
そこに、
わたしの妹と姪っ子、
妹の友達も来てくれて楽しかった
妹は、memi家で最初にK君に会った家族。
乳がん発覚の段階から、K君の話は
妹にはしていたので、妹も会うの楽しみにしててくれたの
皆でゆっくりと芝生の上で話せてしあわせだった。
渋谷にいるってこと、忘れたくらい。
ニューヨークのセントラルパークみたいだった笑
そのとき、ウクライナ出身の男子(30くらいかな)
とした個人的な会話が印象に残ってる。
わたしは彼に聞いてみたい事があった。
「答えたくないなら言わなくていいけど、
戦争が始まって、ウクライナに帰ろうって思った事ある?」
彼は「もちろん!何度もあるよ。」
と答えてくれた。
自分としては祖国を守るために帰りたかったと。
「死んだら、それはそういう運命だったって受け入れるしかない。でももし負傷して、身体が不自由になったら? 寝たきりになったら? 誰が僕の面倒を見るのか?妹? 年老いた両親にそんなことは任せられない。
母に、お願いだから帰らないでと懇願されて、僕は帰らないと決めた。知っての通り、一度帰国したら出国できないからね。」
と。複雑な思いで、日本にいるのだった。
お父さんは運転手をしているけど、
戦時中だからガソリンが手に入りにくい。
燃料は、街の自警団や軍に優先的に回されるとのことだった。
他にも生々しい話をいろいろ聞いた
彼はもっとチャラい人だと思っていたけど、
実は深く考えているし、大人でしっかりした
faith、日本語でいうところの信仰、信念を持っていた。
ウクライナって、ロシアもだけど、
日本の10/1くらいの月収だったような気がする。
そして彼はK君と昔、別の国で一緒で友達だったし、今はK君の国に投資目的のコンドも持ってるし、
何かと縁がある人だ。
ちなみに、収益が出ているか聞いてみたら、
始めたばかりなのと初期投資でまだとのこと。
K君は別の人と話し込んでいて、
空はすっかり夕焼けに。
ブルーモーメントの時に、
K君がスクランブル交差点で写真とビデオを撮りに。
他の男子達がK君のことを撮影してくれたので、
わたしとFちゃん(久しぶりの登場で忘れていると思うけど、一緒にK君達と島を旅行した友達で、ある意味わたし達をつないでくれた。K君とは双子かっていうくらい性格が似てる)は、ビルの脇で待ってた。
そして、K君、Fちゃん、わたしの3人で夕ご飯へ。
ほんとは和風のお店でスイーツのはずが、すっかり夜。
で、またロイヤルホストへ笑笑
ここで、3人でmemi家実家の作戦会議になった。
というのも、Fちゃんの家はうちの実家のすぐ近くで。
というか、家の親が去年引っ越した先が、Fちゃんの実家の近くだったというご縁があって
K君がうちの両親と会うか、については
わたしとしては悩んでたところでもあったんだけど、
これについてはまた書きます。
で、その後、ふるさと納税でホテルが1泊しか取れてなかったことに責任を感じたわたしは、
K君のホテルについて行って、場合によっては払ってあげようかと思ったのだけど、
やめた
交際2日目にして彼を経済的に
スポイルするのも良くないんじゃないかと思ってたのと
K君が自分で払う。1泊で充分というので。
それに、ずっと寝不足が続いていて、
K君のホテルまで行くと家から遠くなってしまうこともあって、、K君がわたしの身体を心配してくれたので。
で、帰り道K君はやっぱり駅から迷ったらしい
けど、わたしがいっしょでもふたりして迷ったかも
その代わりにK君がわたしの路線まで送りたいと行って来てくれたので、ちょっとドラッグストアに寄ったり、百円ショップに寄って、K君が頼まれたものやお土産を買ったのに付き合った。
ちょうど閉店間際で、蛍の光が流れてて、
疲れてたけど、K君と店内を走り回ったりして、
なんだかすご〜く楽しかった
ハグしてバイバイして、
交際2日目は終わった。
このときの写真はないけど、
ずっと覚えていたいな
(渋谷篇 おわり)
memi
K君の日本滞在